第7話 第三王子暗殺未遂事件
僕のせいだ。
空の牢の前で悠長にしていたこと。
みんなへの〝
チョークを持ち歩いていなかったこと。
何よりも、イェナ先生を甘く見積もったこと。
僕を人質に見立てるだなんて回りくどいやり方では無くて、直接訴えていれば——素直に僕の口から取引に持ち込んでいればリリーが死ぬ必要はなかった。僕をテーブルに乗せたリリーの取引が成立しなかったとしても、僕の地位をテーブルに乗せた僕とは取引が成立したかもしれない。なにせ僕は王子なのだ、イェナ先生に殺せるわけが——おそらく、無いのだから。
そうだ。僕は自分の地位を失うのが怖かったから、あくまで捕えられた者として振舞いたかったのだ。正義だ何だと言って結局、我が身可愛さから保身に走ったのである。
とはいえ、自分が取引を仕掛けていたならば、僕は革命側に属することが決定づけられていただろう。交渉相手も問題だ。理屈で御せないタイプであるイェナ先生と取引なんてしようものなら、一体どれほどの要求を飲むことになっていたことか分からない。
——正当化しようとする自分の思考に反吐が出る。二人死んでるんだぞ。
こうして僕が引きこもって、一週間が立とうとしていた。
自室の扉がノックされる。
「お兄様、ガーレですよ。イェナ先生から様子を見てくるよう言われて来ました」
——ガーレイド……いや、人選間違ってるだろ。先生、相変わらずだな……。
ベッドを離れ、扉の傍まで近づいてみる。
「以前ガーレが言ったことを気にしているのならば、それは杞憂ですよ。あれは虚言です。感情が高ぶるあまり、心にもないことを言ってしまったんです。決して、全然、全く、本気なんかじゃあないんです。悪い冗談だと笑ってくださいお兄様。だってガーレなんかに、王宮みんなへの復讐なんてできるわけがないでしょう?」
ちらと扉を開いて見れば、ガーレイドはこちらを伺うように首を傾げていた。
左腕一体に包帯が巻かれている。葬式の時の傷は塞がっている頃合いなのに、内側の包帯にはかなりの量の血が滲んでいた。また新しい傷が出来たらしい。
「お兄様」
「ガーレイドが原因じゃあないから、気持ちだけ受け取っておくことにするよ」
「そうですか? それはそれで複雑ですね」
「それよりも、ガーレイドの方は大丈夫かい? 聞いたよ、その……毒の件」
ガーレイドの食事に毒が盛られるという事件が三日前に起こっていた。詳しくは聞いていないが、毒見役の協力無くしては不可能な仕掛けだったらしい。ガーレイドは毒見役の態度に違和を感じ取り、再度の毒見を要求した。進退窮まった毒見役はナイフを握ったが、ガーレイドの魔法に敗北した——。
つまり今、僕の目の前にいるガーレイドは、死線を一つ潜り抜けてきているのだ。
「ええ、幸運でしたね。本当に偶然、命拾いしました」
「あのさ、ガーレイド。これに懲りたら——」
「——懲りたら? 何ですか?」
僕はそのとき彼の目の奥に、諦観の水底を見た。
真っ暗な海を覗き込む船乗りだ。静かでありながら、いつ水音を立てて飛び込んでもおかしくない。
僕はそこから先を言うことが出来なかった。
「ともかく、今日もまだ不調だからと先生に伝えておいて」
「はい。しかしサボってばかりのお兄様の仮病だなんて、イェナさんには信じてもらえなさそうなのに。もう一週間も通用していますね。弱みを握りでもしたのですか?」
「あの、ガーレイド? 仮病ではないよ?」
「えっ……ああ、言われてみれば確かに、実際にやつれていますね。これは失礼なことをしてしまいました……でも怒らないでください。ガーレは出来損ないの節穴なので気付けなかったんです。どうかご慈悲を」
——顔色から毒入りを見抜いておいてそれは説得力が無いよ~。
「僕が君を怒ったことなんてないよ……でも、あんまり卑下するのはやめようか。君はこんなにもキュートで魅力的なんだから、皮肉に聞こえるくらいだ」
これを聞いてガーレイドは、一瞬だけ目線を落としてから、口角を広げて笑った。
「はい。けれどその言葉、そのままお返しいたしましょう。端正な顔立ちが台無しですよ。早くお元気になってくださいね、ゼネリオ兄様」
ガーレイドは去って行った。
閉めた扉の内側に体重を預け、滑るようにして床に腰を下ろす。緊張の緩和から一つため息。震える腕を胸元にやれば心臓はバクバクと。
「こっ……怖かったあ……!!」
穏やかな物腰だったが、しかし怨嗟は溢れんばかり、なんなら露骨なくらいだった。
僕もしっかり彼の復讐対象に収まっているようだ。お父様の子どもでしかない僕ですらクレースさんの仇扱いだとすると、ガーレイドは一体どれだけ多くの人間を相手取るつもりなのだろうか?
そもそも第三王子が上位王子の命を狙っているという状況——これは、この国の後継争い——王位継承戦争でもある。そう考えると、毒殺を指示した黒幕は——。
「あ、そういえばお兄様」
「きゃあああああああ!!!???」
気を休めたところにガーレイドの声である。
「え、え。今の声、お兄様ですか? 他に誰かいます?」
本気で困惑しているようだ。再び僅かに扉を開く。
「ああ、ええと、今のは——ギャップ萌えを狙っているんだ。こんなにイケメンなのに驚いたときの嬌声が可愛かったら萌えるだろう? 今のはその練習さ」
「なるほど。マイナスかけるマイナスでプラスってことですね」
「トゲトゲしいにもほどがあるんじゃない?」
「今のに限ってはそういうつもりではなかったのですけれど」
「……そ、そう。で、何か言い残したことでも?」
ガーレイドは一通の封筒を差し出した。
「お手紙、預けられていたんでした。でも差出人が不記載だったので、先に大人たちが目を通してしまったそうです。でもこれ、手紙ですらないんですよね、なんでしょう。素人のイタズラか何か——」
「なにを当然のように君も読んでいるんだい?」
「あっ」
ガーレイドはてへへと誤魔化して今度こそ去っていった。
ベッドに腰かけて封筒を開けてみれば、中にあったのは便箋ではなく、何枚かの無地の紙だった。側辺には糊付けの跡がある。つまり一冊の練習帳から千切り出したものだ。
「あー……これは」
無数の魔法陣がびっしりと書き込まれている。
一つ一つ目を通していく。僕が宿題に課した範囲をゆうに越えた、分不相応な難易度のものまである。当然間違いだらけの不完全な式だ。しかし努力の跡は確かに残されている。
「そうか」
めくる手にいつの間にか力が入ってしまっていた。
ゆっくり息をするよう努めた。細く長く息を出し入れする。これ以上彼女の努力の結晶を濡らしてしまわないように。
伝う涙を拭えば、不思議な笑いが出た。
「恨まれて……ないのか」
しゃきっと立ち上がる。カーテンを開いて伸びをする。胸元の杖を抜いて窓を開けた。日差しが眩しい。カーテンがぶわりと揺れる。
「よし、行こう。〝
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