拾漆 『暴虐』

 庭の木に止まり、ぴぴっと喚いて鳴く小鳥。びちゃっと水音がしたかと思うと、頭に小鳥の糞が垂れた。

「…………今日は厄日かしら」

 たっぷりの沈黙の後、半泣きになり乍らも霰琳シェンリンは歩みを進める。風呂場は在るが廃れており、溜める湯も無いので水浴びだ。

「朝から災難だねぇ、小霰シャオシェン。水浴びに行くんでしょ? 掃除は任せて」

 人畜無害な笑みを零す北亀ペイグゥェイ。ゆらりと浮遊したまま泉の方を指差して、霰琳を急かした。

「北亀が万能の神だったら楽なのだけれど。青龍だとしたら、わたくしの髪も洗い流してくれるでしょう? 白虎や鳳凰ならば、災厄も遠ざけてくれますし」

「………あのねぇ、小霰。武神に何て事を言ってるか分かってるの? それに、僕と他の神とを比べるのは止めてくれる? 其奴そいつ等を消したくなる」

 今にも他の神を斬殺しそうな程、北亀は嫉妬に狂う。必要とされないのは苦痛だ。自分から離れる事等、霰琳に許しはしない。

「ふふ、とっても嬉しいわ。わたくしが北亀以外の神を求めていると、本気で思ったのかしら」

 暗い光を宿した瞳で見つめれば、多少の殺気を纏い乍らもあわあわする彼が眼に映る。恰好が良くて可愛らしいとは、霰琳を殺す気だろう。

 未だ殺気を収めない北亀に微笑み、一人泉へ向かった。庭に出て、枯草を掻き分けた先にある獣道を辿ってゆく。

 其処には、見るも美しい泉が在った。何処の宮にも在るが、此の場所には人が立寄らないので美しいまま。衣を脱ぎ捨てそっと浸かり、髪の汚れを洗い流す。

 産まれたままの姿でいると、人の世で淀んだ心が洗われる気がした。……黒く穢れた魂は、そのまま堕ちるだけだが。

「ひゃっ」

 霰琳は驚きに声を上げる。急にくさむらから飛び出てきたのは蛙。

「あら、蛙だわ。此の子は毒持ちなのね。こんな処に居るなんて」

 掌に乗せて愛でてから、霰琳は大切そうに抱締めた。ふにゅんと触れた柔らかい皮膚から毒が流れたのを確認して、すぐさま掘った土の穴に押し込む。そして石で塞いだ。

「次の悪戯にでも使いましょう。……例えば、わたくしに何やら仕掛けようとしている者に」

 流し目で叢の中を見て、衣服を纏って泉を出る。

 ——何者かが潜んでいるのは把握済みだ。毒蛙を投げて寄こしたのも恐らく其の者だろう。

 どごっ、と突如聞こえた鈍い音。

「黒曜宮だからって油断しないで欲しいなぁ、ちゃんと危機感持って。……あー、一応塵ごみは回収しておいたよ。ほんとーならさぁ、万死に値するよねぇ」

 草を掻き分け現れた北亀に安堵の表情を見せる。

 彼が引き摺る其れは、殆ど原型を保っていない人の形をした物だった。

「帝の勅命でも、行動が露見しなければ刑罰の対象にはならない……故に、神に手を出す馬鹿者が居るのでしょう。只人如きが敵う事等無いですし。脳髄に塵でも詰まっているのかしら」

 くすくすと、悪戯っぽく笑む。

 此の時一人と人柱は、物事を甘く捉えていた。


 ——楽観視している間に、悪戯は悪化の一途を辿った。毎度現行犯は潰しているが、其れ等をけしかけた者が不明なまま。


「きゃあっ」

 頭上の木から、さっと人型の何かが落ちて来た。獣耳の付いた白髪白眼に、濃い神気を纏った神。

(此の国の神は五神獣丈……。故に、此の神は玄武や麒麟を除いた参柱の内壱柱でしょう。胡粉フーフェン色の髪と眼ですから、白虎——)

 非常事態乍ら、様々な判断材料から冷静に分析をする自分を自嘲的に笑った。ふわっと香る芳しい君影草の匂いから、脳内に月汐妃の顔が浮かび上がる。不気味であり乍らも恍惚とした笑みが脳内生成され、ぞわっと鳥肌が立った。

 次の瞬間、無表情で佇む白虎が、鋭い鉤爪かぎづめを突き出し攻撃を繰出す。

『……嗚呼もう、人の子はほんと~っに愚かでならないなぁ』

 気の抜ける様な声音。腹に回った腕に眼をやってから上を見上げると、蟀谷こめかみに青筋を浮き立たせた北亀が居る。

『あ~嫌だ嫌だ。俺の居ない処で、俺の小霰になにしようとしてるの? 武の神に宣戦布告って、そっちの巫の子は大丈夫かなぁ?』

 ふふふっと機嫌良く笑った彼の眼は、娯しく愉快にわらっていた。

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霰琳妃の悪戯嗤い 天之那弥日(アメノナヤビ) @yu-zu-ri-ha

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