2-3 氷の一族の流文流説

 シキナ様と城内で働くミカグラの民の女性に刺繍を教わって、分かったことが二つある。一つは、ミカグラの民の言葉は、日本語と文法が同じだということだ。彼らが瀧国から離れて千年経つものの、本国との往来は途絶えたことがないらしく、言葉も大きな差異がない。瀧国、特に群島部は日本をモチーフにしているためか、そこにルーツを持つミカグラの民の言葉は私の耳に馴染んだ。歌舞伎の台詞回しや古典落語を聞いているときのような、細部までは分からないけど何となく意味が通じる、くらいの理解度だ。王国やニヴルヘイムとの交流によって生まれた独特の語彙を把握できれば、軽い会話や挨拶ならこなせるだろう。領主の婚約者として彼らの元へ赴くにあたって、言語の壁という不安要素は解消されそうでよかった。

 もう一つは、やはりあのマントの見慣れない柄はミカグラの民が編み出した文様だった。王国風の図案とミカグラの民の文様を組み合わせて作ったものらしく、全てが手縫いだという。

「糸は、繋ぐもの。紡ぐ。結ぶ。刻む。神と繋がるため、先祖や子孫と自分たちとを結ぶため、私たちは文様を刻みます。それは自分の人生を紡ぐことでもあり、祈りを込めることでもあります。おそらくは、ユミルの人々が女神の像の前で手を合わせることと、同じなのではないかと私は思います」

 シキナ様は、そうおっしゃっていた。大陸を横断して布教の旅をしたミカグラの民の先祖は、舞によって神意を表したという。どんな国や民族の人々にも通じる、言語の垣根を越えた祈りの形が舞であり、刺繍だったのではないだろうか。教わった刺繍には、龍や龍神の宿るとされる川を意味する波線が何種類もあった。シキナ様と城の女性が把握していないものを多くあるだろうとのことだ。ミカグラの民の持つ図案がどれも抽象的な幾何学模様であることは、様々な文化圏の人々に向けて教義を伝えるために、宗教的なモチーフをより簡潔な表現を求めて洗練させていった結果なのかもしれない、と想像した。

 ミカグラの民の女性は、結婚や子供が生まれた際に、夫や我が子に刺繍を施した衣服や鉢巻を必ず贈るそうだ。相手のことを想って文様の意味を組み合わせて、祈るように一針一針仕上げていく。祈りを纏う、という行為を私はとても美しく感じた。そして、王国貴族でありながら、アルブレヒト様とユリウス様は、長いマントを曰く「ちゃんとしたとき用」の正装にしている。これはミカグラの民を丁重に遇する意思の表れだ。

「辺境伯家の家紋も龍と百合ですよね。やはり、瀧国の巫女と縁のある家系だからでしょうか」

 龍や川を意味する文様が複数ある、という話をしていて、そのことを思い出した。アルくんは本に目をやりながら話に耳を傾けていた。彼は話を聞いていないような素振りをしていたとしても、無視はしていない。そう長くない馬車の移動時間にも本を読もうとするあたり、本当に読書が好きなんだと思う。

 今日はリールの城下町を案内してもらっていた。領主の婚約者として顔を見せておけば後で何かと便利だろう、ということで彼が同行してくれて、辺境伯家が懇意にしている店や港に停泊している貿易船を中心に見て回った。通常、貴族が自ら店に出向くことは稀で、用事があれば邸宅に呼び寄せるのが一般的だ。しかし、礼拝の帰りに仕立屋の前を通りかかることが好きだった私と、曰く「舶来品の監査が趣味」の領主様の利害が一致した。

 リールでは貿易船の中で商売が完結するようになっており、他国から来た貿易商が船を降りて路上に商品を並べたり、街に店を持ったりすることはできない。その理由の一つは「この港はミカグラの民が行っていた無言貿易の延長線上が整備されたから」、もう一つは「この街は商人やその奴隷を無条件に受け入れても治安が悪化しないほどには安定していないから」だという。当面は来航した船に安く燃料を補給させ、リール港が鉱山資源や生糸の取引の巡航ルートとして定着した頃に、領事裁判権を撤廃したうえでの在留に同意する者は領内での商業活動を許可する方針、らしい。つまり、外国人が犯罪やトラブルを起こしてもすぐに対処できるように、場を整えておきたいのだと思う。彼は遠い土地から、面白いものや知らないものが入ってくることを楽しんでいるように見えたけど、それ以上に街を荒らさず、領民をはじめとした人々の生活を豊かにすることに重きを置いているのだろう。

