1-3 龍は風花を連れて舞い降りた

 白薔薇城の中庭に降り立った龍は、役目を終えると独りでにどこかへ飛んでいってしまった。目で追いながら大丈夫なのだろうかと考えていると、「向こうに厩舎があるんだ。人を襲いに行ったとかではないから」と彼、アルヴァルディ候は言った。「第一、あいつら肉食じゃないし」との補足もいただき、龍という巨大生物に対する恐怖心が拭いきれていないのが見透かされていた。

 ここに着くまで、一時間以上はこの人と一緒にいた。その上での印象は噂に聞いていたアルヴァルディ辺境伯とは大きく異なる。愛嬌を振りまくタイプでは到底ないにしても、静穏な声色からは国を揺るがすような野心は感じられなかった。ただ、「異様な存在感」という形容は理解できた。改めて見ると、彼はとても綺麗な顔をしている。騎士と見紛うような均整のとれた体格も持ち合わせており、まさにアルヴァルディの当主らしい貴公子といえる。そのはずなのに、どことなく得体の知れない存在に映る。青みがかった肌は樹氷のようで、触れたら凍傷を起こしてしまいそうだ。人形を前にしたときのように、綺麗で、一点の曇りもなく整っているからこそ、恐ろしく感じるのかもしれない。人間の形をしているけど、血は通っておらず、それが自分とは全く異なる存在であると突き付けられることへの恐怖心。人は自分とかけ離れたものに強く焦がれたり、逆に嫌悪したり、大きく感情を動かされるものだ。

 城内に入ると廊下で何度か使用人とすれ違った。彼らは城主に対して軽く声をかけながら通り過ぎてゆき、中には軽く頭を下げるだけの人もいた。城主はそれを当然のように受け入れて進んでいった。辺境伯家ではこれが普通なのだろうか。貴族基準だと「礼儀に煩くない」は通り越して「守るべき作法が存在しない」レベルだ。

「到着。此処を好きに使ってくれ」

 三階建ての居館の最上階まで上がり、角部屋の前で停止した。ドアが開かれると、薪の燃える匂いと暖かな風が廊下に流れ込んできた。部屋の中を覗き込むと、年代物の大理石の暖炉がパチパチと音を立てて燃えている。

「差し当たり生活できるように揃えただけだから、家具とかは適当に入れ替えてくれていい」

「いえ、とても素敵です。ありがとうございます」

「そう。王都風のものって、うちではあまり作っていないから、それっぽいやつ集めただけなんだけど」

 私が王都の人間だから、調度も合わせて設えてくれたみたいだ。アルヴァルディ候自身が指示したわけではなかったとしても、私は悲観していたほどにはこの城の人々に忌避されていないかもしれない。微かに希望が持てた。

 王都の貴族女性が好む室内装飾は、少女漫画の王宮の世界といえば大勢が思い浮かべる、ロココ調のデザインだ。華奢で優美、曲線的なシルエットが特徴で、テーマカラーはメインが白地に金、差し色はピンク、水色、ライラックなどのパステルカラー。ペールブルーのドレスを着たマリー・アントワネットの肖像画のイメージだ。

 この部屋の調度品はどれも王都風をシックにアレンジしたようなデザインだった。白いモールディングやフェスツーンの華麗な装飾に馴染みながらも、輪郭は丸みが削られて端正な印象を受ける。サブカラーもオリーブグリーンやサルビアブルーのような深めの色合いが落ち着きを感じさせる。女子学生寮で過ごした学院時代は、王都風の煌びやかな内装にちょっと気圧された。なので、こういった適度な落ち着きのある様式は安心する。

 きっとこの領内では、歴史と文化と人々の暮らしが組み合わさって、独自のデザインが生み出されているのだろう。同じヨーロッパでも、北欧と地中海沿岸のデザインは趣が異なるように。寒いアルヴァルディ領の職人は本当なら北欧のようにシンプルでモダン、機能性があって合理的なデザインが得意なのかもしれない。帰り際に少しでいいから、市場の様子を眺められたら楽しいだろうな。

