第21話 あなたたちの希望として

      ~~革命まであと百五日~~


 イェナはその名前をただ偶然に聞いた。


「おっザーグ! 今日も相変わらずだね!」

「おいそりゃどういう意味だよベルガーリャ」

「あっはは!」


 ——なんですって?


 滅多に城下町に降りてこないイェナが、奇跡的な幸運でもって耳にした名前だった。

 イェナはすぐにベルガーリャと呼ばれた少女を捕まえた。往来で人目も気にせず肩を掴む。


「お、お貴族様が一体私なんかに何の用ですか。道案内くらいしかできませんけど……」

「いえごめんなさい。え、え? ちょっと待って? いや、え?」


 ベルガーリャの髪は銀色だった。金でも黒でもない。


「違う……偶然? いや、そんな訳ない。背丈はこれくらいでもおかしくはないし」

「髪がどうしたんですか?」


 ベルガーリャは警戒した様子で自分の頭髪に触れた。


「あなた、名前はベルガーリャなのよね」

「それが何か?」


 イェナの内に湧き上がったのは愉快さと滑稽さ。思わず身体をくねらせる。


「う、うふふ、うふふふふ!!? うわ、うわ! うそでしょ!? イリヤちゃんったらこの子にそんな名前を付けたの!? まあまあまあそれはなんてこと、相当入れ込んでいたのね。でも馬鹿じゃあないの!!? こうして私に見つかってるじゃない!! しかもこの街——」


「——イリヤ?」


 ベルガーリャはイェナの挙げた名前を復唱した。続けて尋ねる。


「どうしてお母さんの名前を知ってるんですか」


 イェナは抱腹絶倒に息を切らしつつ答えた。


「ふ、ふふ! あははは! お母さんですって!? ふふふふふ、こんなに面白いこと滅多にないわ。教えてあげる、教えてあげる! それはね? 私があなたの叔母さんだから!」





 イェナに呼び出されたクレースはぷんぷんと怒り顔だった。


「なんなんですかいきなり呼び出して。しかも王宮でって。嫌がらせですか? 今日はガーレイドも忙しくて会えないらしいし、まったくもう、来損きぞんですよ」


「ふふふ、まあそう怒らないで。座って」


 イェナは応接室の向かいにクレースを座らせた。クレースはイェナの隣に座った少女を見て、目を細める。


「で、そちらの子は一体? 私に関係があるということは本国関連ですか?」

「ほら自己紹介して」


 イェナが促せば、少女は緊張に背筋を伸ばして自己紹介をした。


「ベルガーリャです」

「————え?」


 クレースは言葉を失った。その間にもイェナは掌の上に二つの〝身体走査ステータス〟のビジョンを浮かべている。それぞれが自分と少女のものであることをクレースに示しつつ、二つのビジョンを重ねて混ぜ合わせる。新たに浮かび上がった文字は、二人が三親等以内の関係者であると主張していた。


