3-1 歴史と人生、物語の分水嶺

 白薔薇城の主塔は図書塔と呼んで差し支えない建物だ。通常の城なら、主塔の一階は金庫や牢獄、中層階は広間や礼拝堂、城主の生活空間、最上階は物見やぐら、といった役割を持つ。しかし、この城の主塔は中層階が本棚と作業机で埋め尽くされていた。

 私は城の構造に特別詳しくはない。カレン女王の戦いに関する歴史書や小説を読んで、描写から知識を得た程度だ。本を読んでいたときのイメージでは――城の主塔といえば、豪奢なシャンデリアに照らされた広間で、騎士たちが片膝をつき、戦いの前に女王の剣に口付けを捧げて忠誠を誓う――そういう、厳かで煌びやかな場所を想像していた。

「待たせたね。ようこそ図書室へ、この城で一番いい場所だ」

「図書室」という名称は城主公認らしい。彼は主塔の三階、奥の長机に本を積んでいた。この図書室は一部の吏員の仕事場にもなっており、周囲にも机に向かっている人の姿がある。彼らがどうして本来の持ち場を離れ、図書室に籠っているのかと聞くと「いちいち欲しい文献借りていくのが面倒くさいからですね」「あと食堂近いし、他人の目のある場所だと不思議と机の上荒らさずに済むんですよね」との答えが返ってきた。なんか、つくづく学校の図書室っぽい。「図書室の方が勉強に集中できる」みたいなことかな。

 アルくんを探しに主塔を尋ねると、二人の文官に声をかけられた。彼らは私が城主を探していると知ると、様子を窺いに行って、少々立て込んでいそうだと教えてくれた。アルくんの手が空くのを待つあいだは、二人が話し相手になってくれたので時間を持て余さずに済んだ。彼らは双子の魔術師(王族や貴族に雇われている魔術師は、学士の名称で文官扱い)で、顔も声も瓜二つだった。

「僕らは次男三男なんで、外で働き口見つけなきゃいけなくて。双子同士協力してしぶとく生きてくか、って思ってたんですけど……」

「王宮に就職したら永遠に壁を固くする呪文を開発させられるのが嫌で。かといってコールラウシュのお嬢様みたいに実家が太いわけでもないし」

「将来どうしよ~って呻いてたら、アルが雇ってくれました」

 彼らはアルくんの同級生で、就職先に迷っていたところを誘われて、学院の卒業後にアルヴァルディ領へ来たそうだ。他にも同じ経緯で領内に就職した生徒が居るらしい。通常は、王族が学友の中から侍従候補を選ぶことがあるくらいで、学院での交友関係が直接就職に繋がることは稀だ。アルくんが卒業後すぐに領地を継ぐと決まっていたから、そして話を聞くかぎり、異様に学内での人脈が広かったから、スカウトが成立したようだ。

「アルは友達多いですよ。僕らみたいな日陰者から王女殿下まで仲良いくらいなんで、本人的には来るもの拒まずって感じですね」

「ただ、王都の女子とは若干相性悪くて……ちょっと心配してたんですよ。どうですか? 実際」

 彼がどんな学生だったのかを尋ねると、そう返答された。「友達が多い」と言われて、改めて人嫌いな人ではないんだな、と思った。近くで接していた人には、冷たく見える彼が本当はどんな人間か理解されているようで嬉しかった。

 おそらく、学院時代の彼は女子生徒に人気があっただろう。そして、想いを寄せてきた王都出身の女子生徒に、冷や水を浴びせるような言葉を言い放ったのではないかと思う。たぶん、悪気なく。彼なりに真剣に向き合った結果、正論や現実的な意見をぶつけてしまい、相手の令嬢は「手酷く振られた」と言う。そうしてロマンティックな恋愛を夢見る中央貴族の令嬢の間では冷酷な人として評価が定着してしまい――という流れが容易に想像ついた。私の想像が真実とは限らないけど、王都の女子生徒と価値観のすり合わせが難しい面がありそうだ。

 中央出身の令嬢、である私が、婚約者として彼ときちんと意思疎通が取れていることを知ると、彼の年上の友人たちは同時に「よかったぁ」と息を吐いた。仲良くしている、とまでは言えなかったけど、私が一方的に彼を良い人だと思っているだけで随分安心してくれたみたいだ。

