第26話 VS〝希望〟の大賢者(終)
満身創痍の僕はふらつきながら王宮の中庭に辿り着いた。噴水の傍にある、テーブルくらいの大きさの岩にもたれかかる。生体認証の術式が浮かび上がり、ゴゴゴと動いて地下への階段が現れた。
「さ……流石にここだったか。クソ、裏を読みすぎた……」
結果として、僕はアタリを付けたポイント全てで先生本人を見つけることができず、そのたびに爆弾なり落とし穴なり狙撃だったり散弾だったりを喰らい続けてきた。
「キリエに回復魔法を習っていなくちゃあ三回は死んでたな」
そして慣れてきた。僕の居場所を特定できそうなところには銃を携えた〝幻覚分身〟がいる。例えばここ。生体認証の術式が浮かび上がった瞬間、間違いなく僕はここにいるわけだ。
とはいえ疲労から思い至るのが遅れた。咄嗟に頭を引けば、弾丸は代わりに肩を貫く。
「ッ——」
見上げれば銃床を肩に当てた〝幻覚分身〟と目が合った。〝灯火〟最大火力で姿をくらましてから適当に座り込んで回復の魔法を唱える。傷は塞がるが、僕の治療魔法が下手なので痕は遺ってしまう。この数十分で身体中に銃痕ができてしまった。
「まったく。こんな美少年がすっかり傷ものだよ」
狭くて冷たい石壁の通路。遺跡地下に広がる迷宮。分岐点を抜け、遠回りし迂回し、慎重に鋼線の有無を確認しつつ、仕掛けがある度に解除して躱して。
遂にそこに辿り着いた。
行き止まりの巨大な空洞。天井は見えない程に高く、星を錯覚しそうなくらいだ。床一面にチョークで描かれた魔法陣が広がっている。隠れる場所も遮蔽の一つすらもない。
「見つけた」
仄かに白く光る魔法陣の中心、簡素な椅子に座ってコクコクと舟をこいでいた彼女は、僕の足音を聞くと、のんきなあくびをした。
「ふわあ、おはようゼネリオちゃん」
「ごきげんよう。寝坊ですよ」
「知っているでしょう? 私は夜型なの。これでもとてつもない早起きなんだから」
ハンカチで目元を拭いて伸びをする。
「どうしてここが分かったの?」
「一番深いところに来ただけですよ。星の中心に近ければ近いほど魔法のパフォーマンスは上がる。ここが最も効率的に魔法を発動できる場所」
「そうね。あなたにいざ見つかったときに戦う魔力、ユルガンドが敗北した場合に逃走するための魔力、それらを残そうと思うと、拠点はここに置くしかなかったわ。けれど貴方はここに来るまでにかなりの時間をかけたわね。それについては予想外だったけれど」
「いや……先生は一度、僕の起こした地震を受けて目を覚ましていたでしょう。あの経験があれば、再びここに拠点を置くようなことはしづらいだろうと考えたんですよ」
先生は目を丸くしている。
「忘れてたわ。そういえばそうね」
「そういえばそうね、じゃあないんですよね……!!」
拳を震わせる僕を前に、ともかく先生はふうと肘かけてにんまりと笑った。
「どうして気配を消す魔法を使っていないの? もしかして魔力が切れちゃった?」
「はい。とはいえここまで来て引き下がるわけにもいかず」
「いいえ切れていないわね。じゃあなんで私を暗殺しなかったのかしら」
「先生と話をしたかったからですよ。僕も先生に愛着があったんですね」
「それも嘘なの? それはそれでショックだわ」
確かに僕は今、目の前にいる先生を即死させることが出来た。ナイフと人体の勉強はしてきたし、途中で〝
僕はため息をつき、口をとがらせてぶつくさと尋ねた。
「最後に聞かせてください。先生の本体はどこにいるんですか?」
「もっともっと下の部屋ね。掘削したのよ、新しい空間を。ゼネリオちゃんは当然、知らなかったでしょうけれど」
僕が負けを確信した理由、それはこの部屋に敷かれた巨大な魔法陣にある。僕の足元まで伸びるこれは〝反魔法〟の系列の魔法だ。既に起動済み。つまりこの部屋ではおそらく魔法が発動できない。〝幻覚〟も〝呪い避け〟も使えない。ならば目の前にいる先生は本体ではない。ここではない魔法を発動できる場所、一方的に攻撃できる、どこか別のところにいるはずだ。
「途中に覚えのない通路自体はありましたね。記憶違いかと見逃しました。上向きに伸びていたし、というかそもそも埋まっていたし。クソ、魔法使いにとって通路を埋めるのも開けるのも簡単なことだって分かってたはずなのに」
