2-1 氷の一族の流文流説

 白薔薇城に来て一週間が経ち、王都のフォイエルバッハ邸から運んでもらった私物も部屋に揃った。フォイエルバッハ伯に出した手紙には、しばらくアルヴァルディ領に滞在すること、置いてきた裁縫道具だけ城へ届けてほしいこと、そしてアルヴァルディ候には良くしていただいているし婚約についてもしっかり相談しているので、心配しないでほしいと書いた。フォイエルバッハ伯は王家を貴ぶ心持が強いだけで非常識な人物ではないので、辺境伯家に結婚を催促するようなことはないと思うのだけど、念のため。

 作りかけの服の型紙や集めた生地や糸、愛用のミシンが手元に来たことで、私はかなり生活が安定したように感じた。魔力で動くミシンは私の持ち物の中で一番の高級品だ。使い心地はコンピューターミシンと遜色ない。前世の記憶を思い出す以前から使っていたこのミシンは、私と「フォイエルバッハ伯爵令嬢」を不完全ながらも縫い合わせてくれた。

 この世界では「ロストページ」と呼ばれる何千年も前の化学文明が遺した文書や発明品が発見されることがあり、その技術を再現するために魔道石を用いて作られた道具を魔道具と呼ぶ。ロゼリジュは戦闘面ではかなり硬派な作品だけど、乙女ゲームとして日常生活にまでシビアな貴族社会を反映してしまうのは避けたのか、ところどころに現代的なアイテムが登場する。料理を作るコマンドではオーブンレンジが背景に映っていたり、学院の寮にはエアコンが備え付けられている描写があったりした。それらは現代人の目には電気製品に見えても、設定上は魔力に反応して動く魔道具ということになっている。ちなみに、設定資料集には「ロストページ」は現代社会の遺産であり、ロゼリジュの舞台は「人類が一度滅亡した後に魔力に満たされたパラレルワールドの地球」だという裏設定が載っていた。実際にゲーム内のワールドマップは西ヨーロッパの地形がベースになっている、と考察好きのファンが検証していたけど、大幅に変形されているので、私はプレイ中には全く気づかなかった。

 この城にもエアコン、によく似た形状の魔道具の送風機が多くの部屋に設置してある。寒くなってくると、夜警の仕事を終えた銀狼たちは外を通って小屋へ帰るのが煩わしくなるらしく、暖房の効いた部屋に入ってきて眠りにつく。執務室の絨毯の上で何匹か寝転がっていたときに、起こさないようにそっと触らせてもらった。使用人たちも彼らを見かけるとつい触ってしまうらしい。もふもふの毛がみっしり詰まっていて、見るからに手を埋めたら気持ちよさそうだから、みんな試したくなるみたいだ。

 銀狼や龍、馬といった騎士や憲兵と一緒に働く動物以外にも、この城には牛や鶏に、羊や山羊のような家畜もいる。それについてアルヴァルディ候、アルくんは「半分はご隠居の趣味」、もう半分は貯蔵や研究目的だと言っていた。

「ロゼッタ嬢。御令嬢も龍に興味があるのか?」

「こんにちは、ユリウス様」

 私は龍の寝所になっている巨大な厩舎を後にしようとしていた。ユリウス様は兵団の制服を着ているものの、以前のように血に塗れてはいない。頭の天辺から足の爪先まで爽やかな騎士様だ。

「団員の方にお願いして、おやつをあげさせていただいていました。龍は顔を覚えた相手のことを助けてくれると教わったので、しばらく通ってみようと思いまして」

 アルくんに気になっていたこと、どうして当主自ら迎えに来てくれたのかを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「誰かに任せて『婚約者でもない男と相乗りするなんて』と拒否されても困るし、名乗り出て『当主がこんな危険なものに乗るなんて』と非難されても困るから、聞かれるまで黙っていた。実際、どんな重装備でも落ちたら死ぬからね。謗られても仕方がない。だが、俺はこの城で一番龍の操いが上手いし、うちの龍騎兵が伯爵令嬢を落として責任を取らざるを得なくなっても気の毒だ。それで俺が行くのが最善だと思った」

 馬車で移動させて長時間待たせるのは避けたい。しかし龍に乗るのを拒否されそうだ。色々な反応パターンを考えた結果、身分を伏せて迎えに行くことにしたらしい。

 落ちたら死ぬ、という言葉を噛みしめていると、私の顔色の変化に気づいたのか、彼はこう付け加えた。

「まあ、落ちても拾ってくれることもあるから。間に合うかは運次第、その気になってくれるかは龍次第ってとこだけど」

 あまり安心できないフォローを聞いて、ともかく龍とは距離を縮めておいた方が良いということが分かった。これから乗せてもらう機会もあるだろうし、顔を覚えてもらって損はなさそうだ。「俺はこの城で一番龍の操いが上手い」と当然のように告げられた言葉を信じないわけではない。でも、せっかく王都では見かけない生き物と関われる機会だから、相手と世話をする人達の迷惑にならない範囲で厩舎に足を運べたら、と思っている。

