第27話 第三王子ガーレイド
「あ、あれ?」
ガーレイドは真っ白な空間に佇んでいた。
「ガーレ……は……」
ぐすぐすと目元を拭って辺りを見渡す。
「ここは……?」
ガラス張りの天井から柔らかな陽光が降り注いでいる。光は花壇の花々を鮮やかに描き出していた。バラ、カサブランカ、スイレン、ラベンダー、デイジー……。
「ここ……」
ガーレイドは花壇の傍にしゃがみこんだ。ダンゴムシが歩いている。
「君は——」
「ガーレ?」
ガーレイドが顔を向ければ、クレースが歩いてきている。
「どうしたの? 温室に来るだなんて、珍しいね」
「あ……うん。この、これ」
「わっ、ダンゴムシだ!」
「あ……連れて帰って、来ちゃったんだ」
「わあ、いいね! 落ち葉を食べてくれるかな」
「うん……あ、あの、母さん?」
「ん、何?」
「……い、いや、なんでも、ないです」
「なにー? 何を畏まっちゃってんのさ、もう!」
クレースはガーレイドの頬をぐりぐりと指でつついた。
「い、いだい。いだいいだいってば、もう!」
「あっははごめんね」
ガーレイドはクレースの手を払って、ぷんぷんと頬を膨らせた。
「まったく、母さんったら。いつまでたっても子どもなんだから」
「わ、できた子供に説教されちゃった」
「こんなんじゃあボクが出て行った後が心配だよ」
「あらあら。別に同じ街に住んでいるんだから、いつだって会えるのに」
「母さんが王宮に来たら虐められちゃうでしょ!」
「それもそうか。じゃあ会いに来てよ」
「……い、忙しくなるから、難しい……から……!」
今度はクレースがぷくっと不満げに。
「じゃあ会いに行くしかないじゃん」
「そ、それは……」
ガーレイドの手元にはひとひらの花びらがある。
「あれ、それ、アジサイ?」
「あれ……うん。アジサイの花弁……に見えるね」
ガーレイドはアジサイの花壇に目をやった。日陰を好む花々と一緒にアジサイの姿もある。
「母さんは、アジサイが一番好きでしたよね」
「ん? そうだね」
「理由はきっと……」
「この髪の色と似てるから!」
「じゃあ、ないですよね」
クレースは驚いた様子でガーレイドを見た。陽が陰ってきている。
「どうして?」
「アジサイは雨の中で咲くから、好きなんでしょう?」
「すっごい正解! どうして分かったの?」
「母さんが、公国のスパイの分際で、子種を盗むに飽き足らず、人攫いと犠牲を強いた身の上で、それでなお自分を『雨に打たれた可哀想な存在』だとか思っていたのを知ったから」
しばらく、沈黙が支配した。それぞれの息遣いだけが聞こえる空間。
クレースは苦い顔をして花壇に目をやった。
「何も……言えはしないね」
「そんな……そんな人間が……報いも受けずに。満足に……死んだ、なんて——」
ガーレイドは肩を揺らす。
「そ、それが……ボクの母親だって、いう事実が……!!」
「……ごめんね、ガーレ」
「あ、謝って——謝るだけで済んでたまるか!!」
ガーレイドは叫んだ。息を切らして、涙を浮かべて吐きつけた。
「勝手に……勝手に死んで!! ボクに何も言わず……自分勝手に!!」
ぽつぽつと雨が降り始めた。クレースはただガーレイドのことを見つめている。
「それで……ボクに、どうしろって言うんだよ……!!」
たまらず食い掛る。
「ねえなんでもっと上手くできなかったの!? ボクに反国思想を植え付ければよかったのに! なんで愛国者に育てちゃってるの馬鹿なの!? そのせいでボクはこんなに苦しんでるんだよ!!」
「それは——」
「罪悪感!? 自分の子どもを道具として利用することに対しての罪悪感だとでも!?」
「——そう、だよ」
「今さら何を被害者ぶってるんだ加害者のクセに!! 母さんのせいでどれだけの人間が死んだと思ってるの!? この国の市民は何百人も死んだ! お父様だって死んだ! そのくせしてボクにだけは愛情のせいで非常になりきれなかっただって!? 適当な事を言うなこのダブスタ女!! 想像力の無い馬鹿だからそんな中途半端な事が出来るんだ!!」
クレースは寂しげに微笑んだ。
「そうだね。私は、馬鹿だったんだ」
「母さんが……母さんが、そんなんっだって、気付いて、いたら……!!」
雨の中に崩れ落ちる。
「ボクが……気付いてれば……!」
ガーレイドは遂に自分の口から出る言葉に膝を折った。彼の言葉は全て彼を傷つけていた。
だって、彼は母親のことを愛していたから。
「ねえ、ガーレ?」
クレースは許しを請うように、とても慎重に、声を震わせながら尋ねる。
「ご飯は食べてる?」
「……食べてない」
「そっか。お勉強の調子はどう?」
「して……ない」
「そうか、それくらいがいいよ。ガーレはちょっと頑張りすぎてたから」
——頑張って、いた。
「ボクは……母さんの、ために……」
「ごめんね。ガーレの前から、いなくなって」
「っ——」