「ッ——」

「ね、お分かりいただけたかしら。ちなみにお母さんの名前は?」

「イリヤだって聞いてます」


 瞬間、クレースは自分の口元を押さえた。すぐに大粒の涙がぼろぼろと溢れ出す。


「イ……リヤ……!」

「えっ、え?」

「そう……あなたは、生きていたのですね……!」


 困惑するベルガーリャの背中にイェナが手を置いた。


「ありがとうベルガーリャ。もういいわよ。外のお庭ででも遊んでいて?」

「えっ? ああ、はい……?」


 ベルガーリャはクレースに不審な目を向けながら、しかし指示された方へと出て行った。


「さ、て」


 感情の波に飲み込まれているクレースに、イェナは構わず本題を告げる。


「見つけちゃったのよね、私。殺すことが推奨されているあの子を」


 クレースの息が止まった。赤い目で涙も止まらないまま、顔を上げる。


「な、るほど。そういうことですか。理解しました。だから——」

「——そう。これで貸し一つ、返したことにしてもらえないかしら」


 イェナは両手を合わせて頼み込んだ。


「あの子は見逃すから」


 クレースは息を整えつつ、不承不承といった様子でため息を吐く。チラリと目を細めながら。


「はあ。構いませんよ。これでイェナさんの私からの借りは二つですね」

「うっ……まだいっぱいあるわね」


 しょぼんと肩を落とすイェナ。クレースは改めてイェナのことを不気味に思った。


 ——女王陛下の指示を完遂することよりも貸し借りの関係性の方が大事なんですよね。


 イェナのこの特性を見抜いていたのはクレースだけだった。他の誰も、まさかイェナに貸しを作れるだなんて発想には至っていなかったのである。自分の命を軽く見ているクレースにしか——イェナに取引を持ち掛けようだなんて命知らずな発想を実行した者にしか——発見できなかった性格。


 気付いてしまえばイェナを乗りこなすのは簡単なことだ。イェナは他人への不理解から常々トラブルを引き起こしている。それは実際のところ王宮内でのイェナの立ち回りのしづらさに繋がっていた。これを一つ一つ解決していけば、そのたびに一つずつ貸しを付けることができる。クレースはコツコツと問題を解決し続け、イェナを借金漬けにしていた。


「とはいえ、もう一つ分くらいは帳簿から消しておきましょう。人の命に関わる話ですから」

「本当に!? クレースったら、本当に優しいのね!」

「いや、なんならもう一つ消したっていいですが」

「いいや、そんなには貰えないわ!」


 もちろんクレースの感覚で言えば、イリヤの忘れ形見であるベルガーリャを見逃してもらえるだなんて話、貸しだろうが金だろうが持てるもの全てを払っても釣り合うものではない。しかしイェナはこの取引内容で十分にご機嫌である。


「私なんてこんなに力があるんだから、あんまり甘やかさなくていいのよ。もっとシビアな取引をした方がいいんじゃあない? それくらいが公正な取引だと思うわ?」

「いいえ。私たちはそれ以前に友人ですし。構いませんよ」


 クレースはイェナがイリヤの仇であることを知っていたが、それでもあまりイェナを恨む気にはならなかった。半分くらいは本音のところで友人だと思っていたのだ。


 ——この人は良くも悪くも純粋で、そして人との約束に非常に公平だから。


 イリヤを殺したのは契約上の上司である女王陛下からそういう命令を受けたからだ。ではベルガーリャはというと、「子供を殺すのは約束できない」「では努力義務とする」というやり取りが過去にある。だから今、イェナは誰も裏切ってはいない。彼女はたまに王宮の人間にこっぴどい仕打ちを喰らわせることがあるが、それも相手方が先に約束を破った時に限る。


 クレースはイェナの一貫した姿勢に好感を持っていた。自分の魔法の腕前が公正な取引に影響しかねないと自覚があるのも好きだった。


 クレースが思うに、イェナはイェナなりに人間として生きようとしている。説明不足だし、想像力が無いし、ナチュラルに全ての人間を見下している……問題点は確かに多くあるものの、真っ直ぐに向き合ってみれば想像よりも恐ろしい人物ではないのである。


