第2話 黒羽の里へ

 ──聖皇歴692年 6月。


 作家にして冒険家ウィリアム・バーンズは数年ぶりにウィンザルフ共和国にある自分の事務所に帰ってきた。

 ウィンザルフは東部大陸西端の海洋国家であり世界中の港に船が出ている。

 ここに本拠を構えればどこへ旅に出るにも都合がいいのだ。


 ……とはいえ、彼は本当はここへ戻ってくるつもりはなかった。

 数年ぶりに戻ってきて最初にした事はまず自分の机の引き出しにしまってある世話になった人々への感謝の気持ちを綴った手紙を処分する事だった。


(また生きてここへ戻ってくることになるとはな……)


 自らの数奇な運命に思いを馳せずにはいられない。

 過去に決着をつける為の旅が終わった。

 その終焉は自分の思い描いていたものではなく、彼は自由の身で生き長らえた。


 ここからの人生は地図のない旅路のようなものだ。


 愛用の革張りの椅子に深く腰掛けて感慨深げに天井を見上げるウィリアムである。


「年単位で留守にしてた割には綺麗に片付いてますねー」


 そこへ紙袋をいくつか抱えたブロンドの小柄な少女が入ってくる。

 担当編集者エトワール・ロードリアス。


「ああ、本当に大家メイスンさんには感謝だな」

「後でちょっとウチ、支社に顔出してきますんで」


 紙袋から缶詰や野菜、パンなどを取り出しながら言うエトワール。

 彼女はウィリアムが本を出している出版社『銀星舎』の編集者だ。

 支社とはその銀星舎のウィンザルフ支社の事である。


「私は大家さんにお土産持って挨拶にいくか」


 取り出した菓子折りはファーレンクーンツ王国名物『プロレスまんじゅう』……ゴングの形をした饅頭である。


(何でこんなもん選んだんだろうな私は。きっと大きな事件の後で軽く頭おかしくなってたんだろうな)


