第5話 国主来訪

 聖皇歴695年、1月。


 年が明け正月も過ぎて黒羽の里も落ち着いてきた頃、1人の男が数名の供を連れて里へと来訪した。

 葦毛の馬を駆り紋付羽織袴を着た武家の者。

 顎先に少々の髭を蓄えた偉丈夫である。


 その男に皆が平伏している。

 進み出てきた幻柳斎老人も深く首を垂れた。


「これはこれは上様。おいでになるとわかっておりましたらお迎えの支度をしましたものを」

「そう畏まらずともよい。近くまで来たので久しぶりに爺やの顔を見たくなっただけじゃ。皆も変わりはないか?」


 上様と呼ばれた男の声に皆がははぁ、と再度頭を下げた。

 ウィリアムたちも里の者たちに交じって頭を下げている。

 来訪の人物については過去に話は聞いていた。

 この黒羽の里のある火倶楽国かぐらのくにの国主、嘉神かがみ清崇きよたかである。

 名君であり妖怪にも理解がある主君だという話だ。


 清崇と供の者たちが幻柳斎に案内され山寺へと向かう。


「まぁ、時期的にあんまいい話じゃねえよ」


 一行の後姿を見送りながら疾風がウィリアムに小声でそう言った。


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「それで上様。本日はどのようなご用向きでございましょうか」


 上座に座る清崇が出された茶に口を付けひと息ついた頃合いで幻柳斎が訪ねた。

 老人は先ほど清崇が口にした御機嫌伺いが本当の要件ではない事はわかっている。


「ああ、うむ……それなのだがな……」


 歯切れが悪くなる清崇。

 その心中を察し、老人が口を開く。


「『百鬼夜行』の件でございましょう。ご城内にてどなたかが黒羽の里われわれが百鬼夜行に通じるのではないかと危惧しておいでなのではござらぬか?」

「…………………」


 清崇は複雑そうな表情で目を閉じた。

 一呼吸おいて彼は口を開く。


「わしがそなたらをそのような目で見てはおらぬ事はわかっておろう。妖怪そなたらも人も等しく我が火倶楽の民じゃ。……だが、城内皆が同じ考えというわけではない」


 そこで言葉を切り、ふーっと長い息を吐く清崇。


「故にこうしてわし自らがその件を改めたという体裁が必要なのだ。戻って不信の者たちには黒羽一切疑わしき点なしとわしが保証しよう」

「我ら黒羽の里のもの一同、上様のご信頼を裏切ることは決してございませぬ」


 床に額を付けるように深く頭を下げる幻柳斎。


「うむ。爺やも大変な時期であろうが、たまには前のように城へ参りわしの碁の相手などせよ。どうも最近城も空気が硬く張り詰めておってかなわぬわ」


 場の空気を和ませるようにははは、と清崇は笑った。


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 数時間ほどの滞在で清崇一行は慌ただしく戻っていった。

 去っていく国主一行を見送る里の者たち。


「のんびりしてられる状況でもねえよな。上様も大変だぜ」


 お気の毒様、とでもいうように疾風が嘆息する。

 しかし、里への来客はこれで終わりではなかった。


 清崇の来訪から数日後の事……。

 またも立派な武家の一行が黒羽の里へ訪れた。

 今度は主人はかなり高齢の侍である。


「突然の来訪誠に申し訳ない。しかしそれがし、どうしても翁殿にお願いしたき儀があってまかり越した次第にござる!」

「ああいやいや将監しょうげん殿……まずは落ち着かれよ。寺にてお話伺います故」


 若干興奮気味の老武士を促して山寺に向かう幻柳斎。


「今度は誰なん?」


 一行がその場を去ってからエトワールが疾風に尋ねる。


「ありゃ火倶楽の天河てんかわ領の領主天河将監てんかわしょうげん様だな。火倶楽の国人衆じゃ一番力がある方さ」

「ふーん、国内の1エリアのボスって事か」


 彼女なりに咀嚼して納得して肯くエトワールであった。


 ────────────────


優陽ゆうひ様を……?」

「うむ、是非にこの里にて預かって頂きたいのだ。翁殿、何卒……何卒お願い申し上げる」


 額を床に擦り付けんばかりに平伏している老領主に目を閉じた幻柳斎が思案する。


「こちらとしては構いませぬが、よろしいのですかな? 優陽様は嘉神宗家の血筋の御方。それを手前どものような身分の卑しき者たちの里に預けては……」

「あいや我らはそのようには思うておりませぬ! 翁殿は何代にも渡り嘉神の御家と火倶楽を支えてきた御方でござろう。優陽をお預けするに何の憂慮がありましょうや!」


 将監は額に汗して熱弁している。


「わかり申した。そうまでおっしゃって頂けるのでしたら優陽様の事お引き受け致しましょうぞ」

「おお……おぉ、かたじけない! 誠にかたじけのうござる」


 心底ほっとした様子で破顔した将監は何度も頭を下げ続けた。


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 天河将監が黒羽の里を立ち去った後、幻柳斎は寺の本堂に里の主だった顔役を集めた。