 その後も彼らの学院時代の話や「壁を固くする呪文」の発展の歴史――戦争では攻城兵器や魔法で城壁を崩し合うため、各国で城壁を強固にするための呪文の開発競争が行われているらしいを教わった。立て続けに話題を提供してくれて、色々な角度から知らない情報を得られたので、待っていたことを忘れそうだった。

「お忙しいところすみません。あの、お聞きしたいことがあって」

 私の用事の一つは、ミカグラの民が記した書籍がどこにあるかを教えてもらうことだ。彼らに会いに行く前に、暮らしぶりや思想などを知っておきたいと思っていた。それで以前から資料を探していたのだけど、未だに見つけられていなかった。私の探し方が悪いだけかもしれないし、それともどこか別の場所に保管してあるのかもしれない。どちらにせよ一人で探すのに限界を感じ始めたので、申し訳なく思いつつ彼に教えてもらうことにした。ほぼ毎日この図書館に通う人達でも、専門外の蔵書の位置は把握しきれないようで「人文学系ならアルに聞いた方が早い」とも言われたところだ。

 ミカグラの民の生活が綴られた本と、できれば刺繍の図案が見たい。用件を伝えると彼は左斜め下に視線を移して、口を開いた。

「ミカグラの民が記した文書は、残念ながら此処には無い。ユミルの人間が王都に持って行ったからね」

 この口振りだと、この城にただの一冊も存在しないのだろう。知らなかった。

「どうしてそんなことが……」

 彼がどこか言いづらそうに見えたのは、おそらく私が「ユミルの人間」だからだ。たぶん、王国がミカグラの民の文書を持ち出したなんて、多くの国民が知らないでいる。

 歴史を学ぶうえでは「されたこと」よりも「してしまったこと」を認識したときによほど辛く、受け入れがたい感情に苛まれる。自国が敵にどれほど残虐な攻撃を受けたかよりも、敵にどれほど悪辣な罠を仕掛けたのかを知ると、自分が罪の上に生きていることに気づかされる。知らずに生きてきたことへの罪悪感と、こうはなりたくないという忌避感が同時に押し寄せるから、過去を知るのが怖いと思うのかもしれない。

 だから彼は私に後ろめたさを感じさせないかを気にしてくれたのかもしれない。だとしても、私はなぜ、と尋ねるべき立場だ。ユミルの民で、領主の婚約者として。

「かの薄紅の女王の時代、王国とミカグラの民の交流は盛んだった。ミカグラの民は王国の書物と交換で集落にあった文書を貸し出したという。しかし、その文書は未だに返還されていない。女王が急逝した後に王宮へ返還を求める手紙を出したが返事は無かったそうだ」

 彼は静かに語り出した。見えない本の記述を読み上げるように、確かな言葉を積み上げていく。目線は変わらずに手元に置いた本の辺りに向けていた。

「ミカグラの民は、言葉に霊力が宿ると信じる瀧国の文化を受け継いでいる。ましてや彼らは神職者の末裔だ、祝詞や言祝ぎといった思想が前提にあり、時勢を言葉に書き留めて後世に伝えることも重視していた。初めから王国の側では文書を借用したのではなく、受納した認識だったのかもしれない。俺は片方の言い分しか知らないから、両者の間でコミュニケーションの齟齬があった可能性は否めない。だが、事実として百年前を境に彼らは言葉を文字に託すことを止めた」

 日本にも言霊という考え方がある。ある言葉を口にすると、その言葉通りのことが起こりやすくなる、というような信仰だ。ミカグラの民は言葉を祈りの一端と捉え、不用意に神の力を借りないために用心するので、無口になる傾向があると聞いた。本当に大切な願いが叶えられるように、人の知恵や工夫で解決できることは祈らないそうだ。その話をしてくれたシキナ様と使用人の女性は、確かに物静かな人たちだった。日頃は口数が少なくとも、必要なときには言葉を尽くす、そんなイメージだ。私との言語の壁は関係なく、彼女たち同士で会話をしていても無駄のないやり取りをしていたように思える。

