第3話 妖怪王

 黒羽一族の里へやってきたウィリアムとエトワール。

 ここは元々は烏天狗である黒羽一族のみの居住地だった。

 ある時、頭首である幻柳斎が人も妖怪も関係なく孤児を引き取って面倒を見始めた。

 その結果、今では里は人と妖怪合わせて二百人以上の暮らす大きな集落になっている。


 ウィリアムたちは里の一番奥の山肌にある幻柳斎の住居でもある大きな山寺に世話になる事になった。

 到着して荷物を下ろしてから用意してくれていたという着物と袴の着方を教わって着替えたウィリアム。


「これがキモノか。何とも不思議な気分がします」

「お似合いですぞ先生。貫禄ある武家の若旦那といった風情ですな」


 かっかっか、と笑う幻柳斎。


「セーンセ、カワイイウチもお着替えしましたよ」


 そこに着物姿のエトワールが入ってきた。

 トレードマークのブロンドも結い上げて簪を挿している。


「可愛いじゃないか。良く似合っているよ」

「いやいやまことに。大名家の姫様のようですぞ」


 手放しで褒める男2人。


「い、いや~やっぱし? もう美少女は何着ても似合っちゃうんで参りますな~」


 顔を赤らめて照れくさそうにしながらもエトワールは喜んでいた。


 ────────────────────


 こうして、ウィリアムとエトワールの黒羽の里での生活が始まった。

 日に何時間か子供たちを集めて外の世界……主に他の大陸の話をする。

 読み書きが可能な歳になっている子らには公用語の読み書きを教える。

 そしてウィリアムは里の大人たちに北方の文化風習を教わり、たまに遠出して東州の街や国を見て回る。

 そんな生活が数ヶ月ほど続いた。


「人も妖怪も分け隔て無く平等にというのがわしの理念でしてな」


 幻柳斎老人は煙管を燻らせながら言う。

 ウィリアムと幻柳斎は山寺の境内の縁側に腰を下ろしている。


「ご立派な考えだと思いますよ」

「恐れ入ります。わしら妖怪は北の大地以外で生まれる事はありませんが北の大地を出ることはできます。わしは妖怪も少しずつでも外の世界に目を向けなきゃいかんと思っておるんです」


 北方大陸……特に東州は長い事鎖国政策を行っており外の大陸との交流がなかった。

 しかし近年鎖国は解かれ徐々にであるが他の大陸との交流も始まっている。

 老人は妖怪もそういう時代に対応していかなければと思っているらしい。


 ウィリアムは老人の話を聞きながら膝の上の幼児の頭を撫でた。

 彼の膝の上でうとうとしている狸の耳を頭に付けたこの幼な子も妖怪である。


「マホロはすっかり先生の膝の上を気に入っちまったようで」


 優しい目を向ける幻柳斎老人。

 マホロも孤児である。親妖怪を人間に殺され1人になった所を老人が保護したのだ。


「わしらを魔物と同じ扱いにする人間もおります。好きに命を奪ってもいいのだと……。逆に人の命をなんとも思っていない妖怪もおります。どっちも愚かで悲しい事ですわい」

「……………………………………」


 無言で老人の話を聞いているウィリアム。

 彼は思う。人間たちですら肌の色や考え方の違いから互いに命を奪い合う。

 人と異なる種族との関係はより難しい問題だろう。


「この娘が大きくなる頃には、人と妖怪はもっと歩み寄って穏やかな時代が来ていればいいと思っておるんですが、夢ですかなあ」


 遠い目をする幻柳斎老人。

 老人の吐いた紫煙が2人が見上げる空に細く上がっていった。


 ────────────────────


 そんなある日の事、寺の裏でウィリアムが薪を割っていると……。


「そんな事は客人がやんなくていいんだぜ?」


 声を掛けられてウィリアムは顔を上げる。

 近付いてくるのは年の頃なら20代半ばといった頃であろうか……精悍な若い男だ。

 無精ひげを生やし粗野な感じはするもののシャープな感じのする美男子である。

 名を黒羽疾風はやて。幻柳斎老人の息子であり、黒羽一族の次代の頭首となるはずの男だ。


「やあ、ハヤテ。いや……世話になっているんだからこのくらいはな」

「生真面目だねホントに。それよりまた手合わせしてくれよ。前よりはマシになったぜ」


 ぶら下げた木刀を示してハヤテがニヤリと笑う。


 この里を訪れてすぐの事、ウィリアムはハヤテに試合を申し込まれた。

 黒羽一族は黒羽流武術を伝える一族である。

 男たちは皆腕の立つ戦士だ。

 ウィリアムは快諾し、結果として勝負は彼の勝ちだった。

 それでもハヤテの腕前はウィリアムを大きく驚かせた。


(……これは、魔人ヴァルオール級だぞ)


