第18話 リングの賢者
…………おかしい。
不可解である。
妖怪王ゼクウは理解不能な事態に直面していた。
何故この、目の前の取るに足らない小さな生き物は自分の怒りの前に粉々になって砕け散らないのだ。
我こそは憤怒の化身。
形を持った怒りという概念。
この世の全ては我が無尽蔵の怒りの前に破壊され終焉を迎える。
……
それなのに………。
それなのにこの小さな生き物はそうならない。
繰り出す全ての攻撃を紙一重でかわしている。
際限なき怒りの感情の発露である妖怪王の攻撃を必死にかいくぐり未だ被弾していない。
解せぬ。
……そうか、怒りが足らぬか。
更なる憤怒をもって粉砕せねばならぬ相手なのか。
魂よりの怒りを
その叫びは山を震わせ十里の先までも届いた。
その憤怒の暴風の中に今
触れれば死ぬ嵐のような暴虐に1人立ち向かっている。
…………おかしい。
不可解である。
嘉神刻久は理解不能な事態に直面していた。
これ程までに絶望的なのに、これ程までに自身は今死に近い所にいるのに……。
何故自分は絶望に膝を屈していないのだろう。
それどころか……。
妖怪王の攻撃を1つかいくぐり命を繋ぐごとに自身が研ぎ澄まされていく気がする。
この胸の奥底には静かだが確かな昂ぶりがある。
もっと自分が高みに至る……その予感。
手にした刀は既に半ばから刃がない。
何度目かにゼクウに斬り付けた時に折れてしまったのだ。
それでも尚、嘉神刻久は絶望しない。
極限の緊張と疲労の中でさらなる切れを増していく体術。
振るわれた妖怪王の爪を蹴り刻久は宙に舞った。
──────────────────────
「蹴散らせッッ!!!」
号令と共に横薙ぎにされた金棒が数匹の妖怪を吹き飛ばす。
だが不幸中の幸いというべきか……その中には四天王やそれに比肩し得る強さの者はいないようだ。
「ここまで来た以上押し通る以外に我らに道はないぞ!! 死力を振り絞れ!!!」
和尚の鼓舞に武者たちがおお!と鬨の声を上げて応じる。
そして一団の進軍があるラインを超えたその時……。
「あ、着いたみたいね」
聖女ミラがピースする。
ぶぉん、と一瞬低い虫の羽音のような音が響いたと思ったその時、突然妖怪たちが悲鳴や呻き声を残して麓方向へと吹き飛ばされた。
それはまるで見えない何かにぶつかって弾き飛ばされているような有様であった。
聖地の結界が聖女が戻ったことにより復元されたのである。
「お疲れ様、もう安心だよ。これでここには妖怪王だって入ってこれないから」
ミラの労いの言葉にほっと安堵の表情を見せる武者たち。
だがその中で一人、表情を崩さずすぐにその結界の外へとまた出ていこうとする者がいた。
「ミラ様、慌ただしいですが拙僧はまだやらねばならぬ事がある故これにて。このままこの者たちと神殿跡地へとお進みくだされ」
「ん、気を付けてね和尚」
見送るミラに持ち上げた握り拳を見せて僅かに笑うと芭琉観和尚は早足で斜面を下って行った。
──────────────────────
明け方前から開始された百鬼夜行討伐軍による聖地サフィール奪還作戦はこうして成功に終わった。
だが陽が落ちた今、まだ刻久は帰還せずその生死も不明であり妖怪王の一撃で瀕死の重傷を負ったウィリアムも生死の境を彷徨っている。
聖峰連山の麓の村にはハヤテの言う通りに黒羽一族の医師が数名待機していた。
彼らの手により直ちにウィリアムの手術が行われる。
内臓の一部や骨にも深刻な損傷があったものの深夜までかかった手術は無事に成功していた。
「治らない……傷が回復していかねー! どうしてだ……どうして……」
村の一軒家。
眠るウィリアムの傍らで絶望感にエトワールが瞳を曇らせている。
手術は成功した。
それなのにウィリアムの衰弱は刻一刻と悪化している。
