3-6 歴史と人生、物語の分水嶺

 普段は平穏な静けさを感じさせる白薔薇城が厳粛な空気で満たされていた。私たちは帰還してまっすぐに居館の応接室へ向かった。

 私が同席して構わないのか尋ねると「第三者に聞かれて不味いような話をされても困る」から、差し支えがなければと言われた。相手がなぜこの城を訪れたのか、彼も把握していないようだった。だからこそ、多少警戒しているようでもある。

 いつもなら気さくな表情ですれ違っていく使用人たちが、廊下を進む当主の後ろに付き従っている。下級使用人は必要な報告を済ませると迅速に他の者へ立ち位置を譲り、応接室に着く前までに立ち止まることなく当主の周りが侍従で固められた。

「この城にはどうして広間が無いの? 護衛が入りきらなかったのだけど」

 扉を開かれるまで、本当にエリーザベト王女殿下がそこに居るとは思えなかった。軽やかなルビーレッドの巻き毛に意思の強そうな睫眉が印象的な、齢十八の王女殿下はティーカップを片手に鋭い声を発した。身に纏った堅牢な鎧のように隙のないバッスルスタイルは、次期女王と目される方のイメージに沿っている。枇榔度色のボディスは首元から肘までをきっちりと覆い、肘から先も黒い長手袋によって隠されている。ヒップラインの膨らんだスカートはサテンのティアードの上にベルベッドのオーバースカートが側面から背面に重ねられている。高潔さと可憐さの同居した姿は先端の尖った花芽を思わせた。

「ご無沙汰しております。王女殿下に於かれましては、ご機嫌麗しく。祝着至極に存じます」

 貴族式の挨拶は完璧さが嫌味と判断しかねるほどだ。海底を揺らすような低い声をいつもより高くして、誰にとっても聞き心地が良さそうなテノールを鳴らした。ユリウス様と、同じ声だ。

「私はただ、同級生に会いに来ただけ。気味が悪いからやめて」

「そう。うちに広間が無いのはユリウスが潰したからだよ」

 じとりと一瞥されると、すぐに彼は平常通りに戻った。同級生、という言葉が耳に残った。

 国王陛下のご長女であるエリーザベト王女殿下は、この城の兄弟と同じ年に学院へ入学された。弁舌さわやかで篤実な人柄から、学院全体を率いる存在だった。そのため、私も学院時代に行事などでたびたびお姿を拝見した。その王女殿下と対等に言葉を交わすアルくんは、どんなに貴族らしくない振る舞いをしても「アルヴァルディ候」なのだと改めて感じた。

「こちらは俺の婚約者。訳あって身柄を預かっている」

「ロゼッタ・フォン・フォイエルバッハと申します。お初にお目にかかります、王女殿下」

 身柄を預かるって、妙に悪役っぽい言い回しだ。状況の説明を極限まで省いた弊害だろうか。この状況でも緊張なんて全く感じていなさそうな態度にちょっと安心する。

「私は貴方に話があって来ました。彼女には席を外していただきたいのだけど」

「第三者に聞かれたくない話をするつもり? 戦争計画でも持ち込まれたら困る」

「……分かりました。じゃあ居てもらって構わない」

「ではご用件をどうぞ」

 すいすいと会話が進み、アルくんは真っ向から本題を聞き出した。王女殿下はティーカップを置き、口を開いた。

「アルブレヒト、貴方は王配になって大陸を一つにする手伝いをしなさい」

 まっすぐに注がれた視線が、傍から見ているだけでも焦がされるような熱を持っている。

 王配。予想だにしない発言に、一瞬理解が及ばなかった。女王候補である彼女がそれを口にする意味は、つまり。

「とりあえず全部聞こうか」と言って彼は左足を上にして脚を組む。どんな話を打ち明けられても泰然自若としている。かつての私に対してもそうだった。

 長い問答が始まる予感がして、私はせめて邪魔にならないようにだけ努めることにした。

「昔、言ってたでしょ。魔獣の女王が現れてから百年間は人間同士の争いが減り、二百年後にはいくつか国の名前が消え、三百年後にまた女王が現れる、って。今が百年後、もうすぐ戦争が始まる時期。今のうちに争いの火種を絶やしてしまえば、速やかな危機対応ができる。先の侵攻では、薔薇の巫女不在の我が国に他国が援助を渋ったせいで苦境に立たされた。戦況の悪化は薔薇の巫女が帰還された後の戦いにも影響を及ぼし、戦争を長引かせた要因になっている。共通の敵が現れてからやっと団結するようでは対応が遅れる。薔薇の巫女という神意の象徴がなければ国々を束ねられないというなら、このユミルの君主がそれに匹敵する力を示さなければならない。これまでも、これからも、魔獣に対抗する役目はユミルが引き受けるしかなかったのだから。平和な時代に生まれた私には、後の世で我が国土が踏み荒らされることのないように、準備を進める義務があります」