 目の前に居る男の子は、ある契機に一変して雄弁になる。語るべきことを語る使命を帯びているようでさえあった。彼は、ミカグラの民の血を継ぐユミルの貴族として、両者の間に立つ漣を取り消すために領主になったのだろうか。

「……それを取り戻したいと思っているんですか」

 問いかけると、彼は目線を上げて、左の口角だけを僅かに動かした。

「俺の手に届かないところに面白そうな読み物があるのが気に食わないだけだよ」

 それは私が初めて見た彼の微笑だった。笑っているような、悲しんでいるような、それでいて、もっと固い意志に基づいた感情も予感させる。怒り、よりはきっと研ぎ澄まされた、何かに挑んでいるような表情。

「たった百年分の記述が失われるだけで、歴史を追うことは非常に難しくなる。この土地が栄えて領民が日常的に文章を綴るようになれば、彼らも再び文字で記録を残し始めるかもしれない。人類は須らく俺の読む本を増やす手伝いをするべきだ」

 やはり、彼は露悪的な言葉で終わらせた。彼の真意は分からない。でも、失われるべきではないものを沢山抱えているように思えた。

「アルくんは、どうして本が好きなんですか?」

 この、未だ十代の領主様が背負っているものを、あたかも理解しているかのようなことは言えなくて、質問を重ねた。私にはまだ、理解しようとすることしかできない。

「存在するだけで誰かの人生を変えるかもしれない可能性を秘めているからかな。それは美術品も同じだろうけど、美術が色や形に意思を託した表現であるのに対して、文章には何かを伝えようとする意思が直接反映されている点に興味を惹かれる」

 想像以上にロマンティックな回答だった。だから、彼は人や物に、役に立つことばかりを求めないんだ。それらが存在することによる可能性の広がりに意味を見出しているから、ただそこにあるだけで価値を認めている。歴史や文化が保存されることの意義を深く味わっている人なのだろう。

 情緒的な台詞の後ろには「後は、まあ、遺伝」と付け加えられた。この城の主塔が図書塔になった所以に関わる、城内では有名な話だ。

「シキナ様も本がお好きなんですよね。それで、ユリウス様が広間を図書室にされたって」

「母は向こうでは変わり者だったらしい。父親が集落で一人だけ任命される書記係だったからなのか、幼い頃から文字を読むのが好きだった。首長の家にあったユミルの本で読み書きを覚えたので、雪山で遭難した不用意なユミル人とも筆談で意思疎通ができた」

 かつて、主塔の四階と五階は吹き抜けの広間だった。白い大理石の階段を上った先には王座が黄金に煌き、その背後は神話をモチーフにした壁画が描かれていたそうだ。しかし、ユリウス様は王国の栄華の象徴をことごとく破壊し、国中のどの城の書庫よりも広い図書室にしてしまった。そしてシキナ様に本棚が立ち並ぶ広間を見せて「此処をお前のものにしてくれないか」と告げた。

 女王の間を一人の女性に明け渡す、つまり「貴方が私の女王です」という意味のプロポーズだ。魔獣との戦いの歴史から、女王が尊ばれるこの国でそんな求婚を為し得るのはあの方だけだと思う。尊大、不遜といった言葉では言い表せない大胆さだ。

 百年前の出来事を知ると、この話が意味深く感じてくる。シキナ様が本の好きな方だったから、というだけでなく、ミカグラの民から本を持ち去ってしまったユミルの人間として、償いをする意味もあったのかもしれない。

「さて、随分長話をしてしまったな。本の場所を聞かれただけなのに」

「いいえ、詳しく教えてくださってありがとうございます。申し訳ないのですが、もう一つお聞きしてもよろしいですか?」

 聞きたいことはもう一件ある。お忙しければまた日を改めます、と言い出す前に「どうぞ」と続きを促された。

「ご令兄様は、どんな方なのでしょうか」

 もうすぐ彼のお兄様とも顔を合わせる予定だった。緊張せずに話せるように、心構えをしておきたいと思って尋ねた。

 すると、意外にも彼は端的に形容した。

「優しい人間だよ。水の神に近づきすぎたんだ」

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