3-3 歴史と人生、物語の分水嶺

「ちゃんとしたやつとちゃんとしてないやつ、どっちがいい?」と聞かれて、案内されたのはやけに広い厨房だった。キッチンストーブから味噌の匂いがして、あまりにこの異世界の風景と乖離した感覚に夢かと思った。

 そんな聞かれ方をしたら絶対に「ちゃんとしてないやつ」が気になってしまうし、そちらの方が楽しそうだと確信した。家族を含めた婚約者との正式な顔合わせ、という名目の夕食会は居館一階にある食堂の奥で開かれた。味噌の匂いは幻ではなく、鍋の中には猪肉と野菜が煮込まれていた。ユミルで牡丹鍋を食べられるとは思ってなかった。前世の私も食べたことがない気がする。

 領主の一族は平然とそこに居て、料理人に混ざって火加減を見たりしていた。普段は料理人たちがまかないを食べるときに使っているのか、大きなテーブルが三台も設置されていた。戸惑いつつその前に座ると、程なくして出来たものから順に料理が並べられていった。

 ユミルの女性貴族で料理を趣味にする人は珍しくない。しかし、男性では非常に稀だ。唯一、可能性があるとしたら百合の騎士団の団員くらい。彼らは王都から国内外問わず様々な土地に遠征をするので、行軍訓練の一環として調理を学ぶ。過去に騎士団に所属していたユリウス様が料理をできることは、よく考えれば不自然ではない。とても驚いたけど。牡丹鍋はユリウス様が作っていた。ちなみに猪を弓で仕留めて、解体したのも本人らしい。

 ミカグラの民は、山で獲った獣を男性が、海で獲れた魚介類を女性が調理するという役割分担があるらしい。山は男性に類するもの、海は女性に類するもの、と考えられているため、そこで生まれた命を正しく還す意味を込めた取り決めなのだという。そういう風習が背景にあって、ミカグラの民と縁深い辺境伯家の男子たるもの包丁一つ握れないようでは、という教育方針だったそうだ。アルくんは「そういう建前もあるけど、あの人が料理したがるのは単純に好きなだけだよ」と言っていた。なんでも騎士になる前、学生の頃から寮の調理室を使って自分の食事を作っていたそうだ。実家の使用人の作るものを口に入れたくなかったのかもね、と零したのを聞いて、何か事情がありそうだと察した。しかし今は、それ以上尋ねるのは止めておいた。王都にあるアルヴァルディ家の屋敷を出て、この城に移り住んだ彼にも一朝一夕では知り得ない物語があるのだろう。

 アルくんとノルベルト様はよくクラスメイトに夜食を分けていたらしい。作っていると集まってくるから、って。こういうところが友達に慕われるんだろうな、と思う。料理もできるなんてすごいですね、と単純すぎる感想を口から漏らすと、

「俺は結構なんでもできるんだ。人間に可能な範囲なら」

 と、何でもないような顔で言った。うん、こういうところが。驕慢な台詞なのに、全然毒気がなくて。

 別のテーブルでは料理人が休憩を取り始め、様子を見に来た兵士が「汚い足で上がるな」と厨房から怒られ、城塞塔の門番に持って行く差し入れを受け取りに来たメイドが脇を通り、周囲はひっきりなしに人の動きがあった。それでも騒がしすぎるということはなく、私を見て一瞬物珍しげな顔をした人も、すぐに笑顔を作ったり頭を下げたりして、自らの仕事に戻っていった。アルヴァルディ家の人々も、改まって何かを話そうとはしなかった。家族が揃うことも久しぶりのはずなのに、ただの一日のように平穏な態度を通していた。

 楽しかった。私は、偶然この家を訪ねてきただけの客人として扱ってもらったのだろう。無理に仲良くなろうとせず、他人同士の距離感でいられた。でも、何が好きでよく食べられそうかだけは仔細に様子を窺ってくれた。人と食卓を囲んで純粋に料理の味を楽しめたのは久しぶりだったかもしれない。

