第9話 弓矢固めの朝
黒羽の里に
2人は従者と共に里が用意した一番大きな家で暮らしている。
そして娘の優陽は相変わらず幻柳斎親子やウィリアムらと山寺暮らしであった。
ある日の朝、早朝の軽い運動を終えたウィリアムが山寺へ戻る道を歩いていると……。
「どうしたのです刻久! そのような事で御家の再興が叶いますか!」
ヒステリックな声が聞こえて思わずそちらを見る。
すると月絵親子の暮らす家の庭で刻久が木刀を素振りしているようだ。
だが刻久は立つのもやっとという有様で、素振りも剣を振っているのか自分が振り回されているのかもわからないような状態である。
「何をしているんだ! おやめなさい。この子は運動ができるような体調ではない!」
思わず割って入るとふらふらの刻久をウィリアムが支える。
「何故邪魔をするのです!! トゥアーッッッ!!!!!」
ドガアッッッ!!!!!
「がはあああッッ!!!!」
月絵が放った矢のようなドロップキックをまともに食らってウィリアムが吹き飛んだ。
そのまま月絵は走りこんでくると倒れるウィリアムの背中に横から両膝を当て、クロスした足首と喉元を左右の手でそのままロックすると後ろに倒れこんで彼をえび反りに極める。
完璧に決まった
「何故邪魔をするのです! 何故邪魔をするのですか!!」
「ぐあああああ!!! ちょっと!! お母さん!! あなたがもう戦いに行けばいいんじゃないですかねそのプロレス技でえええええええ!!!!!!」
自らの背骨のミシミシと鳴る嫌な音を聞きながら早朝から近所迷惑な悲鳴を上げ続けるウィリアムだった。
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早朝からボロボロになったウィリアム。
山寺に戻ってきて擦り傷を濡らした手拭いで拭く。
「………………………」
気になるのは先ほどの母子それぞれの言っている事だ。
『この子は立派な武者となり、
プロレス技でウィリアムをズタボロにした後で月絵はそう言い放った。
言うまでも無く嘉神清崇は故人である。
火倶楽落城の際に妖怪たちと戦って命を落とした。
そして、あの後布団に寝かせた刻久は……。
『申し訳ありませんでした。先生、母上は父上の死を受け入れられておらぬのです』
生気のない顔ですまなそうにそう詫びた。
何度、清崇は死んだのだと周囲が諭してもそれを納得しない。自分たち同様にどこかに落ち延びているのだと頑なに思い込んでいるという。
「何とも居た堪れない話が多いな」
誰にともなく独りごちるウィリアムだった。
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聖皇歴699年、7月。
蝉の声が響き渡る暑い夏の最中に黒羽の里への山道を登る2つの人影があった。
山伏姿の2人だ。
1人はかなりの巨漢、もう1人も立派な体躯をしている。
錫杖を手にしっかりとした足取りで石段を登っていく2人。
その人物の来訪を告げられたその時、里長である黒羽幻柳斎は手にした湯飲みを取り落とすほどの驚きを表した。
「若君様……!! よくぞ、よくぞご無事で……!!!」
山寺の本堂で平伏している幻柳斎。
目の前に座っているのは山伏姿の精悍な整った顔立ちの若者である。
「うむ、爺やもな。まずはお互い無事で何よりだ」
若君と呼ばれた男はそう言って白い歯を見せて笑った。
国が滅びたあの日に少数の護衛と共に落ち延びていたこの若者は今日まで身分を隠し各地を転々としていた。
優陽の腹違いの兄でもあるこの征崇の年齢は現時点で18、優陽の9歳年上である。
その征崇の後ろには守護神のように長髪口髭の巨漢、
「若様、我ら黒羽の者、嘉神の御家には散々良くして貰っておきながら戦に参じる事叶わず。真に……真に申し訳ございませぬ」
「それはもうよい。そなたら一族とこの里の立場の話はこれまでも散々聞かされておる」
人と妖怪が平等に暮らす世界を理念とする黒羽一族、その為人と妖怪との戦いにはどちらの側でも参加ができないのである。
「……だが、それを知った上で今日はあえてそなたらに頼みに参った。我らに力を貸してほしい」