 商売の場として誂えられた船上は、異国のお祭りのように華やかだった。立ち並んだ屋台のように交易品が陳列され、絨毯の上を通って上ってきた客人たちは、乗員たちとそれぞれに商談を交わす。潮風や日光に弱いものは、絨毯が枝分かれした先を辿った船内の部屋に置いてある。本がそうした安全地帯にきちんと並べられていると、この港の主は喜んで――もちろん、静かな表情ではあるけれど、心なしか瞳に小さな水紋が広がるような穏やかさを湛えて――引き取っていく。

 彼が綴じ方や言語の様々な本を手当たり次第に開いているあいだ、私は小部屋の壁中に張り巡らされた鮮やかな更紗に目を奪われていた。ユミルではなかなかお目にかかれない力強い色使いには思わず手に取りたくなる魅力がある。繊細にして独特な、草花から神話までどんなモチーフでも取り込んでしまおうという野心に溢れた模様と、さらりとした木綿の手触りの相対性が美しく、蒐集欲をくすぐられる。私の前世の歴史においては、インドで生まれた更紗は日本やヨーロッパなどに輸出され、それぞれの地域に馴染む模様を発展させた。個性的でありながらドレスにも着物にも使われる利用範囲の広い生地だ。けれど、ローブ・ア・ラ・フランセーズのように布をたっぷり使ったドレスを仕立てるならともかく、基本的に夏服向きの薄い生地である更紗を買っていただくわけにはいかない。私が白薔薇城に居るのは冬が終わるまでの期間だ。第一、船に来る前に仕立屋で冬用のドレスと室内着を数着手配してもらっていた。「持って行けばいいのに。袖振り合うも多生の縁ってことで」と言われたけど、さすがに私の趣味にお金を出してもらうのは気が引けた。

「そうだな、まず、家紋自体が瀧国の文化なんだ。千年前の薔薇の巫女と代行者たちの伝説は、瀧国を含む大陸全土に知れ渡っている。瀧国の絵画では、ユミルの宗教画に描かれたアトリビュートを組み合わせて一つの紋章を作り、その紋章を人物の装飾品に描くことで伝説の登場人物を表現した」

 アルくんは、一瞬、こちらに視線を向けてから手元に視線を戻し、話を始めた。アトリビュートは、美術作品において表現されている人物や神様を見分けるための象徴的なアイテムだ。たとえば、聖ユミルのアトリビュートは白い帽子と青い宝石の指輪なので、どの時代、どの場面がモチーフの作品だとしても、その二つを身につけている人物は聖ユミルだと分かる。

 アルヴァルディの始祖のアトリビュートは龍とユリの花だ。龍は戦いの後に妻となる星宿の巫女を象徴し、氷の神ドルンの神具である剣をユリで表している。ユリやイリスを剣に見立てるのは、騎士の制服の装飾によく用いられるフルール・ド・リスと同様の手法だ。その二つが氷の代行者全般、ひいてはアルヴァルディ家を表すものになっている。

「瀧国からユミルへ家紋の表現が伝わると、貴族はそれを真似して各々の家の紋章を作るようになった。瀧国と関係の深い家系だから龍が描かれている、という考えは正しい。でも、実は今でいうところの龍が描かれていない時代もあった」

 周辺諸国では、紋章は個人を表すために用いられ、家紋の文化は見られない。ユミルにだけそれが存在するのは瀧国との深い関係によるものだったようだ。日本では、時代劇で旗や印籠を使った演出があるように、大名家が家紋で身分を示す。そのせいかユミルにも家紋があることに疑問を抱いていなかった。

「今でいうところの、ってことは、昔の龍は今とは違ったんですか?」

「そう。元々、この辺りでは龍と蛇の区別が無かったらしい。ラート教の定着以前の民話なんかを見ると、文では龍と書いてあるのに挿絵がどうみても大蛇だったり、その逆もある。だから初期のアルヴァルディの家紋や宗教画のアトリビュートでは蛇が描かれている場合があった。しかし、魔獣が持たない能力である『浮遊』を龍の重要な要素であり、神聖さの証と捉える瀧国の考えが取り入れられて、ユミルでも龍と蛇が区別されるようになった。空を舞う神聖な龍、地を這う奸佞邪知の蛇、というイメージで分断された」

 魔獣は海で産まれ、川を遡上していずれ陸に上がる。陸上で成長しきった姿は、魚の鱗、蛙の目、獅子の体格、猪の牙、蛇の尾を持つとされるキメラだ。確かに空を飛ぶための翼は持たず、魔法で浮遊することもない。

