乙女ゲームの百年後 転生(?)針子令嬢と氷の年下領主様の婚約は糸と言葉で紡がれる
入江芹葉
1-1 龍は風花を連れて舞い降りた
「あれがダグダ山脈。山肌に花崗岩が露出しているから、麓では白磁器を作っている。鉱山はもっと北の方」
淡雪が降り注いでは龍の黒い翼の上に溶けていく。船の帆が風を受けてピンと張るように、地上に向けた大きな翼は吹き上げる風を巧みに捉え、最低限の羽ばたきで空を突き進んだ。予想外に、静かだ。背後からの平坦な語り口がはっきりと聞こえるくらい、静かな飛行だった。
「あの町が領の東端。王国人は大体ボアンって呼ぶけど、本来の発音はボアーンらしい。小麦が屋外で栽培できる現状での限界ラインで、領内では一番農業が盛ん。普通のシルクの方の養蚕もやっている。アリアドネを飼っている村もすぐ近く、少し北西にある。でも、ほぼ森だからここから視認するのは無理かな」
彼は時折、龍に繋がれた手綱から片手を離して、今私たちが空から見下ろしている地上を指し示しながら領土について話をしてくれた。王国内で最も寒く雪深いその土地は、ここ十数年で様変わりするほど人口が増えたらしい。解説の声に熱っぽさは感じられないけれど言葉は流暢で、聞いていると、ここが長年捨て置かれていたとは思えなかった。
王都から北西へ進み続け、領内の町を三つ通過したところで海岸線が見えてくる。北国らしい暗い色の海だ。港には貿易船が十隻以上も停泊している。そして港を中心に扇形に街が広がり、アルヴァルディ辺境伯家の居城も見てとれた。
「この辺りからマクリール半島。地図でいうところの三日月の下半分に該当する。まあ実際は、あんまり月の形には見えないけどね。海岸沿いに見えている城壁の内側一帯が城郭都市リール。内陸部の壁はもう無いけど、慣例で城塞都市ってことになっている」
今から、おおよそ五百年前、この美しい城と巨大な円形の城壁は、当時の女王によって王国史上三度目の魔獣の襲来に備えた前線基地として造られた。そのため、城の名前は女王の異名にちなんで白薔薇城という。
そこまでのことは私も知っている。だけど、私の知る百年前には城の周りに街が栄えてはいなかったし、辺境伯家はそこに住んでいなかった。がらんどうの城と遺跡のようになった城壁跡、流刑地でもある鉱山の他は何もなく、深い森と吹雪に覆われた土地として地図に描かれていたはずだ。
街の変貌ぶりに驚きながら城下町を見下ろしていると、龍の進行速度がゆっくりになってきて、彼に呼びかけられた。
「そろそろ高度を下げるけど、城に直接着地してもいい? 雪降ってるし」
「あっ、はい、大丈夫です」
これまでの声は会話というより解説とか講義に近いものだったので、突然明確な自分への呼びかけを受けて、一瞬固まってしまった。ぎこちない返事をしてしまい恥ずかしい。
「着いたらとりあえず部屋に案内するよ。使用人総出で御迎え、とかできなくて悪いが、それよりさっさと暖かいとこに入った方がいいと思う」
令嬢らしさに欠けた私の声を彼が気にする風はなかった。手綱を引き、雪が舞い降りる速度と同じくらいにゆっくりと、地表に近づきながら言葉を続ける。ストレートな言い回しではないけれど、親切な申し出だった。「お気遣いありがとうございます」とお礼を述べると「いや、俺も早く部屋に籠りたいんだ」と辟易とした感情が滲んで聞こえる声が返ってきた。
「北国の方も、さすがに雪が降ると寒さを感じるものなんですね」
彼は雪の中でも平然としているように感じたけれど、寒いと思っていたんだ。
この土地の人だから、このくらいの雪はなんてことないのだろうと思っていた。冷静そのものだった声の主をちょっと身近に感じて、微かに口元が緩む。
「むしろ寒さに弱いよ。少なくともうちの城内の人間は。騎士団で最も嫌われる仕事も雪かきだからね」
そう言いながら尖塔の脇を抜け、中庭へ着陸する。到着の間際で疑念がほぼ確信に変わってしまった。私は今まで、彼のことを辺境伯家に仕える、爵位を持つ騎士だと考えていた。でも、一介の騎士が主の居城を「うちの城内」と言うだろうか。
大地に四肢を着け、身体を伏せた龍の背中から青年が飛び降りる。足首までの長さのあるマントが揺れて、裏地の精細な刺繍が覗く。そして、出発のときと同じく「どうぞ」と不愛想な言葉だけでこちらに手を差し出した。
「あの、すみません。今更ながらお伺いしたいのですが、貴方のお名前は……」
時すでに遅し、そう思いながらも問いかけた。
こちらを見上げる切れ長の目は無機質で鋭い。ペリドットの輝きを写し取ったかのように鮮やかな萌黄色は雪原の背景にけっして馴染まず、視線の印象を強めていた。目が合うと、射抜かれた気分にさせられる。しかし、曲線的で涼やかな輪郭や鼻梁が合わさると、全体としては「凛然とした美少年」と形容できそうな顔立ちだった。
ユミル神聖王国建国以来の大貴族、アルヴァルディの現当主は十七歳の少年らしい。昨年学院を卒業したばかりでありながら、領主として辣腕を振るい、経済的優位性を背景に貴族社会に異様な存在感を示しているという。
私の手を掴み、引き下ろしながら彼は口を開く。飛行中に想像していた通りの、声に似合う凪の表情で。
「アルブレヒト・フォン・アルヴァルディ。ここの城主で、君の婚約者に指名された者だ」
薄く積もった雪の上にブーツで降り立つと、さく、と音がした。目の前でも同じ音がする。ショートブーツの右足を後ろに回して、右腕は胸に添え、左腕は外へ差し出す。腰を曲げる角度も完璧なボウ・アンド・スクレープ。
「ようこそ、我が領地へ」
その一礼で不愛想な龍騎士は領主様へと変貌した。濃紺の髪を後ろで束ねる組紐には、梅結びの水引のような細工がついている。王国内では見慣れないその装飾を見て、私の婚約者はミカグラの民の血を引いている、と話に聞いていたことを思い出した。
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