第7話 火倶楽滅亡
聖皇歴698年、3月。
百鬼夜行、
国主、
激突はもう時間の問題であった。
国境を守る火倶楽軍4万に対し向かってくる百鬼夜行の妖怪たちは13万。
数の上では絶望的な戦力差である。
しかし集った火倶楽の精兵たちは勝算なくこの場に立っているわけではなかった。
これまでの百鬼夜行の各地での狼藉の情報を詳細に集め今日の日に備えてきた。
百鬼夜行の核は言うまでもなく妖怪王ゼクウだ。
誰も勝てず、誰も阻めない大妖怪。
だがこのゼクウは
戦いが始まればゼクウは即座に近付くものを敵味方のお構いなしに殺戮する死の暴風と化す。
百鬼夜行とはそんなゼクウを敵軍にけしかけ遠巻きにしながら時にはそのゼクウを誘導したり敵軍をゼクウ側へ追い込んだりとそういった戦法でこれまで人間の軍勢を蹂躙してきた。
結論から言ってしまえばゼクウは
何かしようと思った所で誰にもどうにもできないのだから最初から無視すればいい。
しかし向こうからは襲ってくる。
その場合は敵陣に逃げ込めばいいのだ。
百鬼夜行のゼクウを御し切れているわけではないという弱点を突く作戦であった。
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黒羽の里もかつてない重苦しく張り詰めた空気に包まれている。
一族の者は皆武装しており、それ以外の者も非戦闘員も含め何がしかの装備を身に着けていた。
鍋を被ったり訓練用の竹光や胴当てで武装する子供もいる。
「ここまでくるんかね~百鬼夜行。怖いわぁ」
落ち着かない様子のマホロ。
ただ彼女は他の子ほど怯えてはいないようだ。
優陽の影響で他の里の子供たちも皆武術の稽古をするようになった。
中でもこの化け狸の娘マホロは突出して出来が良く教える側を日々驚かせている。
「大丈夫だよ。何かあれば私や里の大人たちが皆を守る」
「ほんとにぃ? よろしくなぁ先生。あたし怖いわぁ」
左手に抱き着いてきたマホロの頭を優しく撫でるウィリアム。
あの自分の膝の上で船を漕いでいた子が大きくなったものだと感慨深げに目を細める。
その娘の尻を誰かがスパーン!と勢いよく叩いた。
「いったあ!!? 何すんのエトさん! いったいわあ!!」
「うるせーこのタヌキ娘。センセ、騙されてますよ。そいつはビビってねーです」
小走りに距離を取ってからマホロはエトワールにべぇ、と舌を出してから走り去った。
入れ替わりにウィリアムの隣にはエトワールが立つ。
「さてさて、いよいよほんとにヤバくなってきましたね」
「そうだな……。まあこういう事になれば里の人の力になろうとは前に決めていた通りだ」
そう言いながらウィリアムは腰の愛剣の柄を撫でた。
もう何年も実戦に使っていない剣である。
そこに1人の烏天狗が空から舞い降りてきた。
「伝令! 伝令でありますッ!! 国境線が破られました!! 百鬼夜行が国内へ雪崩れ込んできます!!」
その叫びは里の空気を凍て付かせる雷鳴となって周囲を駆け巡った。
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──我、憤怒ノ化身ナリ。
その獣が初めて『
それは恐らくその獣が妖怪に変じた瞬間だったのであろうが……。
同時に彼が認識したのは、生まれてからこの方己の内を常に焼き続けたこの狂熱が……耐えがたき感情の奔流が『怒り』の感情である事であった。
彼は自分を突き動かす原動力の名を知ったのだ。
そうだ、自分は怒っている。
この世の全てに憤怒している。
どれほど暴れても、どれほど殺しても、どれほど壊してもその熱は冷めることはなかった。
……許さぬ。
何人たりとも生存を許さぬ。
世界を許さぬ。
森羅万象を許さぬ。
この世の全てを焼き尽くし、最後には己を焼き尽くすまで……。
この怒りが収まることはないのだろう。
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ゼクウを無視する火倶楽軍の作戦は初めの内は功を奏していた。
百鬼夜行の軍勢に少なからぬ被害を出し、その陣容を大いに乱した。
これはいけるやもしれぬ、と火倶楽の兵たちが思い始めたその時。
……二つの計算外の障害が彼らに立ちはだかる。
ゴアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!!!
