第17話 VS〝希望〟の大賢者(急)

 怒号と憤怒の満ちる王宮正門付近。投げられる石や火の手が夜空を照らす中で。鎮圧に現れた貴族だって人壁ですり潰せるほどの熱狂の渦に。


 ちらりと、雪が降った。


「雪? この都市で雪が降ることなんて……」


 監視塔から事態の経過を見下ろしていたキドヤは空を睨んだ。上限の月が雲を散らし輝いている。


「晴れてきてるってのにか?」


 キドヤは目を閉じてみた。伸ばした手にはまだ雪が降りつつある。


「目を閉じてもそこにある。なら幻覚じゃない」


 スコープを取り出したキドヤが覗き見るのは、正門を包囲する民衆よりも更に遠い場所。王宮の包囲を、更に外から俯瞰するような位置。

 人の履けた大通りに一人の老婆が立っていた。荷物も持たず、背丈ほどもある大杖を片手に、空に向かってなんらか口を動かしている。


「なんだ? 増援? いや、小僧から聞いた話じゃあ、雪や氷の魔法はもっぱら公国貴族の技術だと——」

「——キドヤさん、キドヤさん!!」


 男が一人、慌てた様子で監視塔に駆け上がってきた。男は膝に手をついて息を切らしている。


「じ、自分は、王宮の裏に張っていた班の人間です」

「なんだ、なにがあった」


 男は恐怖に歯を鳴らしながら報告した。


「み、みんな、仲間たちも、捕らえた貴族も、集まった民衆も、みんな殺されました」

「は? 誰に」


「対話も何もなく、撃ってきました。整列して、合図に合わせて、女も子供もなく殺されました。散発的にやって来る憲兵の増援じゃない。軍隊です。何百人、いや、それ以上の規模の軍隊が、王宮の北側を包囲していますっ!」


「第三勢力だと? いや、そうだとしてもこっち側はがら空きだ。そりゃ包囲とは言わな——」


 ——いや。


 キドヤはもう一度、先の女にスコープを向けた。ただ一人。たった一人の老人。


「ってえことは、南側の包囲に値するのが——!」


 瞬間、空気を割いた氷の矢がスコープごとキドヤの左目を貫いた。


「ッ——!!?」

「キドヤさん!!?」


 男はキドヤに駆け寄ろうとしたが、次の瞬間には宙に浮いていた。レンガ造りの監視塔。その中腹が無数の氷の矢によって破壊されたからだ。彼は落下中にそれを見た。王宮の南側一体に襲いかかる氷柱の弾幕を。





 それは殺戮のむしろだった。石造りの壁すら破壊する氷の矢に当たったなら、人間は思考の余地なく弾け飛ぶ。一分間放たれ続けた氷の矢は、あらゆる人間を殺し、直接殺さずともなんらかの下敷きに——。


 魔法の主——公国の女王ユルガンド——は王錫を地面について、崩れ落ちた城壁から覗く王宮を、遠く見やった。


「ウォルモンド。お前が生きていたならば、これすらも防げたろうにな」





 降り来る無数の瓦礫をぼんやりと眺めながら、妙に緩慢に過ぎる時間の中で、キドヤが考えていたのは後悔でもなく辞世の句でもなく、公国の策略についてだった。


 ——どこからだ?


 公国が今攻めてきたという事実。革命軍が王宮を追い詰めたこのタイミングで、なにもかも掻っ攫うようなタイミング。


 ——俺達の感情は、どこから奴らの計画のうちだった?


