第19話 征威大将軍

 聖地サフィールの女神エリスの神殿跡地。

 かつての白亜の大神殿の面影はそこにはなく。ただ徹底的に破壊され尽くした建物の土台部分が10年もの間風雨に晒され半ば朽ちて残るのみだ。


「あーあ、酷いなこれは……」


 その荒涼たる風景を前に肩を落とす聖女ミラ。

 彼女の思い出の中の風景とは何もかもが変わり果ててしまっている。


「……いずれ神殿も我らが再建致しまする。前以上に立派なものにしましょう」


 その聖女へザッザッと規則正しく力強い早足の足音が近付いてくる。

 嘉神征崇かがみまさたかだ。

 彼の率いる討伐軍本体も百鬼夜行の群れを抜けて聖地に到達したのである。


「ありがと。本当に帰ってこれちゃった。約束、守ってくれたね」

「皆の奮戦があらばこそです」


 征崇の下にも刻久が妖怪王の陽動を務め今だ消息知れずだという報告は届いている。

 だが内心の焦燥をこの男は表には出さない。 


「それじゃあ……今度は私が約束を守る番かな」


 振り返る聖女ミラ。

 斜陽の赤を逆光に受けて彼女は普段あまり見せない厳かな表情で微笑んだ。


「やりなよ、将軍サマ。征やんを征威大将軍せいいたいしょうぐんに任命してあげる」


 ガシャっと鎧を鳴らしてその場に片膝を突く征崇。


「……謹んで拝命させていただきます」


 そして彼は深く頭を下げて低い声でそう言った。


 征威大将軍とは……。

 北方大陸における『大いなる脅威』が現れた際にこれを討つ為に聖女によって任命される武官の最高栄誉職である。

 聖女の代行として信徒による全ての国家の統治権を持ち、自身を首長とする政権『幕府』を開く権限を持つ。

 平時においては大陸全土の統治者であり、乱においては大陸全土の軍事力を結集した指揮官となる。

 それが征威大将軍だ。

 北方大陸では長らく将軍が任命されるような大きな乱は無かったので最後の幕府が内輪での揉め事に端を欲したお家騒動により消滅してから征威大将軍に任じられる者は出ていなかった。

 それが今150年以上の空白期間を置いて征崇が任命されるのである。


 そしてこれこそが斬因ざいんも見抜いていた征崇の目的であった。


 歴然たる討伐軍と百鬼夜行の戦力差。

 その差を少しでも縮めるためには未だ日和見を決め込んでいる多くの国を戦に参加させなくてはいけない。

 それができるのは将軍のみなのだ。


 そしてそれが叶ってまだ敵は強大であり勝ち目は薄い。


 ……ここからもまた苦しい日々が続くのだろう。


 ──────────────────────


 聖地の奪還より一昼夜が過ぎて漸く彼らの下に待ち望んだ報が齎された。

『英雄』嘉神刻久の帰還である。


 ……彼は泥だらけでボロボロで傷だらけだった。

 だが、生きている。

 そして大きな怪我も負っていない。

 それは一昼夜もの間、妖怪王ゼクウと対峙し続けての事なのである。

 脇目も振らずに逃げ続けた結果ではなく、妖怪王の注意を引き続けての成果なのだ。


 その快挙に討伐軍は大いに沸いた。


 もしも戦場で単騎でゼクウの相手を長時間務められる者がいるのなら……。

 その事は彼らにとって大きな希望となる。


 だが、喜びに沸く仲間たちの中で当の刻久の表情は陰っていた。

 彼はそれをなるべく表に出さないように気を付けてはいたが。


 ……自分の迷いが、一番大切な人を死なせる所だった。


 ウィリアムが瀕死の重傷を負わされたものの辛うじて一命を取り留めた事は既に伝わってきている。

 目を閉じれば彼の脳裏にはあの瞬間が何度でもフラッシュバックする。

 引き裂かれて大量の血を噴き出しながら吹き飛ぶウィリアムの姿が……。


(あの時、私が迷ったから……)