「怖くないのか? 王都じゃ見慣れないだろ」

「まだ完全には慣れていませんし、少しは怖いです。ですが、それ以上に綺麗な生き物だと思います」

 アルくんが乗っていた黒曜石の鱗にサファイアの眼を持つ龍は、水龍と火龍のハーフだそうだ。名前はアトイ。ミカグラの民が伝統的に生活の友にしている水龍はともかく、なぜ火龍のハーフなのかと聞けば「昔々或るところに、落ち着きのない辺境伯がおりまして……長いけど、聞く?」と前置きをしてから話してくれた。要点だけ取り出すと、ユリウス様がドワーフの鍛冶師からの挑戦で、活火山まで火龍の鱗を採取しに行ったところ、なぜか数頭の龍を手懐けて帰ってきたそうだ。それ以来、火山と渓谷を行き来する火龍が現れて、ときどき混血種が生まれるようになったらしい。本当に昔話みたいな展開の話だった。

 ユミル南部から飛んできた火龍と北端のマナナーン半島の水龍の間に生まれたアトイは、艶めく体表と海のように深い青の瞳が神秘的だ。そして、甘い果実をたくさん食べる。私が林檎を差し出すと、なんだか遠慮がちに舌を伸ばして、器用に巻き取って口の中に引き寄せ、丸ごとかみ砕いた。綺麗でちょっと怖いけど、アトイは龍騎兵団の団員も認める温厚な、ただし若干マイペースすぎる龍だ。やはり乗り手とは似ている気がする。

「そうか。案外胆力のあるお嬢さんだな。うちの新入りでも一か月くらいは、世話をするにも及び腰だぞ」

「入団してから半年は、空を飛ばずに信頼関係の構築に努める、と団員の方にお聞きしました。信頼関係が大切なんですね」

 龍は警戒心が強く、近づいてきたものを長い時間をかけて見極める。共に空を駆ける相棒として認めてもらうため、そしていざという時に「助けてやってもいい」とその気になってもらうために、新人団員は半年の間、一頭の龍の世話の全てを担うという。貴族の令息であろうと、新人はみな平等に龍に振り回されて矜持を折られるのが毎年の恒例行事だそうだ。

 ユリウス様は厩舎の中に入り、白い龍の轡の先に繋がった鎖を支柱から離した。なんでも軽くこなしてしまいそうな彼やアルくんにも、龍の扱いに苦労したことがあるのだろうか。

「引き留めて悪かったな。中に戻るところだろ? 送ってやろうか」

「よろしいのですか?」

「ああ、徒歩じゃ遠いだろ」

 団員の方は「ユリウス様の真似はするなと新人には強く命じています」と、アルくんは「あの人は龍で曲乗りをする。普通なら既に十回くらい死んでるよ」と言っていた。やや不安が過る。空中で曲乗りって、どういうことだろう。飛行機のアクロバット飛行みたいに宙返りするのかな。でも、それだけ技術があるってことだろうし、たぶん、他人を乗せて危険な飛行はしないはずだ。ご厚意を無碍にもできないし。

「では、お言葉に甘えて、お願いします。これからシキナ様の元へお伺いする予定で……」

 言葉の途中で、まだ厩舎の仕切りの中に居る龍と目が合う。伝わるかどうか分からないけど、よろしくお願いします、の意味を込めてお辞儀をしておいた。ユリウス様は「分かった。居館までだな」と背を向けたまま答える。

 外へ連れ出された龍は、これからの仕事を自覚しているかのように、身体を伏せて人を乗せる体勢を整えた。私はユリウス様の手を借りてその背に跨った。以前も思ったけれど、手助けをしてもらっても龍の背中を跨ぐのは大変だ。シキナ様は一人で乗り上げていたので凄い。

 ユリウス様が合図を送ると、水龍は腕を地面から離した。ぐらっと揺れて私たちは後方に傾く。そういえば、火龍やハーフのアトイは腕と脚の長さが同じくらいだけど、水龍は腕が短いから基本的に四足歩行をしない、とさっき聞いたばかりだった。

 龍は脚だけで地面を力強く突き放し、風の刃を打ち付けるように翼を下向きに動かした。飛び上がるような離陸の仕方は、初めて龍に乗ったときの感覚とはまるで違う。疾走感のあるアトラクションみたいだ。内臓が浮くふわっとした感覚と、勢いよく下に流れていく景色。怖いけど、ちょっと気持ちいい。

 回廊を飛び越えていける高さまで上がると、白薔薇城の不思議な造りの一端が目に入る。この城は星型の城壁に囲まれている。来たときに気づいたけど、まだ誰にも聞けていなかった。先代の城主で、五百年前に建設されて以来、ここに初めて定住した貴族であるユリウス様なら、あれがどのようにして造られたのか知っているはずだ。

