第15話 第一王子ウルフリック

 ——〝かくれんぼの時間ハイド・レイン〟!!


 夜闇に紛れて狙うのは死角からの一突き。


「バカが! 流石に目の前から見失いはしないぞ!」


 兄さんは力任せに大振りで剣を振る。斬撃の軌跡は緑色の魔力となって放たれた。三日月に伸びる波動が視界を上下に薙ぎ払う。


「ッ——!」


 間一髪、地面に伏せて回避した。側面の壁と柱をそれぞれ見れば、石材が抉り飛んで深い横傷が入っている。

 次の剣は斜めに振られる。兄さんは剣に振り回されるような動きなので、事前動作も予後動作も大きく、回避自体は間に合——。


「〝宣言ゲッシュ〟。俺はこの剣でしか攻撃しない。代わりにこの剣を振るに十分な力を得る」


 兄さんの右腕に纏わり付くようにして、茨のような紫色の光が浮かび上がった。


 ——うっ、そでしょ。それ初耳——。


 兄さんの動きは途端に機敏になり、僕は為すすべなく魔法の斬撃を受けた。大きな木槌で殴られたように吹き飛ばされる。手を着いたが起き上がれない。


「いっ……ぐ……」


 ——右腕の入れ墨、そのためだけの魔法陣なのか……。


 全身各所がズキズキと悲鳴を上げて、腕も面白いくらいに震えて力が入らない。肘から先、膝から先にどうしたって言うことを聞かず、四つん這いのまま固まるしか無かった。


 ——くっ……そ。せめて一度でも視界から抜け出せれば。この一直線の廊下は不利すぎる。


「はあっはあ……。甘いんだよ、ゼネリオ。俺を舐めんなっ——ぐふっ、ごほっ、うっ……はあ……」


 兄さんも剣を突き立て体重をかけつつ、酷くせき込んでいた。


 ——こういうとき、先生なら、どうする?





**





 いつかの対面講義にて。


「私の得意とするのは〝幻覚〟の魔法だけれど、これが全く効かない場合もあるのね」

「〝幻覚〟魔法だけを反射するバリアーみたいなのを張られた場合ですか?」


「そこまで限定されなくても効かない場合はあるわ。〝幻覚〟は相手の脳に影響を及ぼす魔法だけれど、これは一般的な〝呪詛返し〟とか古典的な〝呪い避け〟みたいなものにも引っかかってしまって、相手が〝幻覚〟を意識していたわけでなくとも防がれる場合があるのよ」


「そもそも、攻撃思考の魔法よりも防御思考の魔法の方がパフォーマンスに優れる傾向がありますからね」


「そうそう。で、何が言いたいかというと、自分の得意とする魔法が全く通じない状況はごくごくありふれているということ。ゼネリオちゃんは〝かくれんぼの時間ハイド・レイン〟の起動スピードと精度ばっかり極めようとしているけれど、それが端から効かない相手にはどうするの? というお話ね」


「でもイェナ先生は模擬戦なり決闘なりで負け知らずだったんですよね。文句がある相手全員に床を舐めさせたからこそ、今の顧問魔法使いの地位があるんですもんね」


「やだー! そんな言い方はやめて、ね? 私は決闘で地位を勝ち取ったりなんかしてないわ。ただ、それぞれに貸しをつけていっただけなのよ」


 国家防衛クラスの戦力に「貸し」だなんて言われては、それはもう命令権を一つ明け渡しているようなものだろう。かくいう僕も一つ貸し付けられてしまっているが。


「確かに僕の魔法では、そうですね——周囲に何があるか鮮明に把握できる走査魔法の使い手——などを相手にしては、為すすべがないだろうと思います」

「大賢者くらいになると走査魔法なんてみんな余裕で使えるものね」


「それではこれから、僕はそういった場合の対処法を先生から教わるのですね」

「え? そんなこと言ったかしら?」

「ええ……」


 イェナ先生はそのときも、のほほんとマイペースな様子だった。


「私はね、幻覚魔法が通じないときは——」

「別の魔法で攻撃するんですか?」

「——いいえ。無理やりにでも幻覚を見せるのよ」


 自分の場合を語るだけ。


「だって、自分のやりたいこと以外を強制されるのって、癪じゃない? だから私はね、通じなかろうが効かなかろうが幻覚で押し続ける。もちろん手練手管を尽くすわ。けれどそれはあくまで幻覚で勝つためなの。自分の得意分野を何が何でも勝負のテーブルに乗せる。そうしなければきっと、いずれにしたって負けてしまうから」