 その事はその後も刻久の胸中に暗い影となっていつまでも残り続けた。


 ──────────────────────

 聖皇歴706年、8月。

 大陸全土に嘉神征崇の征威大将軍就任が通達された。


 ───そして9月。

 それを受け征崇は再度祖国火倶楽かぐらを奪還した。

 今度こそ彼は火倶楽城に入りそこを自らの住居としたのである。

 同時に征崇は火倶楽を本拠地とした幕府を開くことを宣言した。

 火倶楽幕府の始まりである。


 これまで中立を貫いてきた、或いは日和見に徹してきた多くの人間勢力が幕府に恭順の意を示した。

 地上における女神の代理人たる聖女、その聖女の代理として信徒の国々の統治を任されるのが征威大将軍なのだ。

 その意に背くことは聖女の意に背くこと……引いては女神への反逆を意味する。

 女神への反逆とは敬虔な日輪信徒がほとんどである北方大陸民の国々にとって国家の崩壊を意味していた。


 多くの人が、金が、物が火倶楽に集まってくる。

 その全てを使い征崇は百鬼夜行との戦に備えた。


 

 ……そして瞬く間に一年が過ぎた。


 ──────────────────────


 聖皇歴707年、9月。


 火倶楽城。

 この幕府の総本部はかつての偉容とは比べるべくもないとはいえ、とりあえず暮らすのに不便のない程度には修繕されていた。


 今その火倶楽城の大広間にて将軍征崇の前に刻久の姿があった。


「今日はそなたに渡す物があってな」

「渡す物……でございますか?」


 不思議そうな顔の刻久。

 うむ、と頷いた征崇は立ち上がると背後の祭壇の刀掛けに掛けてあった見事なこしらえの大太刀を手に取る。


「この刀をそなたに託す」


 大太刀を差し出す征崇。

 驚愕した刻久の表情が引き攣った。


「こ、これは嘉神かがみ家の至宝、日輪の太刀にちりんのたち!!!? とんでもございませぬ兄上!! このような大事なものを私になど!!!」


 相手を押し留めるように両手を上げて固辞の意を示す刻久。


「何故だ? そなたは総大将としてここを動けぬわしに代わって前線に立ち妖怪どもと戦ってくれておる。本来ならばわしがこの太刀を手に戦わねばならぬのにだ。ならばそなたにこの太刀を託さぬ道理はあるまい」

「兄上……」


 おずおずと大太刀を受け取る刻久。

 その刀は彼の両手にずしりと実際の重さ以上の圧を持って手渡された。


「その大太刀のある限り、数多の嘉神の英霊たちがお前を護るだろう。頼りにしておるぞ、刻久よ」


 託された想いに全身が引き締まるような感覚を覚えながら……。

 自らの前に大太刀を置き、刻久は深々と頭を下げるのであった。


 ──────────────────────


 大陸西方、百鬼夜行本陣。


 巨大な獣が座り込んでいる。

 動かずに……じっと。

 獣……否、既に獣にも似た

 おそろしいまもの。

 妖怪たちの王と呼ばれるもの。


 動かぬゼクウを見上げている黒の鎧の妖怪武者。

 四天王、斬因ざいんである。


「………………………………」


 無言の斬因。

 1年前までは本陣で彼がゼクウにここまで近付くことはほどんとない事であった。

 いつ突然に狂乱し、周囲の者の殺戮を始めるのかわからなかったからだ。

 今そのゼクウは動かない。


 眠っているのだ。


 この妖怪王に『眠る』という習性がある事を斬因はこうなって初めて知った。

 それまでは本陣で静かにしている事はあっても意識は覚醒したままだったからである。


 妖怪王の変化はあの1年前の討伐軍による聖地の奪還作戦の時からであった。


 嘉神刻久を仕留め損なった後ゼクウは山野を何日も彷徨った。

 それを斬因と手下たちが見つけ出し本陣へ誘導して戻したのだが……。


 戻ってきたゼクウは明らかにそれまでとは違っていた。

 本陣で暴れて殺戮をする回数が以前よりもずっと少なくなったのだ。

 その影響で逃亡する妖怪の数が減り数的には百鬼夜行は安定した状態になっている。


(牙を折られたか……?)


 一時、斬因はそう訝しんだがそういうわけでもなさそうだ。

 戦場へ出せば以前同様に狂乱して全てを破壊し殺戮する死の暴風と化す。


(ならば、今のこの情動の起伏はなんだというのだ)


 斬因にとってはゼクウの変化は好ましくない。

 操りにくくなるからである。

 例え頻繁に味方を殺戮する暴君であったとて自分の考えている通りに動きを誘導できた方が都合がいいのだ。


 原因は想像できる。

 この恐るべき妖怪王と一昼夜に渡って競り合いを続けて生き残ったという男。


「嘉神刻久……本腰を入れて早い内に始末せねばな」


 呟いて舌打ちを1つ残し、斬因は主に背を向けて闇の中に姿を消すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る