「あの、お聞きしてもいいですか?」

「どうした?」

「白薔薇城は、いつから星で囲まれるようになったのでしょう。百年前の記録では無かったように思うのですが……」

 ロゼリジュのシナリオ終盤の拠点となる白薔薇城は、背景イラストと戦場マップで外観が描かれていた。白い壁に青緑の屋根の城自体はゲームの記憶通りだ。星型に築かれた壁はあまりに特徴的なので、カレン女王の時代から存在していたとしたらグラフィックに反映されるはず。現代日本で育ったカレン女王の視点なら「五稜郭のような」と表現されてもおかしくない。私は真っ先に函館が思い浮かんだ。

「あれはアルブレヒトの趣味。あの辺の大砲も床弩も魔道砲台も、『魔獣の女王が来たら使う』とか言って作らせてたな。アイツ、変に心配性なんだよ」

 アルくんの「半分はご隠居の趣味」の言い方と同じだ。仕方のないやつだ、と言いたげな。

 兵器や城の構造の知識のない私には、それぞれの詳しい名称は分からない。元の城には無かったはずの防衛設備が至るところに設置されていることだけは、上空からの眺めで理解できた。ゲームであれば地形効果が期待できそうだ。魔道砲台の近くに居るキャラクターは魔法攻撃の射程にプラス補正、とか。防衛戦に強そう。攻める側に立つと、どこからでも魔法や大砲や弓矢が飛んでくる難関マップ間違いなし。

 ……いや、魔獣の女王の居ない時代にアルくんは何と戦うつもりなのだろう。本当にただの趣味かもしれないけど。彼は戦史や軍略にも詳しそうだ。

「駅は俺が東西に作って、アイツが南北にも増やした」

 この城のもう一つ不思議な点、それが駅だ。現代の遊園地にある蒸気機関車やトロッコなどを模したミニトレインのように、この城の敷地を小さな鉄道が走っている。

「上空から見たとき、どうして線路があるんだろうってびっくりしました。これだけ敷地が広いので、皆さん便利に利用しているみたいですね」

「無いと移動が辛いぞ。俺達は飛べるからいいけどな」

 カレン女王の時代、王都と近隣を結ぶ一部地域にしか敷かれてしなかった線路は、百年の時を経てじわじわと国内全土に広がっていった。ユリウス様はアルヴァルディの当主として、二十年足らずの年月で北の貿易港リールと王都を線路で繋いだ。ところが、それだけでは辣腕が収まりきらなかったのか、城内にまで鉄道が走っている。

 山手線のように城の外周を巡る鉄道は、この城の人々にとって欠かせない移動手段のようだ。東の別棟からメイドが西の詰所の清掃に赴いたり、南門に搬入された飼料を厩務員が北の厩舎に運んだり、様々な人と物が車上で行き交う。私は初めて居館に足を踏み入れたとき、とても静かに感じた。この城は便利な移動手段によって少人数で管理が行き届くから、静かなのかもしれない。

 空を駆けていくと、あっという間に居館が見えてくる。龍は見えないスロープを下るように、滑らかな軌道で地表へ近づく。脚から着陸し、次に腕を落とす。テラスに面した芝生へ到着した。

 ユリウス様は土の魔法で地面を隆起させ、龍の背中から降りるのにちょうどいい階段を作った。なるほど、こうすれば良かったのか。今度から自分でやろう。どの属性の魔法も人並み程度にしか使えない私でも、これならできそうだ。

 さらりと手を取られるままに階段を下り、テラス窓の前まで連れられる。貴族男性のエスコートだ。慣れない、こういうの。初対面のとき、私が馬車を降りるのを待たずに龍の元へ消えてしまったアルくんのように、構わず先に行ってもらえた方が気楽だと思ってしまう。今思えば、あれって、辺境伯本人だってバレないようにわざと粗野に振る舞っていたのかな。単に仰々しくしたくなかっただけかもしれないし、彼の考えていることは分からない。

 ユリウス様は窓をノックした。窓辺の椅子に座っていたシキナ様は龍の来訪に気づいていて、すぐに窓を開けた。片手には本を携えている。

「届け物だ」

 ユリウス様は私の片手を下からすくい上げるようにして、シキナ様の方へ差し出した。たった一言が歌劇の一節のように聞こえる。

「ありがとうございます。とても素敵なプレゼント」

 シキナ様は両手で私の手を包み、穏やかに微笑んだ。「届け物」の受け渡しが済むとユリウス様はさっと龍の元へ離れていった。長居は無用、と言わんばかりのさっぱりした態度だ。貴族らしい気取った振る舞いが文句なしに似合うのに、こういうところは父子で似ている。

「そうだ、これからの季節は軒下に気を付けた方がいい。氷柱が降ってくるからな」

 龍に乗り込み、去り際にそう言い残していった。先ほどまで、私たちは厩舎の出入口のすぐそばに居た。私は雪の降らない王都で暮らしていたので、軒下が危ないという発想はなかった。「ありがとうございます、気をつけます」と急いでお礼を言ったけれど、もう聞こえていなかったかもしれない。白い龍は私を乗せていたときとは比べ物にならない揚力で空へ跳ねた。

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