第25話 戦神完成

 聖皇歴710年、4月。


 征威大将軍、嘉神征崇かがみまさたかは幕府軍全軍を率いて火倶楽国かぐらのくにを出立した。

 総勢五万六千の北方大陸初である大陸全土から召集した混合軍であった。

 嘉神刻久かがみときひさは先陣を任され一万五千を指揮している。


 それより数日遅れ、西州百鬼夜行本陣からも全軍が出撃した。

 異形異様の者も多く正確な数は把握しきれるものではないが凡そ三十万にもなる大軍団である。


 両軍はそれぞれまっすぐに西進と東進を続ける。

 このままいけば10日以内には道中いずれかにて両軍がぶつかり合う事になるだろう。


 自軍を率いて全軍の先頭に立つ刻久。

 馬上にある白い鎧武者は今、自分でも驚くほど心穏やかだった。

 間もなく最後の決戦が始まるのに。

 ……あの恐ろしい妖怪王を自分が倒さなくてはならないのに。


(兄上、先生……もう間もなくです。もう間もなく百鬼夜行との決戦が始まります。優陽ゆうひは勝ちます。兄上にお借りした名と、先生に教わった剣で……私が勝ちます)


 穏やかな春風を感じて刻久は目を閉じる。


(この戦いが終わったら、私は兄上に御名前をお返ししてただの優陽に戻りましょう。そうしたら、それからどうしようかな。……先生に、付いていけたらいいな……)


 自らの胸の奥底にしまってある淡い想い。

 それに少しだけ触れて彼女は微かに笑った。

 誰にも見られぬように、少しだけ微笑んだ。


 ……そのささやかな願いが叶う事はないのだということも知らずに。


 ────────────────────────


 黒羽の疾風はやて隊は今全隊停止して食事中であった。

 彼らの隊の役割は遊撃でありあまり先行するわけにはいかない。


「おいこれ梅干じゃねえかよ俺の昆布どこだ?」

「昆布はもう品切れでごぜえますよ」


 割った握り飯を手にぼやく疾風に返事をするまほろ。

 街道沿いの草原で握り飯を食べている一行。

 隊のルールで割って中を確認したらもうその握り飯は食べなくてはいけないのだった。


「早くいくさなんて終わらせてよ……のんびり絵を描いて暮らしたいもんだぜ」


 皮肉なほど晴れ渡った青い空を見上げて疾風が言う。


「オメーはまた親の欲目で52点の絵を量産してーんですか」

「52点言うなァ!! その内の親の欲目はたったの2点!!!」


 エトワールの冷めた一言に米粒を飛ばして応戦している疾風である。


 食事をしながらも寛いでいるわけではない。……たぶん。

 疾風の下には何度か密偵が訪れ何事かを報告している。


「両軍の進軍速度からして……恐らく先陣がぶつかるのが……」


 指に残った米粒を食べながらガサガサと地図を広げる疾風。


(うむ! すっぱい!!)


 それを見る獅子王は5個連続で梅干だった。


「この……」


 疾風が指差した一点を皆が覗き込む。

 山々が連なる一帯で一際大きな山の麓を通る大道。


天霊山てんりょうざんのあたりか」


 その地図を見ながらウィリアムは思い出していた。

 山間での戦いともなれば否が応にもその記憶は蘇る。

 あの恐ろしい妖怪王の記憶が。


(あれに勝てる者など存在するのだろうか……)


 声には出さぬようにしながらもウィリアムはそう考えずにはいられない。

 あれは倒すとかそういう次元の存在ではないように思える。

 巨大な自然災害に対して人の為す術が無いように……そういう類のものであるように思えてしまう。


 しかし倒さなければ人は滅ぶ。

 その途方も無く巨大な重責が1人の侍の肩に……若干二十歳の女性の肩にのしかかっているのだ。


 勝算は……あるのだろうか?

 作戦は? 会えなくなってからの2年間でどれほど強くなった?