「『大陸を一つに』って、統一国家でも作るつもり?」

「どうしても従わない勢力があるのなら、統合もやむを得ない。だとしても、貴方ならそれができるはず」

「本当に戦争計画を持ち込まれるとは思わなかった。聞かなかったことにするから持ち帰ってくれ」

 切り捨てるかのような台詞の後に、斜め下に逸らしていた目線を正面に移して、続ける。

「と、言いたいところだが、君が簡単には引き下がらないことも知っている。話し合いをしようか、歴史の授業の延長戦だ」

「……貴方って本当に嫌な人。私が何を言っても涼しい顔をして」

 王女殿下は顔を背け、ブローチの飾られた襟元を片手で隠した。込み上がる感情を抑えるような仕草と声に、二人が積み重ねた年月を感じた。

「まずは他国に支援を確約させる、というのは悪くない考えだ。今後も魔獣の女王がマナナーン半島に上陸すると仮定するならの話だが。どうせユミルが真っ先に被害を受けるのだから、最前線で戦ってやる代わりに援助しろと要求することはできる。だが、それを今約束させたとして、実際に魔獣が現れたときに兵や物資を送りたがるだろうか。時の権力者達は己の国を守るために手を尽くさなければならない。ユミルの支援にかまけている余裕があるのか、と国民や配下は訴えるだろう。少なくとも、周辺諸国の力を結集して一気に掃討、とはいかない。ユミルの戦況が芳しくなければ当然、自国が荒れることを見越して資源を温存する。資源の温存と戦況の悪化が悪循環を招くとしてもね。最大の兵力で迅速に魔獣の女王を討ち果たすのが最も効率的ではあるんだが、各国は最短の勝利ではなく、自国の損害を抑えることを目的とした行動を取る。下手にユミルの軍勢に加担して、兵力を減らしすぎれば国家の存続が危うくなるほどの痛手になりかねないからだ。魔獣は退けられても他国に対抗できる力を失えば元も子もない。ご存知の通り、この辺りの地図は変更が多いからね」

 アルブレヒト・フォン・アルヴァルディは、言葉に対してとても誠実だ。向けられた言葉を正面から受け取って、理解し、答えを示す。

「君の言い方から察するに、求めているのはもっと直接的な権限なんだろう。全ての勢力の資源や兵力をユミルが指揮すれば早く片付くはずだ、と考えているように思える。しかし、守ってやるから従え、従わないなら併合だ、と迫ればユミルがこれまで築き上げてきた権威は地に落ちる。この国が他国との戦争に不干渉でいられたのは、神に守られた清廉な国家だからだ。そこで侵攻を仄めかしでもしたら途端に神聖さは失われ、隣国の敵対対象に入る。戦乱に首を突っ込むようなものだ。安寧は失われ、魔獣と戦う以上の被害も出るだろう」

 彼の理解にはその言葉を発した意図や真意の推測も含まれる。だから、淡々とした声色なのに決して機械的ではない。ただし、想像される「言わなかったこと」にあえて触れることもない。

「そうだな、戦争には勝てるさ。従わなかった国を草すら生えない永久凍土にしてもいいのならね。攻める順番を間違えなければ大陸の統一も不可能じゃない。だが、各地で反乱が起こるのは間違いない。支配の形式としてイメージしやすいのは、征服した土地に王国貴族の総督を派遣する方法だろう。人間同士の戦争を経験したことのないユミルの貴族に属州を纏め上げる手腕があるとは思えない。あっという間に離散して、報復が始まり無駄に人命を散らすだけだろうな。一夜の夢のような統一国家に意義があるのか?」

 相手の意見を頭ごなしに否定することもない。「貴方ならそれができる」という願いにも似た期待すらも、真実であれば肯定する。

 だけど、私にも分かってしまった気がする。王女殿下が欲しい言葉や、本当に話したいことは、そうじゃない。

「……貴方は私を否定するときばかりよく喋る」

「確かに、君と意見が合うことは少なかったかもしれない」

 彼女は議論をしにきたわけじゃない。だとしても、会話がその形式であるかぎり、あくまで問いへの答えを返す。

「私が貴方よりも思慮に欠けることは認める。でも、だからこそ、才能のある人が相応の立場に就くべきでしょう。多くの人命を預かる権利は、それ相応の能力のある人間に与えられるべきなんだから」

「俺は他人の人生を背負う権利なんてどんな人間にも無いと思っているよ」

「貴方は貴族なのに?」

「エリザ、恐らく君が思っているほど、俺は優しい人間じゃない。万人の為に人生を使う気は無いんだ」

「紛争、奴隷、貧困、薬物汚染、この国の外で起きている問題も貴方は見ないふりをしなかった。権力があれば、多くのことを変えられる。それなのに?」

「知っていること全ては背負えない。俺は自分の目の届く範囲に報いるのが精一杯だ」

 彼女には私の知らない彼が見えているのだろう。それは二人が関わってきた長い時間が見出した真実でもあり、空想でもある。理想化された概念を事実そうであってほしいと願うのは、自分本位が過ぎるけれど、あまりにも純粋な想いだ。