**





 無理にでも、〝かくれんぼの時間ハイド・レイン〟を通す。元より僕にはそれしかできない。


「はあ……じゃあ最後の一撃だ」


 息を戻した兄さんが再び剣を握った。多少の猶予を貰えたおかげで身体は動く程度に回復している。ぼそぼそと呟いて詠唱する。


「三位の精霊よ。純金の眠る河、宝石箱に秘められた光、黄金の林檎」


 兄さんが剣を振り上げて——。


「鏡の円盤、命の軌跡、環状の炎。この魔法の名前は——〝灯火ライト〟」


 僕の手元の魔法陣から真っ白な白熱の光が浮かび上がった。暗かった廊下の輪郭が鮮明に浮かび上がる。


「明かり? 自分から姿を晒すのか?」

「——で、出力全開!」


 光度を全力で上げて兄さんの目を瞑らせてから、次は一瞬で〝灯火ライト〟を解除した。廊下は再び暗くなり——。


「きっ……消えた……」


 兄さんは僕を見失った。この暗闇にあって一度でも瞼を閉じれば、二度と僕を見つけることはできない。兄さんはともかく剣を振り下ろすが、狙っていない攻撃を躱すのは訳ないことだ——何発か躱して背後に回り——兄さんの肩を借りながら、背中にナイフを突きつける。


「はあ、はあ」

「おっ……と。もう背後にいるのか」

「これで、僕の勝ち。誓約を解除してくれる?」


 兄さんは剣を手放し両手を挙げながら強がって笑った。


「解除しないと言ったら?」


 僕は兄さんの身体側面に両手を着き、力の限り強く押し出した。


「う、うわっ!」


 とっとっとっ……いくら跳ねても体勢を戻せない兄さんはそのまま庭に面した柱の間を抜けて、ぐしゃりと庭に落ちた。


「うっ」


 同時に廊下全体から紫色の魔力がふわりと浮かび上がり空中に溶ける。

 僕は柱に手を着いて兄さんを見下ろした。乾いた土の上で体を起こせないでいる。


「兄さんが誓約を破れば、僕にかかった制限も無くなる、そういう話だね」

「やるじゃん……ゼネリオちゃん。まさか私が負けるだなんてね……」


 ため息を吐いて、僕も庭に降りた。


「兄さんの調子がよかったら負けてたよ」

「それが私は、最近ずっと調子が悪くてね……」

「容赦してあげたいけど……他のみんなを上にやっちゃったから、兄さんを平和的に捕縛することができないんだよね。どうしたものかな」

「あ、ああ、じゃあ……こうしようか」


 兄さんは胸元から紫色のチョークを取り出すと、それで廊下の縁に魔法陣を描いた。


「はい、どうぞ。ゼネリオちゃんが宣誓して」


 僕がどういう条項にしたらいいのか悩んでいるうちに、兄さんは膝で立って僕の手を握り、魔法陣へと手を付けさせた。兄さんの手は、酷く細く、薄く、ひんやりとしていた。


「〝宣誓ゲッシュ〟。ゼネリオちゃんは王宮敷地内から出ない。代わりに、私も王宮敷地内から出れない。——はい、これでゼネリオちゃんより先に出ることはできなくなった」

「ありがとう、兄さん」


 兄さんは廊下の縁に腰かけてから、パタリと仰向けに倒れた。


「フッ……後は任せたよ、ゼネリオちゃん」

「うん。じゃあまた後で」

「ハハ、そうだね、また」


 僕は先を急いだ。





**





 グリフィス家の居住棟にて。部屋の前に立っていた護衛は一人だけだったので、無力化は容易かった。ハンカチを押し当てて薬をかがせるだけ。


 キリエドールの部屋はまるでおとぎ話から抜け出してきたような空間だった。薄いピンク色の壁紙に囲まれており、水晶製のシャンデリアが光を華やかに反射させている。


 もこもこの白髪に包まれた寝間着姿の彼女は、真剣な様子で壁に耳を付けていた。

 僕の姿を見て驚き目を見開く。


「まあ、こんばんは、ゼネリオ様。一体、そのご様子は?」

「こんばんはキリエ。こんな風体で申し訳ない。お恥ずかしい限りだ」


 僕はというと満身創痍のままだった。目に見える生傷は無かったはずだが、それでもどこかに手を着かずして立っていられない。その様子がただ事ではないと思われたのだろう。


 キリエが僕に駆け寄ってくる。肩を支えるつもりだろうかと思ったのだが、そのまま胸に飛び込んできた。思わずうっと声が出るくらいの勢い。


 キリエはキラキラとワクワクの極地といったにこやかな笑顔で僕を見上げた。


「やはり、ゼネリオ様が、私をこの部屋から、連れ出してくださるのですね」


 ——ん?


