第16話 ムンババ大使


ガタン!と大きな音がして急に馬車が停車した。



「きゃぁ!」


マリーと共に支え合って、何とか席から落ちずに済んだ。

マリーが前方に向かい何事かと声をかける。


「どうしたの?」


御者が小窓を開けて頭を下げた。


「申し訳ありません。前方に故障したらしい馬車が止まっていまして……」



私も小窓から道を覗いた。

確かに数名の男たちが馬車の車輪を確認している様子が見えた。


「道を少し空けさせて端を通ります」


御者台から降りた護衛がドアを少し開けて私たちに告げる。


「どこかの貴族の馬車ですか?」


「そのようです」


「もし、お困りのようなら手助けして差し上げましょう」


私は護衛にそう言うと、もう一度故障したらしい馬車を見る。


高位貴族の馬車なら、無視して通り過ぎると後が厄介だ。


車体に板バネ式サスペンションが取りつけられている。衝撃をできるだけ吸収し、乗り心地を良くした仕様の馬車だ。

最新式の物だろう。装飾よりも実用性に特化した高額な馬車であることは確かだ。



「アイリス様、立派な馬車ですけど、家紋が見えませんわ。危険じゃないですか?」


「奥様。家紋はあるようですが、見たこともない家紋です。どこの貴族かわかりかねます」


御者が告げる。

私はドアから少し身を乗り出し家紋を確認する。



「……あれは……」


あれは家紋ではない、国章だ。


何度か見たことがある。最近また調べたから間違いないだろう。

あれはカーレン国の国章。あの馬車はカーレン国の物だ。


国を代表して外国に派遣されている最高の外交官。

カーレン国の大使がこの国にいる。


……ムンババ様の馬車だわ。



「あれは、カーレン国の国章です」




私はそう従者に告げると、馬車を降りる準備をした。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




馬車は車軸が外れかかっていてすぐには直りそうになかった。専門の業者に頼むしかないだろうと家の御者も言っている。話し合いの結果、馬車と数名の従者を残して中に乗っていた大使は先に帰ることになった。


私たちはムンババ様を公爵家の馬車で送ることを申し出た。迎えを待つよりもその方が早い。


彼はとても恐縮し、最初遠慮して私たちの申し出を断った。しかし、私がカーレン語を話せることを知ると、興味がわいたのか喜んで同乗させていただくと言って下さった。そして感謝の意を表してくれた。


勿論公爵家の名を出し、身分を明らかにし、そして従者も共に車内に同乗する。



ムンババ大使は馬車の席に座り落ち着くと、夫のスノウとは何度も一緒に仕事をしたと話してくれた。


「フォスター公爵は、妻がカーレン語を学んでいたと教えてくれました」


「ええ。流暢にとまでは言いませんが、日常会話なら問題なく話せます」


「それはとても嬉しい事です。そして今、この国に来て初めて自国の言葉で話ができました」


大使は笑顔を見せてくれた。


スノウが意思の疎通が難しいと言っていたのを思い出す。ムンババ大使もきっと苦労しているのだろう。

この国の言葉を話すことはできても、言葉の裏に含んでいるものまで理解するのは不可能だ。


他国の言語は難しい物ですと彼は丁寧に話してくれた。


カーレンは南国。この国とは違い空気もきれいで自然豊か、そして食べ物がおいしいと大使は教えてくれた。


カラッと乾燥した気候だけど、四方を海に囲まれているためフルーツがよく育つようだ。ダイヤやオパールなどの鉱物以外にも輸出できる作物が沢山あるという。


「輸送に時間がかかってしまうので、どうしても食べ物の輸出は難しいですね。それなら香辛料など乾物の輸出に力を注いだ方がいいかもしれません」


「その通りです。さすが公爵家の夫人です。他国の事情まで学ばれてらっしゃるのがよく分かります」


笑うと日焼けした肌に白い歯がちらりと見えて健康的で美しい人だと感じた。


ムンババ大使はお年を召された中年の方だと勝手に想像していたが、彼は若かった。


夜会にばかり参加して、ろくに剣術の訓練もしない青白い貴族令息たちとは比べものにならない。立派な体躯、整った端正な顔立ち。

外国の大使という地位もそうだが、きっとこの人は女性に人気があるだろうと感じた。



馬車の中では話が弾み、彼の大使館へ着いた時にはまだ話し足りない気分だった。


お茶でも飲んでいかれませんかと誘われたが、流石にそれは良くないと思い丁重に断った。


「今度、改めてご挨拶に伺います。勿論、フォスター公爵の了承を得てからですが」


「お気遣いありがとうございます。けれど、挨拶などは必要ありません。お困りの方がいらっしゃったら手を貸すのは当たり前の事です」


「ありがとう。私の友人になっていただけたら嬉しいのですが、さすがに公爵夫人ともなれば難しいですかね」


「どこかでまたお会いする機会があれば、その時は是非気軽に話しかけてください。この国の言葉で苦労する事もあるかもしれません。お手伝いできれば幸いです」


そういって別れを告げた。話し込んでしまい帰る時間が遅くなった。

もしかしたらスノウが屋敷に帰って来ているかもしれない。


できるだけ急ぐように御者にお願いした。


陽はもう西に傾きかけていた。




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