3-7 歴史と人生、物語の分水嶺

 応接室に戻ると、彼は取り外したマントを膝の上に置いて紅茶を啜っていた。入室に気づき「巻き込んで悪かったね」と顔を向けた。少し困っているように見えた。

「いえ、こちらこそ、重要な話を聞いてしまってすみません」

「あまりいい気分にならない話を聞かされただろう。彼女の言葉が本当かは分からないが、親子喧嘩のとばっちりを受けて婚約を決められたなんて、冗談にしても笑えない類いだ。しかも、かの女王の墓を荒らすようなことも言われて」

 彼女が飲み残した紅茶は既に片付けられていた。私は彼の隣に座り直し、手をつけるタイミングを失っていたティーカップに触れた。今日はミルクティーじゃないのかな、と思いながら隣の表情を気にする。やはり、本人以上に重く受け止めているように感じて、どう返そうか考える。

「驚きましたけど、大丈夫です。カレン女王も生きていたのなら、人知れず恋をしていたっておかしくありませんし……でも、もしそのことで、アルくんに迷惑がかかるのが心配です」

 二人の交錯する感情を追うことに集中していたせいか、私自身に関わる話題にはさほど大きな感慨が湧かなかった。この世界は、もうゲームの中ではなかった。私にとっての現実なのだ。その事実を改めて認識して、すとんと胸の中に落ちていった。

 カレン女王が恋をする相手が代行者たちに限るのはあくまでゲームに描かれた範囲の話で、私たちの全く知らない誰かと惹かれ合っていてもおかしくない。そして、生涯独身を貫き早逝した彼女の遺体が、王宮内の聖廟に存在するのかどうかを論じる必要はないと思う。本当は別の場所で眠っていたとしたら、隠した事情を顧みるべきだ。どうあっても、私の大好きな彼女が偉大な女王であったことは、揺るぎない事実だ。女王としての物語を終えた後の人生は彼女だけのものであればいい。

 フォイエルバッハ伯は、当家を「王妹殿下も輿入れされた由緒正しい家柄」と言っている。もしかしたら、「王妹殿下」とはツヴァイク公の長男エアネストから妹のように可愛がられていたカレン女王の隠し詞だったのかもしれない。それがあの家に受け継がれている秘密だとすれば、私もいずれ真実を知ることになるだろう。だけど、どちらにせよ私自身にはあまり影響がなさそうだ。最も気がかりなのは、私の婚約者の逃げ道が失われてしまうことだった。

「仮に真実だとしても、そうそう表沙汰にはならないと思うよ。王家は伏せていた縁者の扱いに困るだろうから。この家に過ぎた権力を持たせないことが目的だとすれば、俺が大人しくしていればいいだけの話だ」

 その言葉を聞いて、彼はこういった面倒を避けるために「誰とも結婚する気が無い」と言ったように感じた。この領地の円滑な経営が第一で、関係のない事柄とは極力関わらないようにしている。万人のために人生を使うつもりはない、という言い方は「その生き方は人間の範疇を超えている」と主張しているようでもあった。私の存在に彼を巻き込む強制力がないのなら、よかった。

 王女殿下は強い理想を胸に宿している。王族に生まれたからにはかくあるべし、と己の生き方を厳格に規定しているような話振りだった。その険しい道を、アルブレヒトなら自分以上に上手く歩めると信じていた。とてつもなく大きな信頼だ。でも、本気で彼が王配になる道を選ぶと考えていたのだろうか。親しい間柄であれば、彼が大それた役目を好む性格ではないと分かりそうなものだ。あまりに突然の訪問でもあったし、裏には破れがぶれになってしまう原因があったのかもしれない。

「王女殿下は、アルくんをとても信頼されているんですね」

「ちょっと情が深すぎるんだ。戦時中なら人気があっただろうね。ああいう断言的な態度を取れる指導者は、差し迫ったどうしようもない状況下では特に人を惹きつける」

「戦時中なら人気があった」は歴史と本を愛する彼の場合、たぶん褒め言葉だ。正当に人格を評価して述べているだけだと思う。他の人が言ったら嫌味と判断しかねないけど。

 人心地が付いて、私も王女殿下が言っていたことと似たことを聞いてみたくなった。異例の十七歳の領主様に聞くのが憚られていた根本的な質問だ。

「アルくんは、どうして領主になったんですか?」

 彼は一瞬だけ左斜め下に視線を移し、戻すと同時にちょっと口角を上げた。

「税収で食わせてもらったから仕方なく。観測可能な範囲で大勢が食う物に困る生活をしていても、気にせず読書をしていられるほどの図太さが無かったんだ。領内の商業が安定したら、血税で図書館を作って領民に嫌な顔されながら引退するつもり」

 偽悪的な笑みだ。「いい夢ですね。司書さん、向いていると思います」と、つられて私も笑った。

「夢って呼べるほど綺麗な願望ではないけどね」と彼は言う。声の軽妙さは、多くを切り捨てた証拠だ。社会がついてこられないほどの短期間で多くを変えたユリウス様のことや、水の魔法が使えなくなってしまったノルベルト様のことはおくびにも出さない。

「私は、貴方が他者の想いに誠実な人だと信じていますから」

 私にとってのアルブレヒト・フォン・アルヴァルディは、自由なのに優しくて、利己的に人間を愛する人だ。己の欲望を追求して生きているけど、その願いの中には当然のように大事な人の幸福や、他者への返報が含まれている。与えられてしまったものは、仕方がないから返さなくては、と考えている。

 彼がリールに大陸一の大図書館を作ったとしたら、非難する人はほとんど居ないだろうな。この街をどこにも負けない貿易港にしてみせて、ユリウス様みたいに早くに隠居して、自由気侭に本を読み散らす。彼は図書塔の蔵書の把握も的確で、記憶力も抜群だから、司書としても頼りになるだろう。図書館に訪れた人や、市場にふらりと現れたところに遭遇した人は、慕わしく声をかけるに違いない。そのときには十分に「食わせてもらった」分を返しているはずだから。

 信じている、という呪いを吹き込む瞬間だった。私は無意識に祈りを紡いでいた。

 帰れとは言いにくくなったな、と聞こえた。腕に上着を抱えてゆっくりと彼は立ち上がる。

「……近いうちに、魔獣の女王が復活する。俺はこの城を使って侵攻を防ぐ。客観的に見て安全と言える場所ではなくなるが、君はどうしたい?」

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