第28話 反逆者嘉神刻久

 聖皇歴711年、2月。


 ウィンザルフ共和国、ウィリアム・バーンズ個人事務所。


「いやあ、生きてる間にもう一度先生にお会いできるとはねえ」

「ははは、まったく……大家メイスンさんには頭が上がりませんよ本当に」


 雑居ビルの前を箒で履いている老人に朝のジョギングから戻ってきたウィリアムが頭を下げた。

 大家のメイスンさんはすっかり年を取ってしまっていたが未だ現役であり、18年も留守にしていたにも関わらずウィリアムの事務所は出て行った時のままの状態で維持されていた。

 それは勿論家賃は30年分前払いしてあるからでもあるのだが、20年近くも戻らない住人の為に日々部屋を整え続けてくれた大家さんにはウィリアムは感謝すること頻りである。


 エトワールはこの機会に独立してウィリアムの個人秘書となった。

 出版社との窓口は変わらずに彼女である。


 ウィリアムとエトワールには火倶楽国かぐらのくにに渡る以前の日々が戻ってきた。

 20年近くも留守にしていた2人にはやる事が多い。


 音信不通を心配していた知人たちへの連絡や訪問。

 そしてなにより新作冒険記の執筆。


 火倶楽のその後は気になりながらも日々忙殺され、気付けばあっという間に2年が過ぎ去ろうとしていた。


 ─────────────────────


 そんなある日の朝の事。


「センセ、ごはんできましたよ」

「……ありがとう。いい匂いだね」


 キッチンから食欲をそそる香ばしい香りが漂ってくる。

 事務所にいる時はウィリアムの朝はトーストとハムエッグ、そしてサラダだ。

 帰ってきたばかりの頃は長く和食の国で生活していたのでこの洋風の食事は懐かしさもあり殊更に美味しく感じたものだがそれもようやく落ち着いてきた。


 食後ウィリアムはコーヒーを飲みながら新聞を広げていたのだが……。


「……!!」


 カタン、とテーブルにカップが倒れて中身が零れて広がる。


「あららセンセ、零しちゃってますって……」


 布巾を手にエトワールが早足でやってくる。

 しかし、彼はこぼれたコーヒーにもそんな彼女にも気づく様子はない。


「……センセ?」


 ウィリアムは病人のように青ざめて新聞を持つ手が震えている。

 そのただ事ではない様子にエトワールの顔もスッと真剣なものになった。


「どうしました?」


 無言のまま、震える手で新聞を彼女に手渡すウィリアム。


 国際面の記事だ。


『北方大陸、カグラの国でジェネラルキング・マサタカは国家への反逆を企てた異母弟、トキヒサに対して討伐軍を出撃させこれを壊滅させた。首謀者トキヒサは戦いの中で命を落としたとのこと』


 ふーっと長く重い息を吐いてウィリアムが頭を抱える。


「どういう事なんだ? 刻久……優陽が反逆者だって? そんな事はあり得ない。何故彼女が兄と戦わなくてはならないんだ。それに……死んだって……」

「落ち着きましょうセンセ。まずは情報を集めましょう」


 ウィリアムの肩に手を置くエトワール。


「すぐに行かなくては。船の手配をしよう」

「落ち着いてくださいって。この記事が本当ならもう2週間も前に全部終わっちゃってますよ。今更ウチらが慌ててもどーにもなんねーですよ」


 エトワールの言葉に少し冷静さを取り戻すウィリアム。

 彼は深呼吸をしてから目を閉じて腕を組む。


「確かにそうだ。我々は長く留守していた身であるしな。今はそう簡単には遠出はできない」

「そーゆーことです。ウチらが行ってやれる事があればもう黒羽の連中がやってるでしょ」


 彼女の言う通りかもしれない、とウィリアムは椅子に座りなおすと改めて火倶楽での日々を思い出していた。


(優陽。君は本当に……死んでしまったのか……)


 最後に出会った時の彼女の顔を思い浮かべ、沈痛な表情で俯くウィリアムであった。


 ────────────────────


 こうして、ウィリアムにとって気がかりで落ち着かない日々が2週間ほど続いたある日。


「ごめんくだせえまし。こちらウィリアム先生の事務所でよござんすか」


 事務所の入り口に立つ編み笠を被って杖を持った和風の旅装の女性がいた。


「……マホロ!」

「ご無沙汰してやすよ先生。まほろがご機嫌伺に参りやした」


 事務所に招き入れて彼女の肩に手を置くウィリアム。


「ああ、よく来てくれた。マホロ、話を聞かせてくれないか……!」

「おやおや、可哀想にすっかり慌てちまって。もう大丈夫でごぜえます。まほろが付いておりやすよ」


 するりとウィリアムの懐に入り込み胸板に頬を当てるまほろ。

 するとその背後にズゴゴゴゴゴと不穏なオーラを立ち昇らせた影が立つ。


「だ~か~ら~……くっつきすぎなんだっつの!!! ケツキック!!!!」

「おおっと!」


 ドゴォッッ!!!!!!!