 その中にはウィリアムたちも含まれている。


「天河領より優陽様をこの里にてお預かりする事となった」


 その里長の宣言に周囲がざわつく。


「なんと……」

「殿様の御子を我らが……」


 ひそひそと囁き合う顔役たち。


「お殿様の子が天河領にいるのか?」


 ウィリアムが小声で尋ねると疾風が肯く。


「ああ、優陽様は将監様の娘、月絵つきえ様と上様の子……月絵様は上様の側室の1人だからな」


 更に疾風が説明を続ける所によれば、火倶楽では慣例として殿様と城で暮らせるのは正室と嫡子のみであり、その他の側室とその子らはそれぞれ別々に暮らすのだそうだ。

 正妻の子であっても嫡子でなければ他家へ預けられるらしい。

 現状、全ての側室とその子は側室の地元で暮らしている。


 優陽の場合もその例にもれず母月絵と天河領で暮らしているわけなのだが……。


「それで地元に戻って親と暮らしてるその優陽様をどうしてここで引き取んですか」

「ああ~それはだな……んん~……ま、おいおいわかるって、ハハハ」


 エトワールの疑問に対して疾風は露骨に答えをはぐらかした。

 最後の取ってつけたような笑い声もなんとも空々しく乾いている。

 ウィリアムとエトワールの2人が何となく事情を察した様子で顔を見合わせた。

 ……明るい理由の話ではないということだ。


(湿っぽい話は苦手なんだっつ~の)


 内心でそう愚痴ってトホホ顔の疾風であった。


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「優陽様は可哀想な御方でしてなぁ……」


 その日の夕餉の後で幻柳斎老人はぽつりぽつりと語り出した。


「優陽様の話をするには、まずその前に父君である清崇様の話をせねばなりますまい。清崇様は統治者としては申し分のない名君で領民たちの支持も厚い御方。じゃが玉に瑕というか、人としての欠点のようなものもあり申してな」


 老人の声音に憂いの色が混じる。


「嫡子以外のお子にまったく愛情と関心が持てんのですわい。他の子らはあの方にとってはなのですじゃ」

「いないものと同じって、そりゃねーでしょうが。自分で作っといて」


 不快感でエトワールの声が若干低い。


「いかにも。エトさんの言う通り。親として実の子に対しての接し方としてはあり得ぬものじゃ。しかし、これがまた上様だけが悪いかというとそうではなく、複雑な背景がございましてな。本を正せば先代様の時代まで遡るのじゃが……」


 そこで一旦老人は言葉を切ると、考えを整理するかのように長く紫煙を吐いた。


「元々、清崇様は先代様の次男でございましてな、上に嫡子たる兄がおったのです。その兄を先代の上様は大層溺愛しておりまして、反面それ以外の子らを非常に軽視しておりました。ちょうど今清崇様がそうしておられるようにじゃ。清崇様は先代の上様から実に元服……成人するまでおらぬも同然の者として扱われてきたのですじゃ。ところが元服して間もなくのこと、清崇様の生活を一変させる出来事がありました。兄君が国主を継ぐ器で無しとされ廃嫡されたのです。これにより繰り上がって清崇様が先代の跡取りとなりました」

「それで今度は自分が溺愛されたのかな」


 ウィリアムの言葉に老人が頷く。


「その通りですじゃ。こうして清崇様は嫡子とそれ以外の子の2つの立場をどちらも経験したのです。そのあまりの落差に大いに戸惑ったことでしょう。そこで恐らく清崇様は国主の嫡子とはなのだと、嫡子でない子とはなのだという認識を持ってしまったのではないかとわしは思うておりまする」

「それにしたってなぁ……」


 エトワールは納得がいかないようだ。


「そういうわけでして、優陽様とは実の父からなんの関心も持たれていない子なのですじゃ。そして母君の月絵様じゃが……」


 眉毛を八の字にする幻柳斎。


「情念深く気性の激しい御方でしてな。上様を一途に慕い愛し抜いておる。いつか自分も城へ呼ばれ上様と暮らせる日が来ると頑なに信じ込んでおるのじゃ。そして月絵様はと考えた結果……上様の御子を立派に育て上げる事だという結論に達したのじゃ。お子を立派に育て上げその様子を上様が知れば『よくぞこんな立派な子に育て上げてくれた』と自分にも関心が向くであろうと」

「そらいい事なんじゃねーです? それがここに子供預ける事に繋がんの?」


 老人は静かに、そして痛まし気に首を振った。


「月絵様にとっての御子とは優陽様の刻久ときひさ様の事……優陽様の事ではないのじゃ。可哀想に優陽様は天河の城内でもすっかり浮いた存在になってしまっておる。母君になんの関心も寄せられぬで」

「つまり両親が揃って一人の子だけを大事にし、その両方の愛情の対象から外れてしまっている子なのか……」


 やるせない話である。

 ウィリアムの表情も渋い。


「将監殿もその孫娘の現状を憂いてここへ預けようと考えたんじゃろう。あの御方も娘には逆らえませぬでな。そういう事であればここで羽を伸ばしてもらうのもよかろうと引き受ける事にしたのじゃ」

「早く馴染んでもらえるといいな」


 ウィリアムの言葉に老人がうむ、と肯いた。


 ────────────────


 聖皇歴695年、3月初旬。

 こうして、菜の花の咲き始めるころに天河優陽てんかわゆうひは黒羽の里へとやってきた。

 彼女が5歳の時の話である。


 付き添いは将監と数名の護衛だが、彼らは1人も里には残らぬという。


 乗ってきた籠が地面に降りきらぬうちにぴょんと元気よく飛び出てくる。

 利発そうな可愛らしい顔立ちの女の子だ。


「優陽と申します。よろしくお願いしますっ!」


 元気よく挨拶して出迎えた者たちに彼女はぴょこんと頭を下げたのだった。

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