1-5 龍は風花を連れて舞い降りた

 それから、私たちはこまごまとした話し合いをして、夕方まで一時解散となった。空き時間に私は着替えをさせてもらえるようにお願いした。いきなり当主様とお会いするとは思っていなかったから、長時間の移動に備えて着心地が良いサイクリングスカート――背面を大量のプリーツで縫い、スカートのように見せかけたズボンだ――を着ていたのだ。思いがけず龍に騎乗することになったので結果的には良かったけど、身分が上の方にお目通りするのに適した格好ではない。アルヴァルディ候は別にそのままでもいいけど、と言いながらも城にあるドレスを貸し出してくださった。

 身支度の手伝いに呼んでいただいた侍女たちは衣装の他に長櫃を一つ抱えてきた。その中にはおそらく辺境伯領の特産品の一つである宝石類が入っている。ユミル神聖王国には貴族間の婚姻において身分に差がある場合、上の身分の者から下の身分の者へ夫または妻の死後の生活の保障として婚姻の翌朝に財産を分け与える風習がある。これは朝の贈り物と呼ばれていて、本当の夫婦になってから、立会人の元で譲渡されるのが一般的だ。私たちはただの婚約者だし、偶然決められただけの関係だから必要ないと言うと、「婚約者を失うのも令嬢にとっては随分な痛手だろう」と諭されて受け取ることになった。十八を過ぎて婚約が破談になった貴族の娘は、よほどの家柄か世間が同情する理由のどちらかがないかぎり、新しい縁談が訪れにくくなる。彼は婚約関係が終わった後の生活に困らないように贈り物をくれた。大貴族にとっては当然の施しなのかもしれないけれど、やはり申し訳なくなる。

 整えられた部屋も、クローゼットの中は空だった。曰く「好みも分からない女性に無言で衣装を贈るなんて気味悪がられますよ」と忠告されたので用意しなかったそうだ。当主様にそんな忌憚ない意見をぶつける人は何者なのだろう、と思いつつ、彼が不愛想ながらも親切な青年だから問題ないのであって、確かに怪しい人だったら多少気味が悪く感じそうだと思った。

 今は持ち主が居ないらしい衣装たちは、クラシカルな型が多いものの、どれも良い素材が使われた上品な仕立てで、手入れも行き届いていた。その中からネイビーのジャガード生地とタフタ生地で作られたドレスを選んだ。厚みがあって、光沢は控えめで、織られた薔薇の模様もメインの色より少しだけ明るい青で目立ちにくい。シルエットは鯨ひげや針金ではなく、現代のドレスのようにパニエでふんわり含ませたAラインのクリノリン風だ。クリノリンドレスには肩と鎖骨を露出したデザインが多いなかで、このドレスは襟元がボウタイで結ばれており、一風変わったスタイルと楚々とした印象が魅力的だった。全体としてはシャツワンピースにも似た形状だ。あまり華やかな衣装の似合わない私でもこれなら違和感なく着られそうだと思った。

 ドレスの上にはシュッド・ジャケット――前世の知識だとズアーブ・ジャケットに該当すると思われる、ノーカラーで前側の打ち合わせがないジャケット――を羽織った。色合いは穏やかなローズダストで、ウール素材が温かい。この城は部屋の中は暖かいけれど、一度廊下に出るとつんと冷えた空気に身体が包まれる。防寒機能に優れた服装は必須だ。空の上で彼が――アルヴァルディ候が「寒いから厚手の服を買った方がいい」と言っていた意味もよく理解できた。

 鏡には焦茶色の髪に青い目のロゼッタ・フォン・フォイエルバッハが映っている。王国ではありふれた容貌の娘だ。ロゼッタ、という名前は女神ロザリーにちなんだ薔薇に纏わる名づけの一つ。あらゆる階級の女性にみられるオーソドックスな名前だ。孤児であり教会で生まれ育った聖ロイスの名も同じく薔薇が由来となっている。

 前世の記憶を取り戻すのなら、カレン女王と同じ時代に生まれて、彼女を支えてみたかった。それが無理でも、彼女が守った国をより良くできるような知識を持って転生したかった。何もできない自分が嫌いだ。アルヴァルディ候に言い当てられた自己批判は、本当にそのままで、私は記憶を取り戻してからずっと心に細い針を刺し続けるような粗末な自己嫌悪を抱えていた。

 けれど、ここには平凡な私がただ存在することを認めてくれた人が居る。そう思うと、少しだけ前向きな気持ちで鏡に向き合えた。


 午後四時を過ぎると、北国の空は裾が橙色にじんわり染まった。迎えに現れたアルヴァルディ候はシンプルなダークネイビーのチェスターフィールドコートを着ていた。襟やネクタイにも遊びがなくて、こうしてみると現代のヨーロッパを歩いている青年実業家みたいだ。王都や南方の貴族は男性でも明るい色やレースやフリルを取り入れる傾向にあるので、彼のビジネスパーソン然とした装いとはかなり印象が違う。地味に見えないのは端正な顔立ちのお蔭だろうか。