 革命軍にはいくつもの意義があったが、貧民街の面々の心に強く焼き付いていたのは、やはり、十年前の「目に見えない火事」だった。イェナとの戦いを経て、貧民街の者たちには確信が生まれていた——あの火事は間違いなくイェナの手によるものである。イェナが王宮に所属するならば、この怒りは王宮に向けたので違いなかった。

 イェナが王宮の指示で動いていた、ならば。


 ——いつから裏切ってた。いつから——。


 イェナの行動の全てが王国の内乱を誘発するための布石だったとするならば。


 ——十年前から。


 キドヤは馬鹿馬鹿しさに笑った。


 ——あーあ。俺たちってなんだったんだろうな。


 視界が色付き加速していく。最期の数秒。


 ——希望はある。あの二人さえいれば。


「小僧!! 後は頼——」





**





 イェナは倒れ込んだガーレイドを見下ろして、あらと首を傾げた。イェナの精神操作を受けて気を失ったガーレイド。彼は為すすべなくイェナの魔法を受けた。


「私が攻撃したのに〝永劫無限の血印パーペチュアル・チェック〟が発現しなかった……」


 〝永劫無限の血印パーペチュアル・チェック〟の主な効果は未来予知と魔力供給である。宿主が危険に見舞われる場合、事前に顕現して警告を行いつつ、予見される攻撃を防御するのに十分な魔力を用意する。ガーレイドが洗脳に対する防御手段を持っていなかったとしても、王冠自体は顕現するのが起こるべき事象だった。


「継承にはラグがあるってことかしら? それとも——〝透視界サーチライト〟」


 イェナの宣言と共に、青い魔力の光が周囲一帯に放たれた。物理的な反応を感知する走査の魔法。反応は二人、イェナから見て左手のカーテンの裏。


 ——二人!! 私たちがここに来る前からずっと潜んでいた!!?


 イェナが気付いたのとほとんど同時にその辺りの外壁が爆破して、人間二人の反応は下階まで落ちて行った。

 カーテンを引き落として横穴の傍から見下ろせば、下の屋根に落ちているのは男性と少女。男性が少女を抱きかかえる形で更に飛び降りて行く。


「ま、まさか、いえ、なんで?」


 イェナは混乱して頭を抱えた。ちらりと見えた少女の姿を知っていたからだ。


「どうしてベルガーリャがここに?」





「んんん、んんんんん!!」

「我慢して、堪えるんだベルさん。ここは堪えなければならない!」


 三階の屋根部分まで降り立ったツェーリはベルを開放した。


「わ、私、私……!!」


 泣きじゃくるベルを慰めつつ、しかし手を引いて急ぐ。


「いいですかベルさん。いえ、ベル様。今の貴方にはまだ魔法が使えない。だからここは逃げなければならないのです」


 溢れる情報量にツェーリ自身、自分の認識が正しいのかの自信は持てていない。しかしただ必死に急いで、ただただ急いで走っていく。

 全ては偶然だった。しかし一縷の望みはツェーリの腕のうちに。


「唯一の希望なのですベル様。もはや貴方以外にこの国を救える人間はいない……!!」





**





 ニアオと合流した僕は、捕らえるべき人間は国王夫妻を除いて全員捕縛したのだと聞いた。想定以上にスムーズな流れだった。ベルとツェーリは夫妻の捜索がてらわ努力目標だった機密情報を押さえるため、玉座へ向かったという。僕はこちらに合流しようと急いでいた。

 そして、五階の玉座の間へと続く階段を走っていたとき。小窓が割れるのと同時に、王宮正面を襲う吹雪と氷の槍を目撃したのだった。


「——こんな魔法が使える人間はユルガンドしかいない」


 王宮正面側から襲い来る殺意の嵐。王宮の人間も庶民も無く皆殺しにされていく風景。

 とはいえショックを受けている場合ではない。というかそういうのが麻痺しておかしくないくらいに簡単に人が死んでいっていた。


「負けだ。負けだ——けど!!」


 僕は来た道を戻ることにした。目指すのは王宮の地下遺跡。


 いつかの兄さんとのやりとりを思い出す。兄さんは、僕がガーレイドと対話の席を設けてほしいと提案したとき、唐突に公国の話を始めた。


『それにガーレイドの件と何の関係が?』

『そんなことも分からないのゼネリオちゃん。今の私の話を聞いてそれが分からない?』


 このセリフは、兄さんの想定していた「内乱を主導する人間」がガーレイドであることを示している。


『私にとってガーレイドは『目下気にする問題ではない』。加えて『取り組むだけ無駄』。だから、『つまらないし、大事でもない』』


 兄さんにとってガーレイドの問題に取り組むのは無駄な事だった。それは何故か。何をやっても——「講和」に押したとしても、向こう側から「対立」に押し返して来る存在がいた——からではないのだろうか。そして兄さんではその何者かに勝てなかった。


