第25話 冬の女王

 ベルガーリャが玉座の間へ足を踏み入れると、冷気が一層強くなった。息が白く凍りつく。

 壁は氷で覆われ霜が立ち、触れるだけで皮膚が張り付く。床には薄い氷の層が広がり、歩くたびに軽く軋む。無数の氷柱が天井から降りて、その鋭い先端を煌めかせる。

 極寒の凍土とかした王宮の最終地点。そこに残った人間はたったの三人だけだった。他のメンバーは途中の魔法使いに足止めされたり、あるいはイェナの〝幻覚分身ミラージュ〟を引きつけたり。


「ほっほほ、老体には堪える寒さじゃわい」

「そうですね、私の髪も凍り付いて、しまったみたい」


 ベルガーリャ、アゼンズ、そしてキリエドール。


 ——あ、あんまり頼りにならなさそうだな……。


 芸術的な氷の彫刻の中心。燃え落ちたかつての玉座に変わって、新たな玉座は氷で形作られていた。


「来たか」


 座すのは冬の女王。

 蒼い瞳に透き通った銀髪を携える老婆。裾の長いロープは裾が氷の上に広がってしかし凍り付く様子が無かった。身長に及びかねないほどに巨大な、捩じり曲がった杖を携える。

 陰謀と共に王国に挑み、そして勝利した者。

 ユルガンドは未だ玉座に肘かけたまま、三人を見下ろした。


「〝永劫無限の血印パーペチュアル・チェック〟の保持者だな」

「……それがなにか」

「わたくしはそれに並々ならぬ思い入れがあっ——」

「〝精霊の単純活用フィー・ド・バン〟」


 アゼンズが素早く唱えた瞬間、ユルガンドの目前の空気が歪み、ねじれ、そして瞬く間に破裂した。ユルガンドの上半身が消し飛ぶ。


 ——!!?


 ベルガーリャが驚いて見れば、アゼンズはきょとんとして見返した。


「いや、何をのんきに話そうなどと考えておるのじゃ? 相手はユルガンドじゃぞ?」

「えっ……それは確かにそうだけど」

「まー! バイオレーンス!」


 キャッキャとしていたキリエドールはしかしすぐに首を傾げた。


「血が出ませんね、あれが噂の不死身です、か」


 ユルガンドの下半身の切断面はガラスのように透き通っていた。すぐに冷気が集まり上半身を形成する。氷面が煌めいたかと思えばしかと肌色に塗り替わる。


「聞く耳も持たないのかアゼンズ」

「お前の演説など誰も聞きたくはないぞユルガンド。なにせ話が長いんじゃから」

「お二人は知り合いなの、ですか?」


 アゼンズは髭を撫でながらうむうむと頷いた。


「かつては奴も王国貴族の一員であったからな」


 ベルガーリャの頭上に金色の王冠が出現する。


 ——おっ。


 ベルガーリャが魔法陣の刻まれた右手を向ければ、ユルガンドの周囲に出現した魔法陣が消滅した。どやっと得意げに鼻を鳴らす。


「それで? 今んところ負ける気がしないけど。策謀だけの婆さんってこと?」


 ユルガンドは不満そうにつま先を鳴らした。


「わたくしが嫌いなのは、自分の血筋に恵まれている人間だよ。お前は考えたことがあるか? 生まれつきの才能や力を持っている者が、それを当然のように享受することの罪深さを」

「説教してくれる分には時間稼ぎになるね、止めちゃあだめだよお爺ちゃん」

「なるほどそれもそうじゃな」

「お二人とも酷い、ご老人は自身の体験を、語る以外に楽しみが、無いのです」


 ユルガンドは青筋を浮かべつつ構わず続ける。


「お前はたったの二年で無杖、無詠唱の魔法に辿り着いたのだな。対してわたくしは未だに杖が無くては魔法陣を上手く描けないし、無詠唱の極地に至ったのはたったの十五年前だ。だがわたくしは断じるために努力した。お前たちの傲慢と、血筋に一擲穿つために。お前は努力とは何かも知らないのだろうな。真の力は努力の中で培われるものだ」