 外套を変えたんですね、と口にすると「あれはちゃんとしたとき用なんだ」と返ってきた。あの手のマントが貴族の正装として用いられる例は少ない。ユミルの人々の服装はおおむね十八世紀から十九世紀ヨーロッパの服飾がベースになっているようだけど、正装の規定はあまり細密ではないみたいだ。それでもアウターはジャケットかコートが一般的で、アルヴァルディ候はむしろ今の恰好の方が王国的な儀礼には沿う。あのマントに施されていた刺繍は、今にして思えば瀧国やニヴルヘイムの意匠に近しい。つまり、あれは外交先を鑑みて仕立てられたものかもしれない。ニヴルヘイムの人々の服装はまだ目にしたことがないけれど、瀧国の羽織のシルエットは身体に沿う直線的なラインのジャケットやコートより、膨らみのあるマントに似ている。

 そのうち近くで見てみたいし、真相を教えてもらえたらいいな。粗雑に扱えない物だろうから、触らせてもいいと思うくらいには信用をしてもらえたときに頼んでみたい。

 夕方に時間を改めた理由は、夜行性の魔法動物である銀狼に会うためだ。雪深い山間部に棲息する白銀の毛並みを持つ大型獣の銀狼は、火の魔法を操り、冬には雪を溶かして埋もれていた草を食む。また、狩りにおいても炎の光を利用して仲間同士で合図を送り、驚かせて山頂から追い出した獲物を麓で待機していた仲間の元へ誘き出すという。銀狼や風の魔法を使用して空を飛ぶ龍のように、魔法を使う動物は少数ながら確認されている。ゲームには他にもユニコーンやペガサスなどが登場していた。

 白薔薇城では夜間の警備のために銀狼を飼育しているそうだ。雇用、とアルヴァルディ候は言っていた。彼らは夜勤の憲兵隊員と手分けして城内を巡回する優秀な警備員らしく、嗅ぎ慣れない匂いを感知するとどこからでも俊敏に駆けつけ、光と遠吠えで異変を知らせ、怪しい動きを見せようものなら鋭い犬歯を敵の足首に食い込ませて動きを封じてくる、とのことだ。かなり恐ろしい。匂いを覚えさせないうちに夜間に部屋を出て、うっかり遭遇してしまったら危険だ。それゆえ今日のうちに顔を合わせておくべきだろう、とアルヴァルディ候は話し合いの次に重要なタスクとして、私を銀狼の飼育小屋に連れていった。

「なんで居るの」

「こいつらに餌やりに来たんだよ。ほら、鹿の骨」

「人が来ることは伝えておいたんだし猟奇的な絵面を見せないでよ」

 飼育小屋の外には十数頭の銀狼とそれに囲まれて二人の姿があった。アルヴァルディ候は、驚くほど露骨に怪訝な声を発した。それに反応して振り向いた男性は、彼にとてもよく似た容貌の持ち主だった。

 凛々しい新緑のような目元に艶やかな濃紺の髪、表情は晴れやかで声も張りのあるヘルデンテノール。ある一点を除いては、王国貴族に望まれる魅力をほぼ完璧に体現したような人物だ。

 振り向くまでもなく分かった。白いジャケットに袖を通したその男性は、血に塗れていた。

「アンタがロゼッタ嬢か。安心してくれ、全部返り血だ」

 彼はアルヴァルディ候の言葉を受け流して私の方に目を向けると、片側の口角を吊り上げて微笑んだ。優等生的すぎないところを含めて、女性の心を奪いそうな美しい表情だ。ただし頬にはわりと新鮮な血痕がついている。

 私には最新ハードで発売されたロゼリジュの戦闘シーンの記憶があるので、普通の貴族令嬢よりはスプラッタ耐性が高いと思う。しかし、それを加味しても、彼には多少の問題は強引に解決する力が備わっている気がする。どうしてだろう、衝撃的な出で立ちのはずなのにすでに受け入れかけている。

「驚かせて悪かったな。また後で改めてお会いしよう」

「あっ、はい、よろしくお願いします……」

 彼は話しながら近くに身体を休めていた白い龍にスタスタと歩み寄って、その背中へ軽やかに飛び乗った。戸惑いながら発した私の声はおそらく耳に入る間もなく、手綱を引いて上空へ舞い上がった。もう一人、彼の隣に居た女性は心配そうに、会話の様子を眺めていた。彼女も静かにお辞儀をして後を追い、もう一体の龍に跨った。日本人には馴染み深い瀧国流のお辞儀だった。

 二人はアルスターカラーの白いスペンサージャケットを纏っていた。男性にはフルール・ド・リスのギンプカフスとアルヴァルディの家紋「龍と百合」の襟章が飾られ、キャバリエブーツも合わせてその様相は騎士を思わせた。王都の「百合の騎士団」の純白の制服に近いものの、こちらは装飾が控えめで軍服らしい硬い印象だ。

