1-6 龍は風花を連れて舞い降りた

 無事に銀狼との挨拶を済ませ(手の甲を差し出すと次々に濡れた鼻が触れて、くすぐったかった)、私たちは執務室に戻った。部屋では夫妻が待っており、私は改めて二人と対面した。

「ユリウス・フォン・アルヴァルディ。アルブレヒトの前の当主で、今は龍騎兵団の団長をしている。どうぞよろしく、婚約者殿」

 ユミルでは当主が存命中に家督を譲ることはほとんどない。そのため息子に家督を譲った父親とその妻への呼びかけ方は決まっていない。ユリウス様――と、お呼びしていいはずだ――はアルヴァルディ候と同様に、長いマントを纏っていた。彼はオペラ・クロークのようにそれを首の前で留め、鴉の濡れ羽色のベルベットの裏地にはやはり幾何学模様が描かれている。留め具はアルヴァルディ候の髪を結ぶ組紐と同じ細工で、この距離で見ると、一つの正円と三つの紡錘形が知恵の輪のように組み合わせられた形だと分かった。ライトグレーのウエストコートにスラックス、白いネクタイ、そして剣帯の構成はロゼリジュの攻略対象ヴィルヘルム・フォン・アルヴァルディを彷彿とさせる。

 貴族として振る舞うユリウス様は、氷の貴公子ヴィルヘルムとかなり雰囲気が近しい。さっきまでは青嵐のように自由な人だと思っていたのに、ボウ・アンド・スクレープの動作は指先まで正確で、それだけに冷ややかだ。生真面目で冗談一つ言わない騎士のヴィルヘルムと、鹿の返り血を浴びたまま平然と微笑んでいた人物が重なって見えるのが不思議だ。なんてギャップの激しい父子だろう。

「ユリウスの妻、シキナと申します。お目にかかれて大変嬉しく存じます」

 その言葉は明瞭な王国語で発音された。彼女は瀧国発祥の民族らしい、黒髪黒目で小柄な女性だ。その声は異国的な容貌を感じさせないほど整った響きを持っていた。カーテシーの仕草も優雅で洗練されている。

 瀧国は大陸と地続きの本土と東の海に浮かぶ群島から成る。ミカグラの民は、小島に建つ神社の神職と巫女の末裔だ。そこはユミル以上に長い歴史を持つ瀧国の中でも伝統のある神社で、満潮時には鳥居が海に沈み、水を司る龍神と一体になるのだという。ゲームに登場した衣装や風景からの印象では、本土は中華、群島は日本をモチーフにした文化圏に属するようだ。

 ユリウス様の毛先にくせのある濃紺の髪と、シキナ様の滝のようにまっすぐと落ちる黒髪が並ぶと、私の婚約者が仕方なく伸ばしたというそれは、母方の遺伝で綺麗に揃っていたことが見てとれた。黒髪と白いシルクサテンのエンパイアドレスのコントラストが眩しい。

 腰に巻かれたサッシュは藍色の地にエンブロダイアリーレースのユリの花が咲いている。珍しいのが上着の形状で、スリーブが振袖のように広い。ヴィジット、という十九世紀末にヨーロッパで流行したコートの一種だ。この世界では初めて見た。特徴的な袖はジャパニーズスリーブと呼ばれるはずだけれど、こちらではルコク・スリーブなどと呼ばれているのだろうか。サッシュが帯、ヴィジットが着物を連想させて、王国流に則った衣装のはずなのに和服の風情を感じる。

「フォイエルバッハ伯爵家から参りました、ロゼッタ・フォン・フォイエルバッハと申します。この度はアルヴァルディ候アルブレヒト様よりご招待賜りまして、大変光栄に存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます」

 ドレスの裾をつまみ、膝を屈めてお礼をする。思えば、この城に来て初めて貴族的な挨拶ができた。事前に備えてきた場面が今になって急に訪れて、緊張している。考えてきた文章を口に出すだけで精一杯で、気の利いた言葉を付け加えるような余裕はない。

「で、とりあえずまともな顔も見せたが、他に何かした方がいいか」

 ユリウス様はまるでスイッチを切り替えたように、取り繕わない声と表情で言い放った。視線を向けられたアルヴァルディ候は悠々と新しい紅茶を淹れながら返す。

「ノルベルトとディアナが帰ってきたら、纏めて正式な顔合わせを行ったという事実を作る予定はある。不意打ちの婚約だから、彼女にはひとまず婚約者として此処で生活してもらいつつ、冬が終わった頃に適当な婚約解消理由を提出して、王様の反応を窺う計画」