ガーレイドの口からはもう恨み言が出なかった。ただ動悸に息を切らして頬を濡らすことしかできない。
「いくら謝ったって足りないと思う。でもね、もう私は、ガーレイドの傍にはいないんだ」
クレースも水たまりに膝を着いた。いつかの無色のアジサイと同じ様に。
「だからねガーレ。ガーレは、私以外の誰かのために生きなくっちゃ」
ガーレイドの頬に手を伸ばそうとして、ためらって。
「それか、自分のために生きたっていい」
雨に髪を濡らしながら、ただ優しく語り掛けた。
「私はあなたを信じているわ。だって貴方は——『
ガーレイドをゆっくりと抱き寄せたクレースは、彼の記憶の中と同様に細い身体で、しかし雨の中でも暖かった。
「か……母さん」
「ガーレ」
いつの間にかガーレイドの腕も、クレースの背中に回されている。
「大好きでした。母さん」
「うん。私も。大好きだよガーレ」
「さようなら」
**
目元を腫らした少年が一人。
「一位の精霊よ。クリムゾン、マホガニー、レッド・ヴェルヴェットの昼下がり。煙立つ街に夕日は赤く。象るのは循環。彩るのは黄昏。語るのは血脈の果て。この魔法の名前は——〝
凍り付いた階段を、一歩一歩踏みしめながら上って行った。
「〝
階段を上り切った先。玉座の大扉は開かれている。
玉座の間ではユルガンドと三人が戦い続けていた。三人はみな四肢のいずれかが機能しなくなっているというのに、ユルガンドは未だに無傷。吹雪の中、決着はもうすぐ。
「一位の精霊よ、八位の精霊よ。ガーベラ、ゼラニウム、グラジオラス。チューリップ、ハイビスカス、ローズ。赤霊が血の雨を降らし、白霊が逆境に花を咲かせる。法陣は転換し裏面に突き抜けた——」
ガーレイドは巨大な両刃剣の柄を強く握り直した。
「お兄様、力を貸してください」
瞬間、ベルガーリャの視界を緑の一閃が通り過ぎる。
——!?
ユルガンドの身体は彼女の杖ごと真っ二つに斬り飛ばされた。遅れて緑色の斬撃が弧を描き、ユルガンドの後方一帯に激しい斬撃痕を残す。
『ドッ——!!』
ユルガンドは咄嗟に無詠唱で魔法を発動した。
——〝
凍結停止した周辺世界の中で、しかしガーレイドだけは素早く動き続け、ユルガンドの視界を縦に両断した。
——なん、だと……!?
ユルガンドはガーレイドから距離を取った位置で再生した。
「え、なに、なに!?」
動けるようになったベルガーリャが何事かと目を回している。ユルガンドは口から血を吐きながら、ガーレイドのことを強く睨みつけた。
「なぜだ、ガーレイド」
桃色の髪に水色の瞳。髪にはボリュームがあってふわりと浮かんでいる。やや低い身長。一見すると可愛らしい男の子。
獣のように低く構えて、細く息を吐き、大剣を軽々と振るう、音を掠める神速の貴公子。
ガーレイド・フォン・ナイトラル・クレイア。
「この魔法の名前は——〝
瞬く間にユルガンドとの距離を詰めて、また一刀のうちに両断した。ユルガンドは次は玉座の前に復活するが、今度は右腕の再生が途中で止まっている。切断面から血が細く垂れ出して氷柱を形成している。
ベルガーリャは驚きの声を挙げた。
「攻撃が……効いてる!? てかあの人って……!!」
息を切らすアゼンズと、凍り付いた右腕を庇うキリエドールがそれぞれ回答した。
「あれは——あの宝剣は『魔法を捉えて斬る』ことができる。その特性でもって、人体を捨てて魔法の身体に乗り換えた、奴にダメージが通っておるのじゃろう」
「ガーレイド様。立場の上ではあちら側、かと思っていました、が?」
ユルガンドは次のガーレイドの攻撃も〝
「『逆境』に概念的に誘発して——それを跳ね返すに足る身体能力を得る魔法——なのか。まさかガーレイド貴様、ずっと洗脳下にありながら——」
ガーレイドは返事をせずにユルガンドを削っていった。ユルガンドは仮初めの氷杖で弾幕を構えるが——。
「させるわけ無いじゃん」
ベルガーリャにかき消される。また一撃。
「な、なぜだ、ガーレイド。こちら側につけば、いずれは公国すらも手に入ったのだぞ」
「ガーレは——」
遂にガーレイドは、腰を着いたユルガンドの首元に刃を突きつけた。
「ガーレは——『
ユルガンドは焦った様子で口早に訴える。
「待て。待つんだガーレイド。国王だぞ? そこのベルガーリャを殺せば、この国の王になれるのだ。それが分かっているのか? お前の母親の願いは——」
「——母さんの願いは、ガーレが一人でも生きていける力を着けることです」
ガーレイドは一刀のうちにユルガンドの魂を叩き切った。玉座の間、一帯に張っていた氷膜の中心に一筋大きな裂け目が刻まれる。
「ガーレイドは、一個の人間としてやり直すことにします」
「——馬鹿、ばかり————が————」
氷粒の負け惜しみは、天窓から差す朝日に散った。
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