 考えがぐるぐると頭の中を回る。


「センセ、顔に出てます」


 ぼそっと囁くエトワールの声でウィリアムは我に返った。


「ああ、すまない。……いかんな」


 苦笑してわしわしと顔をさするウィリアム。

 ここにいる面々とてこれから命を賭けて戦う事になるのだ。

 1人で遠くにいる仲間の事ばかり考えて不安な顔をしているわけにはいかない。


 今はただ信じる事にしよう、そう思うウィリアムであった。


 ────────────────────────


 先行する刻久の軍に後方から騎馬が一騎追いついてくる。

 後続の部隊の武者である。


「伝令にございます! 刻久様! 少々部隊が先行してしまっているのではないかと……!」


 その伝令に対し、刻久は薄く笑って肯いた。


「ええ。そのように。あえて少し前に出ておりますので御気になさらず」

「は? いや、しかし……それでは……」


 単独で突出して刻久軍だけが戦場で孤立してしまう、と伝令は思った。

 それ故に後ろと歩調を合わせてくれと彼は伝令に来たのだが……。


「この刻久の軍の役割は先陣。単騎にて敵の喉笛を深く噛み裂いて敵陣に混乱を与えましょう。しかる後に後方の方々には乱れた敵軍の掃討をお願いしたく」

「………………………………………」


 伝令の武者がごくりと生唾を飲む。

 あの恐るべき百鬼夜行の大軍団に単騎特攻すると言っているのである。

 普通ならば無謀と怒るか笑うかする所なのだが……。

 それを口にした刻久の纏う威光が伝令の口を噤ませる。


 ……やれる。この御方はやるだろう。

 己の口にした役割を完遂するだろう。


 そして彼に付き従う武者たち。

 彼らもまた、既に修羅に入っている。

 誰一人として指揮官の決定に異論を差し挟む者はいない。

 己に課された役割を完遂する事にのみ集中している。

 これまで刻久と共に数多の死地を、過酷な戦場を生き抜いてきた幕府軍最精鋭の猛者たち。


「御武運を……!!」


 ただそれのみを口にして伝令は引き上げていった。


 ───そして、その数日後。

 疾風の予測した通りに天霊山麓の街道で遂に両軍が遭遇し交戦状態となった。


 自ら口にした通りに刻久軍は疾風のように敵軍に切り込んでいく。

 数多の妖怪を蹴散らしながら奥へ奥へと付き進む。


 そしてその前方に金色の鎧を纏った肥満の巨体が立ち塞がった。

 四天王、羅號らごう

 愛用の棘の生えた巨大な棍棒を担いだこの大男が壁となって刻久を阻む。


「クカカカカ!! 一別以来だなあ!! 嘉神刻久!!! 今度こそオレが……」


 瞬間、羅號の背筋をゾワッと冷気が駆け抜けていった。

 刻久と目が合った瞬間だった。

 彼の視線が……その目の冷たい光が、まるで氷のやじりのように羅號の胸に突き刺さる。


(なんだコイツは……死神だ)


 自分でも無意識の内に羅號は横に退いて刻久に道を譲っていた。

 その彼を一瞥すらする事無く刻久が愛馬で駆け抜けていく。

 走り去る彼の後姿を見送って羅號は自分が全身に冷や汗をかいている事に気付いた。


「クソッ……オレはやらねえ。やってられるか……。ずらかるぞ。の相手なんてしてられるかよ……」


 喘ぐように言い捨てて羅號は戦場に背を向けた。

 こうして四天王の内の1匹はまったく戦う事なく戦場から逃亡したのである。


 ────────────────────────


 ただ、蹄の音だけが耳に響いている。

 意識を煩わせる余計なものはなにもない。

 ここに来て、自分が完全なる一振りの刃となった事を感じる。


 戦士としての究極の完成形。

 ただ、戦い勝利を収めるためだけの存在もの

 己がこの高みに至ったのは何ゆえか……?


 そう、それは全て……。


「……トキヒサ……」


 眼前にある山のような巨体。

 悪魔じみた異形。

 神すら狩る獣。

 森羅万象をおののかせるもの。


 妖怪王ゼクウ。


「……今度こそ……粉々にしてくれる……」


 鋭く長い爪の並ぶ巨大な腕を振り上げる妖怪王。


 ……そう、を討つ。

 その為の進化だ。


 馬はそのまま走らせ、自分だけが飛び降りる。

 自らに影を落とす巨腕にも彼の表情は僅かにも揺るがない。


「妖怪王。……今日、お前は滅ぶだろう」


 その台詞に豪腕の落下が重なる。

 大地を揺るがす轟音が響き多量の土砂が巻き上がった。


 刻久の姿は上空にあった。

 舞い跳ぶ土砂と共に彼は空中にいた。

 妖怪王の一撃を跳んでかわしたのである。


 その彼の姿を妖怪王の光る目が捉える。

 先ほど攻撃に使ったのとは逆の腕を横に広げるゼクウ。


 空中では回避ができない。

 ……普通ならば。


 刻久が魔人ヴァルオールとなり発現した固有の異能力オリジナルがある。

 それを彼は自分で水鳥飛踏すいちょうひとうと名付けた。

 どんなに小さなものでも、どんなに軽いものでも、動いている途中のものでも……という異能力。

 これを用いれば刻久は風に舞う羽毛ですらも足場にして跳ぶ事ができる。


 空中こそが彼の主戦場ホームグラウンド


 横薙ぎの追撃が来る直前、刻久は空中に舞う小さな石を蹴って斜め下に高速で飛翔した。


「……!!!!……」


 そして英雄の振るった大太刀が妖怪王の伸びきった腕を深く切り裂いたのだった。


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