第11話 VS 〝希望〟の大賢者(破)
イェナ先生は〝
これについて直接尋ねたとき——。
「先生、〝幻覚〟の魔法って、相手の頭に魔法を当てて初めて幻覚を見せることが出来るんですよね」
「そうね? 相手の脳に魔法が当たらなければ、幻覚を見せることは叶わないわ。見せてしまえば後は簡単な心身相関だけれどね」
心身相関の理屈。強いストレスや不安は頭痛や胃痛を引き起こすし、栄養不足は気分低迷や認知の悪化を引き起こす。そういう理屈。
魔法という手段を用いると、こういった一般的な理屈を飛躍させて突拍子もない結果を得ることが出来る。先生の例で言うなら、炎を錯覚させて火傷させるというのは突飛な結果と言えるだろう。しかし一般的な理屈の延長だ。これは——魔法はなんでもありというワケではなく、それぞれが成立する理屈がある——ということを意味している。
「つまり、幻覚を見る人間がいるからこそ、幻覚は生まれうる」
「それが〝幻覚〟という魔法における絶対のルールね」
「となると先生の〝
「とってもいい質問だわ。流石私の一番弟子ね。あ、私、貴方を私の一番弟子ってことにしようと思うの、いいわよね。大賢者の一番弟子よ。凄い称号よね。貰ってくれないわけないわよね!」
圧が凄い。
「構いませんけれど」
「やったー! 貴方絶対魔法使いとして大成するもの。もうすでに鼻が高いわ。あれ私の弟子なんですって自慢して回るビジョンが見えるわ。うふふ。気分いい~」
——まるで唾を付けとくみたいな感覚の軽い言葉に聞こえるな……。
「僕を師事するから師匠を名乗れるんですよ? そこのところお分かりですか?」
先生は僕の言葉を真っ向から無視して自分の頭を指差した。
「私の頭の中にいるわ。私の夢見る幻覚が、街を歩き回っているのよ」
ともかくこの〝
**
時刻は午前十一時すぎ。
一台の馬車が石畳の通りをゆっくりと進んでいる。周囲にはメットを被った衛兵たち。引かれる荷車は吹きさらしの板一枚で、一人の女が両手両足を繋がれて正座させられていた。赤髪でそばかすが目を引く野暮ったい女だ。ぼろきれ同然の衣服の端から、折檻の痕が覗いている。当然尋問を受けたのだろう。しかし何も吐かなかったのだと噂に聞いている。
——イェナ先生の精神操作とかでも得られる情報が無かったらしいんだよね……なんらか対策がなされていたのかな。
通り一帯は見物に訪れた民衆で満ち満ちているというのに、雑踏は妙に控え目で、衛兵たちのブーツの音が威圧的に響いていた。
僕がいるのは移送から少し前方の建物。見下ろす位置の部屋。
——いない、いない、いない。いない。
〝
「民衆の中に分身はいないな」
ベルも隣に来てひょこっと頭を出した。
「となると近くの建物の中かな」
「それは考えづらい。変な話だけど、あの人の分身は歩いて移動するんだ。輸送対象と一緒に移動してるはず」
「帰るときも王宮までテクテク歩くの?」
「いや、最後は消える。新たに現れるときは本人の傍でなければいけないらしい」
「銃で撃っても死なないんだよね」
「ああ、すり抜ける。地面の上には立ってるんだけれど」
だから「物理的に倒す」というアプローチは基本的には通用しない。崩すなら「理屈」のほうだ。
「もはや幻覚ってなんだか……頭が痛くなってきた」
何人かの男が報告に来た。
「リーダー、戦術顧問。人員の配置、つつがなく行われています」
「よし。では予定通り、十分ちょうどに作戦を開始する。ターゲットは衛兵の一人、左列後ろから二番目だ。歩調を見るに間違いない」
「了解!」
男たちは素早く散っていった。
「なるほどあのメットを被った衛兵たちの中にいるのか」
「そろそろ僕も行こう。ここは任せたよ、リーダー」
「なんか一人だけ仕事してないみたいでそわつくけど……任された!」
フードを深く被り、民衆に紛れて馬車の接近を待つ。〝
ざわつく民衆。ダン、ダンと響く衛兵の行進。群衆は誰にかき分けられているわけでもないのに、自ずから行進に対して道を空けていく。
——もう、すぐそこ。
人が引く代わりに最前列に出ることが出来た。長く息を吐いて鼓動を落ち着ける。
イェナ先生の分身と目される衛兵が僕の眼前を通るまであと十秒。
マント内側の針に手をかけておく。懐中時計の秒針は予定時刻の二十秒前。
——ちょっと早すぎるか? いや……上手くいくことを願うしかない。
目標の衛兵は僕に目もくれず通り過ぎていく。背中を見せた瞬間に針を抜いて首元を解き、マントをバサリと振り上げた。針で止めてはいたがベッドのシーツほどに大きな一つながりの布である。背後から出てくるキドヤがマントの反対側を持つ。