「はっ——!」


 中庭に面した通路から三階分飛び降りる。着地の瞬間に膝を折って衝撃は背中全体で受けた。月が出て地上が見えているだなんて、あの夜に比べれば随分簡単な条件だ。

 中庭中央の一枚岩に手を付けば生体認証の術式が浮かび上がり、自ずから地面が動いて地下への階段が現れる。急いで駆け下りていく。


 兄さんはガーレイド毒殺事件を追う中でその可能性に気付いたのだろう。とはいえ可能性に過ぎなかったため明言できなかった。しかしその可能性は遂に結実した。

 毒殺を指示することで——王子間の対立を明確にさせることで得をするのは誰か。この国の誰も得をしない。得をするのは隣の国だ。ガーレイドを焚きつけて得をするのは誰だ? 公国だ。王国の分裂が公国の作戦だったとするならば全ての辻褄が合う。

 思えば、お母様から売女の二文字を引き出したのだって彼女だった。なるほど兄さんはこんな気持ちだったわけだ。イェナ先生が敵対しているのなら、端から勝てる見込みがない。


「先生は絶対にお母様の死に目を直接見に来る。となれば先生はこの王宮内にいるから、前門のユルガンドに後門のイェナ先生だ。だから今この場で勝つのは天地がひっくり返っても不可能」


 真っ暗で縦横無尽の地下網。岩壁剥き出しの通路を迷い無く駆け抜けて辿り着いたのは巨大なビジョンの浮かび上がる大部屋である。壁一体に青い光を放つ文様が刻まれていて、幻想的な気配のする石室。これこそが王宮の防衛機構〝看破透視の合わせ鏡ステータス・AT〟。少し操作してイェナのステータスを控えたらすぐに空間を出る。


「ただでは負けてやらないよ、先生」


 その魔法の詠唱も魔法陣の組み方も習ってはいなかった。しかし知っていた。彼の十八番だったから。


「三位の精霊よ。暗波に兆す灯台よ、切っ先よ、黄昏を語る琥珀よ。金糸で縫われた秋の葉は雪下で脈を打ち続ける。この魔法の名前は——〝発破ボム〟!」


 天井に魔法陣を作って〝看破透視の合わせ鏡ステータス・AT〟を埋めてしまう。爆風が吹いて僕の髪を浮かばせた。生き埋めになるかは賭けだったが、通路自体は潰れず持ってくれた。


「あとは……撤退の指示……!」


 続けて目指すのは二階のバルコニーだ。王宮正面の広場を——かつての処刑場を見下ろすあのバルコニーへ。息を切らしながら駆ける。


 公国の襲撃のタイミングが良すぎたのはなぜか? これは革命の機運を察知されていたのが原因だろう。市民を動かすために啓蒙活動などにも手を付けたのがアダになったか。


 ——いや。


「あるいは想定内なのか」


 十年前に貧民街を襲った〝燃え移る幻覚〟。そんなものを起こせるのはイェナ先生だけなのだが、当時イェナ先生はあまり疑われなかったという。というのも、動機が無かったからだ。しかし公国の指示で火をつけていたのだとしたら。


 ——メインプランがガーレイド主軸の内乱、サブプランが革命のタダ乗りね! 徹底してる!


