第12話 初陣を終えて

 火倶楽国かぐらのくにの主城、火倶楽城。

 落城のあの日以来半ば焼け落ちて廃墟に見えるこの城にも現在の住人がいる。

 妖怪……呪玄じゅげん

 ゼクウ四天王の1人、斬因ざいんの片腕とされる百鬼夜行の幹部級妖怪の内の1匹だ。

 この妖怪は額に2本の角があり、背丈が3m近くもある老人の姿をしており、両腕が極端に長い。

 そしてその両手にはそれぞれ大きな錆びたのこぎりを持っている。


 呪玄は鋸の妖怪『血塗れ鋸ちまみれのこぎり』である。

 夫婦の不仲から妻を殺めたきこりがその時に用いた鋸が化けたものだと言われている。

 山中に所有者のわからぬ状態の良い切れ味良さそうな鋸が木の幹に刺さっており、好奇心からこれを手にしたものは気がふれて周囲のものに襲い掛かるという、そんな謂れの妖怪だ。


 百鬼夜行が火倶楽国を攻め滅ぼした後、斬因はこの呪玄を火倶楽城跡に残した。

 呪玄は配下の妖怪を大量に放ち国内や近隣の国を今もおびやかし続けている。


 嘉神征崇かがみまさたかは麾下の精兵を率いてこの呪玄を……かつての住居であった火倶楽城を攻めた。

 聖皇歴704年、2月初旬の事である。

 