練習通り、二人で目前の衛兵に向かってマントを覆いかぶせた。同時に民衆の中から力自慢の男たちが数人出てきて、衛兵をマントの下に隠すように上から押さえつける。暴れる衛兵をキドヤも押さえつつ、「あと何秒だ!?」と叫んで振り返った。
僕は懐中時計を覗きながら、指で残り五秒のカウントダウンを始めた。
**
王宮の展望台にて。庭師が静かに作業を続ける庭園を見下ろす影が一つ。
「まったく信じられませんよ。こんな一番大事な役割を当日に言い出すだなんて」
ニアオの手元には、王宮の建物群から伸びてきた、緑のチョークで描かれた魔法陣の導火線がある。
「この魔法陣、本当に王宮の敷地全体に伸びる形で描かれてるんですよね? なんてこったい、こりゃあご主人にしか描けない魔法陣です。誰にもバレない死角を熟知していなきゃあね」
時計の針を確認し、ニアオは杖を構えた。
「四位の精霊よ。新緑の息吹を纏う若葉、雨上がりの森の香り、春を告げる若竹の声。繋ぐは歴史の根、星の鼓動が巡り、大地の怒りを表さん」
魔法陣の上を緑色の光が走り、同時にチョークの痕は消えていく。
「こんな魔法使ったら一発で魔力がカラになっちゃうじゃないですか——この魔法の名前は、〝
ニアオが杖を振り上げると、王宮の大地がズズっと浮かび上がった。そのまま足元は大きく揺れ始める。
「ハハハハ、爽快だ!! まったくもって想像の上をいきましたねご主人様! お見それしましたーっ!! 一生着いていきまーす!!」
**
王宮のどこか。地上か地下かすら定かでは無かったその一室。石造りの空間でイェナはベッドから跳び起きた。慌てふためいて歩き回る。
「地震!? 地震、地震、地震!!? ええええだだ大丈夫!!? 生き埋めは嫌! いやいやいやいや、嫌あああああ——」
特に何の対処もできないうちに、地震は緩やかに収まった。イェナはほっと胸を撫で下ろす。
「はあ……怖かったわね。でもよく考えてみれば、この遺跡は千年以上前からあるんだから、地震程度で潰れはしないわよね」
再びベッドに横になって夢を見ようとしたとき——。
「あら」
異変に気付く。
「私の分身が……あら? あらあら?」
ベッドに腰かけて、腕を組み頭を捻った。
「確か最後の記憶は……布を覆いかぶせられて、訳が分からなくて暴れてるうちに——」
気付きを得る。驚きはじわじわと広がるようなものだった。
「〝幻覚〟の魔法は誰かの目に映っていなければ消える。ええ。それがルール」
静かに、しかし確実に彼女を
「やってくれたじゃあないの」
**
ゼロカウント。キドヤが引っ掴んでマントを剝げば、そこには衛兵の鎧すらも無い。装備から全て幻覚だったようだ。
「上手くいった……」
「やったな小僧!」
確証はなかったが、しかし賭けには勝利した。〝幻覚分身〟を夢に見て——視界に映していた最後の一人、イェナ本人が自分の身の回りへと視界を移したせいで、ついに誰の目にも映らなくなり、顕現し続けることが出来なくなった。
——今日は僕の勝ちだ、イェナ先生!
僕が腕を振り上げて指示すれば周囲の建物から銃声が響く。こちらへ迫ってきていた他の衛兵たちの身体が、それぞれ射撃され行動力が奪われた。狙撃を躱した衛兵が一人だけいたが、彼の目前で魔法の爆発が起こり吹っ飛んだ。
「ツェーリ!」
荷車の上を見上げれば、ツェーリが右手に杖、左手にノートを構えてこちらを見下ろしていた。周囲の群衆が遂に悲鳴を上げ、辺りは一気に騒然とする。
「もう鎖は破壊した!?」
ツェーリにはターゲットの鎖を爆破して彼女を助け出す役割があった。こちらを手助けしたということは、既にターゲットをメンバーの誰かに預けたということである。
「悪い報せがあります、ゼン様」
はずだった。
「この鎖も、この女も、攻撃がすり抜けます」
瞬き一つの後、世界が塗り替わった。僕たちは、星を降らす雷雲と裂け目から溶岩を覗かせる大地の狭間で、視界を埋め尽くさんばかりの炎に囲まれていたのである。
**
イェナはベッドにダイブして枕へと顔を埋めた。喜びのあまり足をバタつかせる。
「んんん~~!! 処刑対象を数日前に王宮へ移動させておいてよかったわ。そっちは本物じゃあないのよね、私が本気で騙せばこんなものよ、この都市のみんな、最初から幻覚見てたのよね」
寝転がり、にまにましてクッションを放り上げた。
「んふふふふ。今日もまた勝ってしまったわね。さあこちらのターンよ」
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