 テーブルを離れる前に、アルくんに後で時間が取れるか確認した。夜十時過ぎくらいなら、と了承を得たので、執務室を訪ねることにした。すぐに済む用事でもあるし、私室のドアを叩くわけではない。だから夜に異性と二人きりで会う状況の是非については深く考えなかった。

「夜分遅くにすみません」

 ドアを開けた彼は、紺色の浴衣と丹前を着ていた。湿った髪の先が鎖骨を覆っている。

「入る?」

 そういえばちゃんと首が太くて肩幅があって、男の人の体格をしているんだな、とか僅かに開いた胸元を見て考える。余計な自動思考。私は本当にだめな大人だ。明日にしておけばよかった。急ぐ用でもないんだし。

「あ、いえ、渡しに来ただけなので、これ……」

 完成した鉢巻を渡しに来ただけ。ミカグラの民の女性は結婚相手に刺繍を施した鉢巻を贈るそうだ。彼らの集落を訪ねる際に必要になるかもしれないから、作り方を習っておいた。

「小刀を返さないといけなくなったかな」

「そういう風習なんですか?」

「うん。結婚の証として女は鉢巻を贈り、男は小刀を贈り返す。鉢巻は魔除けの意味だが、小刀はちょっと物騒だ。『もし自分が貴方との約束を破ることがあれば、これで突き殺せ』って意味だからね」

 彼は鉢巻を手に取って眺めながら答えた。「御令嬢に渡すのはどうかと思って言わなかったんだけど」と付け加えつつ、その由来を教えてくれた。

 曰く、ミカグラの民にとっての婚姻とは、互いの生命を背負う責任を持つ契約だという。結婚が一人前の証と見做されていたり、首長が複数の妻を娶ったりするのは、他人の生命に責任を持つ意思を表明することに繋がるからだ。力を持つ者はその力を他者の為に使わなければならないし、逆に言えば、他者を守り支えられない人間は強者ではない。支え合いと互いの利益の保証を目的としたシステムとしての婚姻は、辺境貴族の考え方に近い。力に伴う責任についても理解ができた気がする。王国風に解釈すれば、ノブレス・オブリージュの精神だ。ロゼリジュのテーマでもある、高貴なる者の義務。

 そして、ミカグラの民は契約を重んじる。交わした約束が故意に反故にされることがあってはならないと考える。婚姻関係では、どうしても物理的な力で男性に劣る女性が立場を脅かされる危険性が高い。だから、結婚をしたなら夫は妻に自分の命を握らせなくてはならない。妻はいつでも夫の寝首を掻くことのできる状況にあって、互いの立場を揺るがしうる平等な関係になる。

 話を聞いて、どうしてミカグラの民から領主に結婚を求める声が上がっているのか納得した。結婚が人の上に立つ存在としての規範だからなのだろう。王国の領主は爵位の継承によって領民の人生に責任を負うけれど、彼らは結婚によって家族の生命に責任を負う。領主であるからには、自立した大人の覚悟みたいなものを自分たちの流儀に沿った形で示してほしいと考えるのだと思う。

「婚約用のは頭ではなく武器に巻いて使う。うちのご隠居もこれ見よがしに剣の柄に巻き付けてるよ」

「ああ……そういえば、刀みたいになっていた気がします」

 ユリウス様が剣帯に差していたのは王道の西洋剣、ロングソードだったはず。でも、思い出してみると握りの部分が日本刀の柄巻のようになっていた。

「あれ? あの剣って、普通のロングソードですよね?」

「神具なら倉庫にある。重くて扱いにくいから、って神様の恩寵を無視して鉄の剣を使い潰している。あの人なら神具だろうと適当なところに置いていって紛失しかねないな」

「なんというか、合理的でいいですね。ユリウス様らしい感じがします」

 剣について考えていると、あのロングソードがごく普通の品であることの違和感に気がついた。アルヴァルディの剣士なら、始祖が氷の神から譲り受けた神具を装備していそうなものだ。