 ——一度人の道を外れた私よりも、よっぽど人間らしい。


「ありがとうイェナ、良い友人を持ちました」

「私こそ。私なんかの友人をやってくれていて、嬉しいわ」





 クレースはベルガーリャを展望台で見つけた。手すりに腰掛けて一人。誰かを見下ろしている様子。


「お隣いいかしら」

「あ、さっきの人」


 クレースが肘かけてみれば、眼科に広がる遺跡の庭で、ニアオに引きずられていくゼネリオを見つけることができた。


「ゼネリオくんか。相変わらずですね」

「第二王子のことを知ってるの?」

「知っていますよ。あなたはゼネリオくんと何か話をしたんですか?」

「うん。魔法を教えてくれるって」

「あらどうやって?」


 ベルガーリャはあっと口を抑えた。恐る恐るクレースに振り返る。


「言っちゃだめだと思うから言わない」


 クレースはくすくすと笑った。


「あらあら、それは残念です」


 ——通信教育とかなのかな。あるいはこの子を王宮に招くつもりなのか……。


 二人、涼しい風に吹かれつつ、白雲立ち上る青空を眺めた。


「ベルガーリャさん。あなたには王宮で暮らす権利があります」

「王宮での生活……か」

「今の生活が幸せですか?」

「ほどほど」

「それはいいことですね」

「あなた……あの」


 ベルガーリャは手すりから飛び降りてかしこまった。


「あなたは私の何なんですか?」


 クレースはいたずらっぽく笑う。


「お母さんだと思います?」

「となるとお父さんは金髪なのかな」

「あなたは本来は金髪なんですか?」


 ベルガーリャは自分の銀髪に指を通した。


「そう。ずっと色を抜いてる。お母さんがそうした方がいいって言ってたんだって」


「ふふ。一応そういう措置はしてたのに、名前はベルガーリャなんですね。まったく詰めが甘いというか、なんというか。まさかイリヤもイェナに名前を聞きつけられるとまでは思わなかったのかな」


「あの、私の名前……叔母さんにも驚かれました。何か由来があるんですか?」

「由来と言うならそれは私ですね。私の名前は——ベルガーリャ。私もあなたもベルガーリャ」


 ベルガーリャの驚く顔を見てクレースは微笑んだ。


「あなたはお母さんと友だちだった、とかでしょうか」

「お友だち……はい、それは当然、友人でしたよ。ふふ。友人どころではありません。実は私たちはですね、一蓮托生の運命共同体だったんです。だった……んですけどね……」


 涙ぐんだクレース。ベルガーリャはあわてて様子を窺った。


「だ、大丈夫ですか」

「ああ、すみません」


 クレースは涙をためつつも楽しげな様子でベルガーリャの頬を撫でた。


「ベルガーリャ、よくぞ生きていてくれましたね」

「いえ……はい……?」





「都合のいいことを言うならば」


 日を改めて。今度はクレースから密会を提案した。郊外の豪邸にて。温室の花に囲まれる円卓。


「ベルガーリャには生きていてほしいし、でもガーレイドにも幸せになってほしいです」


 イェナは紅茶のカップを丁寧に置いてから、一つゆっくりと頷いた。


「欲張りね」

「優劣はつけられません」

「それはそうね。でも——」

「はい、ベルガーリャが何かの拍子にでも見つかってしまうと、ガーレイドの王位継承は一つ遠のきます」

「ベルガーリャの継承順位は二位……」


「ですので今のうちにあの作戦を始めてしまおうかと思っています。想定よりやや早いですが……ガーレイドならきっと大丈夫でしょう」


 イェナは肩を落とした。


「寂しくなるわね」

「それで、せっかく二つも貸しがありますから、イェナさんにお願いを遺そうかと」

「まあ! あなたの頼みだもの、何でも聞くわよ?」


「では一つ。ベルガーリャを国盗りの陰謀には絶対に巻き込まないでください」

「巻き込ませる方が難しいわ」


「次に一つ。ガーレイドを絶対にこの国の王にしてください」

「それは当然、安心して」


 二つ返事で請け合うイェナに、クレースは微笑ましい目を向けた。


「ありがとうイェナ。あなたが私の希望です」

「……希望?」


 イェナはぱちくりと瞬きをくり返す。


「どうかしましたか?」

「そんな風に言われたのは初めてで。嬉しくって——」


 イェナは不意に立ち上がった。クレースが何事かと見れば、藪から棒にこんなことを言う。


「私、〝希望〟の大賢者になるわ」

「え」

「私、名実ともにあなたの希望になってあげたくなっちゃったの。だから〝希望〟の大賢者を倒してきてあげる」


 大賢者が世界に八人しかいないのは冠名タイトル奪取制だからだ。大賢者との決闘に勝利する以外に大賢者になる方法はない。〝望遠〟〝革新〟〝希望〟〝無垢〟……いずれの大賢者ホルダーも単独で国家を相手取れるほどの魔法使いである。


