第14話 革命

「——うん。貴族を極力殺すべきでない理由は理解できた。じゃあ次は具体的な作戦について教えてくれるかな」

「作戦はシンプルにいく。陽動部隊と潜入部隊の二つに別れ、陽動が機能しているうちに王宮中枢の構成人物を捕縛する。国営を司るのはこの六人」


 国王——ウォルモンド。

 王妃——ドレシア。

 家老——アゼンズ。

 財務大臣——ツェーラー。

 外交大臣——フェロメロ。

 軍務大臣——ヘクトル。


「とはいえヘクトルはイェナ先生に同行した後、北の戦線を視察に向かうから、しばらく王都に帰ってこない。だから代わりに彼に対して機能する人質を捕縛することにしようと思う。孫娘のキリエドールが最も簡単でかつ効果的だろう」

「それでも、魔法使い五人を捕縛するってのは現実的な話に見えないんだが」

「それもそうだ。そして実は五人どころじゃあない」

「継承権を持つ、ウルフリック王子と、ガーレイド王子ですね」


 第一王子——ウルフリック。

 第三王子——ガーレイド。


「当然、この全員を相手取るとなると潜入部隊どころか普通に規模のある人数が必要になる。だから——」

「だから、どうするの?」

「前線の賢者が帰ってくるまでの二週間で、可能な限りの主要貴族をこちら側に寝返らせよう」


 ツェーリに目をやる。


「ツェーリ、協力してくれるね」

「それは……並大抵の仕事ではありませんね。心してかかりましょう」





**





 城門裏に控える二人の兵士のうち、若い方が大きく欠伸をする。


「ふあーあ。今日はこっちの警備が少ないですねえ。休憩まで長いなあ」


 隊長はたしめながらも理解を示した。


「王妃主催のパーティーだからな。警備の多くはあちらに割かれている」

「あんなことがあったのにパーティーだなんて、悠長な人なんですね」

「憂さ晴らしだろう。王妃は機嫌が悪い時こそパーティーを開く」


「ははあ。僕らは自分を労おうと思ったらマズい酒で悪酔いするしかないのに、お貴族様は違うなあ。生まれ持った魔力でこんだけ境遇が違うなんて、理不尽じゃあないっすか?」


 隊長は顔を険しくした。


「お前、どこでそんな考えを耳にしたんだ」

「こないだ貧民街の方を巡回してるときに耳にしたんですよ」

「そんな報告は聞いていないぞ!?」

「そりゃあ、子どもが子どもに語ってただけですからね」

「感化されている身で一体何を言って——」


 隊長は部下を叱る前に、不思議そうに城門に目を向けた。


「——なんだ?」

「なんすか」

「地鳴りが——」


 その言葉が終わる間もなく、隊長の両足を滑り抜ける刀身があった。あえなく膝を着く隊長の目の前で、若い兵士は剣を捨てて門杭を開放していく。


「なっ……お前」

「申し訳ないっすね。俺は十年前、『見えない炎』に親を焼かれてて」


 異変を察知した周囲の警備兵たちが銃を構えながら詰め寄った。


「何事だ!? お前が隊長を斬ったのか!?」

「もうそんなことをしてる暇ぁねえっすよ」


 兵士がサッと脇に避けた瞬間、城門が大きく開き、陽動部隊が鉄砲水のように流れ込んだ。警備兵は抗うこともできずに下敷きになる。


「三手に分かれろ!! 西の詰め所、東の詰め所、残りは王宮に突っ込め!!」

「「「うおおおおお!!!」」」


 雷のように響き渡る足音に、耳をつんざく男たちの咆哮。壁にもたれる若い兵士の前を百人以上の男が走り抜けていった。一人立ち止まって、彼の肩に手を置く。


「よくやったなアレキ」

「……キドヤか。チッ、うるせえよ……」


 アレキと呼ばれた兵士軽く笑いながらも、ゆっくり壁を滑り落ちていく。


「悪いが……お前が来る頃には、姉さんは俺の女になってる」

「ハッ。せいぜい気張れ」


 アレキはキドヤを見送ってから、腹の銃痕を押さえていた右手を眺めた。真っ赤な右手の中にリリーの瞳を思い出す。


「随分と……光栄じゃねえか。二人目の殉死者、だなんて……」


 彼が目を閉じたのと同時に、革命の火蓋は切られた。





**





 園芸屋のシーレンスは、窓際に立って外の騒ぎを眺めていた。


 鏡台にはかつて彼の義父が庭師として受け取った金の時計が飾られている。しかしそのガラスは割れ、針は止まっていた。スパイであることを自白するまで振るわれ続けた暴力。義父は逆賊の汚名を着せられた上で処刑された。十人の庭師が犠牲になってなお、公国には王国の戦略が筒抜けのままだった。