 神具は神が自身の身体から削り出して作った武器で、魔獣に対して絶大な効果を発揮する。ゲームでも他の武器とは一線を画す仕様になっており、魔獣に対して特攻ダメージが与えられるだけでなく、どれだけ使っても壊れない。ロゼリジュでは武器や一部の防具に耐久度が設定されているため、ずっと同じ装備を使っているといずれ壊れてしまう。戦場で武器が壊れて丸腰になる危険性を考えなくても良い点も神具のメリットだ。

 ただし、難点もある。一つはその神に選ばれた代行者しか装備できないこと。もう一つは、おおむね「重さ」が高く設定されていることだ。特に問題なのが後者の仕様。重さは敏速パラメーターに影響を及ぼす。装備が重いほど素早く動くのは難しくなる、という現実的には当然の法則が反映された結果だ。そして敏速が戦闘にどう影響するのかというと、攻撃順や攻撃回数、回避率に関わってくる。

 これがどういった現象を生むのか。「重い神具で一ターンに一回攻撃するより、軽くて安い鉄の剣で先攻を取って二連続攻撃した方が強い」という、武器のレアリティに対する攻撃力の逆転現象に繋がる。なので、通常の戦闘では神具をほとんど使わずにクリアしたロゼリジュプレイヤーは多いと思われる。神に与えられた武具ではなく、人の編み出した工業の力で勝つ。これもロゼリジュのロマンある構図だと私は思う。魔獣の女王には神具と魔法以外の攻撃がほとんど通用しない、というのもいいバランスだ。ラストバトルでは魔獣の女王が人智を超越した存在であることを示し、そのうえで人間がどう立ち向かっていくのかを描いている。

「なかなか愉快な慣習だろう。部下に恐れられている無敵の団長殿も、奥方には簡単に刺殺されかねないと思うと」

 重くて扱いにくいから、と肌感覚でゲーム上での最善手を選択しているユリウス様は、相当勘が鋭い。龍騎兵団の団員の発言から察するに、たぶん、ものすごく腕が立つ。それでいて常に余裕があって大胆不敵な、アルくんが言う通り「無敵」みたいな人が愛する伴侶に命を預けていることにはとても物語性を感じる。

「アルくんも、小刀と同じくらい危険なものを最初にくれましたよね」

 小刀が「もし自分が貴方との約束を破ることがあれば、これで突き殺せ」という意味だと聞いて、初めて会った日のことを思い出した。約束を重んじるミカグラの民の思想はシキナ様の血を通じて確実に彼にも引き継がれている。

「……ああ、誓約書? 確かに、王国に於いては小刀よりも強力かもな。ペンは剣より強し」

「はい。約束を守ると保証する意味で、同じだと思って」

 公用インクで記された誓約書は、武器を握ったことのない私にとっては小刀よりも適切な守り刀だ。自ら固い契約を持ち出す誠実さに、この人を信用できると思った。

「これは有難く頂戴します。武器を持って行く予定もあるし。でも、誓約書は交換だったから、この対価は別で渡すよ」

「私がこういうものを作るのは趣味でもありますから、気になさらないでください。私も小刀か何か持っていた方がいいとか、貸し借りをなくしたいということであれば、お任せしますが……」

 ミカグラの民の刺繍の技術を知るのは楽しかったし、こちらが勝手に作ったものを借りと捉える義理はないと思う。けれど、彼は何かの形で借りを返そうとする気がした。

 婚約の証としての鉢巻の作り方にはいくつか決まりがある。まず、檳榔子染めの黒い布を使うこと。左右に線対称の文様を刻むこと。白いアリアドネの糸で鎖縫いをすること。それらを守っていれば、細部は個人の裁量に任される。