一旦は死の淵より逃れられたかと思ったその命が再び少しずつ奈落へと引きずり込まれていく。
北方大陸のものが『妖気』と呼ぶ妖怪の操るエネルギーのような何かが……妖怪王の残した傷跡を侵食しウィリアムの回復を妨げているのだ。
この妖気の除去は医師たちの力を以てしても叶わず、またエトワールの持つ古代よりの魔術の知識にも対処法は無かった。
「……エトワール。お前も少し休んでおけ」
ハヤテが声を掛けると彼女がゆっくりと振り返る。
泣き疲れて目を腫らした彼女の表情は虚ろだった。
「センセに何かあったら……ウチはもう……生きて……いけない……」
「おい!!? 何言ってんだ!! お前がそんな事でどうすんだよ……!!」
エトワールの肩に手を置いて鼓舞するハヤテ。
だがそんな彼の表情にも絶望感が透けてしまっていた。
「……諦めるではない」
その時低い声が響き戸がゆっくりと開いた。
入ってきたのは大きなシルエットだ。
2mはあろうかという巨漢。
筋肉に覆われた全身には無数の傷跡があり、この男の歩んできた戦いばかりの日々を想起させる。
上半身は裸でレスリングパンツにタイツ、リングシューズ姿の大男。
そして何より特徴的なのは頭部を覆ったそのマスク。
目元口元が四角く開いておりその目の部分には黒のメッシュがかけられている。
白いマスクで縁取りは炎をイメージしたデザインで赤色。
露出した口元には灰色の濃い口髭が覗く。
……そんな
「いやあの……この空気で……この場面で……プロレスラーくる?」
虚ろな表情で呆然と呟く疾風。
「ワシは四角いマットの上の賢者『マスク・ザ・バーバリアン』」
「賢者なのか
ツッコむだけの気力は戻ったのかそれとも最早ただのヤケクソなのかエトワールが低い声を出す。
「この男の復活をリングが待っている。死なせるわけにはいかん」
「やめろって! 本人に聞こえてたら最後の気力まで尽きちゃうだろーが!!」
怒るエトワール。
だがマスクザバーバリアンは気にせず奥へ向かうと神棚に飾られていた日輪様の神像の隣にファイティングポーズを決める3人のレスラーが並んだ像を飾った。
「邪神像飾るなよ」
「邪神ではない! 無礼な!! これぞ
エトワールに向かってバーバリアンはそう説明すると彼女は半眼になった。
「やっぱ邪神じゃねーか」
「邪神ではないというに」
そしてバーバリアンは持ち上げた両手を後頭部で組むとスクワットを開始した。
膝を開いて規則正しく身体を上下させるマスクマン。
「これよりワシはこの男の復活を祈念して闘魂三銃神様に捧げるスクワットを始める。お前たちも一緒にやってもいいのだぞ」
「やるかバカ!! ……はぁ……ウチは少し寝ておく。センセの看病すんのに先にへばっちまうわけにはいかねーからな……」
ぐったりした感じでエトワールは家を出て行った。
最後に少しだけいつもの彼女の調子が戻ったように思うハヤテである。
………そして、数時間が過ぎた。
バーバリアンのスクワットは既に5000回を超えている。
マスクマンの足元には滴る汗が水たまりを作っていた。
壁に寄りかかって座っていた疾風はいつの間にか睡魔に襲われうたた寝をしている。
眠るウィリアムの身体がほのかな輝きを発する。
それはほんのささやかな光であったが柔らかで暖かい光だった。
その光がウィリアムを覆っていた寒々しい青黒い霧のような気配を浄化していく。
そして彼はゆっくりと瞳を開いた。
「…………わたし……は………」
「目が覚めたか」
声がして横を見ると、自分のすぐ横に汗だくになってスクワットをしているマスクの巨漢がいるではないか。
「ギャー!!!!!!!!!!」
意識の覚醒早々に村中に響き渡るような悲鳴を上げるウィリアムだった。
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