 ザリオは夫が窓辺に立っているのを見て、彼の隣に静かに立った。


「あなたがいなくなったら子どもはどうするの」


 シーレンスは窓に手を着く。彼の目には松明の揺れる炎が映っている。


「師匠は真面目な人だった。だというのに全てを奪われた。私はここが、子どもの努力が報われる国であってほしい。そして、ただの見物人にもならないでほしい」


 ザリオは寄り添って肩に頭を置いた。


「約束して、無事に帰ってきて。私はもう……もう……」

「約束する」


 シーレンスは王宮へ向かう前に、子どもたちの部屋を訪れ、彼らが眠る姿を目に焼き付けた。

 彼が家を出るのを見送って、ザリオは無事を神に祈った。

 彼が帰ってくることは無かった。





**





 夜の帳が街を覆い尽くした中、明滅する火光が市民たちの怒りを照らし出していた。


「倒せ! 王宮を倒せ!」


 王宮に押し寄せる人並みはとどまる所を知らない。各々がそれぞれの武器を持って治安部隊を取り囲み殴り殺す。あるいは銃撃を受けてこの世を去る。栄誉の死を迎えた仲間を踏み越えて銃を奪い取り、増援の指揮官を撃ち殺す。治安部隊の家族らしき女が倒れた男に駆け寄ったのを見て、ほとんど全ての人間はそこで攻撃を止めたが、しかし百人いるうちの一人は容赦せず棍棒を振り下ろした。別の方向から来た増援に群衆は大きく動き、男女は誰にも意識されないまま踏み殺された。


 もはや陽動部隊だなんて規模ではない。正面から王宮を轢き倒さんばかりの軍勢である。窓を割り扉を破壊し建物に侵入していく。革命軍が先頭となる形でなだれ込んでいった。


 キドヤは苦い顔をしながら、人波をかき分け仲間の名前を呼んでいた。既に指揮は彼の手から離れている。民衆を統制できる者はいない。


「クソ、予想以上だな。ここまで重症だったのか、この都市は」


 十年前の火事で王宮に疑問を覚えた者、憲兵団の横暴に反感を持っていた者、かつて濡れ衣に屈した者、重税で暮らしの立ち行かなくなった者。大賢者の要求をなんでも呑んでその負担を国民に押し付け、遂にはその手で市民を殺したというのに追放刑で済ませた王宮への怒り。


「急げよ小僧。一分一秒遅れるだけで死人は倍になるぞ」





**





 赤みを帯びた黒髪を複雑に結い上げたパーティードレスの女性が、灯りの落とされた王宮内部を足早に移動している。


「いたの! いたのよ、クレースが!!」


 追いかけるのは中年の男性。金の装飾が細やかな礼服。金髪碧眼に水色のハンカチーフ。


「おい、待て、ドレシア!」


 第一王妃ドレシアを国王ウォルモンドと数人の従者が後を追っていた。


「生き返ったに違いないわ。やっぱり私の手で殺さなくちゃあ」


 何かを追いかけている様子のドレシアに、ウォルモンドは背中から必死の思いで呼びかけていた。


「クレースは死んだ! お前は何度も何度も死体を確認しただろう!」

「いいえ、幻惑だったのかもしれないわ。姉さんに化かされてたのよ」

「あらゆる魔法にかけて検査したはずだ! あれは間違いなくクレース本人の死体だった! いい加減にしろ!!」


 遂にウォルモンドは怒声を上げて拘束魔法を放ったが、クレースは夢見心地のままに防御しつつ階段を上って行った。


「あっちに……あっちに行ったわ……」





**





 ガーレイドは広場を埋め尽くす火の海をバルコニーから見下ろした。


「気持ちは分かります……けど」


 杖を手に取る。


「これはガーレの復讐なんですから、誰にも渡しません。その後なら僕だろうがこんな国だろうが、どうにだってしてください」


 ガーレイドは従者たちの亡命の勧めを無視して、国王と王妃を探しに行った。





**





 いつもの城壁の抜け穴を通り、遺跡の庭を抜け、王宮外縁の柱廊まで差し掛かる。その足元に巨大な紫色の魔法陣が描かれていることには、その声がするまで誰も気付かなかった。


