第22話『金と青』

「あなた、アザレスちゃんというのですね! それなら、アズちゃんなんてどうでしょうか?」

 と、金与正キム・ヨジョンは、距離を詰めるのが早い。


「よ、よろしく……ヨジョン、ちゃん。あのさ、一緒に遊んでおいてこんなこと言うのもなんだけど、わたしのこと、しないよね??」

 アザレスは、恐る恐る、尋ねる。 


「アズちゃん、どうしてそんな心配をします? わたし、日本の素晴らしい温泉へ来ただけです」

「北の将軍様のご令嬢が温泉旅行ね……う、嘘ついてないわよね?」

「嘘じゃないですよ! でもわたし、少しやることがあります。わたし、父上から、こんなことを言われました。来月、ミスター小泉が平壌ピョンヤンに来る、と。だから、念のため日本が怪しい動きをしていないか探ってこい、と…………アチャ!」

「えっ? アチャ!?」

「もう、わたしったら! 間違えました!」


 与正は、思わず手で口を押さえるのだが……


 その手は、彼女の華奢きゃしゃな体には不相応な、大きくゴツゴツとした手。それは、彼女の背後から伸びている。そう、後ろに、男がいるのだ。男の前髪は後ろにがっつりと流され、ポマードでがっちりと固められている。耳の上部は短く刈り上げられているので、頭頂で固められた真っ黒な亜鈴状あれいじょうの部分は、くっきりと目立っている。そのあまりの整いようは、彼が只者ただものではないということを表している。もはや、何か覇気のようなものさえも、感じる。


「与正! 何してる! いったい誰とつるんでるんだ?」

 男が強い口調で、与正に言った。


「ちょっと! 手を離してください! 息苦しいです!」

 与正がモゴモゴと訴える。


「あなた……ヨジョンちゃんのお兄さん? ってことはあなたも、北の将軍様のご子息……」


「そうだ、私が正真正銘、朝鮮民主主義人民共和国の次なる最高権力者候補、金正恩キム・ジョンウンである…………アチャ! この情報は我が国の最高機密の一つだというのに!」

 正恩と名乗るその男は、さっき妹がしたのと同じように、手で口を押さえる。


「やっぱりそうよね。母上、私たち、とんでもないゲームセンターに来てしまったみたい……ってあれ? 母上?」

 

 アザレスが辺りを見回す。

 母瑠神るかは、既にかなり離れたところで、駆け足である。


「ごめん、お母さんちょっとトイレに! 急にお腹が痛くなってきた!」


 母は、顔を土色にしているので、本当にそのようである。


「おい、お前は逃さんぞ? なぜ私たち家族のことを知っている? 我々キム一家はお忍びで来ているんだぞ? そしてその顔……アラブ人か?」

 正恩は、追加情報を漏らしながら、アザレスを詰問きつもんする。


「えーっと、もしかして私今、ピンチなの? でもとにかく質問に答えた方が良さそうね。私は、エジプトと、日本のハーフよ」

 アザレスは、混乱しつつも、なんとか質問に答える。


「エジプトと……日本? では、お前は、エジプト人なのか、日本人なのか? どっちだ!」

「えっと……」

 

 アザレスは、その質問に気軽には答えられない。


「兄上、尋問のようなことをするの、やめましょう。わたしとアズちゃん、ストツーをした仲。大事なお友達です」

 与正は、ストツー仲間として、アザレスに加勢アシストする。


「ヨジョンちゃん、いいのよ。お兄さん、答えは『どちらでもある』、だわ。二重国籍なの。別に、一つの答えにこだわる必要は、無いわよね」

 アザレスは、自信を持って、そう答えた。


「そうか。まぁ、半分もエジプトの血が流れているのなら……よかろう」

 と、正恩は険しい表情をしつつも、アザレスの言葉に、納得したようだ。


「で、素朴な疑問なんだけど、エジプトならいい、というのは、どうしてかしら?」

「お前、エジプト人なのに、そんなことも知らないのか? 不勉強だな」


 正恩は、少々鼻につく言い方で、アザレスを小馬鹿にする。


「兄上、意地悪はやめましょう。わたしは、教えてあげればいいと思います」

 与正は、兄を穏やかに注意する。


「うむ……わかった。エジプト人よ、お前に歴史というものを教えてやろう。一九七三年一〇月に発生した、第四次中東戦争はわかるか?」

「ええ。それならこの前、高校の世界史の授業で習ったわ。エジプト・シリアを中心とするアラブ諸国と、イスラエルの間で起こった戦争よね。あの地域は、西のもたらした民族と宗教と土地の問題のせいで、何度も同じような戦争が起こっている……」