 立ち会ってそう感じたのをはっきりと覚えているウィリアム。

 魔人ヴァルオールとは人を超えた、或いは人を捨てた者。

 恐るべき戦闘力と魔力を持つ不老の存在である。

 ウィリアム・バーンズは過去に仲間たちによって暗殺され命を落とした。

 そしてその彼を魔人として蘇らせたのは東の大陸の魔女レイスニール。

 以後彼は歳を取らずに生きており、元々高い実力を持つ騎士団長だった彼は魔人と化した事で更なる強さを手に入れたのだが……。

 その自分にも比肩し得る強さを持つハヤテ。

 それは烏天狗という種の強さなのか、黒羽の一族が伝える武術の優秀さか、或いはハヤテ個人の素養なのか……それともその全てなのか、それはわからないが。


「あ~ん? オメー、またセンセに凹られたいのかよ。懲りねーやつですね」

「なっ!? く……エトワール!!」


 ハヤテの背後から歩いてくるエトワールに驚いて仰け反るハヤテ。

 この黒羽疾風という人物は普段は割と飄々としていて掴みどころのない性格をしているのだが、どうにもエトワールが関わると挙動がおかしくなるようだ。


「う、うるせーな、今日こそは俺が勝つんだよ! そこで見てやがれ!」

「ハイハイ。んじゃ負けたオメーの泣き顔をおかずに今日の晩御飯食べる事にしますよ」


 2人のやり取りを聞いていたウィリアムがやれやれと肩を竦める。

 どうやら一戦お付き合いせざるを得ないらしい。

 まあ、彼としても世話になっている身として断る気は初めから無かったのだが。


 境内で2人が対峙する。

 ハヤテの獲物は2本の木刀……二刀流だ。

 これを彼は実に巧みに使いこなす。


「行くぜッ!!」


 地を蹴り頭上からウィリアムに襲い掛かるハヤテ。

 そして……上空でその背に一瞬黒い羽が現れ、飛翔の軌道が変わる。

 移動後には既に羽は消えている。

 真正面からの攻撃と見せかけて変化する予想外の角度からの奇襲。

 それをウィリアムが落ち着いて捌く。


(……並の戦士なら今の動きは捉えられない)


 ウィリアムだから……魔人だから処理できた。

 羽を見せた直後の彼の速度はほぼ瞬間移動と言って良い。

 本当ならば真正面からの攻撃のはずが予測していない角度からの一撃を受ける変幻自在の恐るべき体術だ。

 一撃も重い。それに速い。

 全力のとどめフィニッシュではないのに一撃一撃がとどめにもなり得る破壊力を秘めているのだ。

 しかも二刀流からそれを無数に繰り出してくる。


 彼にはまだウィリアムは自身の必殺剣『雷霆』を見せていない。

 右上段からの斜めの切り下ろし……神速の必殺剣であるこれを彼に対して放っていない理由は1つ。

 手加減ができない相手だからである。

 手加減せずに放った『雷霆』は最悪の結果になりかねない。

 故に披露ができないのだ。


 この日も最後はウィリアムがハヤテの猛攻を凌ぎ切った後でカウンターで繰り出した渾身の当身が炸裂して勝敗は決した。


「ッかぁ~ッッ!! なんでよ!? なんで勝てねえのよ!?」


 砂利の地面に横たわって天を仰いでハヤテは嘆いている。


「俺はさー、そりゃちょっとはチョーシ乗ってたよ? 負けた事なかったもんよ。それがアンタいきなりこんな出鱈目につえー異人さんがやってくるとかどーなってんのよ。もー俺のプライドはボロッボロよ」

「はは。まあ負けほど自分を鍛えてくれるものもないよ」


 エトワールが差し出してくれた手拭いで汗を拭きながらウィリアムがフォローする。


「よーおっし!! 忘れた!! もうこの事は忘れたぜ!! だっはっはっは!! 飯にしようぜ飲もう飲もう!!」

「忘れんのかよ。そんで酒かよ」


 半眼でつっこむエトワールであった。


 ────────────────────


 北方大陸中央部、波刃岐国はばきのくに

 国土の三分の二が山地と言う山深いこの国に玄霊山げんりょうざんという山がある。

 この山にいつの頃からか1匹の巨大な熊が住み着いた。


 熊は獰猛で残忍であり、幾度と無く人里を襲い多くの住人を食い殺した。

 この恐ろしい人食い熊を仕留めんと多くの猟師が山に入ったが皆返り討ちにあった。

 国が派遣した討伐隊も同様の末路を辿った。

 いつしか国はこの獣を討つ事を諦め近隣の山々を立ち入り禁止として放棄した。


 それからまた時が流れた。

 百年が、二百年が過ぎた。


 山は立ち入り禁止のままだ。


 ……大熊は生きていた。

 人の世が孫の代に、そのまたさらに孫の代になっても生き長らえていた。


 熊は……いつの間にか熊ではなくなっていた。


 年月を経ていつしか獣は獣を捨て、化けた。

 禍々しい妖気を纏って、数百年に渡り碌な獲物が自分の縄張りに現れない事に怒り……。


 そしてそれは山を降りた。


 後に『妖怪王』として恐れられ大陸に死と破壊の嵐を巻き起こす事になる大妖怪『ゼクウ』が人の国へと侵攻を開始したのである。


 時に、聖皇歴693年3月の事であった。



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