四章 かくれんぼ決勝戦

第23話 二年後

 魚が跳ねたので覗きこんだ。御年十三歳となる僕のご尊顔が水面に映る。

 黒髪黒眼。玉のような肌に生まれつき長いまつ毛。鼻筋は通り、目元は大きく、まごうことなきイケメンである。シャツのボタンは緩く、覗いた胸元がセクシーだ。

 この二年で少し輪郭が細くなった。喉仏も若干姿を見せつつある。


「そろそろセクシーという言葉に身体が追いついてきた実感があるね」

「どこからその自信が出てくんだよ。色気を出すには若すぎるわ」


 ツッコミを入れたのが、いつの間にか隣に立っていた少女。背は僕より僅かに低い。

 大胆なショートの銀髪。僕と同じ黒の瞳。腕まくりしたブラウスにショートパンツで活発な印象。リリーのスタイルを踏襲するようなイメージだが——。


「うん。まだまだだね。リリーはもっと色のある艶を纏っていたよ」

「だから若すぎるって言ってるだろそりゃねえんだよ色気なんてよお!」


 ベルガーリャはため息を吐いた。


「ゼンがいないってみんなが慌ててるよ」

「いいじゃないか少しくらいまったりしたって」


 朝焼けに染まる泉のほとりにて、僕は手頃な切り株に腰かけていたのだった。


「気持ちは分かるけどさ」

「そう。人間だれしも休息が必要なんだ」

「ビビってんだよね。ゼンは昔からそうだもんね」

「ん? ビビってる? いやはやまさか。僕はそんなキャラじゃあないよ?」


 ベルは僕の隣に詰めて座ってきた。二人が座れる面積は無いのでぎゅうぎゅう。


「みんなの前ではね。私の前ではずっと昔からビビリのままじゃん」

「それもそうだね」


 僕らはこの二年間、割と結構頑張ってきた。亡命政権を樹立、成立させるのに連日連夜働き詰めだった。てんてこまいでいるうちに、あろうことか施政者として尊敬を集める立場になってしまっていたのだ。今では英雄だとか希望だとか言って祀り上げられている。


「この歳の男の子に任せていい仕事量じゃなかったよ」

「この期に及んで愚痴を吐かれましても、私の口から気の利いたことは言えないが。なんてったって私の方が頑張ってたからなあ!!」

「そうだねーおつかれさま、ベル」

「おつかれ、ゼン」


 二人で改めて二年分のため息を吐いた。


「心配かけたね、行くよ、ごめん」

「まだいいんじゃない?」


 ベルは僕の肩に頭を預けた。髪がくすぐったい。


「生きて帰れるかも分からないんだからさ」


 ベルの甘えん坊にはこの数年で拍車がかかったと思う。とはいえ旧知の人間に対してだけだが。僕相手が最も顕著で、それにはやはり血縁が明らかになった背景があるだろう。

 お互い、もう親もきょうだいもいない二人きりなのだから。

 血が繋がっている、それだけで気を許せて、安心することができるのだ。僕の血がベルの寄る辺になっているのならば光栄なことである。


「勝てるよ、僕たちなら」





**





 決して広くない地下室で最後のミーティング。四角い机を囲むメンバーは六人。

 リリーもキドヤもいないけれど。


「では王都を偵察してきた結果を報告する」


 僕は机の上の地図に手を置いた。王都の地図。兵舎や武器倉庫といった軍事施設が書かれているが——。


「結論から言って、一般兵は全くいない。兵舎はもぬけの殻だ」


「空ですって?」と疑問を挙げたのはツェーリ。「公国の新たな首都として整備されつつあるというのに?」


「ほっほほ」と笑ったのは白髭の老人。かつて家老として政治の頂点にいた者。名を——アゼンズ・フォン・イリズム。大賢者を排出したこともある、優秀な家系の魔法使いである。


「こちらの動きが筒抜けなんじゃろうな」


 ニアオはため息を吐いてぼやいた。「あのイェナ相手がですからね」

 彼女は作戦部副長まで昇進している。秘書然として手元の資料をめくる。


「となると、王都制定の任が交代するため魔法使いが出払っているというのは偽情報だったのでしょうか」

「いやそれが、魔法使いすらも今は手薄だ。王都の敵は本当に、数えるほどしかいない」


 僕はコマを軍事施設に置いていった。それぞれ一人二人の魔法使いしかいない。

 ベルは僕の隣で眉をひそめた。


「こ、これって——」


 最後に残った二つの大きなコマ。一つを王宮に置き、もう一つは枠外に置く。前者は女王を退いてこちらに常駐するようになったユルガンド。もう一人は——盤面のどこかには必ず潜んでいる、イェナ先生だ。


