第22話 ライオンヘッド

 聖皇歴708年、4月。

 四天王、骸岩がいがんたおれる。


 不倒の4匹の一角が崩れた。

 この事実は大きな衝撃となって百鬼夜行中枢を揺さぶった。


 未だ規模としては幕府軍の10倍以上の陣容を誇る百鬼夜行軍ではあるが、それが軍として機能するのは実質的な指揮官たる四天王の存在があってこそだ。

 そこに何かがあれば巨大すぎる軍団は自重を支えきれずに自壊を始める事だろう。

 その重要なアキレス腱の4つのピースの内の1つが欠けたのである。


(チッ、冗談じゃねえぞ……。刻久ヤツはもう骸岩を殺れるくらい力を付けてるって事かよ。勝ち馬だと思ったからオレは乗ったんだ。命が危ねえなら百鬼夜行こんなところにいられるかよ)


 イライラしながら大口を開けて食事をしている四天王、羅號らごう

 咀嚼していると1年前にウィリアムに付けられた腹の傷が痛みまた彼の渋面が増す。


「役立たずがよ。人間ごときに殺られやがって……」


 四天王、斬因ざいんが低い声で唸った。

 最後の四天王、凶覚きょうかくは今ここにはいない。

 元々本陣にあまり寄り付かない男だったが、最近は目に見えてさらに本陣に顔を出す回数が減っている。


「大体が黒羽がしゃしゃって来てから話がおかしくなってきたんじゃねえか。斬因、お前が黒羽は出てこねえとか言っておいて……」

「何だ? オレのせいだと言いたいのか?」


 険悪な視線をぶつけ合わせる四天王2匹。

 やがてどちらともなく視線を外して息を吐く。


「やめだやめ。ここでオレらがギスギスしててもどうにもならねえ」

「そういう事だ。やる事は何一つかわらねえ。連中を皆殺しにして勝つ、それだけだ。思えば少しばかりちょろちょろ動き回る連中をまともに相手にし過ぎたぜ。数も質もこっちが上なんだ、どっしり構えてやりゃあ負けるはずがねえ。……おい、全軍を呼び戻せ」


