第6話 天河優陽という娘

 天河優陽が黒羽の里に来て一か月が過ぎようとしていた。

 今日も彼女は里の子らと元気に外を駆け回っている。

 一か月ですっかり彼女は里に馴染んでしまった。

 天河の城には妖怪はいないと聞いてウィリアムが危惧していた妖怪たちとの関係も問題なさそうである。


 天河優陽という娘は明るくて活発であり、早い話がお転婆である。

 女児よりは男児の遊びを好み屋内よりも屋外で過ごす事が多かった。

 竹を割ったような性格で公平であり瞬く間に里の子供たちのリーダー格に収まってしまった。

 年上の子でも優陽の言う事には素直に従う。

 また彼女は大勢で何かをする時に誰にどの役割が向いているのか……いわゆる適材適所を的確に見極める事ができた。

 このリーダーの素養は親譲りのものであるのだろうか。


 運動だけが取り柄かと思えばウィリアムの授業にも人一倍熱心に参加し理解力は高く優秀な生徒だ。

 やはり他の子どもたち同様に大陸の外の話に強い興味を示した。


「……先生!」


 その優陽にある日の授業の後でウィリアムは呼び止められた。


「先生、優陽に剣を教えてください!」

「ふむ……」


 ウィリアムの剣術の基礎は言うまでもなく海外のものである。

 そんな自分が手ほどきしてしまっていいものか?と彼は一瞬悩んだが……。


「いいとも。では優陽の為の木剣を用意してもらおうか」

「ありがとうございます!」


 それが気晴らしになるのなら、と思って了承する。

 どちらにせよこの里には自分か黒羽流を伝える烏天狗がいるのみで火倶楽正統の剣術を使う剣士がいない。

 折角本人が学ぶ気になっているのだから現状で可能な教えを施すべきだろうとウィリアムは判断した。


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 聖皇歴697年、5月。

 優陽が黒羽の里に来てから2年が経過し、彼女は7歳になっていた。


 今日も里にはカンカンと小気味良い木剣の打ち合わされる音が響いている。


「はぁっ! はぁっ! ……ありがとう……ございました!」


 汗だくの優陽が頭を下げる。

 動き回った彼女は疲労困憊だ。


「どんどん良くなってきているぞ。この調子で頑張っていこう」


 ウィリアムが褒めると彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「おらおら~まだ俺の相手する体力は残ってんのか? 優陽よお」

「むむ、ハヤテ!」


 そこへニヤニヤと笑いながら疾風がやってくる。


「いいでしょう! 相手になります! かかってきなさい!」

「俺のセリフだっつの!!」


 苦笑しながら自分に木剣を向ける優陽に対して構えをとる疾風であった。


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「最近優陽の動きが変でな」


 夜。縁側で月を見上げながらウィリアムが言う。

 今日は綺麗な満月だ。


「どうヘンなんです?」

「いやなんか、飛んだり跳ねたりで次の動きが予測できない」


 お茶を出してくれたエトワールに答えるウィリアム。


「そりゃあ先生よ。変幻自在の俺相手に修行してんだから優陽の動きも変幻自在になっていくさ」

「なるほどなぁハヤテの影響か」


 何故か自慢げにしている疾風に納得して肯くウィリアム。

 つまり優陽の戦い方はウィリアムの教えた剣術と疾風の変幻自在の体術の融合した型になりつつあるという事だ。


「なんだっていいだろ動き方なんてよ。勝てればそれで正解だぜ。俺たちは道場剣術学んでんじゃねえんだから。折角修行してんだからまずは勝てるようにならにゃなあ」

「それはそうかもしれんが……」


 お茶を啜るウィリアムが考える。

 そもそもどうして優陽は剣を学びたいと言い出したのだろうか?