「その通りだ。そして戦争に際し、我が朝鮮民主主義人民共和国はエジプト軍に、飛行中隊を送って支援した。これに対し、当時のエジプト大統領ホスニ・ムバラク氏は、後に我が国の存亡を左右する、極めて重要な『お礼の品』を、送ってくれたのだよ。それが何だか、わかるか?」

「ひょっとして……ミサイル?」

「その通りだ。我が国はエジプトから、ソ連製の弾道ミサイル『スカッドB(R-17E)』を譲り受けたのだ。我が国の大陸間弾道ミサイルICBM開発は、このスカッド獲得から始まった。つまりエジプトは、東アジアで孤立しかけていた我が国が米・韓・日の脅威に対抗するに足る武器を、ありがたくも、よこしてくれたわけだ」

「まぁ、そうだったのね……知らなかったわ」

「だから、お前がエジプト人を名乗る限り、友として迎えよう……」


 正恩が、右手を差し出す。

 アザレスは、それに応える。

 二人の手は、確かに、固く握られた。


「そういえば、兄上。アズちゃんの親戚に、未来のエジプト大統領になるようなご立派な方がいるそうですよ?」

 与正が、ニコニコしながらそう言った。

 

「それは本当か? おいエジプト人、その親戚というのは、軍人か?」

「よくわかったわね。私の叔父様は、エジプト陸軍将校。確か、中佐か、大佐だったはず。将来は大統領になるんだって、耳にタコができるほど聞かされるのよ」

「未来のエジプト大統領だと? なぜそれを早く言わない! おーい東発ドンパチ!! ちょっとこっちに来てくれ!!」

 正恩は、大声でそう呼びかけた。

「ドンパチ? なんだかブッs……いや、珍しい名前ね。誰か付き人がいるってわけ?」

「そうだ。ちょうどミサイル開発に携わっている科学者たちが、私たちに同行している。いい機会だから、スカッドのお礼もさせようと思ってな」

「大統領っていうのはあくまで叔父様の願望だけど……でもまぁ挨拶くらいは、友好の印として、しておいた方が良さそうね……」

 アザレスは、正恩には聞こえない声量で、ボソリとそう言った。


 そして、ゲームセンターにはそぐわない黒スーツに身を包んだ男たちが、ものすごい早歩きで参上した。


「正恩坊っちゃま! お呼びでしょうか!」

 黒スーツ集団のうちの一人が、ハキハキとそう言った。


 他の黒スーツたちは、静かに、背筋を水泳で使うビート板くらい硬く真っ直ぐにして、微動だにしない。


「あなたが……ミサイル開発の科学者さん?」


「はい。朴東発パク・ドンパチです。ミサイル制御室の責任者をしています」 

 東発は、朗らかにアザレスに語りかけた。


「東発よ、この女性は我が国にスカッドをもたらしたエジプトからの同胞だ。何でも、叔父がエジプト陸軍の高官らしい。そうだエジプト人

、お前の名は……」

 正恩がアザレスを紹介する。


「アザレス・雨寺です。さっきヨジョンちゃんと、そこの『ストリートファイターツー』で遊んで、お友達になったの。その後お兄さんも来て、第四次中東戦争の話になって、エジプトが北朝鮮にスカッドを贈ったことを教えてもらいました」

「そういうことでしたか。これはこれは、素晴らしい巡り合わせですこと。正恩坊っちゃま、与正お嬢様のご友人とあれば……のことなら、何でも言ってくださいね! いつでも発射できますから、地球の裏側まで!」

「は、はぁ……わかりまし、た。私がミサイルに関わることなんて、ないと思うけど……そうだ、この後みなさん、和倉温泉に泊まるんですか? 私は『加賀屋』さんに泊まるんだけど」

「それは、秘密です。ここに我々に会ったことは、くれぐれも口外無用でお願いします」

「わかりました」


 その後、結局、金兄妹の一行はアザレスと同じ『和倉温泉加賀屋』に宿泊したので、彼らは夜通し交流を深めることとなった。


 