「災難なお嬢さんだな。人の都合で連れてこられて」

 冬が終わるまで、という期間は相談して決めた。あまり短いと申し出が通らなさそうだし、これから本格的に雪が降り始めると、道が狭くなって王都との往来に時間もかかるので、雪が溶けた頃に婚約解消することを目標にしよう、と話した。国王陛下のお答え次第では、別の理由を考えるために再度相談だ。アルヴァルディ領近辺の雪は、三月、あるいは四月までは溶けないだろう。短くとも四カ月間はこの城でお世話になる。

「なので今やることは特に無い。君はどう?」

 話の流れのまま「君は」と尋ねられて、心臓が軽く跳ねる。突然自分に話を振られると思っていなかった。

「ない、ですけど、私、婚約者としてここでお世話になるなら、それらしく振る舞えるように努力すると約束させていただいたので……この土地のこと、皆さんのこと、教えていただけると、嬉しいです」

 今すぐに伝えておくべきことを、考えながら口にする。私がアルヴァルディ候に約束をしてもらったように、私も、この領土の人達とどう関わっていきたいか、ちゃんと言わなきゃと思って。

「あの、いえ、今すぐではなくお手隙の際に差し支えなければ、よろしくお願いします……」

 だめだ。全然上手くまとまらない。ずっと社交から逃げてきた付けが回ってきた。準備してきた言葉以外は自信が持てなくてしどろもどろに萎んでいく。

「あんまり肩肘張ってると、この家では疲れるぞ。まともな貴族じゃないからな」

「ありがとうございます。レディ・ロゼッタ。これから、沢山お話をしましょう」

 ユリウス様はからかうように笑い、シキナ様は少女のようにさえ見える大きな瞳を緩やかに細めて、私の手を取った。手に飾られた指輪がつんと冷たく触れる。

「そして、あなたのことも教えてください」

 細くしなやかな手が私の手を包んだ。

 なんだかとても懐かしい気分がした。前世の私にも、母がいたはずだ。どんな人だったかは何も思い出せないけど。「私」になってしまう以前のロゼッタにとっても、家族は大切な存在で、近くにいると温かく穏やかな気持ちになれた。

 私がどんな人間なのか、誰かに教えられるほどには私自身がまだ見つけられていない。だから、私は私を、誰か一緒に探してほしかったのかもしれない。


 砂糖を大量に投下してミルクティーを作っていたアルヴァルディ候は、それを片手に「要る?」と尋ねてきた。フレーバーティーの甘い匂いがずっと気になっていたので、執務室に残って一杯いただいた。

「胡散臭いご隠居も言ってたけど、うちは変な貴族なんだ。アルでもアルブレヒトでも適当に呼んでくれていい」

 この執務室に従者が一人も居ないことも貴族としてはかなり変わった状況だ。普段からそうなのか、執務机のすぐ隣には給仕役抜きで食事をするための道具、ダムウェイターが立っている。

「皆さんからはどう呼ばれることが多いですか?」

「学院では省略されることが多かったかな。城内では一応『当主様』だけど、別に敬われてはいないと思う。『閣下』なんて久しぶりに呼ばれた」

 自分ではどう呼んでいいか決めあぐねて、他の人の方針を尋ねた。学院時代の彼が愛称で呼ばれていたのは、半分意外で、半分納得できる感じだ。一見近寄りがたいけど、他者を見下すようなことは言わないだろうし、何か学問に熱心な人とは気が合いそうだ。城内の人々だって、彼を慕っているから気負わずに挨拶をして通りすぎていくのだろう。

「でしたら、できるだけ堅苦しくない方がよろしいでしょうか……」

 アル、と声に出して、迷いながら、くん、を付け足す。彼はゲームのロイくんと同い年で、私の三つ年下。おかしくない、はず。いややっぱり、嫌じゃないかな。親しい同窓生ならそれでよくても今日会ったばかりの私に。大人らしいところを見せていないくせにお姉さんぶって気持ち悪いかも。

「逆に疲れるなら無理しなくていいけど」

「いえ、私は構わないのですが、ごめんなさい、さすがに馴れ馴れしいかなって……」

 気まずくなって視線を落とし、ミルクティーに口をつけた。

 これ、想像以上に甘い。今まで飲んだミルクティーの中で一番、紅茶というよりスイーツの域に達する味だ。

「いいよ、こっちが年下なんだし。代わりに俺が無礼なのは領主様だから仕方ないってことで勘弁してくれ」

 彼は顔色一つ変えずにそれを啜っている。とてつもなく甘い飲み物を平然と口に運ぶクールだけど優しい十七歳の領主様。

 ……属性が多い。この人、薔薇の巫女の時代に生まれていたら確実に攻略対象だ。

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