3-5 歴史と人生、物語の分水嶺

 十二月も半ばとなり、冬支度の済んだ瀧国式の屋敷は清閑な雰囲気を漂わせていた。土塀が藁で覆われ、庭の樹木は枝が雪の重みで折れないように縄で吊り上げられている。室内の灯りは外からは窺えず、日差しを遮る雪雲のせいもあって、明け方と錯覚してしまいそうだった。

 案内役として引き合わされた人々のうち、男性二人がアトイを立派な蔵のような厩舎へ連れていってくれた。中に入ると、アトイは白湯と蜜柑を貰っていた。よかった。周囲の白い水龍には興味を向けられているように見えたけど、全然気にせず蜜柑に舌を伸ばしていた。やっぱり、よほど図太い性格な気がする。王都の広場でも、注目を物ともせず噴水の水を飲んでいたのを思い出す。

 道中、私に応対してくれたのは白衣に千早を重ねて着た、巫女らしき若い女性だった。波の文様が入った千早と藍色の袴が日本の近代的な巫女装束のイメージとは異なる。彼女に促されて屋敷の門をくぐると、そこは外観とは裏腹に華やかな空気だった。

 玄関を開けると年嵩の女性が現れ、廊下を進む間にも家の人々が次々に顔を出して列に加わってきた。彼女たちは屋敷の主の妻や親類のようだ。客人を丁重にもてなす、という気風は本当のようで、雪を被った私の上着の代わりを用意しようとしたり、髪を拭いて結おうとしたり、着いてすぐに色々な世話を焼かれそうになった。程よいところで断りを入れるのが難しく、大勢で行くと歓待を受けて「しまう」という意味が理解できた。大勢で世話を受けると、用事を済ませたあとは帰るだけ、とはいかなくなるのだろう。

 座敷で煎茶をいただき、一段落ついた頃だった。小袖姿の髪の短い女の子が無造作に障子を開いた。

「旦那様と領主殿が決闘をしている。見に行きましょう」

 まだ十代半ばくらいに見える少女は、私を見るや否や近づいてきて「領主殿のお連れの方も、早く行きましょう」と急かすように言った。

「見て良いものなのですか?」

 突然のことに驚きながらも、彼らにとっての決闘は神事に近しいものであることが思い当たった。首長を選ぶために行われる以外にも、譲れないものを賭けて行方を勝敗に委ねるという。そういう行事を第三者が観覧してもいいのだろうか。

「家族は見てもいい。自分の夫になる人がどういう戦いをするのか、見たくない?」

 彼女は当然だと言いたげな面持ちで答えた。彼女たちにとって、鉢巻を渡した配偶者は一蓮托生の存在だ。だから、その人がどんな剣を振るうのか見極める必要がある、という考えが窺えた。

 見たくないか、と言われると、見たい。「結構なんでもできる」と自負する彼のことだ、弓矢の扱いだって人並み以上にこなすのだろう。武芸に関してはユリウス様が妥協せずに仕込んでいそうだし、実際、彼は本ばかり読んでいる人にしては不思議なほど均整のとれた身体つきをしている。シノ様はかなり手練れの剣士なのだろうけど、無茶な戦い方をする人には見えなかった。そうそう怪我をするようなことはないだろう、と思ったけど、決闘ってどこまでやるんだろう。片方が倒れるまでの勝負だったらどうしよう。冷静に考えれば大丈夫な要素の方が多いのに心情的に心配が消えない。

 他の女性たちも、どこか浮き足立っているように感じた。少女を窘めつつも、できることなら早く駆け付けたいと顔色が物語っているように思えた。「ご迷惑にならないなら、案内していただけますか」と口にすると、少女は私の手を引いて立ち上がらせた。

 武家屋敷の家人は列をなして階段を上っていった。戻ってきた鳥居の付近には、立会人が増えていた。石畳の上と縄に囲まれた領域は綺麗に除雪されているので、冬の最中でも僅かな土埃が舞っていた。

 袈裟斬りに対して蹴りを一閃、鍔に目がけて突き付ける。持ち手をずらされ返す刀の切り上げが迫る。体勢を低くして剣筋を潜り抜け、背後を取りに行く。しかし、間髪入れずに横薙ぎ。後退して距離を置く。

「領主殿はまだ矢を使っていない。慎重だ」

 この攻防はいつから始まっていたのだろう。少し見ただけでも緊張で胸がいっぱいになる。アルくんは風変りなクロスボウを構え、足技で剣戟を捌いていた。矢を打ち込む機を待っているのか、防戦に徹しているように見える。けれど、おそらくは縄の内側が決闘の舞台だから、遠距離攻撃に優位がある弓矢には不向きな状況に思えて仕方がない。