 流石に戦場に出たい等と言い出したら本気で止めるのだが……。


 ────────────────────


 9月、久しぶりに里に来訪者があった。


「母上様! 兄上!」


 その2人の姿を見た優陽が元気よく駆け寄る。

 良い身なりの2人。その内武家の子息と一目でわかる少年が優陽に手を振った。


「久しいな優陽。変わりはないか?」

「はい、兄上。優陽は元気でやっております」


 家族の久しぶりの再会をウィリアムは少し離れた位置から見ていた。


(あれが優陽の双子の兄、嘉神刻久ときひさか……)


 顔立ちはなるほど、男女の差はあれ双子だけあって実に良く似ている。

 刻久も細面の美少年だ。

 将来はさぞかし見目麗しい青年に育つだろう。


 だが……。


(細すぎる。それに顔色もよくないな)


 ウィリアムはそこが気にかかった。

 羽織の袖から覗く腕がかなり細身なのだ。

 優陽もどちらかといえば細い方なのにその彼女と比べてもまだ細い。

 そして男児としてはかなり色白だ。

 武家の子として期待を受けているにしては華奢すぎる気がする。

 それに時折咳をしているのも気になる。


「刻久がどうしてもというので今日は2人で参りました」

「母上様もお変わりなくお過ごしとのことで優陽は嬉しく存じます」


 赤い美麗な着物を着ている女性が無表情で言う。

 優陽の母……嘉神清崇の側室、月絵である。

 優陽はそんな母に笑顔で頭を下げている。


(美人ではあるが気の強さが表面に出すぎてしまっているな。あれでは周囲は委縮する)