 文様は全体で捉えると長方形の枠組みの対角線上に向かって組紐が張り巡らされているような形で、正方形に分割すると三つのシンメトリーな幾何学模様が浮かびあがってくる。全体を概観したときの一、長辺の中心線で分けたときの二、正方形のデザインの連続を見たときの三、それぞれの見方が成立するようにデザインを考える。線対称の構図は正道を表し、持ち主が正しい行いをしようとするなら、それを阻む魔を祓う作用があるという。三通りの構図は三つに至る、満つに至るという意味から円熟した人生や祈願の成就を祈る意味だ。

 檳榔子染めをした生地は強度が増し、破れにくいことから縁起が良く、白黒の組み合わせは異なる二者の和合や男と女の協和を表す。また、アリアドネの糸は触れていると持ち主の魔力に同調して、少しずつ色が変色していく性質がある。白い糸が色濃く染まるまで、相手との縁が続くことを祈ってアリアドネの糸を刺繍に用いる。

 魔法動物であるアリアドネは、気温と湿度の低い森林に棲息する大型の蚕だ。通常の蚕と同様に口がないものの、触手状の触覚から水や花の蜜を吸って養分を補給する。爪の隙間から糸を出し、幼虫に巻き付けて冬を越させる、丹念な子育てをする昆虫だ。棲息地域が限られ、生育も難しいためアリアドネの絹糸は非常に高値で取引されている。人の魔力に応じて千差万別の染め色を見せる幻想的な特性は、古くからこの世界の人々を魅了してきたようだ。一人の養蚕家の染めた色が流行して、一代にして財産を築く例もあったらしい。

 ユミルでは、蚕になった王女様の昔話が広く知られている。敵役の策謀により、闇の魔法に失敗して永遠の暗闇に閉じ込められてしまった王子様の前に、命を投げうって蚕に変身した王女様が現れる。光り輝く糸のおかげで現世に戻るための鍾乳洞を発見し、王子様は無事に生還することができた。ユミルの人々があの魔法動物をアリアドネと呼ぶのは、その王女様の名前が由来になっている。そういった類の、アリアドネの糸を救いの手として扱う創作は様々な土地で語り継がれている。ミカグラの民にも、瀧国で語られている昔話が伝わっているようだ。

「……どちらかというと、気分の問題。受け取ってしまった厚意を無下にするのは気が引けるから、欲しいものがあれば教えて」

 少しだけ困ったように、彼は平坦な声を返した。彼の漣一つ立てないような態度の中から、微妙な感情の変化を読み取れるようになってきた気がする。思い込みかもしれないけれど。

 厚意と形容したそれを綺麗に折り畳む仕草を見て、思い知らされた。こういう繊細なまでの真摯さが「男の子」に見える理由なのだと思う。男の人、と呼ぶにはあまりに綺麗で、大人になるにつれて失ってしまう心の儚さを秘めているように感じる。

「では、すぐにはお答えできないかもしれませんが、考えておきますね」

「よろしく。用件はそれだけ?」

「はい。お仕事中に失礼しました」

 執務机には書類が載っていた。何か仕事の途中だったのだろう。アルくんはときどき机の上に大量の本を積んでいるけど、用が済むとすぐに元の場所へ戻す。だから、使っていないときの机上はいつも整頓されている。

「おやすみなさい」

 うん、とだけ返事があった。アルくんは夜型でロングスリーパーだ。人と会う用事がなければ昼頃に起きる日も珍しくない。リールは曇りがちで真昼でも薄暗いから、眠くなるのは仕方ないんだ、って適当な屁理屈を言っていた。そういうことも今は知っている。今晩はたぶん、しばらく眠らないつもりだ。

「早めに寝てくださいね」とか「髪乾かさないと風邪引きますよ」とか、口に出さなかった言葉を扉の前で思い浮かべる。

 これ以上は踏み込めないな、なんか。おそらくここが適正距離。でも、それでいいとも思えなくて。

 なんで動揺したんだろう。和装フェチとかではないはずなんだけど。喋り出すといつも通りだなって感じがした。

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