「え、ええー? そんな簡単に取れるものじゃないんじゃないですか?」


 イェナは口元を隠してまあまあと驚いている。


「まさか。私にできないわけがないわよ。ああ、ふふ。今から楽しみだわ。そうね大賢者……大賢者になるんだものね。〝希望〟の大賢者に! 冠名を奪るなら帝国に行かなきゃあ、早速旅行の準備をしてくるわ!」


 慌ただしい様子でイェナは帰り支度をした。


「クレースちゃん! 大船に乗ったつもりで待っていて! 私、あなたの〝希望〟になってくるわ!」


 クレースが呆気にとられているうちにイェナはその場を後にしてしまった。


「……まったく。どこにツボがあるんだか分かりませんね」


 クレースは空になった向かいの席を見つめた。


『あんな女が私たちの最後の希望なんですか?』

「……ええ、信頼は置けますよ」

『まったく。相変わらずセンスが悪いですね』

「はは、そんな風に思ってたんですか?」

『はい。本国にいた頃も、こちらに来てからも、頼る相手にセンスがないです』

「でも私は、あなたを選んだことを後悔していません」


 イリヤはむっと眉をひそめた。


「いい迷惑です。あなたに着いてきたせいで私は死んだんですよ?」


 クレースは涙を拭いながら口角を上げる。


「あはは……返す言葉がありません」

「そういうところ。そういうところも嫌いでした。言い返してほしいんですよ私は。皮肉をまともに受け取られちゃあ埒があきません」

「それもよく言われましたね」

「はい。もっと自信を持ってください。顔を上げて前を向いてください」

「……」


 目を落としたクレース。


「ちょ、ちょっと。言ったそばから落ち込まないでくださいよ」

「そう……ですね、けど……」


 ぽたぽたと。


「私、は……あなたに……」

「あなたに? なんですか? 私に何かしたんですか」

「はい。私はあなたを——」

「お言葉ですが」


 ぴしゃりと、不満気に。


「私があなたに何かを命令をされたことなどありませんよ。あなたはいつもお願いするばかりでしたからね」

「イリヤ……」

「ですからクレースには何の責任もありません。もし私を死なせた責任から自分も死ぬ必要があるだなんて考えているなら、それはとんだお門違いです。私はあなたを生かすために死んだんですから」


 クレースはイリヤの指を一つ取った。


「私は十年も生きたんですよ。あなたの死を糧にして」

「自分の死で家を存続させようとしていたあなたから出てくる言葉だとは思えませんね」

「お願いしますイリヤ。私はもう十分頑張りました」

「駄目です。まだこちらに来るには早いですよ」

「私は——」


 クレースは大きく息を吸った。


「私はっ! あなたのことが好きでしたっ!」

「…………はい?」


 喉を振り絞りながら、震える言葉を紡ぐ。


「け、けれど私は、ついぞあなたにそれを、言えませんでした! だから——お願い、します。次は直接、聞いてください」

「……呆れた。もうあなたのことなんて知りません」


 イリヤの指はクレースの手をすり抜けていった。


「さ、最後に一つ確認させてください」

「なんですか?」

「私たちは、対等な友人でしたよね」


 これを受けて、イリヤ意地悪くほくそ笑んだ。


「さあ。直接聞いてください」

「はい……はい。そうします。待っていてくださいね、イリヤ」


 温室入り口の陰に背中を付けていたイェナは、クレースに見せていた幻影を解いて、遂に邸宅を出ていった。

 イェナただ一人だけが、二人の地獄の果てを見届けた。


「報いないとね。あなたたちの地獄に」

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