「えっ……いや、えーっと……? そう……だね? ごめんね? 人質にさせてもらうからね。うん。最終的には僕らが身柄を抑えることになるかな」

「まあまあまあ、大胆な王子様。そうしてこれほど傷ついてしかし遂に、私の元まで辿り着いて下さった、のですね。嬉しい」

「あの……あのさ。何か思い違いがあると思う」

「言わずとも分かっていますよ、ご安心ください」


 何を言ってもダメそうだ。そして実際のところ説明している時間は無い。


「ごめん、僕はもう行くから、この部屋でじっとしていてくれるかな。後で迎えに来るから」

「はい。あ、いいえ、少々、お待ちくださいね」


 キリエは僕を引っ張って座らせた。慌ただしい様子で杖とノートを手に取ると、回復の魔法陣でもって僕の身体を治療する。魔法の効果は確かで、身体の内外問わず、僕はほとんど万全な状態まで回復したようだった。

 驚きとともに手の開閉を繰り返す。


「……ありがとう、キリエ」


 キリエはポッと頬を染め、しかしふるふると頭を振ると、僕の膝の前に跪いた。


「私、ゼネリオ様への、今般の恩義。一生忘れません。生涯のお供を誓います」

「えっなんで? 今感謝しなきゃいけないの僕だったよね?」

「治療だなんて、当然のことです。なにせ私は、ゼネリオ様のキリエドール、なのですから」

「違うよ?」

「違いませんよ?」


 違わなかったらしい。


「うーん! と、ともかく続きは後で話そうか。僕はもう行かなきゃあ」

「そうですね。片手間に話すには私たちの将来は、果てしなく長いですから」


 マズいこの子は本気だ。おそらく今この場で訂正しないと後で大変なことになるだろう。


 ——けど時間がなくって〜!!


 部屋から出ていこうと立ち上がる。最後に振り返ってみれば、キリエは恍惚の表情で祈るように手を組んでいた。


「ゼネリオ様。よろしくお願いします」

「その話は後でするからね!!?」

「はい。朝まで語り尽くすのが、楽しみです」





**





 横になるウルフリックを覗き込むものがいる。


「探したわよ、ウルフちゃん」

「遅かったじゃないか」


 イェナはウルフリックのことを見下ろしつつ、奇妙そうに首を傾げた。


「あら? 抵抗しないの?」

「はは……こんな身体だからね。無駄なことはしないタチなんだ」

「あら。無駄だなんて言う割には抵抗してきたじゃあない」


 ウルフリックは目を閉じて苦笑する。


「けれどそれもあなたに台無しにされた。お母様のこと、流石によく分かってるね」

「うふふ。だって私の妹だもの。逆上を誘うだなんて、お手のものよ」

「できるだけ苦しまない殺し方だと助かるよ」


「それはごめんなさい。私には楽な殺し方はできないの。最初から最後まで苦しみでいっぱいで不憫だけれど、こればかりはどうしようもないわ」

「それは……残念」


 ウルフリックは視界の両端から迫りくる炎の熱を感じつつ、ゼネリオのことを思い浮かべた。


「ごほっ……。イェナさん、最後に良いかな」

「ん? なぁに? 遺言くらいなら聞くわよ」

「イェナさんの弟子は、確かに成長していたよ」


 イェナは手を合わせてパッと明るく喜んだ。


「あら、そう! えーっ、やっぱりそうよね。あの子は大成するわよね。なんてったって私の弟子なんだもの。それが強くならない方がおかしいわ。うふふ、私のおかげね」

「うん。イェナさんすらも、いつかは追い越す」

「……へ?」


 ついに炎がウルフリックの体を覆った。火だるまになりながらも、しかしウルフリックは意に介さず立ち上がる。全身を炎に覆われてから、苦しむでももがくでもなくただ立ち上がった人間は、イェナの記憶の中では初めてだった。


「なっ……なに?」


 豪奢な庭を見晴らす曇り空の柱廊。そこに燃える影が一つ。まっすぐに指差す彼の最期の姿は、イェナの瞳の奥に確かに刻まれた。


「覚悟しろよ裏切り者。何もかもがお前の思い通りにはならない。ゼネリオが必ず、お前の首に刃を突き立てる。報いを受ける日が必ずやって来る。震えて眠——」


 イェナは崩れる天井の幻覚でもって、ウルフリックを叩き潰した。


「な……なによ。ふん。報いなんて無いわ、私は公正なんだから。ゼネリオちゃんにだって——」


 べしゃんこになって血をまき散らした死体。骨になるまで燃やし続ける炎。

 イェナは次第に口角を上げ、勝利の実感に酔いしれた。


「うふふふふ! この私が、負けるはずないじゃあない!」

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