第12話 勝敗の決め手

 僕が失敗の事実に頭をパンクさせていたところ、ベルが建物の二階から飛び降りてきて、僕ら十人の中心へ走り込み、声を張り上げた。


「周りを見て! 私たち以外も炎を見て逃げ惑ってる!!」


 ハッとして周りを見れば確かに、周囲の一般市民たちの騒ぎの原因は、僕たちの銃声に対するものでは無くなっているようだった。恐怖の対象は周囲で燃え上がる炎。突然に変容を遂げた視界と身体を焼く熱に混乱し、一心不乱に逃げ回っている。


「ならこれはあてずっぽうの幻覚だ! そんで、王宮仕えのイェナが住民を殺せるわけない! ならこの幻覚の意図は私たちを混乱させて少しでも足止めさせるためだよ! 分かった!? じゃあともかくこの場から解散!!」


 ——そうか。


 ①自身と一定距離内の一定範囲を指定し、その中にいる全ての人間を対象とする。


 イェナ先生は目測で計れるなら狙いの個人を含む範囲だけを指定できる。しかし今僕たちは先生の〝幻覚分身視界〟を奪った。だから先生は僕らだけを対象にできず市民を巻き込んでしまっている。ベルは俯瞰する位置にいたから地上組よりも早く気付けたのだろう。


 その場の全員、ベルの掛け声を受けて蜘蛛の子を散らしたように走り出す。


「ほら行くよゼン!!」


 出遅れた僕もベルに手を引かれ、炎を潜り抜け裏路地へと逃げ出した。





 情けない話だが、幻覚地帯を抜けてからベルが平手打ちを受けるまで、僕は全く頭を働かせていなかった。


「いっ」

「目ぇ覚めた!?」


 お互いぜえぜえと息を切らして、僕に関しては吐きそうなくらいである。


「あ、うん。ごめん頼りっぱなしだった」

「まったく……しっかり、してよ」


 息も戻らぬ間に、ベルは僕の胸に額を着いて、ポスンと僕の肩を叩いた。彼女のこんなに弱い様子を見るのは初めてのことだった。


 ——しっかりさせちゃったな。ここからは僕がしっかりしないと。


「私たちが次にしなきゃいけないことはなに?」


「そうだね、失敗したとはいえ、僕らの消息は割れていない。解散は良い指示だったよ、あの混乱じゃあまともな目撃証言はないだろう。なんなら幻覚の炎すら僕らの逃走に効果的に働いていたんじゃないかな。僕達はおそらく何も失っていない」


「そ……そっか……」


 ベルはここで初めて、危険な状況という認識から脱することが出来たようだった。安心させるつもりで肩に手を置く。


「ベルは拠点に戻ってみんなの点呼を取ってくれるかい」

「分かった」

「僕は処刑を見届けてこようと思う。ニアオと落ち合わなくちゃあいけないし」


 ベルは肩の僕の右手を自分の右手で取りながら、微妙そうな顔で僕の顔を見つめていた。


「なにか?」

「意外と気負ってないね」


 ——ああ。


 確かにこれは僕の失敗だ。責任を感じているのではと心配させていたらしい。実際のところ、ベルの憔悴した姿を見なければそういう思考になっていた可能性は高いだろう。


「ホントに気が回るねベルは」


 ベルは右手を握ったまま、得意げに笑った。


「落ち込むにしたって、次はちゃんと私の前で落ち込むんだよ」





**





 ツェーリも逃げ出していたが、道中、路地で倒れ込んでいる老人を見かけた。


「あ、ああ! すみません、そこの背の高い人。その、腰が抜けてしまって」


 老人は溶岩の迸る地面に手を着いているが、しかし火傷している様子が無い。


 ——なるほど、本当に見掛け倒しなのか。地面から噴き出す溶岩には実体がなく、我々に攻撃する幻覚は宙を舞う炎だけ。これだけで恐怖と絶望感を煽るには十分。


 ペラリとノートをめくれば、新たな魔法陣が描かれている。


 ——大賢者イェナが狂人であることに違いはないだろうが、しかし咄嗟の場面ではこれだけ合理的な判断ができる。万が一にも住民を殺しては地位が危ういと理解している。狂気と合理の両立した、王都全体を射程に収める大賢者。


