第13話 革命前夜

 王宮の審議場は石造りの大空間である。細かく磨かれた大理石は足音を嫌に響かせて、どこに何人いるのかすら鮮明に分かりそうなくらいだった。


 囲むように配置された議席では、多くの貴族たちがほくそ笑んで被告を見下ろしていた。被告の落ちぶれる様を見ることに喜びさえ感じているようだ。それだけ被告の暴力にものを言わせた傍若無人な振る舞いは反感を買っていた。


 ひときわ派手な高座から見下ろしているのがお父様——ウォルモンド。

 その傍に立って複雑な表情を浮かべているのがお母様——ドレシア。

 バルコニー席で兄さんの隣に座る僕は、最後に中央の被告人を見下ろした。


 パゼス・イェナ・フォン・サーカミー。イェナ先生は終始審議に真面目に取り合わず、そもそも自分がなぜ裁かれるのかが分からないと主張し続けていた。


 議長が刑罰を宣言する。


「パゼス・イェナ・フォン・サーカミーを追放刑に処す」


 先生がドレシアお母様を見上げれば、お母様は深い軽蔑の表情でもって先生を見下ろした。


「ねえ、ドレシアちゃん」

「ざまあないわ」

「ここまでされる謂れがあるのかしら」

「その被害妄想の病気、いつまで経っても治らないのね」


「でも私の小鳥を逃がしたのはドレシアちゃんよね?」

「いつの話をしているの? 三十年は前よ、しつこいにも程があるわ」

「ドレシアちゃんのために私は身を引いたのに」

「そんなことを頼んだ覚えはない」


「それ以外にも私からの借りはたくさんあると思うのだけれど」

「借り……? 私が、姉さんに?」


 ふと、お母様の声に苛立ちが乗った。


 ——あっ、あの感じはマズい。


 隣の兄さんがせき込みながら剣を鞘から抜いた。刀身にはいくつもの魔法陣が刻まれている。


「不調を押して見にきてよかったよ。こうしてゼネリオちゃんを守れるし」

「あ……ありがとう、兄さん」


 お母様の周囲にいくつもの黄色い魔法陣が浮かび上がると、議場全体がざわついた。貴族たちがそれぞれ詠唱を始め、あるいは防御魔法が得意なものの傍に移動する。

 お母様は冷笑を重ねる。


「借りはあったでしょうね。あったでしょう。けどそんなものもうとっくに期限切れよ」

「そんな、酷いわ。ちゃんと『偉くなったら返してね』って言っていたでしょう?」


 魔法陣のいくつかが収束して弾ける稲妻が炸裂した。雷光は議場を白黒に明滅させて、直撃した書類や木椅子を一瞬で黒焦げに変貌させる。こちらに飛んできた分は兄さんの剣技に切り落とされた。


「私はもう十分姉さんに支払っているでしょう!!?」

「議長さん? 彼女を退室させるべきじゃあない?」

「グズの、クズの、ゴミ虫が!! マトモな人間ぶって口を利くな!! 姉さんさえ……ッ……いなければ!!」


 ついにお母様は先生をピッと指差した。


「〝大絶滅の空模様ペルミアンショック〟!!」

「〝精霊の結びつきフィー・ド・リンク〟」


 先生に襲い来る雷の全ては、先生の目前に発生した透明な壁に阻まれて拡散した。

 お父様の頭上に魔法の王冠が織り上がる。お父様はため息をつきながら、壁を撫でるようにして手のひらを動かした。議場中に無数に浮かび上がっていた魔法陣が順にサラサラと消えていく。

 無限の魔力を提供する王冠〝永劫無限の血印パーペチュアルチェック〟と、世界を塗り替える魔法〝位相の塗替えロールバック〟。


 ——最強の矛であるお母様、最強の盾であるお父様、この二人を攻略する……? どうやって?


 そうしてやっと、衛兵たちがお母様を取り押さえたのだった。


「王妃、王妃、一度外で落ち着いて下さい!」

「離せ、離せ!! 追放だなんて生ぬるい!! 殺せ!! あの女を殺せ!!」


 お母様はほとんど絶叫しながら——。


「姉さんが! 姉さんが、あの売女を連れてきさえしなければ!!」


 ——え。


 言ってしまった。


 王都中の貴族が顔を合わせているこの場で——第一王子サイドも第三王子サイドも入り混じって存在しているその坩堝にて。反省の色など欠片もない、全ての責任を他人に押し付ける、その姿勢を見せてしまった。


 僕は、いや、僕以外の人間、貴族も従者もこの場の者はみな同時に、証人席の一人の人物に目を向けた。ミキサーに突っ込んだような左腕の傷跡。


 ガーレイドは呆然とした様子で何かを小さく呟いた。口の動きは——。


『売女』


 ——こ、これ、結局……!


