第8話 戦のあと

 火倶楽城かぐらじょう落城の方は一刻を待たずして黒羽の里にも届けられた。


「里長、我らはどうすればいいんじゃ」

「物見の報では奴らは地を埋め尽くさんばかりの数らしいぞ」


 里の顔役たちが深刻な顔付きで合議している。

 里のある山々には結界が張ってあり力の弱い妖怪は入ってくる事はできない。

 だが百鬼夜行の猛者たち相手では効果はないだろう。


「今はまだ動かぬ。だが連中が一歩でも御山に足を踏み入れれば我らは里を捨てる。すぐ動けるよう準備はしておくのじゃ」


 幻柳斎の決裁に顔役たちは無言で肯き、各々準備の為に散っていった。


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 ───『百鬼夜行』本陣。


「黒羽はどうする? ここには確か連中の本拠地があるだろ?」


 金の鎧を纏った巨体を揺すって用意された大量の食料をガツガツと貪り食っている羅號らごう


「手は出さん。連中は中立だ。現に懇意にしてる嘉神かがみの家のいくさにも出てこなかっただろう。下手に突いて敵に回せば連中は厄介だぞ。奴らは大陸中に根を張ってる」

「ギギギ……だが放置すればいずれ敵に回るんじゃないのか?」


 焼いた川魚を頭ごとバリバリ食らっている斬因ざいん

 骸岩がいがんは相変わらず瓢箪で酒を飲んでいる。


「できぬさ。黒羽のジジイは人妖融和派の最先鋒だぞ。人か妖怪か選ばなければならぬ戦場には絶対出てこんわ。片方に組した時点で自分たちの支持層の半数を失うのだ。動けまい」


 そんな三妖のやりとりを無言で飯を食いながら聞いているのは白い鎧の凶覚きょうかくである。


(……だといいがな)


 凶覚の呟きは口の中で消えて実際の言葉になる事は無かった。

 

 本陣には今四天王の4匹が揃っていた。

 側衆の妖怪の内の1匹が差し出された斬因の杯に酒を注ぐ。


「ヒヒヒヒ、斬因様……やっちまいましょうよ。黒羽なんぞ今の百鬼夜行われわれの力なら……」


 グシャッ!!!!


 地に落ちた徳利が割れる。

 次いで顔面を砕かれた側衆がその場に崩れ落ちた。


「……能無しが。いつオレがお前のご意見を伺ったんだ?」


 返り血で汚れた斬因の拳を別の側衆妖怪が丁寧に拭った。


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 ウィリアムを探していたエトワールは境内にその姿を見つけて駆け寄った。