「嘘つき。本当は、アルブレヒトはなんでもできるはずなのに」

 刺すような視線は、ほとんど泣きそうに見えた。それでもまだ喉を震わせる。

「貴方の婚約は私と結婚させないためにお父様が先回りして仕組んだの。元はといえばフォイエルバッハ伯爵家は、薄紅の女王の隠された恋人に与えられた爵位だから、不都合があればその事実を明かして王家の威光を盾に結婚を確実なものにできる。でも、貴方を説得できたら結婚してもいいと言われた」

 どんな視線からも逃れようとしないところが彼は強い。でも、彼も相手と同じくらい傷ついているかもしれない。自分が相手を傷つけていることを、本人が最も分かっているはずだ。

「説得以前に、そもそも王配に向いてる男じゃないと思わなかった?」

 王女殿下は不意に立ち上がった。歩き出しながら吐き捨てるように、

「貴方が私のこと好きじゃないってことは分かった」

 と言った。部屋を出て行こうとする彼女に、席に着いたまま声をかける。

「次来るときは上着を持ってきた方がいい。この城は寒いから」

 それには何も答えずに、彼女は廊下へ出て行った。応接室の四角に控えていた従者たちも主と共に消えていく。足音は嵐のように過ぎ去り、先ほどまでの異様な熱気が嘘のように一瞬で静まり返った。

 呆けていてはいけない、と慌てて席を立つ。私はこの家の婚約者だ。代わりに、できることをやらないと。

「私、お見送りに行ってきます」

「助かる。俺が行くと余計に機嫌を損ねそうだ」

 早足で王女殿下の後を追った。廊下に出ると、部屋の側で待機していた城の使用人たちが何も言わずに背後へ寄り添ってくれた。無言の支援が貴族らしい威厳に欠けた私を城主の婚約者に仕立て上げる。

「王女殿下、門前までお見送りいたします」

 はっきりとした声で呼びかけられたのは、後ろに続く人々のおかげだ。石柱の間に声が響く。規則的な靴音と鎧の擦れる金属音が鳴り止む。王女殿下は静かに、しかしよく通る声を零した。

「哀れまないで。貴方のこと、嫌いになるから」

 その言葉を聞いて、とても真面目な方なんだな、と思った。「嫌いになる」ということは、まだ嫌ってはいないのだ。そんなことはあってはならない、と自分を律しているように感じた。

 何が彼女にとって哀れみになるのかは分からない。何も言うべきではないのかもしれない。私は、ほんの偶然で彼女が得られなかった立場を掠め取ってしまったのだから。

「『次来るときは』と、アルブレヒト様は純粋な気持ちで仰っていたと思います」

 だけど、誤解があるとしたら解いておきたかった。アルくんは自分が寒がりだから、他人もそうじゃないかと気にする。出会ったばかりの私に対してもそうだった。「着いたら厚手の服を何着か買った方がいい。寒いから」と、王都から飛び立ってすぐに、そう言っていた。

 彼女の纏うドレスは、王都の宮殿で過ごすには十分な厚さを備えている。しかし、この城では肌寒く感じるだろう。コートが一枚あった方がいい。「次来るとき」は純然たる厚意であり、きっと友達への気遣いでもある。

 双子の魔術師が言っていたように、彼は王女殿下に友人として接している。冗長な批判に聞こえたかもしれないけど、費やされた言葉の数だけ真剣に向き合っている。殿下の望み通りにはなってくれない人だったとしても、彼は誠実な友人であろうとしていたことを伝えておきたかった。

「知ってる」

 王女殿下は、私の言葉を制するように呟いた。

「アルブレヒトは優しい。誰にでも」

 最後まで、彼女が振り返ることはなかった。応接室の中でも、こちらに目を向けなかったのは、余計な感情が湧き上がるのを防ぐためだったのだろうか。

 その後は言葉を交わすことなく南門まで歩き、雪の降るなか走り出す馬車を見送った。貴人を乗せる馬車はゆっくりと進む。一週間、いやそれ以上かかるだろうか。空を飛んできた私は正確な移動時間を知らない。ただ、これだけ積もった雪をほとんど見なくなるくらい、王都と北端の領地は離れている。

 もし彼女が別の言葉で同じ話をしていたら、アルくんも違う返答をしていたのではないかと考えた。同じ、「側で生きてほしい」という願いでも、彼女が己の立場かプライドか、はたまた別の問題で言わなかった理由を明かしたら。友愛か、親愛か、それ以外かは分からないけど、そうやって打ち明けられたら、彼はその想いを汲んだ提案をするはずだ。赤の他人である私にだって心を砕き、「役に立つことは重要ではない」と教えてくれたのだから、友人の告白を突き放すとは思えない。

 彼女の襟元を飾るブローチは、ロゼットの中心に透き通った薄紅の宝石があしらわれた、ユミルの女性王族らしい品だった。ピンクトパーズ、あるいはローズトパーズは「友情」「希望」「成功」などを意味する。また、絶大なカリスマを誇った薄紅の女王を連想させる色から、運命の人を引き寄せる石ともされている。

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