 綺麗に梱包された箱を見ながら遠い目をするウィリアムだった。


 ────────────────


 そして1日明けて午後の事。


「はいはい、美少女編集者が戻りましたよっと」


 大きく頑丈な髪箱を抱えたエトワールが事務所のドアを肘で押して入ってきた。


「大荷物だね」

「これ支社に届いてたセンセ宛てのお手紙ですよ。大半がファンレター。ラブレターが混じってたらウチに下さい。呪いの儀式に使いますんで」


 そう言ってエトワールはドン、と重たい音を立てて箱を机に置いた。


「ありがとう。時間を見つけて少しずつ目を通すよ」


 ウィリアムが人気作家となって久しいが未だに彼は自分の本が褒められる事に弱い。

 すごい弱い。

 気に入ったファンレターなど頻繁に読み返している。

 そんなわけなので彼にとってはファンからの手紙は貴重なエネルギー源なのだ。


 ───そして今回のこの手紙の山の中に、全ての始まりとなる一通が混じっていた。


 ────────────────


 数日後。

 書斎机に座ったウィリアムは一通の手紙を読んでいる。

 この前のファンレターの山の中の一通だ。


「随分そのお手紙気に入ったみたいですね。何書いてあったんです?」


 同じ手紙を読むのが何度目かになる事に気付いているエトワールが不思議そうに聞いた。


「これは興味深い手紙だ。実に興味深いよ」


 ウィリアムが手紙をエトワールに手渡す。


「何々? 差出人は……黒羽くろば幻柳斎げんりゅうさい火倶楽国かぐらのくに、北部大陸ですね」


 ブロンドの少女は速読で手紙を読み進める。


 内容はこうだ。

 まず、差出人の黒羽幻柳斎なる人物なのだが……人間ではない。

 北部大陸にのみ存在すると言われている不思議な生き物(?)『妖怪』の内の一種族烏天狗からすてんぐであるらしい。

 そして一族の長を務める人物であるようだ。

 現在は北部大陸にある火倶楽という国の山里で生活しているとある。


 ウィリアムはかねがね北部大陸の文化や妖怪たちに強い興味を持っていた。

 本の中でその事に触れた事もある。

 幻柳斎はその部分を読んで手紙を認めたという。


 北部大陸を訪れた際には是非、火倶楽の自分たちの里へ来て欲しいと。

 自分が保護している子供たちに外の世界の話を聞かせてやって欲しいと。


「『そして手前どもに北大陸の文化など紹介させて頂ければ幸甚に存知まする』か……。なーるほどねぇ」


 畳んだ手紙を封筒に戻すエトワール。


「で、センセはこのお誘いに乗っかりたい気持ちなんですね?」

「心動いてるところだ。北部はいずれ行ってみたいと思っていた。妖怪といった種族にも興味がある」


『妖怪』……この不可思議な存在は北部大陸のみ住むものであると認知されている。

 だが事実は少し異なり、北の大陸を離れる者も少数存在はしているようだ。

 ただ『発生』するのは北部大陸のみで他の大陸で妖怪が発生する事はない。


 何故発生と呼ぶか、それは彼らの特殊な成り立ちに由来する。

 妖怪とは親の腹や卵から生まれてくるものではない。

 既にある生き物や道具……或いは自然現象までが『化ける』のである。

 妖怪の別名『物の化もののけ』の由来はここにある。

 昨日までは別の生き物であったり、物言わぬただの道具であったはずのものが、ある日突然に『化けて』妖怪となり意思を持って活動するようになるのだ。


 何が妖怪となるのかその法則のようなものは一切分かっていない。

 しかし、生き物であり道具であり年月を経たものが化けやすいという話らしい。

 あとは『曰くつき』のもの。

 何がしかの噂話が出るようなものが妖怪になりやすいそうだ。


「不思議だな。実に興味深いね。何故この世界でも北部大陸だけにそういう不思議な存在が現れるのか」

「人喰う奴とかもいるらしいですから、そうロマンばっかの話でもないですけどね」


 エトワールの言う通りで妖怪とは人と友好的な関係を築いているものもいればそうでないものもいる。

 中には人を殺める凶悪な妖怪もいるそうだ。

 それ故に人と妖怪の関係が悪く争いが耐えない地域もあるという話だ。


 子供のように目を輝かせて手紙を読み返しているウィリアムを見てエトワールは苦笑する。


「まー船のチケット取っておきましょうかね」


 思い立ったが吉日、というわけにはいかず。

 2人が諸々の雑務をこなしている内に日は流れ、ようやく船上の人となれたのは9月頭の事である。


 それから半月ほどを費やしウィリアムとエトワールの2人は遂に北部大陸東端の港町『香來こうらい』に到着した。


「ううむ……キモノにチョンマゲ。聞いていた通りだ」


 旅行カバンを手に港に降り立って感慨深げなウィリアム。


「ハラキリとゲイシャは歩いてないかな」


 辺りを見回すエトワール。

 ハラキリがその辺歩いてたら大変なのだが。


 北部大陸は世界最大の大陸であり大小合わせて70以上の国が存在している。

 当然風土や文化もエリアによって大きく異なり『東州』と呼ばれる大陸東部はオリエンタルな文化が根付いており、これが西に行くほどに洋風なそれに変化していく。


「よう参られました先生方」


 そこにひょこひょこと小柄な老人が1人近付いてきた。

 紺色の作務衣に頭にも頭巾のように紺色の手拭いを巻いた好々爺だ。

 皺だらけの顔の口の両端と顎に筆先のような白いヒゲを生やしている。


「黒羽の幻柳斎でございます。歓迎致しますぞ」

「これはご丁寧に。お招き頂き厚かましくも来てしまいました」


 お辞儀をしてから老人と握手を交わす2人。


「里の子らもそれはそれは楽しみにしておりましてな。まずは我らの里へご案内いたしましょう。お二人とも馬は扱えますかな?」


 老人が示すと栗毛の馬が三頭繋いであるのが見える。


「乗れますよ」

「ウチも大丈夫でーす」


 かつて騎士団長を務めた身である。

 ウィリアムは馬なら自分の半身のように扱える。


 ────────────────


 3人は馬で数時間駆け、そこからは徒歩に切り替えて山道を進んだ。

 結構険しい道のりなのだが3人とも疲労も呼吸の乱れもまったくない。


「しかし、黒羽殿が人ではないというのも俄かには信じられないな」


 山道を進みながらウィリアムが言う。

 老人は見たところ全くの人間である。

 おかしな所は1つもない。


「妖怪たちはわしのように大概人の姿をしておりますからな。うかつに正体を晒せば怖がる者もおりますし敵視してくる者もおります。こうしておけば面倒に巻き込まれる数も減りますわい」


 そう言ってから老人は2人を振り返って悪戯っぽくニヤリと笑う。


「ですが何ぞあればホレこの通り」


 ばさっ!と老人の背に黒い鳥の羽が広がった。

 ひらひらと広がった羽の下に黒い羽毛が舞い落ちる。


「おお……!」


 突然の事なのでウィリアムが驚いて立ち止まる。

 それは生えてきたというのとも違う。手品のように突然に大きな羽がパッと現れたのである。


「ふ、服は? 服の上から生えるのですか」

「いやいや、わしら烏天狗は着物の背に予め羽を出す時用の切れ込みが入っておるんですわい」


 そういうと幻柳斎はまた出した時同様にパッと羽を消す。

 身体から生やしている、というわけではなさそうだ。

 突然に現れ、また突然に消える……文字通りの『化かされた』ような気分になるウィリアムである。


「あ~あもう、センセはしゃいじゃって」


 そんなウィリアムの様子を微笑ましく見守るエトワール。


 間もなく3人は山里へと到着した。

 ぱっと見ただけでも数十の家屋がある。

 中々の規模の里である。


「ここが我らの暮らす『黒羽の里』でございます」


 老人の先導で2人が里に入る。

 するとその里の入り口付近に集まっていた子供たちがわっと駆け寄ってきた。


「異人さんだ!!」

「せんせい? せんせいなの?」


 着物姿だったり前掛け姿だったりの子供たち。

 人の姿をしている子もいればそうでない子もいる。


「せ、センセ! 目……でっかい目が!!」

「かっかっか、その子は『一ツ目』という妖怪でしてな」


 人ならば眉間のあたりに巨大な一つの目を持つ子供に大層驚くエトワール。

 子供は自分のことを言われるとペロリと大きく長い舌を出した。


「せ、センセ! クチバシが! 頭に皿が……!!」

「かっかっか、その子は『河童』という妖怪でしてな」


 青緑色をしていて嘴に頭頂部に皿のある子供はキュウリを食べている。


「せ、センセ! ハゲが! つるっぱげが!!」

「かっかっか、そのオッサンは人間でしてな」


 自分の事を言われた通り掛かったハゲたおっさんが照れ笑いしていた。





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