拾陸 『狂愛』

 ——時は戻り、後宮内にて。


ハオ徳妃様、あの、今、勅命と仰いましたでしょうか……」

 あの後霰琳シェンリンらは黒曜宮に戻り、其処を根城として何時もの如く生活をしていた。

 勿論警備の兵士は居たのだが、そんな者は御構い無しに居座り片付けた。邪魔者には鉄拳制裁を与えるというのが北亀の言い分である。

「……気に食わないのです。如何して陛下は、菫花ジンファ様に危害を加える女に情けを掛けるのですか……?」

 随分と回復した様子の月汐ユーシー妃が黒曜宮を訪ねて来た。だが其処に菫花妃の姿はなく、只々菫花妃の金魚の糞として来ているのではないのだと察せられる。

「此れ、貴女には知らないのですよね? 菫花様に代わって、私が教えにきてあげました」

「此れ、とは……?」

「陛下が出された勅命の事なのです。〝元淑妃、黎 霰琳が黒曜宮に居座る事を認め、今後一切手出しは無用〟だと」

 先日の帝との邂逅が齎した事だろう。媚びを売ったりはしていないが、帝にはおもしれー女認定をされたようだ。

「あら、まあ」

 うっかり素が出た霰琳を、如何わしく睨み付ける月汐妃。霰琳は直ぐに取り繕った。

「あの、話は変わってしまいますが、御身体は平気なのですか」

「こっ、此れでも私は白虎の巫なのです! 解毒なんて、私の虎西フゥシーがやってくれるのです」

 霰琳よりも小さい身体で胸を張り、傍らに顕現した白虎——虎西を撫でた。がるると唸る神を宥めず、霰琳に歩み寄る。

「其れはそうと——」

「?」

「私は、貴女が毒を盛った訳では無い事を知っているのです」

 大凡は分かっていた。毒を飲んだ所で、全ての災厄を薙ぎ払う神が守護する巫の命に別条はない。故に、其の事を知る巫が意味の無い毒を盛る自体おかしいのであった。

「っ、では、何故っ。わたくしの無実を証明して下さらないのでしょう…?」

(どうせ、わたくしが嫌いな丈なのでしょうし)

「何故も何も、貴方が邪魔だからなのです」

 想定内だ。

 此の鬩霓国かくげいこく庄狃しょうじゅうの支配から脱し、国を纏める五家が在る頃から変わらぬ〝十歳未満で死ぬ玄武の巫〟。そんな巫である霰琳が国始まっての異例なのだから、忌むのは当然だ。

「……わたくしが、前例の無い淑妃だから皓徳妃様は……」

「そんな下らない事で、私は貴女をいびったりしないのです! 前例がないという丈で、貴女丈を忌むのは間違っています」

 皓 月汐妃は、菫花妃とは違って徳妃の名に相応しい人格者だった。善と正義に従う、綺麗事で染め上げた人の子。

「でしたら、何故、」

 ——霰琳の言の葉を遮って、月汐妃は淡々と告げる。幼稚で無邪気な笑みを浮かべて、狂気染みた事を放った。


「だって菫花様は、貴方が居るから私に構ってくれないのです」


 彼女の眼に宿るは、純粋で歪んだ愛。

「其れに、此の毒殺未遂の件では貴女が無罪でも、日々菫花様に迷惑を掛けている時点で有罪なのです」

 想像を軽く超えた狂気に、霰琳は絶句した。此の小さな少女が恐ろしい。霜花と二人で笑い合った頃の自分に似た純粋さに垣間見える愛ゆえの狂気だ。

 目の前で「此のお花、菫花様の色彩を持っていて素敵なのです」としゃがみ込んで花を愛でる月汐妃は、人格者で有りながら狂愛を抱いている。

「——皓徳妃様は、如何して其れ程迄にリゥ賢妃様がお好きなのですか? わたくしには分かりかねますわ」

 気弱な仮面を捨て去って、寛雅な姿勢を見せつけた。月汐妃はむっと顔を歪ませて、

「貴方は菫花様の魅力を何一つ分かっていないのです。菫花様は、神の次に偉い陛下と肩を並べる、所謂いわゆる現人神というやつなのです」

「はぁ?」

 何を言っているのか全く理解が追い付かない。抑々そもそも現人神とは人が神となった者で、人以上神未満の者を指すのだ。巫である丈の只人を神格化するとは、神に不敬である。

「話の解らない貴女と此れ以上お話する義理はないのです。綺麗な此のお花は黒曜宮に似合わないので、私が貰っていきます」

 彼女はそう言うと、手折った瑠璃蝶草ロベリアを虎西に咥えさせてから消えて行った。


 霰琳の脳内には、月汐妃は狂気染みたやばい奴だとしっかり記憶されたのである。

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