僕の絞り出すような声を聞いて先生は肩を揺らした。
「まあしょうがないわ。この遺跡の地下通路網は果てしなく深く、そして広い。上下にねじれた通路も多いし、先の無い埋もれた通路だってごまんとある。座学で簡単に習っただけの、何年も前の記憶を信じられないのも仕方ないわ。かくいう私だって見逃したと思うわよ。なにせ大賢者の工作だもの。大賢者、だものね、私って」
つまりこの部屋自体がトラップなのだ。アンコウの明かり、虫の飛び込む炎。本命は明かりの影に隠れている。
これが先生の本気ということだ。何重にも幾重にも罠を重ねて重ねて、最後に確実に仕留める。決して派手ではない。地味な決着だ。しかし先生はそんなことにはこだわらない。どんな形であっても勝利は勝利。勝利だけを真摯に突き詰める人間。
「椅子を一ついただけますか?」
イェナ先生は隠そうとしているようだが、彼女の声は勝利を確信した愉悦のそれだった。
「構わないわよ? はいどうぞ」
先生と対面する位置に椅子が出現した。つまり僕は今、確かに先生の〝幻覚〟の中にいる。
大賢者イェナの術中に嵌まったが最後、死を逃れる術はない。
——はあ。
「僕の負けですね、イェナ先生」
「私の勝ちね、ゼネリオちゃん」
しぶしぶ椅子に座りつつ、もう悔しさとかはない、一周回って爽やか、といった声で。
「でも賭けだったんじゃあないですか?」
「そうね。そもそも、あの通路にゼネリオちゃんがピンと来てる時点で驚きよ。かなり巧妙に隠したつもりだったのよ?」
「僕は先生の弟子ですからね。考えそうなことには想像が着くんです」
「でも私が想像を越えたってことね! うふふ、やったー!」
「大人げない喜び方ですね……」
「だって二年越しに勝ったのよ? わーいわーい!」
両手でリズムを取って楽しそうな先生を前にして、僕はというと天を仰いだ。
「あーあ! というかなんで僕なんかに先生が本気を出してるんですか。あまりにも本気すぎますよ。街一つ使った仕掛けじゃないですか。僕はてっきり、先生はベルガーリャばかり警戒していると思っていたんです」
「うふふ、私は最初からゼネリオちゃんしか見えてないわよ。だってゼネリオちゃん、私に貸しがあるって言うのに私を貶めたんだもの。私ね、そればっかりは許せないの」
「爆弾だとか拳銃だとかばかりで僕を攻撃していたのも思考誘導だったんですね」
「その通り。あなたの脳内から『幻覚が脅威である』という認識を消すためね。そうでなければきっと貴方はこの部屋にものこのことは立ち入らなかったはずだわ」
「手練手管を尽くすのは、最後に〝幻覚〟で勝つため——ですね」
「自分の得意分野を何が何でも勝負のテーブルに乗せる。そうしなければ、いずれにしたって負けてしまうから」
奇妙な感じがした。王宮の地下深くで、たった二人だけで、僕たちはお互いの命を狙い合った仲だというのに、僕たちは楽しく会話していたのだ。
「せっかくです。もう少し話しませんか。僕たちの戦いを最初から振り返りましょうよ」
「乗ったわ。私も結構気になっているのよね。どこからゼネリオちゃんの計画だったの?」
ということで僕らの反省会が始まった。
「僕の認識では、過去に僕が先生と戦ったのは三回です」
まずは一戦目。
「一度目は……収容所かしら? あのとき既に革命軍と協力関係にあったのよね。今にして思えば、潜入してきた数人には間違いなく〝
「そうですね、〝
「そして私の前から逃げおおせた。あれ私、ビックリしたのよ。そもそも収容所から外に出られたのが驚きだわ」
「あれは偶然だったんですよね。ツェーリという仲間に助けてもらったんです」
「そのせいで私ったら二人逃がしちゃったものね」
「先生には、あのとき僕らの仲間を二人——ザーグさんを含めると三人、殺されましたね」
「仇が討てなくて残念ねえ」
続いて二戦目。
「次は毒見役の処刑を妨害しようとしたときですね」
「地震を起こすだなんて、まったく大それたことをしてくれたものだわ」
「あれは僕の完全敗北でした。輸送車を襲うという僕の計画は全く空振りでしたから」
