二章 かくれんぼ本戦

第10話 暗殺主犯簒奪作戦

 空が薄紫に染まるころ。


「ご主人様、おはようございます」

「早いねニアオ」

「メイドの朝は早いものなんですよ」


 テキパキとした仕草の黒髪の女性。歳は十六。

 僕の専属メイド——ニアオは僕の傍に立って、手すりの朝露を指で取った。

 ここは王宮のバルコニー。見下ろす広場の中心には重々しい処刑台が設置されている。


「僕ほどの美男子が朝焼けを背にアンニュイな様子だなんて、絵になっているだろう?」

「ではそんなご主人様はこの広場の由来を御存知でしょうか」

「おっと、僕はこの国の将来を担うべく英才教育を施された王子だよ?」


 王宮は古代の遺跡を下地に建設されている。遺跡に施された大術式が目的だったらしいが、古い建造物を有効活用できるという側面もあったのだろう。この広場も例に漏れず、年季の入った石畳が敷かれている。広場の周囲では立派な柱が天を突き刺さんと鋭く伸びていた。


「うん、この広場もやはり相当古い遺跡なのだろうね。そして王宮と正門の間にあるということは遺跡の中心地であることも示している。つまりこの広場は、古代には議会が開かれていて、政治の心臓として機能していた、と。どうだい、お見それしたかな?」


「お見それさせてほしいものですね、不正解です」

「良い線いってると思ったんだけれど」


「ここは古代には神殿でした。その役割は『祭壇』。神への供物を捧げる場所だったのですよ。供物には生贄も含まれます」


「なるほど古代の処刑場。だからこそ王宮敷地内で処刑だなんてことがまかり通るのか」

「ガーレイド様が強行しなければあり得ないことではありました」

「流石の教養だ。王子の専属になるだけあるね」

「専属させてもらえてませんけどね全然。逃げられちゃうから。チッ」


 舌打ちが聞こえた気がするが流石に気のせいだろう。まさか対面のそれが許されるとまで舐められてはいないはずだ。多分。


「おあいにくさま、僕は与えられたものに満足しないタイプなんだ」

「はあ。私もお姉ちゃんたちみたいにもっと有望な王子様に付けてたらなーっ」

「そんなことを軽々に口にしてもいい相手だと思われているのは、信頼と受け取っていいものかな……」

「なーんて、思ってたんですけどね。はあ」


 ニアオは背筋の針金を抜いたかのように脱力し、手すりにダラリともたれかかった。腕枕に頬を置く。


「この処刑で第一王子と第三王子の対立は決定的なものになります。処刑場にここが選ばれたのは古代の慣習に倣うため——だなんてのは嘘っぱちもいいところでしょう」

「お父様と兄さんに見せつけるためだね。お前たちの手先が死んだのだと知らしめるため。この処刑は誰もが宣戦布告と受け取る。無論ガーレイドもそのつもりだ」


「誰が毒殺を指示したのか知りませんけど、早計に過ぎますよ全く」

「でも、ニアオもあの場に直接居合わせただろう? 僕の後ろに控えていたんだから」

「……まあ正直言うと、ガーレイド様の左腕を見るたびにドキリとさせられます。ましてや陛下や王妃の立場になれば、早まる気持ちが理解できないではありません」


 ため息一つ。


「私は今、私の主人がゼネリオ様でよかったと、心の底から思っています。きっと明日からは両陣営によるぐちゃぐちゃの陰謀合戦が始まり、その果てに待つのは暗殺の横行です。対してご主人様は元より王宮の政争に関与しないようにしていましたから心配無い」


「そうと信じたいものだね」


 ニアオの立場では、自分が巻き込まれまいよう祈ることしかできないだろう。


「まさか。ご主人様、どちらかに付いたりはしませんね」


 その目線には、返答次第では軽蔑しますよというメッセージが篭められていた。彼女が僕に向ける感情は信頼なんてまっぴらな「不信」のようだ。

 けれどこうやって尋ねるのは、信頼させてほしいという期待の表れなのかも……というのはやや楽観的すぎるだろうか。

 僕の身の回りのことを世話してくれる従者は当然として、応援してくれている貴族も決して少なくない。彼女は彼らの代表なのだから、僕を疑ってかかるのは当然のことだ。見定める義務が彼女にはある。