「なるほど強敵だな。ゼネリオ様の策略と内通、ベルガーリャさんの勇気と牽引力、リリー氏が集めた人間たち。これだけあって——まったく力不足ではなかったというのに——敗走を余儀なくされている」


「あ、あの……何の話を……?」


「三位の精霊よ。暗雲を駆ける稲妻、落ちるのは花火の欠片、遥か水平線に光る。叩くのは文明の扉、浮かび上がるのは文様、掌に灯る。この魔法の名前は——〝発火(エンブレイズ)〟」


 ノートから浮かび上がった魔法陣を杖に絡めて前方へと向ければ、老人の身体が胸元の辺りから燃え始めた。


「なっ……あああ、あああ!!?」


 ツェーリは杖を胸元に仕舞い、代わりに一本のナイフを取り出し前方に構えた。不格好にもがき続ける老人を視界の奥に収めつつ、焦点は刃に合わせる。


「しかし私は勝たなければならない。無惨に殺された妻と娘に報いるために。今もどこかに収監されている息子を助け出すために。無茶な納税に追われ、餓死し続けている領民たちを救うために。私の背負っている命は、期待は、あまりにも重い」


「あ……ぁ……」


「だから私は、無辜の民を多少犠牲にしようが、心が痛みなどしないのだよ」


 ツェーリはその猫背で老人を覗き込み、ナイフで首を掻き切った。


「私は地獄に落ちるだろう。だが——」


 静かに燃え続ける老人の死体に背を向け、頬に着いた血を拭いつつ、ツェーリはその場を後にした。


「——これで、私たちの勝利だ」





**





 王宮敷地内、しかし広場からは少し離れた丘の木陰。処刑台も目に付くそこには先客がいた。一つ年下の少女だ。木にもたれかかって、両手の中の何かを眺めている。


 エメラルドの古典的なドレスと青いサテンのリボンは、彼女の幼さをそのままに閉じ込めたいという大人の欲望の表れだろう。

 大きなシルエットの白いくせ毛は羊毛のよう。彼女が振り向くのと同時にふわりと膨らんで、木漏れ日にちらちらと輝く。


 大臣を擁するグリフィス家の末の娘。キリエドール・フォン・グリフィス。


「ゼネリオ様。ごきげんよう、お日柄も良く」

「キリエ、こんにちは。君の髪は青空の元にあると膨らむ雲のようだね」

「それは、褒めていただいているの?」

「もちろん。春ののどかさを思い出して、心が雲みたいに軽くなるよ」

「嬉しい。手間のかかる、髪だけれど。少し好きになれたかも、しれません」


 隣に並び立って遠くの処刑台に目をやった。


「どうしてここから見ようと思うの?」


 そもそも如何にして処刑を見ることが叶っているのだろうか。現国防大臣であるヘクトルは孫娘キリエドールを溺愛しており、こういった残酷な出来事からは徹底して遠ざけているという話だった。それが一体、何がどうしてこんな人気ひとけのない場所に立っているのか。


「いいえ。私はついさきほどまで、今日という日に、処刑が行われるだなんて、知らなかったのです。ただこの子を、見晴らしのいい場所に、埋めてあげたいと、思っただけでして」