「貴方の過去に何があったか知らないけどさ、でもしょうがないんじゃない? 配られたカードに差はあるよ。私だって結構……不幸っちゃあ不幸だけど頑張ってるよ? 今だって気を抜いたら死ぬ場所に立ってるんだからさ、あんまり恵まれちゃないよ」

「わたくしは生まれや境遇だなんて高尚な話はしていない。わたくしとイェナは、血の力に抗ってやりたい、世界の在り方に逆らってみたいという好奇心、その一点でのみ、それだけで協力しているのだ」


「その気持ちは……分かるな。つまり——」

「意地なんだよ。〝永劫無限の血印パーペチュアル・チェック〟の継承者。わたくしは意地だけで王国を滅ぼしたんだ」

「まだ滅んではいません、けれど」

「そうじゃな。貴様は国王夫妻以外の何も倒せていない」

「そして私たちだって倒せない」


 遂にユルガンドは立ち上がった。パキリと氷膜を割りつつ杖を立てる。


「教えてやろう。八冠の末席しか知らないお前たちに。大賢者の何たるかを」


 ゆっくりと階段を降りて、真っ直ぐベルガーリャへと向かっていく。


「これは魔法の世界では常識だが、『時間』は当然、凍る」


 瞬きの後、ベルガーリャの腹部にはユルガンドの構える杖が貫通していた。


「…………え?」


 口から血がドポリとあふれ出す。


 ——二十歩以上はあったはずじゃ—。


「〝精霊の単純活用フィー・ド・バン〟」


 アゼンズがユルガンドを消し飛ばした。同時にベルガーリャの腕を引き、サラサラと集まって再び形成されつつある氷の塊から距離を取る。


「ま、ま、ま!」


 キリエドールが若干興奮した様子で魔法を唱えて杖を振った。ベルガーリャに空いた穴に魔力が渦巻いて、補填の部位が生成されて再生する。その頃にはユルガンドも復活していた。


「はあ……はあ、はあ」


 ベルガーリャはキリエドールの肩に手をかけて、息を荒げ、ただ虚空を見つめていた。


「あれ、傷は完全に治療、したんですが」

「しょうがないじゃろうて。数秒のこととはいえ腹に穴が開いていたんじゃ。自分の身体に虚空がある感覚は、ただの痛み以上に心に傷を負わせるのじゃよ」


 ユルガンドは余裕をもって杖を拾いつつ、じわりと口角を上げた。


「ああ、やはりだ。死ぬ前に感じられてよかった。やはり、〝永劫無限の血印パーペチュアル・チェック〟の継承者を蹂躙するときが、最も楽しい。もっとその表情を見せてくれ」

「〝精霊の結びつきフィー・ド・リンク〟」


 次に瞬間移動したユルガンドの杖での突きは、ベルガーリャの目前で透明な壁にぶつかった。アゼンズが一手早く張っていた透明な壁——〝精霊の結びつき〟に妨げられたのだ。

 頭上に王冠が出現している。


「——ッ、〝位相の塗り替えロールバック〟——!!」


 彼ら三人の周囲に発生した魔法陣は一瞬で消滅した。ユルガンドはふむと口元に手をやる。


「気が確かなのか。最もいいパターンだ。良かった。お前たちのここまでの道中での戦いぶりを見て、お前たち三人相手が最も楽しいだろうと確信していたのだ。全くもって期待通りだ」


 ユルガンドは三人それぞれに目を向けていく。


「兄の背中を見て魔法の極みを諦めた、長く生きただけの魔法使い」

「わしだって頑張っとるのに酷い言われようじゃのう」

「蘇生にすら辿り着いている、回復魔法に魅せられた魔法使い」

「私は褒められている、ようですね? 嬉しい」

「そして——」


 ユルガンドは薄く笑って、顔を歪めるベルガーリャに目をやった。


「この国が誇る血統、その末の娘」


 アゼンズがベルガーリャの背中に手を置き語り掛ける。


「ベルガーリャ様、そろそろ腹を括るときじゃ。奴は斯様に最強の魔法使いであって、そして大賢者の例に漏れず狂人じゃ。これを相手に時間を稼ぐという神業には、命を賭けねばならぬ。並大抵ではない。こここそが貴殿の人生の山場にして分水嶺にして生死を分かつ瀬戸際」