「疲れていたら今日はこれで。ただ、早いとこ話しておきたいことがあるから、余裕があれば付き合ってほしい」

「私も、きちんとお話したいと思っていましたので、お時間いただければ幸いです」

「そう。じゃあ、悪いけどまた移動で」

 部屋は覗くだけに留めてドアを閉じた。正直なところ不慣れな状況や龍に乗っての移動で多少の疲れはあるけれど、まずは話し合いをしておきたかった。アルヴァルディ候も同じ考えなのだろう。この唐突な婚姻について、どう対処していくか決めなくてはいけない。

「お腹空かない?」

「えっ、はい、少し……」

「だよな。食べられないものはある?」

「いいえ、特には……」

 突然尋ねられて、また挙動不審ぎみな返事をしてしまう。今朝の出立から長距離を移動して、すでにお昼時になっていたのでお腹は空き始めていた。アルヴァルディ候は私の返答を聞くと、通りかかったハウスメイドを呼び止めて「軽食を二人分、部屋に運んでほしいって厨房に伝えといて」と言った。彼女はにこにこと笑って「はい」とだけ受け答えした。学校の先輩後輩くらいの気安いやり取りだ。もしかして昔馴染みという可能性も、と考えたけれど、上級使用人ならともかく、ハウスメイドの女の子と辺境伯家の令息が関わる機会はないに等しい。他の使用人たちの様子を見ても、たぶん、この城では気軽に城主と接することが普通なのだろう。

 彼は単刀直入に会話を切り出す人のようだ。無駄な前置きを省いて、必要事項を聞き出すような話し方。だから会話というより事情聴取っぽい、圧のかかった印象を受ける。とてもスマートで理に適う反面、冷たく映ったり困惑させたりする。今のところ、私への問いかけは気遣いや配慮によるものだとよく考えれば分かった。まだ慣れていないけれど。

 次に案内された部屋は二階の居館と主塔を結ぶ渡り廊下の隣にあった。執務室だろうか、窓際の重厚な書斎机が目を引き、左奥の壁は背の高い鍵付きの本棚で埋められていた。どのインテリアも枠組みは飴色の木材で、おおむねシンプルかつ機能的な構造をしている。花鳥柄の絨毯や細かな装飾はシノワズリやジャポニズム、この国でいうところの瀧国風。ベースが大人しいデザインだから、異国情緒と自然に調和している。王国貴族の部屋としても違和感がないし、部屋の主が彼であることを知るとなお納得する造りだ。七貴族の末裔であり、瀧国から来たミカグラの民にルーツを持つ彼にも、同じく理知的で風変りな雰囲気がある。

 アルヴァルディ候はロッキングチェアの背に着ていたマントを預け、そこに腰かけた。手すりに肘をついて脚を組む姿勢がとても絵になる。私は透かし彫りの入ったセンターテーブルを挟んで向かい側の、カウチソファに座った。

「そちらも聞きたいことが山ほどあるかもしれないが、とりあえず教えてくれ。君自身に結婚する気はある?」

「私は、有難いお話ではありますが、両家にとって予期せぬことですし、婚約は白紙に戻すべきではないかと考えております。当家は辺境伯家のお相手にはとても適いません。もちろん、陛下の御意向に簡単に背くわけにはまいりませんが……」

「やっぱり? 本人の意思を確認したいって伝えたんだけど、フォイエルバッハ伯はとりあえず当人同士引き合わせて話を纏めたいように感じたから」

 いきなり本題から始まった。なんとか伝えるべきことを口にできたと思ったら、あっさりとした声が返ってくる。アルヴァルディ候は拍子抜けするほど平坦な調子のままだ。

 それにしても、やはりフォイエルバッハ伯は私達を結婚させる気で書簡のやり取りを進めていたようだ。さぞアルヴァルディ候も困惑されたことだろう。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「いいよ。王都で拘束されるよりマシだし。一番の被害者は君だな」

