第9話 その剣は誰がために

 ベルは一際大きなため息を投げやりに吐いた。息が荒れている。


「気付きたく……無かったけどさ。私が貴方にとって可哀想で……可哀想な事を利用する姉さんのことも、知りたくなかった。でも、それでも私は、やっぱりこっち側なんだよ、ゼン。貴方と同じ道を行くことはできないんだ」


 僕はと言うと自然と笑顔になってしまった。ベルからこんなに想われているのも光栄なことだし、そしてそれを跳ねのけるのも簡単なことだったから。


「君が君自身を人質に取って僕に協力を迫ればいいんじゃないのかい? リリーがそうしたように」


 僕が提案するのに、ベルは怪訝な様子を示した。どういう顔をしたらいいのか分からない複雑な感じだ。すんと鼻を鳴らす。


「そ、それ、考えたけどさ。『私に協力してくれなきゃ死んでやるから』ってことだよね。ヤバイよその女。ヤだヤだ。私のこと、そんなこと言うやつだって思ってんの?」


 ここまでは用意してきたセリフという感じだったが、突然に素の反応が出てきたのが面白かった。ふとツボに入ってしまう。笑いが堪えられない。


「お、思ってないよ、思ってないけど」


 ベルが勢い良く机に手を着いた。ちょっとびっくり。


「あのお!! なんかさっきからなに!? 私は必死にお別れ宣言考えてきてさあ! こんな、ちょっと泣いちゃうっ、くらいなのにさあ! なんでゼンは笑ってんの? 余裕あってウザいなあ!?」


「いやだって面白いことを言うもんだから」


「面白い女で悪うござんしたね。でもこれ真面目な話なんで。真面目に聞いていただきとうございます」


 笑い涙を拭った。


「あー好き」

「好き!?」


 ——あっ。つい変なことを口走ってしまった。


「あ、ごめん好きじゃないけど、君のそういうところは好きだな」

「好きじゃないの!?」


 勘違いさせかねないので訂正したのだが、余計に混乱させたようでベルは頭を抱えてその場で回り始めた。視界の奥でキドヤが爆笑している。ね、この子面白いよね。


「よし君の言いたいことは分かった。けれど僕の話も聞いてほしい」

「はあ?」

「ほらとりあえず座って」

「はっ、はあーん? ほな聞いたろうやないか。聞いたりますけど!? はいどうぞ!」


 ベルは何故だか怒りながら僕の対面に座った。彼女の落ち着くのを待って、こちらも深呼吸を一つ。

 これだけで、きっとベルは納得してしまう。


「僕はリリーからベルのことを頼まれている。リリーは最期にこう言った」





『ゼン、頼むよ、ベルガーリャのこっ——』




 ベルはハッとして口元を抑えた。


「姉さんがっ……そ、そんなことを……」


 考え込んだ様子だが目が回っている。


「だから僕は——」

「——いや、いやちょっと待って!? 私もう頭回んない」


 ベルは慌てた様子でキドヤに振り返った。


「後はお願い!」

「おーいおいおい早すぎんだろ。まあ引き際は悪くないが。じゃあここからは代わりに俺と話そうか、小僧」


 非常にスムーズに移行した。ベルは初めから僕を諦めさせる自信が無かったのかもしれない。

 逆に言えば、キドヤはベルの想いを受けて、僕を諦めさせる自信があるのだろう。試すように顎をくいと上げている。


「もし小僧が姉さんの遺言を理由に俺たちに味方しようって言うんだとしたら、そりゃあ信用には値しないな。理由が弱い。小僧が姉さんと出会ったのは偶然で、それを頼まれたのも偶然その時目の前にいたってだけだ。偶然を根拠にした選択は脆い」


「いいや、僕の選択は遅きに失した。だからリリーたちは死んだんだ」


「選択そのものを目的としているならなおさらだ。五年後十年後の自分を想像してみろ。きっと今の小僧の選択をガキの頃の気まぐれだと一笑に付すに違いない」


「僕は君たちに大義を感じ取っている」


「俺たちが暴力を行使しようとしているのはそれ以外に選択肢が無いからだ。対して小僧はこの国の在り方を平和的に変えることが出来る立場にあるだろうが。大義があるならそっちで果たせ」


 彼は僕の覚悟を問うている。厚意だ。絶対に報いてみせる。


「君たちを見殺しにはできない」


「となると俺たちは革命に成功するわけだ。お前の両親や兄弟だってどんな目に遭うか分かったもんじゃないな? まさかお前は自分の家族と、三か月そこらの仲の俺たちを比べて、俺たちを取るだなんて言う訳か?」


「僕は国民の味方だ」


「じゃあ俺たちは国民の味方か? 俺たちには確かに軽んじられ虐げられてきた過去がある。だが他の者にとってはどうだ? 幸せに暮らしているヤツだってたくさんいるだろう。もしかしたら、俺たちがこの国に順応できていないだけかもしれない。重税だって格差だって賄賂だって、国を運営する上で効果的に働いている側面があるかもしれない。俺たちの正当性は保証されていない」


 ——手強い。


 息をついた。思いついたことばかり言っていたのでは信憑性が失われていく上に、上っ面の言葉で説得するのは無理そうだ。


 ——僕は一体どうしてまだ諦めないんだ?