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 蹄の音を響かせて無数の軍馬が疾走している。

 大都へ駆け付けた刻久一行。

 今では昼間から妖怪のうろつく魔境と化したかつての都には既にいくつも煙が上がり鬨の声が響いている。


「んー……もう真っ最中ですよ。それも終盤っぽい? ウチらの出番ないかも」


 都大路に突入したウィリアムたち。

 馬を走らせながらエトワールが前方を見やるように目を細める。


「いや……」


 馬上で見上げるウィリアム。


「そうでもなさそうだぞ」


 その瞬間、天守閣の屋根の一部が轟音と共に吹き飛んだ。

 煙を上げ、バラバラと降ってくる瓦礫と一緒に腕の長い巨大な老人が落ちてきた。


「があッッ!! おのれ人間めえ!! 嘉神の残党めがぁっっ!!!」


 悪態をつきながら老人は起き上がり大路を城とは逆の方向に走り始めた。

 全身に無数の傷があり何本かの矢も突き刺さったままだ。

 憎悪に表情を歪ませながら猫背の巨老が砂煙を上げながら猛然と向かってくる。


「両手に鋸……あれが呪玄か。逃げようとしているな」

「ちょうどこっちに来ますね。んじゃあれをパクっといきましょーかね」


 迎撃の為に一行は馬の脚を緩める。

 ……はずが、一騎だけ更に加速し集団から抜け出した。


「!! 待て!!!」


 ウィリアムが制止するが一騎は更に加速しこちらへ逃げてくる呪玄へと真っすぐに向かっていく。

 刻久である。白い鎧の武者が単騎で大路を駆ける。


「どけェェェェェい!!! 木っ端クズがあッッッッ!!!!」


 分厚い長い髭に覆われた牙の並んだ裂けた口から唾を飛ばして咆哮する呪玄。

 並の人間の身の丈ほどもある巨大な鋸を振り上げる。

 しかし刻久は僅かにも怯むことなく馬を加速させながら鞘から刀を抜き放った。


 唸りを上げて振り下ろされる鋸。

 その真下を駆け抜けていく白武者。


 白刃が煌き、刹那の交差が終わる。

 斬り飛ばされた巨大な腕が鋸と共に大路に転がり、吹き飛んだ呪玄は脇の廃墟を数軒倒壊させながら転がった。


「ひ、ヒィッ……ワシの腕があ……!!!」


 もうもうと立ち込める埃と砂埃の中、瓦礫の山から片腕の老妖怪が必死に這い出してくる。

 そこに風が吹き砂埃が散っていく。

 開けた視界に呪玄が見たものは馬を降りて刀を構える刻久だった。


「!!? 待てッ……!!!!」


 残った腕を自らを庇うように上げて止める呪玄であったが、刻久の表情は僅かにも動く事はなかった。


 ───一閃。


 頭部を縦に断ち割られた老妖が鮮血を吹き上げながら自らの壊した廃墟の瓦礫の中に崩れ落ちた。

 それを見届けた刻久は構えを解き、今まで呼吸すら忘れていたかのように長い長い息を吐いたのだった。


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 数騎の武者が馬を駆って近付いてくる。

 その先頭にいるのは虎の頭を模り鍬型の立物をあしらった立派な兜の黒い鎧武者……総大将、征崇である。


「おお、既に終わっておったか! お見事な腕前。其許そこもとはどなたであったかな?」

「!! 兄上様!!!」


 我に返ったかのようにそちらを見ると刻久はその場で片膝を屈して首を垂れた。


「兄上……征崇様!! 刻久にございます! 嘉神刻久が只今、征崇様と共に百鬼を討たんと参上仕りましてございます!!」

「刻久!! 刻久かあ!!!」


 馬を降りた征崇がそのまま猛然と刻久に駆け寄る。

 そして力強く弟を抱擁する征崇。

 打ち合わされた鎧が2人の間でがしゃんと鳴る。


「よう来た!! よう生きていてくれた!! 兄は嬉しいぞ、刻久!!!」

「兄上様……」


 兄の腕の中で刻久がほっとしたように息をついた。


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 その後一行は城の中で休息を取る事になった。


「荒れ放題で酷い有様だが、まあ外よりは幾分かマシであろう」


 畳みも荒れ放題であり直接腰を下ろすわけにもいかず、征崇と刻久は今椅子代わりの木箱を置いてそこに座って向き合っている。

 ウィリアムたち従者は他の兵士たちと一緒に隣の大広間で休んでいる所だ。


「兄上様。私は……」

「よい。何も言うな」


 意を決して口を開きかけた刻久。

 それを制止して征崇は茶を飲んだ。


「そなたが刻久としてわしの前に現れたのであればわしもそなたを刻久として扱おう。それだけじゃ。何も言う必要はない」

「兄上様……」


 刻久……優陽は深く頭を下げる。


「頼りにしておるぞ」

「は。不惜身命の覚悟にて……!」


 顔を上げ刻久は城の屋根を見上げた。


「ようやく……父上の御城を我らの下に取り戻せたのですね」


 感慨深げな刻久。

 だが征崇はそれを首を横に振って否定する。


「いいや。我らはここを拠点にはせぬ。今は負傷者の手当てと休息の為に一時留まっておるだけじゃ。それが終われば全軍でここを退去する。誰も残さぬ」

「!!? 何故です兄上。勝利して妖怪を追い出したのに!!」


 驚いて声を上げる刻久。


「よいか、刻久。仮に今我らがここを拠点とした所で守り通せると思うか?」

「それは……」


 刻久は言葉が続かない。

 その様子に征崇が肯く。


「そうじゃ。守り通せるはずがない。もう一度百鬼夜行の本体がくれば我らは蹴散らされ都は再び奪われよう。犠牲も多く出る。それでは意味がないのだ」


 ゆっくりと征崇が立ち上がった。


「故に我らは当面本拠地は持たぬ。各地を転戦し百鬼夜行本体から離れて孤立している妖怪どもを叩いていく。勝てばすぐ離脱じゃ。そうすれば報復の為に妖怪王が動いたとて、到着する頃には我らはもう影も形もない。わしはこの数年で各地を転々としながら討伐軍への参加を呼び掛けると同時に、転戦の為の中継地点を築いてきた。協力者を配し物資を貯蔵してある。何となれば即放棄可能な拠点よ」


 知らず知らずのうちに刻久は喉を鳴らしていた。

 目の前の兄の……嘉神征崇という男の先見の明と戦略家としての知見に慄いたのだ。

 人の世の安寧のためと、無念にも命を落とした父や皆のためと……ヒロイックに声高に訴えて人々の心を動かしながらも、その一方で冷徹な戦略家として勝利の可能性を探り策を練ることができるのが嘉神征崇という男なのだ。