「薄々お気づきかもしれないが、あれがうちの先代当主夫妻だ」

 小さくなっていく龍の背を見送りながら、アルヴァルディ候は声色を平坦に戻して言った。さすがに察しはついていた。あの男性と彼がそっくりなのはもちろん、無遠慮に呼び掛ける態度がどこまでも親しげで、なんというか、彼がまだ十七歳の少年であることを感じさせたからだ。棘のある物言いは親しさを前提とした悪態だと伝わってきた。

「お父様、よく似ていらっしゃいますね」

「よく言われる。だから見分けがつくように髪を伸ばした」

「確かに遠目では見間違えそうです」

 並んだときの背格好もそっくりだった。彼はどことなく迷惑そうな顔で、さらさらと揺れる髪の束をつまんだ。

 失礼だけど、やっぱり、可愛い。こんなに大人びているのに、そういえば彼はエンディング時には十七歳になっているロイくん(ロイスの公式愛称)と同い年だ。私は健気で心優しく、だけど芯の強いキャラを好きになりやすくて、弱さと強さのギャップを見せられると堪らなく応援したくなってしまう。そう、ギャップ。私は何かにつけてこれに弱い。

「お二人とも龍に騎乗されるんですね」

「龍には乗るし剣も弓も扱うよ。あれは多分狩猟の帰り」

 銀狼たちは貰ったばかりの鹿の骨を夢中になって齧っている。先にもっと刺激的なものを見たせいで、大型獣に対する恐怖心は消えていた。現代にもこのくらいの大きさの、白くてふさふさの毛並みの犬種がいたような。人馴れしていて憲兵たちにはよく可愛がられているらしいし、全然恐くないように見えてきた。

「あの恰好で武芸にも通ずるなんて、素敵なお母様ですね……」

 彼女のスペンサージャケットは燕尾服のように背面の裾が割れていて、紳士服風のシルエットがとてもカッコよかった。ベルトやネクタイ、ロングブーツにワイドカラーのシャツも無骨で潔く、配色はモノトーンで清閑な気品が漂う。女性王族の親衛隊「薔薇の萼片」の飾緒や肩章に飾られたナポレオンジャケットとキュロットパンツの華やかな制服も素敵だけれど、合理性を選びとった制服には機能美が宿ると思うのだ。

 私は戦う女性のキャラクターも好きになりやすい。ロゼリジュをプレイしたきっかけも、剣を構えるカレン女王のパッケージイラストに惹かれたからだった。

「この国では剣を振るう女は高潔だが、それ以外の武器を手に取るのは野蛮とされている。だが、君は気にしていなさそうだ」

「よく考えると、カレン女王だって剣以外の武器を扱ったのに、不思議な価値観ですよね」

「権威付けの一種だろう。人類の歴史上古くから各地で儀式に用いられてきた神聖な武器である剣を、女神の化身たる女王と結び付け、国の権威を高める。この国は権威によって守られてきた。この千年間、周辺諸国では新たな王という権威の台頭と蛮族の襲撃が繰り返されているにも拘わらず、ユミルだけが神聖不可侵なのは魔獣の女王を退けてきたからだ」

 彼は堰を切ったように話し始めた。教科書を読み上げるように淡々と、乾いた声だった。

 私は、この人が歴史を重んじていることを言葉の端端から感じていた。でも、これは自発的な発話ではなく、義務や責任から語っているように聞こえた。

「権威を物ともしない蛮族の暴力によって、王朝は崩壊する。勝利した蛮族は王となり、新たな権威を築く。そして別のところから蛮族がやってきて、王朝を滅ぼす。しかし、ユミルは神の威光を何度も見せつけてきた。この国には、魔獣の恐怖を知る周辺諸国に脅かせない権威がある。だから生き残ってきた」

 では、権威を物ともしない蛮族が遠い土地から押し寄せたとき、この国はどうなるのだろう。人と人との戦争を経験しない神の国は、神々の助けなくして戦えるのだろうか。

 そんなことを、彼は考えているのだろうか。あるいは、その権威によって蔑ろにされてきた沢山のものを。想像してみたけれど、確信の持てる答えは浮かばなかった。

 彼のお母様はきっと、刀と弓で華麗に獣を捕らえて捌くのだろう。そして清らかな渓谷に姿を現すという白い鱗の水龍を乗りこなす。ミカグラの民の戦士は、龍に認められて一人前の仲間入りを果たす、とゲームの設定資料集に書いてあった。ミカグラの民の龍騎兵に女性グラフィックは用意されていなかったから、女性が龍に認められるのは稀なのだと思う。辺境伯家のここ四半世紀ほどの歴史について私はまだ何も知らない。だけど、知りたいと思っているし、あの女性を一目見て恰好良いと思った。

「私は戦う力を持った女性は恰好良いと思いますし、憧れますよ」

 星宿の巫女の駒姫は女王を守るために大量の暗器を隠し持ち、カレン女王も女神から授けられた剣が使えない場面では、他者の武器を借りて状況を切り抜けてきた。その姿なら私も知っている。

 アルヴァルディ候はこちらを横目に見て、声を落とした。

「……そう。つまらない話をしたな」

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