「しないよ。そういうのが面倒だからこそ、不出来な人間を装って生きているのだから」

「装うだなんて、そちらの方こそ建前でしょう? 九割は元来の気質ですね」

「いやいや八割くらいにさせていただこう」

「ダメじゃん」


 処刑は昼前。目標人物の輸送にかかる時間は三十分を見込んでいる。

 勝負はこの輸送中である。処刑場の広場に目標が到達した時点で敗色濃厚だ。





**





 ベル、キドヤ、ツェーリ——首脳陣揃っての会議にて。


「なんで処刑台を襲っちゃダメなの?」

「シンプルに魔法使いの巣の中心であるというのもあるけれど——問題は王宮の結界だ」

「関係者以外が立ち入れない、みたいな?」

「公開処刑が行えるんだから、入れなくなるって代物ではないんじゃねえのか」


「私は聞いたことがある。結果内に入った人間を漏れなく識別する結界だそうだ」

「そう。〝身体走査ステータス〟の魔法を自動で発動して、その情報を記録する術式だね」

「覚えられようが逃げりゃあいいじゃねえの?」

「私の元の領地に行っても構いません、歓迎されるはずです」

「イェナ先生にはその情報で十分なんだ」


 大賢者イェナの術中に嵌まったが最後、死を逃れる術は今の僕らにはない。ならば重要なのは彼女の幻覚の発動条件である。


「先生の過去の決闘の話を聞いたり、先生の書いた論文を読み漁ったりして調べてきた。先生は自分のできることをひけらかすタイプだから、隠し玉があるだとかブラフが敷かれているということはない。幻覚魔法の発動条件は次の二つだ」


 ①自身と一定距離内の一定範囲を指定し、その中にいる全ての人間を対象とする。

 ②一定以上に詳細な身体条件を設定し、それに合致する相手を対象とする。


「どこまで逃げても②番目の方法で殺されるってことか」

「そう。一度〝身体走査ステータス〟で見られたが最後、世界の裏側に行ったって殺される」


「あ、それやったところだ! 〝幻覚〟は〝呪い〟と近い魔法で発動条件も似通ってる。術者が相手を正確にイメージできてさえいれば、〝呪い〟と同様、距離に関係なく発動できる——って寸法よお! キドヤは知らなかったでしょ!」


「なんだよ知らねえよ」

「フッ、そんなことも知らないのか」

「ねーツェーリ、キドヤったら遅れてるよねえ」

「まったくだ」

「……」


 キドヤから目線を貰う。青筋を震わせてキレる直前。


「お、教えるよ。教えるから。——ベルはよく勉強しているね」

「どやあ!」


 ベルはちゃんと成長しているが、それでも彼女の魔法を戦力に数えられるのはどれだけ早く見積もったって一年は先のことだ。現地での魔法戦力として期待できるのはツェーリと僕だけである。





**





 陽の光が柔らかく差し込むよう計算された造りの部屋。

 第一王子ウルフリックは、僕の来訪を受けて、ベッドから体を起こした。脇には読みかけの書物が散らばっている。壁際にある剣はホコリを被って久しい。


「おはよう兄さん」

「やあゼネリオちゃん。なんだか最近会ってなかった気がするね」


 こけた頬、薄い唇、弱弱しい咳。霧の向こうから聞こえる鐘のように、もの寂しい声。肩まで伸ばした黒髪が女性的な雰囲気を演出する。

 日陰に咲く儚い一輪の花。五つ年上の僕の兄、彼こそがウルフリック第一王子である。右手の甲から腕の方向に紫色の入れ墨が伸びていて、茨を模したそれは彼の肩まで続いている。


「単刀直入に言うけれど、ガーレイドと対話の席を設けてほしい」


 兄さんはしれっとした態度で床の本を抓み上げた。すぐに開いて読み始める。


「そんなつまらない話をしに来たの? ならもう帰っていいよ」

「つまらないけれど、大事な話じゃあないかな」


 当てつけのようにため息を吐く。


「いいかいゼネリオちゃん。私はこのつまらない部屋でつまらない日常と日々闘っているんだよ。そんな日々の中でゼネリオちゃんの面白い話を聞くのが数少ない楽しみだったの。だっていうのに、君のその態度は酷に過ぎるよ」