 ♨︎♨︎♨︎



__和倉温泉での思わぬ出会いの翌日__


 アザレスとその母瑠神るかは、福井県敦賀つるが市の家に帰宅した。


「楽しかったけど……やけに騒がしい旅だったわね。母上は……楽しめた?」

 アザレスの声には疲れが感じられず、むしろ生き生きとしている。 


「ええ。とても刺激的だったわ。いや、刺激的すぎるくらいだたったけどね……ふぅ」

 と、瑠神は刺激から解放されて、安堵あんど溜息ためいきを漏らす。



 そしてその晩。

 自室のベッドで眠りにつこうとするアザレスに、再び、手帳からの謎の声が、語りかけた。



「もっと、東だ……」


「あーっ! 出たわね神官! 東とかじゃなくて、もっと具体的に言いなさいよ!」


「…………」


「おいっ! 黙るなー!」


石切場いしきりば……青き水溜り……青々とこけむすほこら……」


「ふむふむ……とにかく青い場所に、祠があるのね! もう、最初からそう言いなさいよね!」


「末裔よ、そなたはやがて豊穣ほうじょう緑神りょくしんのもとへと辿たどり着くだろう」


「ほーじょーのりょくしん? 何のこと??」


「では頼んだぞ、末裔よ……」


「あーっ! ちょっと待って!」


「…………」


 声は、そこで途絶えた。


「祠かぁ。ということは、そこは神様がまつってある場所ってことよね——」


 そこで、部屋のドアが勢いよく開いた。


「ちょっとアズちゃん。夜中にブツブツどうしたの? 神がどうだの、祠がどうだの、ご近所迷惑よ?」

 瑠神が、優しく注意する。


「あっ、母上、ちょうど良かった! 石切場、青い水溜り、青々と苔むす祠。これを聞いて何か思い当たることはない? 神社関係だとは思うんだけど……」

「待ってアズちゃん、それ、弥彦山やひこやまのことよね? 今度お母さんが、巫女みこの仕事で行く場所。どうして知ってるの?」

「えーっと……何でだろう? あはは……」

 アザレスは、誤魔化そうとするが、誤魔化しきれない。

「何、お母さんのスケジュール帳、こっそり見たとか? 高校生にもなって、いけない子ねぇ」

 瑠神の声は、決して、しばしば親が子を叱る時に発するような、きついものではない。

「あ、そう! そうなの! こっそり見ちゃった!」

 アザレスは、母の優しさに甘えて、そういうことにした。

「まぁ、何でもいいわ。お母さん来週、新潟の間瀬まぜで、雨乞いの儀式をするのよ。弥彦山やひこやまっていう、山の奥地でね」

「間瀬って、間瀬石まぜいしで有名な間瀬?」

「そうよ。興味あるなら、週末だし、アズちゃんもついてくる? 神秘的な場所がたくさんあって、きっと楽しめるわ」

「そっか。じゃあせっかくだし、行こうかな! 私も雨乞いの巫女になるために、母上の儀式を見て、勉強しなくちゃだし」


 アザレスは、瑠神の出張に、同行することになった。


 

 凸凹凸



__新潟県 新潟市 西蒲区にしかんく 間瀬まぜ__


 海岸沿いには、海底火山の活動によって形成された、多種多様な岩石地形。


 平らな地面に、出しゃばるようにぽっこりと盛り上がった枕状まくらじょう溶岩。


 海岸線がなめらかに山の斜面へと移り変わる部分では、五角や六角の石の柱が、集積回路に詰め込まれた電子部品たちのように真っ直ぐと伸びる。


 荒れた岩肌はやがて、うるわしい緑に連続階調グラデーションしていく。


 弥彦山。


 江戸から大正にかけ、銅鉱山として、また石切場として栄えた。


 今でも銅の採掘によりできた坑道や、石を切り出した跡が、散見される。


 石垣の絶景。


 中には、青い苔が薄ら広がっているものもある。


 最も大規模な石垣群では、角ばった石たちが、直角の線を天まで届きそうなくらいに伸ばす絶壁となって、幾重いくえにもそびえ立っている。


 碑文や像こそないが、それらの姿はエジプトのカルナック神殿を思わせる。


 点在する断崖は、所々、立方体の形で切り出されて床の間のようになっており、その下にはさらに、四角い形状の石のトンネルが続いている。


 トンネルを満たすのは、銅イオンの溶出ようしゅつによりコバルトブルーになった水溜り。


 さらに奥に行くと……


 ほこら


 青苔せいたいの衣をまとう祠。


 一面に広がる枯葉の地面には、くいが打たれるように細木たちが立ち並び、祠の目の前まで続く誘導路を形成している。


 一部、店先に敷かれたマットのように、苔がびっしりと生えたところがある。


 その上に、雨乞いの巫女、雨寺瑠神が、くすぶ松明たいまつを持って、立つ。


 煙は、青葉の天井を貫き、背後に待ち構える青天井あおぞらを目指す。


 空は、曇り始める。


 まるで、煙が本当に、雨雲に変わってしまったかのよう。


 弥彦山は、雨に降られた。


 巫女の祈りは、大粒のしずくとなって、石垣を打ちつけた。



〈第23話『石穿うが雨垂あまだれ』に続く〉

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