拾参 『人殺し』

 ——後宮入りの為に皇都へ向かう際、父と母を殺した霰琳シェンリンは。


「こんなにも座席を汚してしまっては、もう座れないわ」

 困り顔で頬に手を添えたまま、広い馬車内で立ちすくむ霰琳。

 悲鳴が漏れぬ様、事前に閉めた窓越しに明るい陽光が入り込んだ。薄手の黒窓掛まどかけから零れる光がちらつく。 思わず掌で其れを遮ると、指の隙間かられた光が降注ふりそそいだ。

「もう昼時なのね」

 窓掛を横に流し、窓を開けて車外に顔を突き出した。

 其処から更に身を乗出のりだすと、普段通りの御者と馬が見える。血塗れた騒ぎに気付かず仕事を全うする丈の御者に、笑みが零れた。

 なびく黒髪を耳に掛けて、鋸草(ノコギリソウ)の装飾が付いた 押さえる。

 身を乗り出した状態から一歩下がって馬車内に戻った瞬間、がたんっと馬車が大きく揺れた。

「ふひぇっ」

『おぉっと』

 ひっくり返る様に後転しかけた霰琳を、咄嗟に顕現した北亀ペイグゥェイが横抱きにした。

「ん、あわわ、なな」

小霰シャオシェン、大丈夫~?』

 其の呑気な声音に、霰琳は正気へと戻った。熱を持った耳輪じりんと顔面が、急激に冷めていくのが分かる。

「な、何でもありませんわ……」

『んはは、可愛いなぁ。何時いつもは気取ってるけど、小霰はこういう感じのには慣れてないんだねぇ』

「あっわ、わたくしを降ろしなさい、北亀!」

『あ~ぁ、折角小霰の照れてるとこ見れたのに。だけど、真名を使われちゃぁ絶対服従なんだよねぇ』

 普段の北亀は、真名を呼び命ずれば嬉々とした表情を見せる。己に出来る事があるのが堪らなく嬉しいのだという。しかし、此の時にだけ見せた北亀の不貞腐れた顔に、不覚にも胸が高鳴った。

 互いの新しい顔を見つける事に正の感情を抱くのは、新たに知った北亀との共通点だ。

「何だかとても疲れたわ」

 黒遊蝶花(パンジー)の刺繍付き手巾しゅきんを座席に敷いて座ると、ふぅっと一息吐く。そして、話を一旦元に戻した。

「幼き頃から殺しを習っては居たけれど、いざ己の手でるのは話が別なのね」

 ふる、と微かに身震いした霰琳。隣で其れに気付いた北亀は、横から彼女に 耳元でそっと囁いた。

『此の世に幾億万もある人の子の命をたった二つ奪った処で、何にも変わんないよ? 小霰は、そんな事で怖がる様な子じゃないもんねぇ』

「……幾億万分ので、たった、二つだけ……」

『そうそう。僕の小霰は臆病なんかじゃなくて、強い人の子なんだよ』

「わたくしは、強……」

 とろんととろけてよどんだ瞳が横に滑る。自身の肩に顎を乗せてわらう北亀を映した。

「……わたくしは、〝ただの〟人殺し」

 魔性の声音に流されて、洗脳の如く思考が揺らぐ。頭にぼんやりともやが掛って、元々の意思すら打消うちけされた。

 此れぞ神の御業。肉体と共に精神にも働きかけ、其の領域に連れ込む。武を司りし玄武が、武術の次に得意とするものだ。


『………ふ~ん、そうかぁ。此れが人殺しって言うんだ? じゃあ小霰も人殺しだねぇ、まあ小霰は幾らきたなくてもいいんだけど』

 ——神に殺しの概念はない。

 神の手で冥界へとおもむけるのだ。其れは名誉で、誉れとなる。

 

『小霰は永久ずっと、一切の憂いも抱かずに僕の隣に居てくれればいいんだよ』


 ——其れは、只単に北亀の願いだ。

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