 割れたガラス窓を勢いよく開いてバルコニーに飛び出した。広場を見下ろす。死屍累々の死体の山の上で狂乱の殺し合いが行われていてもおかしくない……と思ったのだが。

 月光の照らす、遺跡の柱も倒れてボロボロになった広場。戦場のように無数のけが人が転がるそのど真ん中を。彼女は闊歩していた。


「治療が欲しい人は、言ってください、ね〜」


 倒れた人々の間を縫って歩いていく少女を見て、貴族も市民も争う手を止めていた。みな、彼女の献身的な——献身的かどうかは分からないが、そののほほんとした無垢な姿に熱を奪われていたのである。

 手すりに乗り出して三メートル下の彼女に声をかけた。


「キリエ!!?」


 キリエドール・フォン・グリフィンはパッと顔を上げて控え目に手を振った。


「ま、ゼネリオ様。はい、貴方様のキリエドールですよ」


 キリエは何のしがらみも陰謀も知らない身でもって、貴族市民問わず無差別に治療魔法をかけて回っていた。よく見れば周囲には肩を貸し合っている貴族と市民の姿すらある。それはきっと、キリエドールの姿を見て熱狂から一つ降り、第三の敵が襲ってきていると冷静に分析できたからなのかもしれない。


 キラキラと立ち上る白雲は、たった一人で、この騒乱の場を鎮めていたのだ。


 ——これだけ落ち着いていれば声が通る……!


「ありがとうキリエ!! 大好きだよ!!」

「ま、ま!?」


 僕は息を吸って、ひしめく人間たちに向け大声を張り上げた。


「聞いてくれ!! 僕は第二王子ゼネリオ!!」


 百人、千人、それ以上。みなが一斉に僕の方を見上げた。彼らはみな、誰かの指示を待っている。期待されている。

 ごくりと喉を鳴らす。間違えられない。僕がやらなければ。彼らを導ける人間は、今、僕しかいない。僕が間違えれば全ては終わる。


「いいか!! 僕たちは敗北した!! 全ては公国の罠だった!!」


 民衆がざわつく前に畳みかける。


「だが我々はまだ負けていない!! だから我々は亡命する!! みんな、東を目指せ!! 東の——アールドベリーを目指すんだ!!」


 アールドベリー。それはかつて——。


「ゼネリオ様どいてくださいっ!!」

「えっなに!!?」


 僕の頭上から声が降ってきた。慌てて避ければツェーリとベルである。


「うえっ!? どうして上からっ——」


 ベルは僕の顔を見た途端、胸に抱き着いてきた。息遣いが泣いている。


「うぅ……ゼンんん……!!」

「えっ、ツェーリ、これは何が——」

「話すと長くなります」


 ツェーリは僕の代わりに前に立って声を挙げた。


「ゼネリオ様の言う通りアールドベリーを目指すんだ!! かつての私の領地がお前たちを迎え入れる!! そして——ここで逃げたとて私たちはいつか必ず勝てる!! なぜなら〝王冠〟は私たちの手の内にあるからだ!!」


 ——え?


「わ、私、私——」

「ベル、大丈夫かい? 何があったのか教えて——」


 ベルは涙を拭って、僕の腕を強く握った。


「私はまだ魔法が使えないから、ゼンに代わりにやって……ほしくって……!!」

「いや何の話だか全く——」


 瞬間、視界が一変した。かつて見たあの光景。溶岩の吹きだす地面に、星を降らす赤い雲。地平線まで炎で埋め尽くされた地獄絵図の中で。

 ベルの頭上に、金糸の王冠が織り上げられた。


 ——〝永劫無限の血印パーペチュアル・チェック〟!!?


「わ、私、ごめんなさい私、私の叔母さんがイェナだなんて知らなかったの。ねえゼン。どんな魔法を使えばいいの? お願い教えて!」


 なるほどつまり僕とベルは——。


「ゼン! だから私は——」

「よし分かった! 任せてベル!」


 ベルの後ろから手を伸ばす形で、右手首を掴んで宙に掲げた。


「幻覚を世界のレイヤーから引き剥がす。視界の表面を撫でるイメージで手を動かすんだ」

「視界の表面を撫でるイメージってなに!?」


「氷河が運ぶ年代記、清流を行く白鳥の羽ばたき、月光浴びる白樺の森。雪解け水は春を讃え、不義の汚れを注ぎ流す。——行くよ、魔力を通して! この魔法の名前は——」


「は、はい!!」


「〝位相の塗り替えロールバック〟!!」

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