 彼は鷹揚な言葉と共に、鮮やかな緑色の視線をこちらに注いだ。その目つきは相変わらず鋭いはずなのに、こちらを哀れむような情を少しだけ感じた。

「俺はそもそも誰とも結婚する気が無い。つまり、お互い訳も分からず婚約を決められて困っているわけだ。しかし、王様の手前、理由もなく婚約解消はできない」

 首肯して応える。すると彼は言葉を続けた。

「ここは協力してはどうだろう。暫く君には婚約者として生活してもらって、のっぴきならない理由で泣く泣く国王陛下には婚約の解消を申し出る。例えば君がこんな寒い土地では治りそうもない大病に罹ってみるとか」

「それはもちろん、ご協力したく存じますが、閣下のご迷惑にはなりませんか?」

「適当な理由をでっち上げるためにも、ある程度の期間は近くで付き合ってみる必要があると思ったんだ。短期間の付き合いや手紙だけの関係だと言いがかりみたいな理由にしかならないだろうから。まあ、此処でいきなり片方が相手を殴ったりすれば、一発で解決するだろうけどね。暴力沙汰を起こす勇気は俺には無いかな」

「ご思案いただきありがとうございます。私もぜひ、平和的に解決したいと考えております」

 怖い冗談が飛んできた。冗談、だよね?

 真面目に考えたうえで却下した、という線も捨てきれない。底の知れない佇まいに呑まれて、冗談として上手く笑えなかった。

「君が俺の婚約者としてこの領地に滞在するかぎり、法律上許容される範囲で文化的生活の自由を保障しよう。ただし君の家に対しての利益や安全は保障できない。宮廷内の派閥争いに関わる気は無いし、何かやらかしたから匿ってくれと言われても受け入れかねる」

 突き放すような物言いと声色だけど、私個人にとっては十分すぎるほどの申し出だ。それに、ただ生活の自由を保障する、ではなく、「文化的」が入るところに惹かれた。

 まだ何も知らないけれど、たぶん、彼は人の営みを蔑ろにしない人だ。城に着くまでの行路で、私は見下ろした町や地理について明瞭に教わった。領地の末端までその歴史や特色を把握している人が、利益のためだけに動く拝金主義者だとは思えない。

「寛大なご提案、ありがとうございます。私には、あまりお役に立てることもないかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします」

「君は不本意に此処へ送り込まれた被害者だろう? 身の保障くらい当然に受け取る立場だと思うけど」

「ええ、ですが、閣下と辺境伯家のご負担になることは事実ですし……」

 お辞儀をすると、机の向こうからは何の気負いもない声が降ってきた。私の望みは、針と糸を扱いながら平穏に過ごすことだ。アルヴァルディ候は私にとって非常に好都合な条件を提示してくれている。

 これ以上彼に伝えなければいけないことなどないはずなのに、視線は手元で迷い、唇が言葉を探した。そして、自分でも思いがけない言葉が口から滑り出す。

「私には、前世の記憶があるんです」

 そのとき、ドアノックの音が響いた。

 数人の給仕が部屋に入ってきて、テーブルの上にケーキスタンドやキャディボックスが並べられていく。

 どうしてこんなことを言ってしまったんだろう。どうにか言い繕わなきゃと思って、焦るほど心臓の鼓動が早くなる。浅い息を宥めるように右手を喉に当てた。身体の中枢が熱くなっているせいか、はたまた手先が冷えているせいか、つんとした温度差を感じた。

「癖で紅茶を淹れてしまった。飲める?」

「えっ、あ、はい……」

「そう。どうぞ、続けて」

 給仕の人々が早々に退室すると、彼はティーケトルを手に口を開いた。微塵も動じる様子を見せずに話の続きを促され、私は何か言わざるを得なくなった。終着点の分からないまま、たどたどしく話を始める。

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