今度は征崇が頭を下げる。
「若様、それは……」
「爺や。私は百鬼夜行に対抗する為の組織を作るつもりだ。嘉神の家や
壮大な……ともすれば荒唐無稽と言われるような話であった。
征崇は北方大陸の人々に妖怪と戦うために結集せよと呼びかけると言うのである。
「百鬼夜行が手強いのは妖怪王の力もあろうが、何より集団としてとてつもなく巨大だからだ。これに対抗するには我らも大きく纏まるしかない」
「若様はそれをご自身の手で成すとおっしゃいますか」
眩しそうに征崇を見る幻柳斎。
征崇はハハハ、と苦笑して後頭部を掻く。
「今のところ他に旗振り役も出てこぬでな。私がやるしかなさそうだ。この足で各地を巡り、根気強く生き延びた者たちを説得して回るつもりよ」
語る征崇の目には確かな信念を感じさせる強い光があった。
幻柳斎はしばしの間沈黙するが、やがて再び深く頭を下げる。
「若君様の志……真にご立派であらせられこの老いぼれ敬服するばかりにございます。されど、申し訳ありませぬが……」
苦しげな声の老人に微笑んだ征崇が肯いた。
「わかった。無理は申さぬ。……だが、また来る。その時はまた話を聞いてくれ」
「ははっ。我らの里が征崇様の来訪を拒む事は決してありませぬ」
こうして2人の数年ぶりの再会は終わった。
午後の陽の差す本堂での事であった。
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「兄上様……!!」
山寺からの参堂を下りてきた征崇と芭琉観の2人に駆け寄る優陽。
「おう、そなたは?」
「天河優陽にございます! お久しゅうございます、兄上様!」
優陽が元気よく頭を下げる。
征崇はそんな少女に表情を綻ばせると目線を合わせるように膝を折る。
「おお、そうか! 天河の……久しぶりだな。そなたに以前会ったのはまだほんの小さい頃であったが覚えておったか? 何にせよ無事で何よりだ。兄は嬉しいぞ」
優陽を優しく抱きしめるとその肩を軽く叩く征崇。
「兄上様もご無事で嬉しゅうございます! 兄上様はこれからいかがなされますか」
「……私か。私はな、これからあの我らの国を滅茶苦茶にしてくれよった百鬼夜行どもをなんとかギャフンと言わせてやろうとな、仲間を探す旅に出るところよ」
征崇の言葉に驚いた優陽が目を丸くした。
「そのような……! 危のうございます、兄上様!」
「ハッハッハ! 確かに危ない旅ではあるが、心配はいらぬ。私には頼りになる護衛がおる」
征崇が背後を示すとそこに立つ巨漢がムン、と両腕の力瘤を誇示するポーズを決めた。
「姫様どうぞご安心めされい。この芭琉観がどんな悪い妖怪も若様には近付けさせませぬぞ」
人間離れした体躯の坊主に目をキラキラとさせる優陽。
「兄上様! いつか優陽も兄上様のお仲間に加えて頂きとうございます!」
「そうかそうか。そなたも共に戦ってくれるか。それは頼もしい事だ。……ならば、まずは沢山食べ、良く眠り、大いに学んで立派に大きくなってくれ。……いつの日か成長したそなたが兄を助けてくれる日を楽しみにしておる」
自分の両肩に手を置いて言う征崇に優陽が何度も肯いた。
そして少女は去っていく2人の後姿をいつまでも見送り続けた。
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その腹違いの兄と妹の邂逅を物陰で密かに見つめる影があった。
優陽の母、月絵である。
「あぁ、清崇様! 清崇様……!!」
涙を零す月絵。
彼女の目には征崇が父清崇に見えているのだ。
「やはり生きておいでだった。清崇様は死んでなどおらぬ……!!」
大木の陰に隠れている月絵。
だがそのまま彼女はずるずると膝を屈する。
「じゃが、刻久のあのような姿を見れば清崇様はなんとおっしゃるか……ああ、
膝を折って涙を流し続ける月絵。
周囲にはただ蝉の声が響くだけで彼女の嘆きに答えるものはなかった。
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