 キリエの両手に包まれているのは一匹のハムスターである。脱力の仕方から死骸であると分かる。


「長く飼っていたの?」

「そうですね、彼は三年前から、私にとって一番の、友人でした」

「きっとたくさんの愛情を受け取っていたんだろう。幸せな人生だったろうと思うよ」


 キリエは僕の顔を覗き込んでほんの、ほんのわずかに微笑んだ。少女的な仕草。


「ずっと籠の中で、幸せだったでしょうか?」

「その大きさで三年は長生きした方だ。それはきっと君の愛情をたくさん受け取っていたからじゃあないかな」

「いえ。彼はちょうど、一年ほど前に、死んでしまいましたが」

「……? じゃあそれは一年前の死骸なの?」


 もう一度目をやったがやはり、ちょっとした拍子に目を覚ますのではないかと疑う程に綺麗な見た目である。


「ゼネリオ様は、ご存知ですか? 蘇生の魔法は、人間には行えませんが——」

「あ、そっか。小さい生き物になら成功しているんだったね」

「クレース王妃にかかれば、これくらいの生き物ですら、生き返らせることができたのです」

「……誰にかかればって?」


「はい。貴方様の、クレースお義母様です。こっそりと、秘密ですよと、蘇らしてくれました。彼女が生きてさえいれば、あるいは彼はまた、生き返ったのかもしれません。それが彼の幸せかは、分かりませんが」


 キリエはふと何かに気付いて顔を上げた。


「遅くありませんか」

「なんのこと?」

「私はこの処刑を、楽しみにしていたのです」


 懐中時計を確認すれば、確かに処刑の予定時刻はとっくに過ぎている。だというのに断頭台には処刑人すら上っていない。集まった民衆も何事かとざわつき始めたようだ。

 肩をつつかれる。


「何か、鋏のようなものを、お持ちではありませんか? ほつれてしまって」

「えっ……いや、無いかな。申し訳ない」

「では、此方の枝で」


 キリエは茂みから伸びる枝をのうち鋭利なものを一本見繕うと、ハムスターの死骸を口から押し付けてぐぐぐと突き刺した。ごくごく少量の赤い体液が枝を伝っていく。


「死体の処刑は殺害ではありませんから、呵責の余地もなく、心置きなく楽しめましたね」


 ——この子は何を言ってんの?


「満足しました。今日は大人しく、籠に帰ろうと思います。ではまた、ゼネリオ様」


 キリエはスカートの裾を抓んで礼をして、僕の空返事を待ってから立ち去った。


「……あ、ああ。処刑を見られなくて残念だったから、代わりにハムスターを処刑したってことか。な、なるほど……?」


 夢かと疑うほどに取り留めのない一場面だった。


「ご主人様!」


 間もなく背後からしたニアオの声に振り返る。


「ニアオ!」

「作戦は上手くいきましたか?」

「ああ、狙い通りの出来事は起こった。今回は突然のことだったのに、良い働きをしてくれたね。ありがとう」


 ニアオは両手を揃えて粛々と頭を下げた。


「わが主の命なれば」


 ——ニアオが絶対に言わないセリフが来たな。


 こんなときでもふざけているのは、ニアオらしいと言えばらしい。


「それで、処刑台の方では何かトラブルでも?」


 ニアオは複雑そうに処刑台の方向を睨んだ。


「それが……なんと申し上げていいか。処刑対象が今朝のうちに息を引き取っていたらしいのです。暗殺です」





 僕はそれからしばらく、自室の机で徒労感に燃え尽きていた。


 ——イェナ先生は僕の策の上を行って、事前に処刑対象を移送していた。そして何者かは更にその上を行って、イェナ先生の策を逆手に取り、処刑を未然に防いだ。


 長いため息を吐く。


 ——勝負のレベルが違った。諜報力で完敗だ。


「ご主人様、失礼します。あ、ご自身の作戦がまったく空振りだったことに息消沈なところに、失礼します」

「言い直さなくていいよ……で、なに?」

「市民の焼死体がいくつも発見されているそうです」


 それを聞いて僕は初め、革命軍の仲間たちが殺されたのかと思った。しかし焼死体にはどう見ても無関係な老人なども含まれていたという。なんなら革命軍の仲間と思しき死体は一つも確認されなかった。





     ~〜革命まであと22日〜~

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