 月絵には近寄りがたい女性というイメージをウィリアムは持った。

 彼にとっての救いだったのが兄妹が想像していたよりかは仲が良い感じであった事だ。

 2人はどちらも再会を喜んでいるようだった。


 母子は数刻の滞在で慌ただしく里を去っていった。

 日帰りは負担だろうし一泊してはどうかと里の者は勧めたのだが、月絵はそれを失礼にはならない程度の口調できっぱりと断った。


 優陽は明るく振舞ってはいたが去り際の2人を見送る表情が一瞬だけ寂し気に陰った事にウィリアムは気付いていた。


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『百鬼夜行』


 妖怪王ゼクウの元に集った魑魅魍魎たちの呼称である。

 その数は百どころか既に数万にもなると言われている。

 初めは徒党を組んでただ暴れまわるだけであった。

 しかし、何時の頃からか中枢に当たる集団に統制が生まれ始めた。

 纏め上げたのはゼクウではない。

 ゼクウはただ滾る憤怒の感情のままに暴れ、殺め、壊すのみだ。


 百鬼夜行を『軍勢』として纏め上げたのはこの集団の中でゼクウに次ぐ実力者と目された4匹の大妖怪である。

 4匹は百鬼夜行本体を自らが率いる4つの軍団に分けそれぞれを指揮した。

 そして本能のままに暴れるゼクウの動きに上手く連動させる形で妖怪たちを巧みに操った。


 4匹はいつしか『ゼクウ四天王』と呼ばれていた。


 山から来た妖怪王に対して、まったくの偶然であるが四天王の4匹は全て海から来た妖怪であった。


 ───『百鬼夜行』本陣。


「ひぎゃああああぁぁぁぁ!!!!」

「ぜ、ゼクウ様ぁ!? 何を……おごッッ!!!」


 陣幕の内に妖怪たちの断末魔の絶叫が響き渡る。

 それを離れた位置で聞く4つの影がある。


 4人とも人の姿をしている。

 鎧武者の格好だ。

 知らぬ者が見ればどこかの人の軍勢の侍大将の会合かと思うだろう。


 だが、4名の正体は妖怪である。

 海の妖怪である彼らは陸地で正体を晒していると妖力の消耗が激しいのだ。

 その為普段は人の姿を取っている。


「クカカカ、バカどもが。戦の後のゼクウ様に不用意に近付けば死ぬだけだというのに……」


 金色の武者鎧の男が口の端を歪めて嘲笑している。

 4名中最も上背があり肥満体系の男だ。

 ゼクウ四天王の1人、イソギンチャクの妖怪『磯喰いそぐらい』の羅號らごう


「放っておけ。今日は獲物が少なかった。あの方の血を鎮めるまでまだ生贄が必要だ」


 冷たい鋭い目をした黒い武者鎧の男……ゼクウ四天王の1人、鮫の妖怪『淵神ふちがみ』の斬因ざいん

 四天王で最も冷酷で残忍だと言われている男である。


 血が昂っているゼクウは一定数の屍を作らねば落ち着かないのだ。

 それが人でも妖怪でも関係がない。

 近くにいれば犠牲になる。


「ギギギギ、オレはまあまあ今日は暴れられたからな。気分がいいぜぇ」


 紺色の鎧を纏ったひょろりと背の高い武者が耳障りな声で笑うと瓢箪に入った酒を呷った。

 ぎょろりと大きな目をしていて牙の並んだ口は耳まで裂けている。恐ろし気な面相の武者だ。

 ゼクウ四天王の1人、ウツボの妖怪『黒顎くろあご』の骸岩がいがん


「オレたちはいつまでこんな事をしているんだ?」


 するとそこまで黙っていた白い鎧の武者が低い声で言った。

 ゼクウ四天王の最後の1人、巨蟹の妖怪『夜叉蟹やしゃがざみ』の凶覚きょうかくだ。


「何が言いたい?」


 鋭い目を細めて問う斬因。

 凶覚は大げさに息を吐いた後で肩をすくめる。


「人間の国を襲って、殺して焼いて……それだけだ。他に何もしちゃいねえ」

「クカカカ、別にいいじゃねえか。それでよ」

「ああ、オレも別に不満はねえ」


 羅號が巨体をのけ反らせて揺すりながら笑った。

 骸岩も肯いて同意する。


「その先に何もねえなら、何でオレたちはこんな事をやってんだ」

「わからんなぁ。怯えて逃げ惑う人間どもを狩るのが楽しい……それでいいと思うがな」


 首をかしげる羅號。

 半分は疑問で半分は興味がない、そういう態度だ。


妖怪オレたちの国を作るんじゃねえのか?」

「ギギギ、お前はまたその話かよ。作ってどうすんだ? そんなモン……どうせすぐにブッ壊されちまうよ、オレたちの妖怪王ゼクウ様によ……ギギギギ」


 ギザギザの歯を見せて笑う骸岩。

 最早これ以上話すこともないと断じたか凶覚は他の3人に背を向ける。


「……凶覚」


 その背に斬因が声を掛けた。


「いずれそういう国を建てるにしても、そこはオレたちの楽園じゃなきゃいけねえ。人がオレたちの顔色を窺って何でも言いなりになる……そんな国じゃなきゃあよ。だから今はこれでいいんだ。徹底的に人間どもを叩いてオレたちの強さと恐怖を教え込んでやらなきゃいけねえ。今はその段階だ。だからお前も今はそっちに集中しろ」

「…………………………」


 斬因の言葉の途切れたタイミングで凶覚は無言のまま闇の中に消えた。


「あいつ、馬鹿みてえに強いのに余計な事を考えすぎるんだよなあ」

「ギギギ、強すぎて戦やっててもヒマなんじゃねえのか?」


 顔を見合わせて羅號と骸岩が笑いあっている。

 そんな中で斬因だけが冷めた顔をしていた。


「……フン。戦場に出せば奴も血の匂いで思い出すさ。オレたちの本性をな。東征はもう始まってるんだ。この先も手強い国が並ぶぞ。余計な事を考えてる余裕はねえ」


 篝火の明かりが斬因の顔を照らす。

 炎の輝きが作った陰影が冷たい目をした男の顔で不気味に揺れていた。


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