 フッと幻のようにまほろの姿が消える。

 結果として消えたまほろを狙ったエトワールのケツキックはウィリアムの某パーツを直撃する事になった。


「ベイッッッッ!!!!???」


 謎の悲鳴を上げて倒れて動かなくなるウィリアム。


「あっテメー! テメーが避けるからセンセのセンセが大変なことに!!」

「んべ~、だ。あっしは悪くありやせん。エトさんのせいでござんすよ」


 一瞬で離れた位置に移動していたまほろがべえ、と舌を出した。


 ウィリアムは昏倒してしまったのでエトワールがまほろと向き合って話を聞くことになった。

 お茶を飲んでほう、と一息ついてからまほろは語りだす。


「黒羽の爺様に言われやしてね。先生が事の次第をお知りになりてえでしょうから出向いてご説明させあげてきなさいと」

「そりゃー気になるよな。なんでそんな事になった?」


 そして、まほろは語りだす。


 ────────────────────


 事の発端は1年数か月前に遡る。

 幻柳斎げんりゅうさい老人の下へ密偵から届けられた一通の報告であった。


 その報告書を読んだその時、老人の表情かおに浮かんだものは怒りや失望、そして悲しさや虚しさのない交ぜとなった複雑な心境を示す苦悩である。


弾正だんじょう殿……また悪いクセを……。嘉神かがみ家の長子であった御身が何故に御家を継げなかったか。それをもう忘れてしまわれたか……」


 嘉神かがみ弾正泰久だんじょうやすひさ……征崇まさたか優陽ゆうひ……刻久ときひさにとっては伯父にあたる人物。

 先代の国主清崇きよたかの兄である。

 国主の長子であり、順当に行けば清崇の代に国主となっていたはずの人物であった。


 ところがそうはならなかった。


 原因は泰久の人間性である。

 嘉神泰久という男は一見人当たりがよく気さくな人物であったが、本性は極めて利己的であり傲慢で残忍な男だった。

 自らの利益のためであれば他者を平気で虐げることのできる男であった。

 泰久はその己の本性を巧みに隠していたのだが、いつしか父にもそれは知れてしまい、父は失望と共に彼を廃嫡し跡継ぎの権利を奪った。

 そして次子である清崇が国を継いだのである。

 この話は世間的には、弟の国主としての素養を見抜いた兄がみずから身を退いて跡継ぎの権利を譲った美談とされている。

 泰久は国内の一地方の領主に格下げとなった。

 それから数十年、少なくとも表向きには泰久は何かの問題を起こすこともなく実直に領主の仕事を勤め上げてきた。

 当時を知る者たちは弾正殿もようやく心を入れ替えられたかと安堵していたのだが……。


 だが、本当は弾正泰久の性根は当時とは些かも変わってはいなかったのだ。

 彼は廃嫡の屈辱と憎悪をずっと腹の底に溜め込んだまま雌伏の日々を過ごしていたのである。


 甥である征崇や刻久にも理解ある善き伯父の姿を演じつつも権力の座に返り咲くその日を虎視眈々と狙い続けていたのである。


 そして弾正は妖怪王が討たれ百鬼夜行の瓦解が始まり幕府の勝利がほぼ確実になったその時、遂に長年温め続けてきたよこしまな計画を実行に移そうとした。


 ……将軍征崇の暗殺である。


 だがその悪しき目論見は事前に黒羽の密偵たちによって露見した。


 幻柳斎によってこの事を知らされた征崇は激怒し弾正泰久の追討令を出した。

 討伐軍が組織され弾正の領地へ差し向けられたのだが、この狡猾な老人は一足先にそれを察知して既に火倶楽から脱出していた。

 そして途中で合流した若いころからの自らの腹心であり共に今回の暗殺計画の首謀者であった一領主、砂橋秀正すなはしひでまさと共に転戦遠征中の刻久の陣に逃げ込んだ。


 泰久はこの甥に必死になって訴えた。

 冤罪である。自分は無実だ。

 これは幕府の分裂を狙った百鬼夜行残党による工作なのだ、と。


 刻久は弾正泰久の廃嫡の背景を聞かされていなかった。

 彼にとっては泰久は幼少時から自分によくしてくれている気のいい親族であった。

 それが演技で下心あっての事だなどと幼かった優陽にはわからなかったのである。


 刻久は伯父と兄の仲介を請け負った。

 伯父を信じて、純粋に善意からの行動であった。

 だが、征崇と泰久は既に決定的に決裂している。

 刻久の試みは徒労に終わった。


 幻柳斎はこの時点でまずいと思いすぐさま刻久に書状を送った。

 刻久には人間関係の裏表のある駆け引きなどできない。

 そんな世界は見てこなかったし誰にも教わっていないのだから。

 伯父の本性を説明し兄に引き渡すようにと忠言した。

 だが刻久は決断できなかった。

 伯父の言葉を全て噓であると断じることができなかったのである。


 状況はここに膠着してしまった。


 そして征崇刻久兄弟にとっては更に悪い流れが続いた。


 嘉神征崇とは極めて優秀な統治者であり稀有なカリスマを持つリーダーであった。

 だがその為に敵も多かった。

 それは主に征崇が幕府を開いてから彼に従った国の関係者に多い。

 征崇は幕府開設の前から自分と共に戦っていた者たちとその後で加わった者たちとで明確に処遇に差を付けた。

 その為後から加わった国の中には征崇の統治に不満を持つ者たちが少なからずいたのである。

 彼らは兄弟の不協和音を敏感に感じ取って刻久の下に集合し始めたのだ。


 そしてまたもここで刻久は己を頼ってきた者たちを無下に突き放すことができなかった。

 いつの間にか刻久は反征崇の旗印にされてしまっていた。


 これまで自分以外の誰かの為に戦い続けてきた刻久。

 誰かの望みの為に戦ってきた刻久。

 その刻久が皮肉にも今、その誰かの望みに絡めとられて身動きが取れなくなった。


 征崇も再三に渡り自分の要求を無視してきた刻久を遂に放置はできなくなった。


 将軍は遂に異母弟刻久を幕府に対する反逆軍の首魁として追討令を出した。

 ここに兄弟の戦争が始まったのである。

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