 キドヤの言う通り、彼らのことは忘れて王宮に戻ればいいじゃないか。ベルだって好きだとかそういうんじゃあないんだろう? 僕が彼らに手を貸す理由なんて無い……。

 ふと、カウンターの奥、棚の上に置かれた木箱が目に入った。


 ——あれは。


 あるいは。あのへその緒と骨の欠片が。


「リリーは自分の子を、とても幼い時に失っただろう」


 キドヤの眉がピクリと上がる。


「小僧どこでそれを」

「この国は土葬なのに、骨が残っている。となるとその子が死んだのは十年前」

「よく知ってるな。ああ、この貧民街で起こった人体発火事件だ。人だけを骨まで焼き殺す炎が燃え広がっていった。アレはまるで、建物だけは残しつつ、俺たちを追い払うために起こったみたいだったな」


 ベルが苦い顔をしている。


 ——もしかしたら彼女の母親も……。


 僕はこの事件は違法薬物の倉庫が引火したことによる集団幻覚だと習ったものの、彼らの反応を見るにそうとも言い切れないようだ。


「その後、リリーはベルを見かけて、気にかけるようになった。そういう話だね」

「まあ大体そんな感じではあるが、それがなんだってんだ」

「僕は親子の愛情の話をしている」


「愛情……」と呟いたのはベル。


 幼子を失ったリリー。母親を失ったベル。欠けたピースを合わせるようにして二人は出会った。僕は二人の出会いを聞いていないし、二人がどれくらい親密な仲だったのかもあまり知らない。けれど少なくとも、リリーが最期の時に憂いた人間は、ベルだったのだ。


「キドヤ。君は親子の愛情なら首肯するのだろう。それがリリーの哲学だったからだ。きっとベルはその方法で君を頷かせたんだろうね」

「勘が良いじゃねえか。確かに俺は、似たような問答をベルガーリャにも仕掛けたとも」


 立ち上がって声を張る。こういう技術は帝王学で習ったところ。意味が無いと感じていたものでも、それが学びならばいつか助けになる時が来るようである。


「白状しよう! 僕は君たちの大義だとかリリーの遺言だとかどうでもいい! なぜならすべて偶然だったからだ!」


 キドヤが口角を上げる。


「そうか。ならば小僧はどうして俺たちに協力するんだ?」

「僕には『力』がいる! 君たちのことを純粋な『力』として利用しようとしている!」

「何のための力だ? 言ってみろ」


 あの日の彼女の、僕の頭を撫でる感触を思い出して。


「僕の弟を救うためだ!」

「ほお。俺の推しのガーレイド様か。それがどうした」

「僕はガーレイドの母親からガーレイドのことを頼まれているんだ!」


 クレースさんが僕にかけた最期の言葉。





『どうか私の分もガーレイドのことをお願いしますね』





「僕はガーレイドを救わなければならない。けれど今は無理だ、彼には時間が必要だ。だが時間が経てばきっと、きっとガーレイドを説得できる日が来る。そのとき彼を人の道に戻せるように——僕はガーレイドに誰一人として殺させない! 邪魔して妨害して先延ばして水を差して彼の復讐心を飼い殺し、過ぎる時間に希釈させる!」


「……ほお」


「一週間後、ガーレイドに毒を盛った従者が見せしめに公開処刑される」


 キドヤの反応を見るに、これは市民にも既に告知されているようだ。


「毒を盛ったのは十中八九第一王子サイドだ。この処刑が遂行されては第一王子と第三王子の対立構造は決定的なものになる。僕はこれを簒奪しようと思う」


「あん? 何を奪うって?」


「ガーレイド暗殺主犯の立場をだ。処刑対象を強奪、いや『奪還』することで、処刑対象を僕たちの仲間であることにしてしまう。こうして第一王子と第三王子の対立構造が形成するのを阻止する。二人の立場を決定的なものにせず、曖昧なままで維持するんだ」


「おいおい無茶苦茶なこと言ってんじゃねえぞ。それを何年続けるつもりだ。綱を渡るようなもんじゃねえか。そんなのお前みたいな小僧が背負う重責じゃ——」


 ツェーリがポンと手を着き、キドヤの言葉を遮った。


「主犯格を捕まえて拷問にかけたなら王宮最大派閥の裏事情なども聞き出せそうだな。しかもこれに成功したならば——『失敗したスパイも見捨てない革命軍』というストーリーが作れる。頭目を失ったばかりの我々にとっては願ってもない士気向上の機会」


 ベルがハッと口にする。


「そっか、これって取引なんだ。感情じゃあない、利害で繋がった関係」


 おいおいと首を回すキドヤの目の前に立つ。ここまで来れば眼鏡の奥の苦しそうな目が透けてよく見えるのだった。


「つまり僕の動機は——義母さんの愛情に絆された下心だ」

「……」


 キドヤはため息一つの後、席を降り立って困ったようにして軽快に笑った。


「大義だなんだよりは、下心の方がよっぽど信用できるな。合格だ」


 差し出されたこの手を見たとき——これは——僕が今まで生きてきて、一番嬉しい瞬間だったかもしれない。


 握ればごわごわと大きな男性の手だった。





     ~〜革命まであと30日〜~

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