第20話『言い訳』

 新川元気は、電話を終えると、すぐに窓へ駆け、開けると、獅子ヶ鼻の灯台の方を見た。ミディアムの金髪と地黒の肌をした女性が近付いていくるのを確認する。口から放たれる白い吐息が、外がいかに寒いかを表している。髪は、まとめられておらず、乱れている。右の耳たぶに下がるのは、太陽光を反射する銀色の煌めき。一方で左側は、銀色ではなく、金色の耳飾り。その女性の全身は、体のシルエットがはっきりとわかるほどにぴっちりとした真っ黒なボディスーツに覆われている。胸元の中心には、青い玉のついたネックレス。玉には、黒い亀裂が入っている。アクセサリーに入った亀裂が見えるということは、女性がもうかなり近いところまで来ていることを表す。


 アザレス・雨寺と思しき女性が、本当にこちらに向かって歩いているではないか。


 その女性の髪は濡れている。なるほど、ぴっちりとしたボディスーツというのは、水泳競技用のウェットスーツのようなもの、というわけだ。元は乾いた薄橙色うすだいだいをしているはずの砂浜が、アザレスに踏まれてからは、黒っぽく変色する。


 その女性、前国家の玄関前に立った。


〈コンコンコン〉


 控えめに、だが音と音の間隔がなく焦りも感じ取れるノックの音。


 アランが音のする方へ向かおうとすると、新川はそれをはばみ、ドア前に陣取る。


 新川は、すぐにはドアを開けない。


 警戒しているのだ。


——沈黙。


 三人とも、何と切り出せばいいのか、わからないのだ。


 新川が、ドアスコープを覗き、

 ドア越しに、静寂を破る。

「えっと……アザレス、さん? 動画は見させてもらったよ……全身ずぶ濡れみたいだけど、い、一体どこから来たんだい?」

 声が少し震えている。


「海から、センス……船に乗って、ね。格好見たら、わかるか。でも信じて、あれは、私じゃないの! 私が一番驚いてるわ……は……ハックション!」

 ドア越しでも、室内に響くくらい大きなくしゃみ。

 なんと言っても、一月の日本海、寒くないはずはない。

 女性は唇を青くして、かなり凍えている。

 

「アズさん風邪ひいちゃうよ、事情はともかく、一旦中に入れてあげよう?」

 アランが懇願する。


 新川は、ドアノブに手をかけはするが、すぐには開けない。

「……アランくん。相手はテロ、リスト……かもしれないんだぞ? それでも入れるかい?」


「うん。いいから」

「……」


 新川は躊躇ためらい続けている。


「もう、チーフ! 馬鹿なの!?」

 アランが新川を押しのけて、ドアスコープを覗く。

「あっ、アランくん!」 


 そこでちょうど女性は、首にぶら下げたネックレスについた玉を、震える指で摘む。するとそれは……


 パリン、と割れた。


 真っ二つの、瑠璃色の玉。


「アズさん早く入って、風邪ひいちゃうよ!」

 アランは、代わりにドアを開けてやった。


 ドアが開くや否や、アザレス・雨寺そっくりの女性が、身一つで、氷のように冷たいしずくを飛ばしながら入ってきて、前国家の暖かい空気に包み込まれる。その肩は、激しく震えている。


「早く体を温めないと! シャワー、そっちにあるから、使っていいよ。替えの服は……ないよね? お母さんのブカブカの服でもいいなら、貸すよ」

 アランは、女性を洗面所の方へと誘導する。

「ありがとう。そうさせてもらうわ」

 女性は、弱々しくそう答えた。

「チーフも、異論はないよね?」

 と、アランが新川を軽く睨みつける。

「……ああ」

 歯切れの悪い返事。


 受け入れるアランと、アザレスへの黒い疑惑を拭いきれない新川は、静かに、長めのシャワーが終わるのを待った。



***



 三人が、ダイニングテーブルを囲む。

 一方の側にはアランと新川、もう一方の、壁に真珠の耳飾りの少女が飾られた側には、パトリシアの部屋着を着たアザレス・雨寺らしき女性が、一人で座る。アランが慣れない手つきで急須でれた、緑茶の湯呑みから、湯気がもくもくと立っている。テーブル上には、ところどころ、茶の飛沫しぶきが目立つ。