 ハッとして兄さんに振り返った。

 初めて見る表情だった。悔しそうに歯を合わせて眉をひそめ——。


「ほら言ったでしょゼネリオちゃん。何やったって無駄なの」


 咳に胸を痛めつつ、やりきれなさを吐き捨てた。


「私たちが小細工したところでね、私とガーレイドちゃんは殺し合うことになっちゃうの。あの人にかかれば簡単なことなんだ」


 先生はというと「困ったものね」と言わんばかり、能天気な様子で頬に手を当てていた。





 お母様のあの発言でもって、第一王妃サイドと第二王妃サイドの対立は鮮明になった。

 これは同時に第一王子と第三王子の対立構造が明確に形作られたことも意味している。


 こうなってはもう「先延ばしに」だなんて悠長なことを言っている場合ではない。近いうちに内乱が起こる。お父様とお母様、そしてウルフリック兄さんとガーレイド。彼らのうちの複数が死んでしまう。その日は多分、想像よりもずっと近い。

 もう手段は選んでいられない。





**





 審議会の翌日。拠点にて首脳陣を集めての会議の運び。


「——ということがあったんだ」

「えーと、つまり? ガーレイド様はまだ人を殺してはいないんだよね」

「その点においてはゼネリオ様の目的は果たされているな。だが——」

「なんならガーレイド様の復讐心は更に煽られた形だよな」


「うん。ガーレイドは殺意をもってこの継承戦争に臨むだろう。そうと分かっているんだから、現王政サイドも殺意でもって対応する。こうなればやはり暗殺合戦だ」

「そもそも殺意をもって——毒殺を指示したのは現王政側だもんね。結局、毒殺を指示したのはゼンのお母さんなの?」

「その線が濃厚だね。ウルフリック兄さんはその尻拭いをしようと処刑対象を暗殺したけれど、お母様がその上をいった。こういう流れだろうと思う」

「上ってーか、下だろそりゃ」


「ガーレイド様の自作自演だろうかとも思っていましたが、ドレシア王妃の性格を実際に耳にすると、そちらの方が有り得そうですね」


 ——ん?


「今なんて? 自作自演?」


「ええ、はい。最近になってですが、その可能性が浮かんできまして。食事に口も付けず毒を看破したというのでしょう? 流石にできすぎた話に聞こえます。ガーレイド様の復讐には——直接の仇以外をも射程に収める復讐には——正当性が足りていませんでした。そこを補強するために、毒殺を仕掛けられたのだと偽装した、というような。どうでしょうか」


「それは厳しい可能性だね。ガーレイドが復讐の正当性を自分で疑っていた、というのも信じづらいし、なによりそれを採用すると、彼の真の目的は王位継承だってことになる。それは物事の起こった順序を考えるとおかしい気がするな」


「それもそうですね」

「それで結局、ゼンは今回の結果を受けてどうしようと思ってるの?」


「問題はそれだね。——もうこの継承戦争に内部からの平和的な解決は望めない。止められるとしたら外部からの大きな打撃のみ。だからやはり結果とし僕は君たち革命軍を利用するというか、頼ることになるだろう」


 ツェーリが微かに笑んだ。普段は陰のある仏頂面なので、珍しい印象だった。


「よかった。王族の御旗無しでの革命は不可能だろうと思っていたところです」


 しかしベルが口を挟んだ。


「ちょっと待って? ゼンは極力死人を出したくないんでしょ? 私たちって別に、現政権の人間がいくら死のうが——正直言うと——あんまり気にしないよ?」


 僕より先にツェーリがこれに答える。


「先ほども言ったが私には、王族の御旗抜きで王宮転覆後の政権を安定させられるビジョンがない。となるとゼネリオ様に譲歩しなければならないのは我々革命軍側だ。ゼネリオ様の要求はできるだけ吞まなければならないだろう」


「こっちが手加減したってあちらさんは殺す気で来るだろ。命がかかってるんだ、手加減してる余裕なんてあるのか? 相手は魔法使いだぞ」


 キドヤは一線級の魔法使いを直に目にして間一髪のところから生存した人間だ。キドヤはあの日死んでいたっておかしくなかった。ただ偶然に生き残った。


「魔法使いの才能は血縁に寄るんだったな。最強の魔法使いであるところのイェナが居なくなったって、その妹である第一王妃ドレシアは健在だ。イェナほど無法じゃあないのかもしれないが、それでもさっきの話を聞く限りでは、俺たちには十分な脅威に映る」


「キドヤの言うことももっともだ。だから僕はここでみんなに、貴族を極力殺すべきではない理由と、そして極力殺さなくて済む作戦をプレゼンしようと思う。名付けて——」


 僕は立ち上がって机に手を着いた。


「『一時間の革命作戦』」





**





 処刑の日から三週間後、審議会から二週間後、先生が実際に王都を離れてから一週間後、代わりの防衛戦力として前線の賢者数人が呼び戻される二日前。

 月の見えない、曇った夜だった。


「時は来たよ」


 銅像の縁に立ったベルの声を受け、それぞれ改めて顔を上げた。

 キドヤ、ツェーリ、ニアオ、そして同盟下にある二家から派遣されてきた魔法使いたち。

 その後ろにも百人弱が連なっている。リリーを慕う者たちと、新たに革命に加わった面々。


「十年前に家族を焼かれてから、私たちは辛酸を舐め続けてきた。それも今日この日まで」


 ベルから視線を貰った。僕は頷いてそれぞれに目線を送っていく。


「君たちの正当性は、この僕、第二王子ゼネリオが保証する」


 夕日はもう少しで地平線にかかるというくらいで、僕の視界は赤く眩しかった。


「王宮に踏み込んだが最後、僕たちは顔も見た目も何もかもが記録されることになる」

「そうなったが最後、私たちは勝つか負けるか、生きるか死ぬかだ。抜けたければここで抜けてくれればいいよ。責めたりしないから」


 数秒の静寂。


 ——生きるか、死ぬか。誰も死なせないために、命を懸ける。


 ベルは一つ深呼吸の後、右腕を突き上げて号令をかけた。


「じゃあ——今から作戦を開始する!! 王宮を転覆させるぞ!!」





     ~〜革命まであと0日〜~

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