「セーンセ、うぉっと……」


 縁側に腰を下ろしているウィリアムは近寄ってくるブロンドの少女に対し、人差し指を口の前に立てて『静かに』と合図した。

 見れば座る彼の膝を枕にして優陽が横になっている。


「……父上様」


 寝言で優陽が小さく呟く。

 その頬には涙の跡がある。


「昨日は一睡もできなかったようだ」


 隣に座ったエトワールにウィリアムが小声で言った。

 そして彼は眠る優陽の頭を優しく撫でる。


「優しくはしてくれなくても……父親は父親か」


 そんな二人の様子を見ながらぽつりと呟くエトワールであった。


 ────────────────────


 聖皇歴699年、1月。


 年が明けた。

 結局その後百鬼夜行の妖怪たちは黒羽の里のある山へと侵入してくる事はなかった。


 百鬼夜行は火倶楽を攻め滅ぼした後、さらに半年かけて周辺の小国2国を落としまた西へと進路を取った。

 国主嘉神清崇かがみきよたかは討ち死に、正室や多くの重臣たちも落城に伴いその後を追った。

 嫡子征崇まさたかを始めとする一部の者が脱出に成功したとも言われているがその後の消息は杳として知れない。


 基本的に百鬼夜行は攻め込んだ国を徹底的に蹂躙した挙句ただ去っていくのみで、その跡地を支配等する事はほとんどない。

 しかし火倶楽は東部要衝と見て例外としたのか、火倶楽の都跡地には幹部級の妖怪を1匹残していった。

 その妖怪が手下を国中に放ちかつて栄えた火倶楽国は今では昼間から妖怪の跋扈する魔境となっていた。

 下級妖怪が入ってこれない山の黒羽の里は表向きかつての生活が戻りつつあったが……。


「……はあッッ!!!」


 飛翔からの滞空中に鋭い連撃が無数に飛んでくる。

 しかしウィリアムはそれらを全て片手で軽くいなした。


「気持ちが前に出すぎてしまっているぞ。それだと簡単に裏をかかれる」

「……はいっ」


 立ち合いを終え、少女は乱れた呼吸のままで一礼した。


 ……天河優陽てんかわゆうひ、彼女は9歳になった。

 祖国の滅亡を目の当たりにしてから彼女は更に熱を入れて武術の修練に励むようになった。

 放っておけばオーバーワークになるまでやるので周りが止めてやらなくてはならない。


 彼女の焦燥はウィリアムにはよくわかる。

 優陽の地元である火倶楽国天河領も百鬼夜行による蹂躙に遭った。


 祖父天河将監てんかわしょうげん、母月絵つきえ、兄刻久ときひさ……その3人の生死も不明である。

 心配で気の休まる暇もないのだろう。


「先生、優陽は心苦しいです。優陽にもっと力があれば父上様や母上様、そして皆をお守りできるのに……」


 拳を握り締めている年端も行かぬ少女の姿にウィリアムは複雑な心境になる。

 そんな優陽の肩に彼は優しく手を置いた。


「優陽、君のそのこころざしはとても立派なものだ。だがね、人が1人でできる事はおのずと限られている。その事もまた忘れてはいけない」

「では、優陽はどうするべきなのでしょうか」


 ウィリアムは自分を見上げて問いかけてくる優陽の目をまっすぐ見る。


「もしも君が一人前の年頃になって、何か大きく大変な事を成し遂げようとするのなら、その時は君の周りの人々の力を借りなさい。それはおかしな事でも恥ずかしい事でもない。君のしようとしている事の……その意味と価値がわかってもらえるのなら、必ず君に力を貸す者が現れるはずだ」

「誰かの……力を借りる」


 肯く灰色の髪の師。

 人は1人では生きていけない……この言葉を理解できるようになるまでに彼女にはまだ時間が必要であろうと思いつつ。


「そうだ。全てを1人でやろうとするのは立派だが……哀しい事だ」

「難しいです、先生」


 むむー、と優陽が梅干を食べた時の様な顔になっている。


「ははは、今はそれでいいんだよ。いつか優陽が私の言った事をわかってくれる日が来る事を祈っているよ」


 穏やかに笑うウィリアム。

 山寺の境内で夕日に照らされた師弟の影が地面に長く伸びていた。


 ────────────────────


 3月に入り、小春日和の増えてきた頃に里にある一報がもたらされた。

 それは優陽にとっては一日千秋の思いで待ち焦がれた報である。

 天河領を脱出した将監らが存命であるという内容であった。


「ああ……よかった……。お爺様、母上様、兄上……」


 その報せを聞いて優陽はその場にへたり込んで泣いた。


 彼らは今、天河領内外れの山深い隠れ里にいるという。

 有事の際の避難場所として予め用意されていた里だ。

 報せは将監自身の筆によるものだった。

 幻柳斎からウィリアムも書状を手渡されて目を通す。


「………………………………」


 読み進めていく内にウィリアムの表情が曇った。

 全てが良い話ばかりではない。

 手紙をしたためた将監自身は脱出の際に妖怪に負わされた傷が元で体調が日々悪化していっているという。

 恐らくもう、そう長くはあるまいと自ら綴っていた。

 そして自らが没した後に残された者たちを黒羽の里で引き取ってはもらえないかと老将は訴えている。


「どうするおつもりですか?」

「お引き受けしようと思っておりますわい。我らは戦の時にはお役に立てなんだ。せめて助けを求めてくる者は受け入れていかねば」


 ウィリアムの問いに幻柳斎老人が煙管を燻らせて答える。


(母との折り合いが悪く、半ば追い出されるようにしてこの里に来た優陽。その里に今度は妖怪たちに住む場所を追われてその母たちがやってくるのか。皮肉なものだ)


 その事に思いを馳せずにはいられないウィリアムだ。


 ────────────────────


 それから2ヶ月が経過し、自ら連絡してきた通りに天河将監はその後体調が回復することなく息を引き取った。

 残された月絵、刻久母子と十数名の従者たちが隠密裏に黒羽の里に入ったのは5月中旬の事であった。


「月絵様、刻久様。よう参られました。この先この黒羽の翁と一族の者が皆様をお守りさせて頂きますぞ。どうぞ心安らかにお過ごしなさいませ」

「母上様、ご無事で安心致しました……!」


 出迎えた幻柳斎が深々と頭を下げる。

 目立たぬように農民に扮してやってきた一行。

 月絵も流石にやつれており、顔には疲労が伺える。

 幻柳斎と共に優陽も一行の出迎えに立っているのだが、その娘に対してチラリと一瞥したのみで特に言葉を掛けようともしない。


「窮状も特に人の性根を変えてくれはしなかったか」

「そーですねぇ。あのひとの歪みは中々根が深そうですね」


 前回同様、その様子を少し離れた場所から見守るウィリアムとエトワール。

 そして最後に到着した輿からふらふらと杖を持った男児が出てくる。

 従者がさっと寄り添いそれを支えていた。


「……………………………………」


 ウィリアムは思わず言葉を失ってしまっていた。

 出てきたのは疑いようもなく優陽の双子の兄刻久であろう。

 年頃と性別を考えて身体が出来ていない事を彼が危惧したのが前回見かけた時のこと。

 そして現在は……。


(さらに細くなってしまっている)


 ぎゅっと眉間に皺を刻むウィリアム。

 刻久の衰えようは見ていて痛々しく感じるほどであった。

 枯れ枝のように細ってしまった腕で杖を持ち、支えを受けてどうにか自分の足で歩いてはいるが……。


「ヤバそうですね」


 エトワールも言葉少なにそう評した。

 頬のこけた顔は死人のように血色が悪い。

 挨拶もそこそこに用意された家に担ぎ込まれるように消えていく刻久。



 時に聖皇歴699年、5月。


 こうして前途に暗雲を感じさせながら母子3人の里での生活が始まったのであった。


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