「でもその後のリカバリーはよくやったじゃない。迂闊に攻撃した私が市民を殺したことにして、焼死体を作りながら逃亡した」
「それも僕ではなくツェーリの機転です」
「あらそうだったの? じゃああのとき市民を三人殺したのは貴方じゃあないのね」
僕は話題を変えるようにして三戦目の話を始めた。
「三戦目が、王宮攻略戦ですね。そもそもなんであの場にイェナ先生がいたんですか?」
「追放刑の移送に着いてきてた人たち全員を殺して戻ってきたからよ?」
「な、なるほど。力に物を言わせていますね」
「ガーレイドちゃんを焚きつけた以上、内乱が起こるのは近いはずだったもの。もう王国内における立場は必要なかったのよね。そしたら内乱が起こる前に革命が起こったんだけど。この時すでにユルガンドと公国の精鋭は王都周辺に潜んでいたから、私と一緒に攻撃に参加した、という流れね」
「あの戦いも、僕たちは敗走しましたね」
「よくもまあ敗走まで漕ぎつけたものじゃない? 尊敬するわ。ベルガーリャに〝
「そうとも言えません。玉座の間に先生たちが現れたときに、慌ててカーテンの裏に隠れたツェーリは『イェナ先生がガーレイドに〝
「まあ、あのときの男性がツェーリだったのね。せっかくだし後で会いにいこうかしら」
僕は目を逸らしてため息を吐いた。
「……僕は、僕一人の力で勝つことは一度もできませんでした」
「話を聞くに、ツェーリという人間頼りね。ちょっと拍子抜けだわ」
「はい。だから僕が最後に頼んだのも彼でした」
イェナ先生の表情が途端に固くなった。
「え」
「はい」
目を見開いて、ぎこちなく指を震わせる。
「……貴方」
「〝
「う……嘘、だって貴方、言ったじゃない」
『僕がどれくらい成長してるかも、僕一人だけが先生を狙うだろうという計画も、まさか全て予測していたんですか?』
立ち上がって、懇願するように声を震わせる先生に冷たい目を向ける。
「僕の武器は『嘘』です。こればかりはずっと上手いんです。心にもないことを言うことは——臆病で仕方ない内面を隠して、大言壮語を叩くのは——僕の得意技だったんです。先生には気付かれていなかったようですね。いえ、僕が大噓つきである事実は理解していたはずです、けれど、目の前の僕がそうであると結びついていなかったんでしょう。それはきっと、勝ちを確信していたから。勝った気でいたから」
「最初、から? ずっと一緒に、行動していたの? この、この場面まで——私の口から本体の位置を聞き出すまで——全く貴方に手を貸すことも無く? 影のように着いていた? あ、ありえないわ、貴方を狙う銃口に気付いていても、それを忠告すらしなかったった、ですって? ま、まさか、そんな馬鹿な……」
「先生は勝利のためならなんだってする。けれど勝利を確信した後は脇が甘くなる。よくもまあこんなにも露骨な時間稼ぎに乗ってくれたものですね」
「ひ、きょう、よ」
「卑怯? そんな言葉を人間ぶった化け物が使うなよ」
僕は杖を先生に向けた。額にトンと着ける。
今この瞬間にも、ツェーリが先生の本体を相手にそうしているように。
「お父様、お母様、兄さん、革命軍のみんな、この国の民たち、そして——リリーの仇だ」
先生の頬を涙が伝った。不細工に唇を震わせている。
「あ、貴方は手を汚さない、つもり? まさかそんなことが、そんなことがまかり通る、とでも? ズルい、ズルい、わ。貴方ばっかり、貴方だって人を、利用、している、くせに」
「いいや、僕も一緒に地獄に落ちる。それを対価に忠誠を誓ってもらったんだ。公平は一方的に判断するものじゃあない。信頼を勝ち取る。そうして初めて人間はこうして他人とも力を合わせることが出来る。先生にはついぞ理解できなかったようですね」
「貸しが……貸しが、あるはずじゃない……!!」
「これで、僕たちの勝ちだ。この魔法の名前は——」
「い、いや、嫌ああああ!!!」
絶叫と共に視界を炎が覆う。燃える炎に肌を焼かれながら呟いた。
「さようなら、先生」
『——〝
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