それはゼクウの咆哮だ。
目の前をちょろちょろと逃げ回る獲物たちに業を煮やした獣が吠えた。
そのこの世のものとも思えぬ雄叫びは聞くものの自由を奪った。
恐怖とショックで一時的に麻痺したようになるのだ。
これにより火倶楽軍の攪乱作戦は頓挫してしまった。
……そしてもう1つの障害は。
「……雑魚どもが考えやがったな」
馬上の黒鎧の武者、
この冷徹な切れ者は戦況の修正の必要を悟った。
「お前ら離れてろ。さもなきゃ巻き込むぞ」
言い放ってから馬を降りる斬因。
「ぬぅぅぅぅっっ!!」
呻いて前屈みになる。
その全身からめきめきと何かが軋む音が聞こえる。
内側から膨れ上がった肉体が鎧を弾き飛ばした。
戦場にもう一体の巨体の怪物が立ち上がった。
ゼクウほどの巨躯ではないがそれでも前屈みの体勢で頭部までは3m以上もある。
青黒い濡れた肌の怪物。
全身にはサメの背びれを思わせる大きな刃状のヒレが無数に生えており背には巨大な口がある。
妖怪『
突如として水気のまったくなかった平原に大きな波が立った。
数mはあろうかというその巨大な波は火倶楽の兵士を為す術もなく取り込んで押し流す。
その波の中に斬因がいた。
突然の大水に取り込まれ溺れてもがく火倶楽兵たちに自在に泳いで襲い掛かる。
瞬く間に大波は真紅に染まり、その水が収まった後には数十人もの兵士の無残な肉片が残された。
ゼクウの咆哮と変化した斬因の参戦により屍の山に変えられていく火倶楽軍。
開戦からおよそ2時間後、彼らは全軍の6割以上を失って潰走することになった。
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火倶楽城城下。
街は今狂乱の最中にある。
都を脱出しようとする者たちで大路は溢れ返っている。
その様子を国主
「和尚! 和尚はおるか……!」
清崇が呼ぶと背後の襖がスッと開く。
「上様、
のっしのっしと重たい足音を立てて入ってきたのは僧兵姿の筋肉質な巨漢である。
身長は優に2m以上はあるだろう。
僧の出で立ちをしているが剃髪はしておらず、長い髪の毛をオールバックにして後ろにそのまま流している。そして鼻の下には濃い口髭を蓄えた彫の深い壮年の男だ。
その背にはコブの付いた大きな黒光りする金棒を担いでいる。
嘉神家とも交流の深い破戒僧、芭琉観である。
僧としてというより傭兵のような立ち位置で嘉神の家とは懇意にしている。
「和尚、
嘉神征崇は清崇の長子、跡取りである。
現在は学問の修養のために寺に出ているのだ。
「委細承知! 若君の事はどうぞこの坊主にお任せあれ。……して、上様は」
「わしは他の者たちと合流し別口で脱出する。決してこちらと合流しようとはするな。もしも一塊になっておればそこを襲われれば一網打尽じゃ」
芭琉観は清崇の言葉に深く頭を下げた。
「御意に御座いまする。しからばかねてより打ち合わせ済の脱出先にて。上様どうぞご無事で!」
慌ただしく芭琉観和尚は出て行った。
その後姿を見送って清崇は小さく息を吐いた。
「すまぬな和尚。征崇を支えてやってくれ」
そして清崇は再び天守の窓の外に視線を戻した。
「……国を、民を捨てて国主に脱出する場所などありはせぬ」
この日、嘉神清崇は自ら都の防衛部隊の指揮に立ち迫る百鬼夜行の軍勢を相手に最期まで戦い抜き、そして命を落とした。
その首はその後妖怪たちによって城下に長く晒される事となる。
国主は討たれ、城と都は焼け落ちた。
東州随一と謳われた大国、火倶楽の滅亡であった。
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