「——ああ。悪い報せ、だね」


「それは、どうして?」特に幹部ではないのだが平然と参加しているキリエドールは首を傾げた。「敵が少ないのは、いいことじゃあ、ありませんの?」


「いいやキリエ、敵が多すぎても少なすぎてもいけなかったんだ。今回は少なすぎる」

「多すぎて、困るのは分かり、ますけれど」

「公国の人間が少なすぎるってことはね、イェナとユルガンドが自由に攻撃し放題ってことなんだ。きっと彼らは王都の市民も平気で殺すだろう。あくまで公国の人間にとって市民は都市運営のコマでしかないんだ。それは二年前のあの日に平然と市民を殺したことからも分かるね」

「そして殺されてしまって損をするのは私たち。この状況は、市民を人質に取られているようなもの……ってところかな」


 ベルが分かりやすくまとめてくれた。その通り。今が攻撃の好機なのは間違いないが、それはそれとして彼らに面攻撃の言い訳を与えてしまうと、たとえ王都の解放が叶ったとて、その街には誰もいなくなっている。

 特に問題はイェナ先生だ。あの人が最も強いのは単独でいる時である。


「なるほど理解が、及びました。感謝いたします、お姉さま」


 ニアオがピクリと眉を動かし、やや大きな声を上げた。


「ベルガーリャ姉さん? そろそろこの小娘を抓みだした方がよろしいのではないですか?」

「えっ。ええ……」


 ベルから視線を貰う。「どうにかしろよ」の目線だ。まあ待てと手を立てる。

 ニアオがニコリと睨むのに、キリエも微笑みで返した。


「おかしな話ですね。貴方にとっては、ベルガーリャお姉さまは年下なんだから、お姉さんだなんて呼ぶのは、滑稽です」

「ゼネリオ様と一緒になるならば、そう呼ぶのが当然の礼儀ですが」

「はい、だから私はそうお呼び、しています。でも貴方は、ふふ、おかしい話になってしまう、のです。だってほら、年増ですもの、ね」


 二人はほとんど同時に杖を抜いた。


「いやはや、モテてる実感があってなんだかホッとするね。最近自信が無くなってきていたところだったからなんだか安心するよ」

「いや早く止めろよ。というか私まだゼン以外の誰のお姉ちゃんでもねえよ」


 キリエには外に出てもらうことにした。一応どちらもちゃんと結婚を約束してはいるし上も下もないよう気を遣っているのだが、それでも二人はなんだか仲が悪い。

 ニアオはコホンと咳をする。


「失礼しました皆様方」

「構わん構わん。わしは元気な若者を見ておると楽しいのじゃ。わしはもう若くないからのう。はー、隠居したい」

「アゼンズさんの引退は十年は先です。まだお仕事してもらわないと」

「はー! 世知辛いわー! こんな歳になって祖国存亡の危機だなんて人生分からんわー!」

「元気だね」

「元気ですよね」


 ベルとツェーリが囁き合っている。ニアオが伊達メガネをくいと上げた。


「となると急がなければなりませんね。我々の動きがバレているならば、アールドベリーが空になっていると推測されてもおかしくありません。そして実際のところ総攻撃を受けたなら三日と持たないでしょう」

「だからそう、決行は明日の明朝にしよう」


 それぞれシンと静まって頷いた。


「イェナ先生が全力を出せる状況で人数を投入しても無意味だ。連れてきた兵士三百人は攻略には使わない。とはいえ牽制のため上手く王都の周りに配置しよう」


 深く息を吸って、それぞれの顔を見やった。


「じゃあ、改めて作戦を確認していくよ」





**





 作戦の始まりは日の出とともに。部隊は二つに分ける。

 一つは正面から姿を見せて王宮を目指す魔法使いたち。精鋭十人だ。彼らで王宮を制圧してほしいがユルガンドの殺害が非常に困難である以上、時間を稼ぐだけで十分ということになっている。

 もう一つは王都に裏から入る部隊。本隊がユルガンドを釘付けにしている間にイェナ先生の場所を明らかにし、その首を獲る。


「……」


 僕は北側から王宮を遠く見上げた。右手にはナイフ、左手には杖を携えて。


「二年ぶりか」


 まさかあそこが僕の居場所じゃ無くなるだなんて思ってはいなかった。


「イェナ先生」


 リリー、キドヤ……もっともっと、たくさん。先生は殺してきた。


「それでも先生だし、師匠……らしいからね」


 前方に現れた魔法陣をすり抜けていけば、身体に魔法がかかる。自分の存在を世界から消す、僕が辿り着いた魔法の粋。


「じゃあ行こうか。〝かくれんぼの時間だハイド・レイン・ジア〟」


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