「腹を括る、ですか? 括ったお腹が貫かれて、しまうので、この場に相応しい表現では、ない気がしますね」


「そろそろ真面目にやらんかキリエドールくん?」

「私はずっと、真面目ですよ?」

「おっとそうか。これは一本取られた! 失敬」

「全くです」


 ベルガーリャはキリエドールの肩からもアゼンズの手からも離れて、すっくと背筋を伸ばした。深く息を二回ついてから、じっとユルガンドを睨みつける。


「貴方、私をいたぶるのを楽しみにしてたの?」

「そうだな。わたくしの念願だ」

「もしガーレイド様がこの王冠を引き継いでいたら、そっちをいたぶってたってこと?」

「この歳になると我慢が効かなくてな。だから、きっとそうだろう」

「そう……」


 ベルガーリャは腰の剣を抜いた。


「ならよかったよ。私がこの王冠の後継者でさ」

「ああその通り。実に良い。当然、こちらの方がいい」

「ぶち殺してやる、クソ野郎」

「その表情はあまり面白くないな、〝永劫無限の血印パーペチュアル・チェック〟の継承者」

「それよく噛まずに言えるね。私にはベルガーリャっていう立派な名前があるんだよ」


 これを聞いてユルガンドは鼻で笑った。


「それが立派な名前? それこそ下らない名前だろう」

「ま、ま」


 声を挟んだのはキリエドールである。ユルガンドは何かと眉をひそめる。


「まさか気付いておられない、のですか? ユルガンド様」

「お前さっきから水を差してばかりだな。その喉を凍らせようか」

「『ベルガーリャ』が、貴方の命を狙っている、のですよ?」


 両手を揃えて頬に当てた。にこりと微笑む。


「自らの意地に命すら友情すら利用してきた貴方に、最後の捨て駒である『ベルガーリャ』が、無念の最期を与えるだなんて。なんて因果応報の物語。だっていうのに貴方は、なぜそんなにも余裕の態度なのでしょうか。あるいは強がり? だとしたら滑稽。児戯が如き虚心、なんて底の浅い悪役でしょう。文脈の上で、貴方が勝てる訳がないのに」


 ユルガンドの周囲が薄く凍結し、同時にパキリと割れた。


「なぜ貴様がそれを——」


 ユルガンドはもうずっと自分の力と人生の成功に疑いを持っていなかった。才能の無い身で大賢者に辿り着いた努力に自信を持っていたし、その努力が自分の人生を裏切るだなんて思いも及ばなかった。

 この時までは。

 想像してしまった。踏みにじってきたてきた過去が——質感のある痩せた腕が、地下に引きずり込もうとしてくるイメージを。


「貴様」


 キリエドールは楽し気にベルガーリャの手を取った。


「さあ! 行きましょうお姉さま! 三下の悪役に、お似合いの結末を、与えてやろうじゃあ、ありませんか!」


 ベルガーリャは驚いてキリエドールを見た。なんなら微笑む彼女の背中に羽を錯覚した。


「……はは。確かに。あかしてやろうぜあの鼻を!」

「その意気、です」


 アゼンズはじっとキリエドールの背中を見つめていた。


 ——何物にも怯まない胆力。マイペースを押し通す姿勢。十分な才能があり、没頭できるほどに好きな魔法にも既に出会っている。これは——。


 ユルガンドもアゼンズと同じことを感じ取った。


 ——大賢者の器。


「聞こう、お前の名前を」

「え、私ですか? それはですね」


 キリエドールは染めた頬を抱えながら答えた。


「キリエドール・フォン・ナイトラル・クレイアです」

「いやそれを名乗るには早いわ!」

「でしたか? ふふ」

「ベルガーリャに、キリエドールだな。それと——」


「いやいやわしは遠慮しとこう。結構じゃ。老い先短いとはいえまだ死にたくないし。なんならいつでも命乞いする腹積もりで来とるんじゃわしは」

「私にはあんなこと言ってたくせに!?」

「それと——アゼンズ」

「世知辛いのー!」


 ユルガンドは改めて杖を着いた。


「わたくしは八冠の大賢者が一粒、〝彼方〟のユルガンド・フォン・ローレンビイ」


 三人はユルガンドの敵対者として認められた。


「冬の女王がお前たちに栄誉を授けよう。大賢者の本気、心して拝するがいい」

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