 そう斬因が本陣付きの側衆妖怪に指示を出すと肯いたその妖怪が陣を出て行く。


「まあ確かに黒羽の参戦は読めなかったぜ。自分らが大事に抱えてた宝物をドブに投げ捨てるような真似をするとはな。……六大妖、幻羽坊げんうぼう


 忌々しげに言い放ち斬因は酒を満たした杯をぐいっと呷った。


 ────────────────────────


 聖皇歴708年、5月。


 ようやくウィリアムは完調といってよい程に回復した。

 勘の鈍りはどうしようもないが、身体的にはもう問題は無い。


 肩を回したり、膝や手首を折り曲げたりして体調を確かめているウィリアムに縁側に座ってそれを眺めているエトワール。


「うお、センセなんかスゲーのが来た」

「すげえ?」


 エトワールの視線を追ってウィリアムも驚いて息を飲んだ。

 山寺の敷地に石段を登って着物に袴姿で腰に刀を帯びた獅子の頭部の妖怪が姿を現したのである。

 3m近い巨躯に獅子の頭のその男は相当な威圧感がある。


「御免!!」


 叫ぶ様に言って山寺に入る獅子頭。

 バゴォ!!とすごい音を立てて鴨居を頭突きでぶち壊す。


「痛い!!!」


 叫ぶ獅子頭はそのまま屋内に消えた。


「ライオンさんですよ、かっけーですね」

「私はライオンの実物も見た事ないのに先にその頭を持つ生き物を見てしまったよ」


 言いながらウィリアムは獅子頭が壊していった鴨居と穴が開いた上の壁を見て直すのが大変そうだな、と思っていた。


 ────────────────────────


 幻柳斎は私室で獅子頭の妖怪を出迎えた。

 元々がそんなに広くも無い幻柳斎の部屋は巨漢ライオンが入った事で非常に狭苦しい感じになっている。

 両者座布団に座り、幻柳斎はいつもの煙管をふかしている。


「戻っておったんじゃのお」

「戻ってきたのは2年ほど前だ。どこも酷い有様になっていたのでな。暫くは山に篭り状況の推移を見守っていた」


 肯く獅子頭の巨漢。


「船が無かったじゃろうが」

「ああ、だから中央大陸の北側から泳いできた。20日くらい掛かったか」


 そう言ってから獅子頭の男は目線を鋭くして姿勢を直した。


「今日は信じられぬ話を耳にしてやってきた」

「……………………」


 老人は煙管の灰を捨てて火鉢に置いた。


「幕府方に味方し妖怪と戦うと聞いた。まことか?」

「うむ。既に一族の者を展開させておる」


 フーッと鼻で長い息を吐いて獅子の頭の男が目を閉じる。


「正気か? それが何を意味するかわからん程耄碌もうろくしたわけではあるまい」

「勿論正気じゃ。我らの負う傷も痛みも……全て理解した上での決定よ」


 幻柳斎の言葉は静かだった。そしてそこには既に覚悟を終えた者の確かな芯があった。


「幕府が勝てば人妖平等の世は来ないぞ」

「そうだ。上様はわしにおっしゃった。それはできぬと。……信用ならぬ御方であれば、『できる』と、もしくは『努力する』と言うたであろう。その上様の誠実さ、正直さにわしも覚悟を決めた。そして上様はこうも申された。自分の代では無理であってもその子の、さらに孫の……そしてそのまた孫の代に至るまでに少しずつ人と妖怪を平等に生きられる世にしていくような、そんな仕組みを残すと」


 獅子の頭の男は目を閉じる。


「嘉神の当代が信のおける御仁であったとしても、その子や孫もそうであるとは限らんぞ」

「かもしれぬ。だからわしらもまたこの先も努力を続けねばならん。幕府にも、世の民にも……長く根気強く両者の真の和解が成る日まで働きかけを続けなくてはならんのだ」


 獅子の男が膝の上に置いた拳が震えている。


「お前が……黒羽が……人に組して妖怪と戦うのか。このような日が来るとは……」


 そして再び目を開いたその時、獅子の男の両の眼には静かな炎が灯っていた。


「相分かった。ならばもう何も申さん。これよりこの『獅子王ししおう』……黒羽の刃となろう。一兵卒のつもりでこき使うがいい」


 獅子王、それは六大妖の1匹に数えられし大妖怪の名。


 がばっ!と立ち上がって勢い良く部屋を出て行く獅子王。

 ドゴォ!!と凄い音を立てて頭突きで鴨居をぶち壊す。


「痛い!!!」

「あっ、てめえわしの部屋まで!!!」


 ばらばらと落ちてくる木片の向こう側で老人がキレていた。


 ────────────────────────


 邪魔にならないようにと縁側から中へ入らないようにしていたウィリアムとエトワール。

 その2人の所に奥の襖があいてヌッとライオンヘッドが突き出されてきた。


「ウィリアム・バーンズ殿かな?」

「うおっ」


 驚いて仰け反ったウィリアム。

 急に目の前に出てくるでかいライオンヘッドは迫力十分すぎる。


「そ、そうです。貴方は?」

「これは失礼。自分は獅子王という者。見ての通り武芸者の端くれの妖怪だ。見知りおいて頂ければ重畳」


 腰に帯びた太刀を示して獅子王が言う。


「こちらこそよろしく」


 シェイクハンドの風習わかるかな?と思いつつウィリアムが右手を差し出すと獅子王がその手をぎゅっと握って上下させた。


 その後、エトワールとも自己紹介を済ませて獅子王は縁側の2人の隣に腰を下ろした。

 物怖じしないエトワールがさっそくたてがみをもしゃもしゃ弄っている。


「自分は武者修行の為にと何十年も人の姿で北方大陸の外にいた。戻ってきてまだ2年ほどだ。その為外の世界の文化にも明るい。ポテトとハンバーガーをやりながら野球の試合を見たりするのが好きだ」