宣誓ゲッシュ。私はゼネリオちゃんしか攻撃しない。代わりに私はゼネリオちゃん以外の人間からの攻撃を受けない」


 紫色の光が足元に浮かび上がる。周囲の人間の行動を強制的に定義する〝宣誓ゲッシュ〟の魔法。


「重ねて宣誓する。私はこの廊下の直線から動かない。代わりに、ゼネリオちゃんもこの廊下から出られない」


 通常のものより一回り以上大きい両刃剣を大理石にカラカラと引き摺る長髪の男。右手の甲から袖の内側まで茨の入れ墨が伸びている。

 僕は彼を見据えナイフを抜き、ベルとツェーリを始めとした十数人に指示した。


「追いつくよ。先に行って」


 ベルは躊躇を飲み込んで僕の背中に手を着く。


「分かった。後で」


 星も見えない真っ暗な廊下。遠のく足音は階段を上って行った。


 ——想定内ではあるけれど。


「兄さん、なんでこんな宣誓を?」


 ウルフリック兄さんはせき込みながら、軽い調子で笑った。


「まさか、私の教えた抜け道がこんな使われ方をされるだなんてね」

「僕らの潜入に気付きながらも増援を呼ばなかったことには感謝するよ」

「そんなことやったって無駄だからね。何やったって無駄、なーんにもかんにも無駄」


 兄さんは突き立てた剣に体重をかけながらため息を吐く。


「でも私はね、君たち弟が可愛くて可愛くて仕方ないから、死んでほしくないんだ。だからゼネリオちゃんにはここで立ち止まって、あんな奴らと自分は関係ないんだって後で主張してほしいんだよ。実際のところ、君はどんな言葉で言いくるめられたんだろうね?」


「僕は兄さんとガーレイドが死なないように、この革命を起こしてるんだけど」


「へ?」


 兄さんは少しの間ポカンとしていたが、ついに理解すると、お腹を抱えて笑い始めた。


「アッ、ハハハハ、ハハハ!! なるほど!? それは凄い動機だね。フッ、え? 本気で言ってる? えええー!?」

「兄さんは笑うだろうね。でも僕はこの選択を後悔していないよ」


 ひいひいと涙を拭う。


「ハハ。面白い、やっぱり面白いねゼネリオちゃん。予想を超えていくね。まさか君こそが彼らを触発した張本人だとは。上手く利用されているくらいなものかと。兄は驚いた」


「だからこそ、兄さんには一刻も早くこの魔法を解除してほしい。この計画において最も大事なのは『短い時間で終わらせること』なんだ。僕には足を止めている時間なんてない」


「それならなおさら、私はゼネリオちゃんを計らなくちゃあいけなくなるなあ」


「計る?」


 兄さんは自分のハンカチを前方に放り投げた。緑の布に金糸で名前を縫い付けてあるもの。


 ——こ、れは……。


 僕は決闘を申し込まれたのだ。


「既に魔の手に落ちているこの国を、背負うに値するのか計らせてもらおう」


 兄さんが両手で剣の柄を握った途端、周囲の空気が張り詰めた氷のように変貌した。一歩間違えて薄氷に踏み入れれば極寒の水に絞め殺される。一挙手一投足の価値が倍増する——殺し合いの時間。


「私はエリン王国が第一王子、ウルフリック・フォン・ナイトラル・クレイア」

「僕は……ゼネリオ・フォン・ナイトラル・クレイア。この国の第二王子」


 名乗りなんて初めてのことだ。

 左手に杖、右のナイフは逆手に構えた。練習してきたはずなのに、やけに重く感じる。


「ごほっごほっ。この……身体が耐えるかは分からないけど。たまには、兄としてさ——」


 目の前に立つのはこの国の第一王子。日陰に咲く一輪の花。血筋に応えた最強の魔力を誇る未完の賢者。部屋の中から動かない身であらゆる策の上を行く情報網を持ち、自由に暗殺を指示して一切の足跡を残さない人間。病弱に押し込められながらも「力」を体現する王の器。


「俺が全部背負ってやる。お前には一片たりとも背負わせてやるものか」

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