「私もついさっき、あの信じられないような映像を知ったの。それで、真っ先に、二人には誤解を解いておきたいと思ったから、ここに来たの」

 女性は、そう主張する。

「そうかい。なら何もかも洗いざらい、説明してもらいところだね。ではアザレスさん……仮にそう呼ぶが、今から僕がする質問に、正直かつ正確に答えてほしい。いいかな?」

 新川の口調は、まるで尋問する刑事のそれである。

「ええ」

「例のアザレスさんそっくりの人物が、核爆弾によるテロの犯行予告をする映像が流れ出したのは一時間ほど前だ。君はその映像をついさっき知って、誤解を解くためにここにやって来たと言ったよね? 僕とアランくんがSNSで映像を見てから、まだ一時間も経っていない。君は、かなり近くにいたってことだ。そして君は、なぜかずぶ濡れ、海から来たらしい。さらにだ、エジプトが、秘密裏に開発した原子力潜水艦を使って、日本近海で何やら怪しい飛翔物を打ち上げており、その実行犯が、アザレスさん、君ということになっている。君は飛翔物のことを、海上保安庁、海上自衛隊、気象庁合同の気象調整の試運転で使った人口降雨だと言ったが、日本政府には否定されている。ここで問いたい。君はさっきまで何に乗って、何をしていたんだい?」

 新川の声には、見えないが、圧がある。


 すると女性は真剣な眼差しで、

「原子力潜水艦に乗って、を飛ばして、日本を守っていたわ」

 と、返した。


「ロケットだって!? が正しいよね? 似ているようだけど、誤魔化しちゃだめだ。ミサイルなんて物騒なものを飛ばして、どうやって日本を守るんだい? 北朝鮮からのミサイルを撃墜だとか? でもそういわけでもないよね? それに君は映像の中で、核ミサイルで世界を滅ぼす、みたいなことを言っていた。『守る』のとは、どう考えても真逆のことだ。ちゃんとわかるように説明してくれ!」

 新川は、あおり気味に、まくし立てた。


 「誓って言うけど、あの映像に映った人間は私じゃない。それに、私は核ミサイルなんて知らない! 世界を滅ぼす? むしろ逆よ! 私は、日本を、守ってるの!」

 女性も、ボルテージが上がる。


「だから守るって何から?」

「それは……」

「ほら、答えろよ!」

「…………」

「答えられないのか!? やっぱり君はテロリストか!」

「違う!」

「なら最もらしいをするんだな!」

「…………」

「そら見たことか! 君は嘘つきのテロリストだ!」

「…………」


「うおぉおおおお!!」

 と、新川が突然立ち上がり……


\ドン! ガラガッシャーン!/


 両手でダイニングテーブルを思いっきり叩いて、真っ二つに破壊。急須と湯呑みは床に落ち、無惨むざんに割れ散らかった。

 

「クソーッ! なんでだよ! なんでだよーっ! 君なんかに! れた僕が! バカみたいだ!!」

 獅子ヶ鼻に響く、新川の叫び。それも、全身の血管がはち切れそうなくらいに、力一杯、である。


 アランと女性は、あまりに興奮する新川に困惑し、互いに目を合わせる。


「えっとチーフ、尋問はやめにして、一旦、に自由に喋ってもらおうよ。アズさんにもわかることとわからないこと、言えることと言えないことがあるだろうし」

 アランは冷静に、進行役を担う。


「……そう、だね」

 新川は落ち着きを取り戻し、椅子に座って、脱力する。


「アランくん、ありがとう」

「いいんだ、全然」

 アランとアザレスは、茫然自失ぼうぜんじしつとする新川を横目に、散乱した破片を片づけ始めた。




***




——椅子三脚のみ、殺風景なダイニング。


 壁にかかった真珠の耳飾りの少女の贋作がんさくは、心なしか微笑んでいるように見える。


「真実を話すわ。信じてもらえないかもだけど」

 アザレスは、そう切り出した。


「アズさん任せて、どんな話でも、しっかり受け止めるよ」

 と、前向きなアランに対し、

「万策尽きた、もう好きにしてくれ……」

 新川は依然、絶望している。目は、うつろだ。


「そう、なら耳だけでも傾けておいてね……長くなるけど。何たって、私の一族に代々伝わる伝説の島の話をするんだからね」

 アザレスは、胸の青い玉を両手で包みながら、そう言った。

「伝説の、島?」

 アランは、部屋の窓から、獅子ヶ鼻から見える水平線の、遥か先をチラリと見る。

「ええ。黄金に囲まれし島、『砂の島サンド・アイランド』の話。私の父雨寺・カートバークは、砂の島サンド・アイランドという、普通の人にはその存在を見ることも、感じることもできない場所を、ずっと探していた。そして行き着いた土地は、日本。そうして雨寺瑠神あまてらるかと出会い、私が生まれたの——」


〈第21話『雨乞いの巫女と青き末裔』に続く〉

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