「百鬼夜行の強さは不敗の妖怪王とその規模じゃ。だがその為動きが鈍い。我らはそこに速度と神出鬼没を持って対抗する」


 そして征崇は刻久の肩に手を置いた。


「そなたもいずれ部下を指揮して戦をする事に慣れてきたら、一部隊を率いてわしとは別行動をしてもらうぞ。我らの『速さ』に『手数』が加わればますます百鬼夜行どもを翻弄できよう。末端から奴らを削っていき、少しずつ弱体化させるのだ」

「わかりました。刻久、必ずやお役に立ってみせまする!」


 力強く肯いた刻久に征崇が満足げに顔を綻ばせた。


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 聖皇歴704年、6月。

 大陸西方、百鬼夜行本陣。


 陣幕の内には四天王の2匹、斬因ざいん羅號らごうがいる。


「嘉神の小倅こせがれが随分とやってくれよるわい」


 山と積まれた食料をがばっと一口で大量に飲み込んでから羅號がげふーっと息を吐く。


「逃したらしい事は気に掛かってはいたが……ここまで厄介な相手に育つとはな」


 手下妖怪からの報告の書状に目を通している斬因。

 そこにはここ数ヶ月で東州の妖怪たちの拠点数箇所が討伐軍の奇襲を受け壊滅したという報告が記されている。

 様子を確かめに部下を送ってもそこにはもう既に誰も残っていないのだ。


(初手で火倶楽城を落としておきながらそこに腰を落ち着けなかった事が油断ならぬ相手である証拠だ)


 斬因の目が冷たく細められる。

 凡百の将なら奪い返した自分の国に嬉々として拠点を置き、そこを防衛しようと躍起になる事だろう。

 そうなればこちらの思う壺だったのだが……。

 だが征崇はそこを眼中にないかのように素通りした。

 自分たちが戦うために、勝つために必要なものは何かが冷静に見極められる人物だという事だ。


(戦場で直接ぶつかるならどれほど強敵であろうとむしろ歓迎するのだがな)


 百鬼夜行が各地で暴れるようになってもう10年以上が経つ。

 大陸の目ぼしい大国も多くは攻め滅ぼされ、結果として妖怪王ゼクウが出向いた戦場での殺戮と破壊に満足する事が少なくなりつつあった。

 そうなると今度はその凶暴は仲間であるはずの自軍に向けられる。

 絶対王であるゼクウの強さの下に集った百鬼夜行。

 だが皮肉な事に近年、そのゼクウによる殺戮とそれによる恐怖からの逃亡でわずかずつであるが百鬼夜行はその勢力を減じているのだった。


(当然といえば当然だ。そもそも妖怪王あれにとってはオレたちは仲間でもなんでもない)


 ……斬因は察している。

 ゼクウの殺戮の優先順位は『向かってくる者』か『怯えて逃げるもの』が上なのだ。

 百鬼夜行の妖怪たちはそのどちらでもないのでにされているだけだ。

 今現在襲われていない理由はそれだけなのである。


 その為ゼクウの衝動を抑える為の強敵はむしろ欲するところではある。

 だがそれも直接戦えないのならどうしようもない。


「手近な国のどこかを選んで、そこを襲うと大々的に触れ回るか」

「お? 何か思いついたのか?」


 口を開いた斬因に食べる手を止める羅號。


「連中が防衛に加わるなら叩き潰せばいい。そうでないなら襲われる同胞を見捨てた臆病者だと吹聴してやるさ。ある程度の支持は失うだろうよ」

「なるほどなぁ。よく思いつくもんだぜ。クカカカ」


 そんな羅號を感情の無い目で斬因が見ている。


(仲間ではないというのならオレも一緒だがな。大陸のが済めば、妖怪王や四天王こいつらはもう不要だ。綺麗にこの世から消してやるよ)


 人知れず鋭い牙を見せて笑う鮫の妖怪であった。





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