漆 『良い子』

「此のさえ要れば」

 随分と前から、ずっとそう言われてきた。

「——我が黎一族は安泰だ」


 幼い頃、玄武に魅入られ巫となった霰琳に周囲の大人は歓喜の表情を見せた。黎族現代当主の姉から生まれた娘だったが、両親の地位は跳ね上がり当主までもが媚びる様になる。

 ——玄武に選ばれ巫になった事は、とても名誉な事なのですよ。

 ——いいか? 他族の巫らに負けてはいかんぞ。

「はい、御母様、御父様」

 母や父を筆頭に、大人達は霰琳に言い聞かせる。

 何時いつしか、霰琳への評価は皆同じ物となった。

 ——大人の言う事を良く聞く、良い子供に育ってくれて良かった。

 ——世間を知らぬ幼子等、巫であっても只の子供と変わらないな。

 「……〝良い子〟とやらに、わたくしはなれているのでしょうか」

 常に自分に制限を掛けた。面倒臭くない子供に育ってくれと、周りがそう望んだからだ。

 より優秀な巫になるべく、北亀に命令する事も学びの一環として受け入れた。

「北亀、の罪人を討ちなさい」

『う~ん、まあいいよ』

 国が捕らえた死刑因を連れて来させ、北亀に命じて刑を執行させる。北亀の手に刃が出現したと思えば瞬く間に罪人の首が落ち、間近に居た霰琳は大量の血液を被った。

有難ありがとう、北亀」

 罪の意識は其処そこに無い。髪先から滴る血を無視して神に微笑めば、彼は軽く笑い返してくれる。


 ~~~


 ——ある日、霰琳は母に問うた。

「御母様」

「あら霰琳。わたくしに何か用でも?」

「はい。……あの、わたくしは良い子……でしょうか」

「………ええ、とっても良い子よ。逆に此れ以上の良い子は存在しないのではなくて? 貴方もそう思いませんこと?」

 振り返った先にたたずむ使用人に母は問い掛け、其の困惑する顔を眺めて哂う。

 今迄努力に努力を重ねてきた意味が有った気がした。

「だけれど、私は貴女がもっと頑張れると思っていますわよ。礼儀作法だって、先生はもう少し時間を増やしても良いと仰っているのよ」

「っれはっ、他国の国守神や言語についても学んでいるからで」

「ならば、其の学習時間を減らせば良いでしょうに。嗚呼、そんな事も分からないのね? 巫は自国から出る事すら許されないのに、他国の事等学んだ処で無意味だわ」

 怒った様に眉を吊上つりあげて、母は続けた。

「霰琳、貴女はもっと努力しなさいな」

 限界まで努力して、更に努力するとは如何どういう事だろうか?

「わたくしは、良い子ではない……?」

 少なくとも、幼い霰琳はそう判断した。否、してしまったと言う方が正しい。

「ねぇ、御父様。わたくしは悪い子?」

 次いで、霰琳は父にも問い掛ける。

 否定されたかった。霰琳は良い子だと、頭を撫でながららわたくしに言って欲しい。

「仕事の邪魔だぞ、巫」

 心の臓に、見えない大きな傷が付けられた。

 母親の手で、父親の手で、大人の手で。

「わたくしは、悪い子」

 良い子で有ろうとした子供は独り、密かに狂気に吞まれた。

「悪い子は、いけない子」

 何時いつも通りの可愛らしい笑みを浮かべて、過去の努力が意味を成さずに消え去った。

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