 こういう歴史関連の雑学的な話になると、アルくんはとても流暢に喋る。でも、不思議と飽きない。どんな先生がいたとか、前世での学校生活を具体的には思い出せないけど、歴史の授業の面白いこぼれ話を聞いているときみたいな気分になる。それに、表情は平坦でも心なしか楽しそうに見えるので、話を遮る気にならない。「最近は蛇に戻した方がいいんじゃないかって説もあるけどね」と皮肉を飛ばすところも、逆にちょっと可愛いと思っている。彼は話の終わりに露悪的な発言をする節がある。「善い人間だと思わないでくれよ」と表明しているようで、意地みたいなものを感じてしまう。

「これも一種の権威付けですね」

「そうだろうね。ラート教では瀧国における龍神が女神の化身の一つ、ということになっているから」

 ユミルは神の権威によって生き残ってきた国、と以前彼は言っていた。化身たる龍神の権威が高まれば、女神の権威も高まる。ゆえに、本来龍への信仰が薄かったユミルと周辺諸国でも、神聖なイメージを持たせたかった。それで、龍がより神聖な生き物として扱われるために、蛇との区別を設けた。そう考えれば筋が通る。

「こういう罰当たりな話ばかりすると、偉大なる薄紅の女王を敬愛する君に悪いから、現在語られている神話の正統性の主張に有利な話もしようか。七柱の神を象徴する宝石は知ってる?」

 女神ロザリーに従うルート教の七柱の神は、それぞれ光、闇、火、水、氷、土、風の七つの魔法の属性を司る。また、神々は一つずつ象徴する宝石がある。それを持っていると、該当する神が司る魔法の使用時に加護が得られる、と言われている。要するに、神話的に格式高いパワーストーンが七種類存在するということだ。

「はい。持っていると魔力を高めてくれるって、昔から言われていますよね」

「それなんだけど、迷信ではないらしい。実験したら本当に魔法の出力が変わった」

 その後、彼は学院時代の話をした。宝石鉱山を有するアルヴァルディ家から多種多様な宝石を持ち込んで、それらを手に持った状態で魔法を使ったら効果が変わるか検証したそうだ。宝石の有無やサイズ以外の条件を統制するのが難しかったとか。本当に実験だ。

 ゲームでは、宝石のお守りが実際に効果を発揮する。宝飾品はキャラクターに装備させることができ、使われている宝石に応じて魔法の効果が上昇した。例えばサファイアの宝飾品を持たせると水の魔法の効果が上昇するので、私は水の代行者であるロイくんに資金が許すかぎり最も質のいいサファイアを装備させていた。水の魔法は回復魔法を包括する属性だ。そのため、絶対にキャラクターを死なせたくないタイプのプレイヤーは軍のヒーラーであるロイくんに宝石を投資した。これがネットで「ロゼリジュはショタに貢ぐゲーム」と面白おかしく紹介される所以である。聖ユミルのアトリビュートである青い宝石の指輪は、ゲーム内でも合理的な装備だ。

「詳しくはそのうちコールラウシュが本にしてくれるだろう。たとえ信仰が廃れても、軍需産業として宝石は売れ続けるだろうな」

 コールラウシュ伯爵家は七貴族にも劣らない長い歴史を持つ名門貴族だ。貴族社会の事情に疎い私でも名前を知っているほどの名家で、優れた宮廷魔術師を多く輩出している。魔法が神に魔力を捧げてその権能の一端を授かる行為とされるのに対して、魔術は呪文や薬の調合といった規則的な手段によって神の御業を再現することを指す。魔術師はこの世界における研究者のようなものだ。学院で一緒に実験をした友人の中に、コールラウシュ家の生徒が居たらしい。そういう研究者気質の人とアルくんが親しくしているところは、なんだか簡単に想像できた。休み時間に議論を交わしていそうだ。

 私はゲームの知識として神のご加護に実効性があると分かっていたけれど、実験でそれを確かめてみようとは考えたこともなかった。ファンタジー設定が好奇心によって解き明かされようとしている。この世界でも、いつかは科学が神秘よりも信仰を集めるようになるのかもしれない。

「神秘を実験で検証する人がいるとは思いませんでした。先生方に怒られませんでした?」

「魔法言語学講師監修の下、信心深い先生方の目を避けてやったから大丈夫」

 結局「罰当たりな話」に変わりないんじゃないかな。私はロゼリジュのキャラが好きなだけで、特別信仰が篤いわけではないのでいいと思うけど。

「というわけで、工房が見えてきた。宝飾品も取り扱っているから、必要があれば頼むといい。素材はダグダの鉱山から採るから、買うだけ領内の経済が回る」

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