 貸し出された番傘を差して、鈍く光る剣先や揺れる組紐と濃紺の髪を目で追った。隣に居た少女が決闘のルールを説明してくれて、上の空になりかけつつ相槌を打つ。

 決闘では先に相手の羽織を破いた方が勝者となるそうだ。途中で縄の外に出ることや、故意に相手の身体を傷つける行為は禁じられている。それを聞いて、魔法の使用は禁止事項に含まれないのか、と疑問に思った。大規模な魔法を使うところは見ていないけど、アルくんは相当の使い手だ。この距離の相手なら、一瞬にして羽織だけを氷柱で貫くことも容易にできるはずだった。

「私達は己の力で叶えられることでは神を頼りません。しかし、領主殿が魔法を使わないのは、それが彼の誓約だからです」

 それに対しては巫女装束の女性が答えてくれた。ミカグラの民は言葉と祈りの浪費を好まない。決闘に魔法を用いないのは、規則以前の当然の心構えのようだ。

 そして、誓約についても教わった。ミカグラの民の戦士は、必ず一つは自身を縛る誓いを立てるという。強い戦士ほど多くの誓約を持ち、己を律する。「ミカグラの民との決闘において、魔法を使わない」ことはアルくんが立てた誓約の一つだった。

 突きを半身で躱して、重心の移動をそのまま足払いに繋げる。相手は飛び退くと刀を振り上げた。片足を軸に回転し、再度向き直ったときには振り下ろされる寸前だった。

 左右に振れて側面を突くか、背後へ回ると予測していた。濃紺のマントがはらりと揺れて裾が地面をなぞる。肩口に光る白金のブローチが天を仰ぐ。大きく仰け反った表情は打刀の鍔から降りる何枚かの布で隠されてしまった。しかし、弓弦そのもののように張り詰めた腕が、一点を穿つ意思を以って掲げられていることは見てとれた。

 刃が迫るまでの刹那に、的は最大まで大きくなる。狙いすました一矢が空いた脇下の空間に向けて射出された。その連弩は細く短い矢しか装填できない造りに見えた。けれどこの距離であれば威力は問題なく、檳榔子染めの羽織に小さな風穴を開けた。

 相手の剣士はぴた、と動きを止め、ゆっくりと刀身を鞘に収めた。

「射抜かれるとしたら、死角に入られたときだと思っていた。貴方は勇敢だった」

「それを待っていたら日が暮れると思って」

 アルくんは、悠々と矢を拾い上げた。台座に鉢巻が巻かれた連弩は傷一つ付いていない。瞬きをしたら決着を見逃してしまいそうな攻防の後で、何事もなかったかのように振る舞っていた。

 強いんだ、この人。負けそうにないとは思っていたけれど、目の当たりにすると尋常ではない空気に息を呑む。

 文武両道、なんてキャラクター性は創作の世界ではありふれている。感覚が麻痺していた。実際に遭遇してみると怖いくらい印象に残る。

「旦那様、お疲れ様でございました」

「旦那様、油断なさいましたね。領主殿が慎重な性質だから賭けには出ないと踏んだのでしょう」

「当主様、立会の方はどちらですか? 領主殿の御家の方もいらっしゃらないと」

「詩野、どうして突然決闘などと……貴方から言い出したことなのですか」

 雪焼けした肌に汗を浮かべた青年を女性たちが取り囲む。静かな口調の彼女たちが一斉に声を浴びせると、彼も気圧されたように眉間に皺を寄せた。

「お前たち、家に居なさいと言っただろう」

 首長一族を横目に、私も「領主殿」に番傘を差し出した。白皙の顔が薄く上気して血色が表れている。

「お疲れ様でした」

「とりあえず仕事は果たせたよ」

 余裕そうな声色の奥に疲弊が見える気がした。ちょっとだけ、目の端に張り付いた長めの前髪を整え直してあげたい衝動に駆られた。

 鉢巻を渡したときに「武器を持って行く予定がある」と言っていた。彼は、かねてより目的があってこの決闘に臨んだのだろう。それが何かは分からないけど、領主として果たすべき仕事であることは予想できた。

「アルブレヒト、有事の際は戦士の指揮を貴方に委ねる」

「謹んで承ります。じゃあ、悪いけど帰らせてもらう」

 二人はあっさりとした態度で別れの挨拶を済ませた。それと同時に、私たちより先に決闘を見物していた数人の中から、龍騎兵団の制服を着た人物がこちらに近づいてきた。明らかにミカグラの民ではない外見なのに、勝敗がつくまで存在に気がつかなかった。

「慌ただしくて申し訳ないが、城に急な来客があったそうだ」

「急いで帰らなくてはいけなくなったんですね」

 団員と彼とを交互に見ると、性急な帰宅宣言の訳を説明された。合理主義者の彼でも、用事を終えたからといって、訪問先で不躾に帰ると言い出したりはしないと思ったのだ。龍騎兵は伝令役の早馬代わりだったようだ。

 アルくんが来客を忘れて外出の用事を入れるとは思えない。けれど辺境伯家に手続きなく来訪したうえで、当主直々の対応を要求できる賓客も珍しい。

 私が考えを巡らせていると、彼は独り言のようにあっけなく答えを提示した。

「こんな田舎に便りもなく誰が来るのかと思ったが、王女殿下がお待ちとあれば仕方がない」

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