「それは馴染みすぎだろ」


 物怖じしないエトワールがツッコんでいる。


「それでその……ウィリアム殿のファンでして。今日はこちらで会えるかと思って本を持ってきたんだがサインを貰ってもいいだろうか……?」


 でっかい図体でもじもじしているライオンヘッド。

 なんだそんな事かと内心で肩を撫で下ろしながらウィリアムが快諾する。

 獅子王が懐から風呂敷に包まれた本を出し、それをウィリアムが受け取る。

 ハードカバー版である。


「これは随分初期の装丁だな。初版だ、これは凄い」


 30年以上前の本である。今となってはかなり希少だろう。出した当人も驚く。

 大事にされていたものか、状態も良好だ。


「オークションで落札したのだ。これでサインを貰ったら家宝にしよう、ワハハ」


 無邪気に喜ぶ獅子王である。

 そこに砂利を鳴らす足音が聞こえ黒羽疾風はやてが姿を見せた。


「なんだ。本当に獅子王のダンナだよ。戻ったって話は事実だったんだな」

「疾風か、大きくなったな」


 旧知の仲なのか、2人が挨拶を交わしている。


「まあ、そんで……ちと先生に頼みがあってな」

「いいよ。やろう」


 2つ返事で承諾するウィリアムに疾風は苦笑して頭を掻いた。


「まだ何も言ってねえよ」

「何であろうとやるさ。君は命の恩人だ」


 妖怪王により瀕死の重傷を負わされた時に疾風が助けてくれた事をウィリアムは知っている。

 一族に背いての事だ。

 その為戻って数ヶ月は疾風は謹慎状態にあったのだ。

 その事をウィリアムは深く感謝している。


「なんかそうまで言われると逆に頼み辛いんだが。実は一族絡みで仕事を1つ任されてな、それを手伝って欲しい」

「どういう仕事だ?」


 疾風が言うにはこうだ。

 幕府軍も人や物は充実してきたものの、未だ両軍の戦力差には大きな開きがある。

 特に腕の立つ武人が少ない。

 人類側の一騎当千と呼べるような猛者の多くはここまでの乱で命を落としてしまっているためだ。

 刻久が図抜けて強いとはいえ彼1人にいつまでも難局を任せきりにするわけにもいかない。

 その為、英傑を迎え入れる事は幕府軍にとっての急務であった。


「まあそんなワケでよ。俺があちこち回って腕の立つのを幕軍に勧誘する事になったんだわ。つっても自慢じゃねえが俺は勧誘そういうのは丸っきり自信がねえ! 気分良くさせて言う事聞いてもらおうだとかどうすりゃいいかわかんねえよ。キレさせろってんなら自信あるんだが」

「キレさせてどーすんだテメーは。今早速ウチがキレそうですよ」


 半眼になるエトワール。


「なるほどな、話はわかった。異人の私がどれだけ力になれるかはわからないが、やってみよう」

「助かるぜ。とりあえず誰んとこ行けばいいのかは一族の連中が調べてきてくれる事になってるからよ。それが決まったら俺たちが出向いて行って説得すりゃいいってわけだ」


 そこで獅子王が立ち上がる……頭の上にエトワールを乗っけたままでだ。


「よし、ならばその任務この獅子王も同行しよう」

「は? ダンナが? 構わんけどあんた説得勧誘そういうのできるんか?」


 ふふ、と腕を組んで自慢げな様子のライオンヘッド。


「なぁに、人は贔屓の野球チームの話ですぐ打ち解けられるものだ」

「いや、野球の贔屓の話は簡単に刃傷沙汰になるんでやめときなって……」


 ずるっと片方の肩をはだけてエトワールが言った。








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