 確かに、少し前まで僕はよくこの部屋を尋ねて、自分のサボりエピソードを語っていた。基本的に部屋から出ることが推奨されない兄さんからしたら、僕の話は面白かったのだろう。


 とはいえ実のところ、誘導があったようにも思う。勉強を抜け出すだなんて選択肢を提示したのも、抜け道の場所を教えてくれたのも、ウルフリック兄さんその人だ。そんな悪知恵を詰め込まれては、面白い話の一つや二つ持って帰るのもワケない。


 小さなころから陽の光に弱く、虚弱な身体を持っていた兄さんにとって、僕は理想の姿を写す鏡だった……のかもしれない。


「僕も多少は考える頭が着いてきたってところかな。顔に頭にで隙無しってことさ」

「はあ、まったく兄は悲しい。つまらないつまらない」


 腕をぬらりと持ち上げる。指は机の上の資料を示していた。指示通り手に取って目を通せば、我らが王国がもう十年以上続けている戦争、「北の戦争」の情勢が苛烈になってきているという内容である。


「公国もしぶといねっていうお話?」

「あは!? あっはは、何言ってんのゼネリオちゃっ……ごほっ、ごほごほっ!!」


 辛そうにせき込み始めた兄さんの背中をさする。


「兄さん、僕のことを嗤うならちゃんと嗤ってくれないかな? 途中で体調悪そうにされると怒りが同情に中和されて、ムカつくにもムカつききれないんだよ」

「あ、ああ。おあいにくさま」


 兄さんは時折笑いをこぼしながら、はあはあと息を戻した。


「でも兄には弟に意地悪する権利があるからさ」

「そんな権利どこにもないね?」


「ゼネリオちゃんの口を介すと面白いもののように聞こえるけれど、それは、国民の税負担が重くなることを意味しているよ。現治世で既に二回も地方領主の蜂起を許してるってのにね。きっと近いうちに不満が噴出するだろう。少なくとも三年以内、カリスマのある扇動者が生まれたならば一年以内、私の見積もりではそれくらいで内乱が起こる」


 カリスマのある扇動者。僕はリリーのことを思い浮かべた。あるいはベルのことも。


「あーつまんないね。つまんないこと考えちゃったよゼネリオちゃんのせいで」

「自分で勝手に言い出したんじゃなかったっけ? ともかく、それとガーレイドの件に何の関係が?」


 兄さんは「あは」と口元を隠すしぐさを見せた。バカにするときのそれだ。


「そんなことも分からないのゼネリオちゃん。今の私の話を聞いてそれが分からない? 下の面白さも上の面白さも持ち合わせていないんだ。いやはや、つまらないヒトになっちゃったね」


 握る手を震わせつつ怒りの笑みで睨みつけた。


「五つ下の弟を煽り倒して何が面白いのか全く分からないんだけど?」

「しょうがない。めんこい弟に免じて要点を教えてあげよう。私にとってガーレイドは『目下気にする問題ではない』。加えて『取り組むだけ無駄』。だから、『つまらないし、大事でもない』」


 「それだけでは納得できない」と言いたいところだったが、おそらく兄さんは端から分かりやすく説明する気がない。この人は昔からこういうところがある。


「しかし運命だね。私が生まれつきこんな身体だから王になるには不安だと思われて、お父様は急いで第二子を作ろうとしたわけだよね。でもほら、君が中々できないから、やきもきして下らないメイドに手を出しちゃったんだ。その末路がこれか。お父様に限って言えば、報いなのかもしれないね」


「その物言いを聞くに、少なくとも兄さんは毒殺を指示してはいないんだね」


 兄さんは窓の向こうに目をやった。正確には、王宮外壁の隙間に僅かに頭を覗かせている、かの処刑台を見やっていた。


「さあ? じゃあ、次はもっと面白い話を持ってきてね、ゼネリオちゃん」





**





「で、お兄さんの説得はできなかったんだ」

「あー思い出しただけでムカついてきた。アイツまじムカつく。二度と話したくない」

「ゼンのそんな砕けた言葉遣い初めて聞いたな……」


 熱いため息を吐いたが収まらなかったので、もう一度しっかり息を吐き出しておいた。


「ともかく、計画通りではある。元よりそのつもりだ!」

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