第23話『石穿つ雨垂れ』

【注意】作中に新潟中越地震並びに東北地方太平洋沖地震の描写がございます。




__二〇〇四年 十月__


 雨寺一家は、今度は新潟県北魚沼郡きたうおぬまぐん川口町へ越していた。アザレスが、弥彦山の大自然を、ひどく気に入り、そこで暮らしたいと言って譲らなかったのだ。石の恵みと銅青どうあおの水は、アザレスに、その体にエジプト人の血が流れていることを、思い出させた。


 が、十月二十三日、夕刻……


 大震撼。


 マグニチュード六・八。

 最大震度七。

 新潟中越地震が発生した。

 その日の北陸地方一帯は、雨だった。

 

 幸い、アザレスと母瑠神は、怪我もなく、無事だった。


 そして、声が再び、アザレスに届いた。


「涙の後に瑠璃玉るりだまは割れ、地は裂ける……」

 いつもの神官の声だ。


「また出たわね! どういうこと? 何かの、暗号?」

 アザレスはもう、この不思議な現象に、慣れっこだ。


「そなたは、度重なる災厄を、止めたいと願うか?」


「災厄を……止めたいか。急な質問ね。でもそんなの、当たり前じゃないの。災害なんて、無い方がいいに決まっているもの」


「ならば…………砂の島へ行け。まばゆい、黄砂おうさの島だ」


「また移動、なのね。で、砂の島? 毎度の如く、もっと詳細に頼みたいわ」


脊梁せきりょうを越えるのだ……」


「はぁ? なに、セキリョウ?」


「では、頼んだぞ、末裔よ……」


「ちょっとあんた、待ってってば!」


「…………」

 声は消えた。


 この時アザレスは、戸惑いつつも、確かに悟った。父カートバークは、地震を止めようとしていたのだ、と。そしてアザレスもまた、その使命を背負っているのだ、と。これからもアザレスは父のように、日本各地を飛び回る。行く先々で、大きな揺れに襲われると、わかっていながら。



 〰︎〰︎〰︎


__二〇〇五年 冬__


 アザレスは、北陸から動けずにいた。その理由にはもちろん、神官からの声が途絶え、次に行くべき場所を特定できない、という点もあった。しかし、もっと別な事情もあった。

 アザレスの高校生活は、三年生の三学期に差し掛かっていた。大学受験直前で、他のクラスメイトたちがピリピリとした陰鬱な空気に包まれる中、彼女だけが、進路を決めかねていたのだ。


 自宅にて。

 アザレスは、母瑠神るかの背後に近づく。


「母上、進路のことなんだけど」

 相談を持ちかけるアザレス。が、その声に迷いはないようだ。


「進路ぉ? そんなのは昔に決まっているでしょう?」

 瑠神は、娘の意外な相談に、素っ頓狂とんきょうな声。


「そのつもりだったんだけど、私……海上保安庁に行くわ」

「どっ、どどどどうしたの、急に!? 進学はせずに、お母さんと同じように、雨乞いの巫女になるんじゃなかったの?」

「ううん。気が変わったの。母上には、ちょっと悪いかもだけど……」

「そう…………そっか。わかったわ。アズちゃん、あなたがしたいように、すればいい」

「母上、ありがとう」


 アザレスは、母瑠神と、抱擁ほうようを交わした。


「でも、どうして海上保安庁に?」

「私、父上みたいに…………日本中、色んな海を見て回りたいの」

 

 アザレスは、「砂の島を探す」とまでは、母瑠神に伝えなかった。


「それは、あの人も、きっと喜ぶわね……」


 そうしてアザレスは高校卒業後、京都市舞鶴市、舞鶴湾を臨む海上保安学校に入学した。




 本科四年、専攻科半年、研修科国際業務課程半年の、計五年の課程を経て……




__二〇一〇年 四月一日__


 アザレスは海上保安庁入庁を果たした。初期配属は、幸い希望が通り、母も住む新潟県新潟市にある、第九管区海上保安本部海洋情報部海洋調査課だった。


 そして、久しぶりに、が聞こえた。


脊梁せきりょうを越えろ!」

 神官の口調は、やけにきつい。


「あら、神官様、お久しぶり。脊梁、ねぇ……。あ! もしかしてそれは、日本の背骨、奥羽おおう山脈!?」

 と、一皮けたアザレスが、以前よりもやや丁寧に、返す。


「オオウ? そんなものは知らないが、それが脊梁であるならば、越えるがいい」

「わかったわ、任せなさい」

「では、頼んだぞ、大きくなった、末裔よ」


 声は途切れた。


「何よ、親目線? で、次は……東北ね」


 アザレスに、迷いはなかった。入庁から一年も経たないうちに、異動申請を出した。



⁂⁂⁂



__二〇一一年 一月__


 アザレスは、異動申請が無事受理されたので、新潟に母瑠神を残し、宮城県塩竈しおがま市、第二管区海上保安本部海洋情報部海洋調査課に異動した。


 そして、三月十一日、昼過ぎ……


 未曾有みぞうの大災害、東北地方太平洋沖地震が発生した。


 アザレスにはすぐ、海上保安本部から召集がかかり、ヘリで現地視察に向かった。


 十六年前、父カートバークを亡くした神戸での地震も、とてつもなく凄惨なものだったが、今回の地震は、その規模がまるで違った。


 激震。

 瓦礫がれきの山

 津波。

 死の濁流だくりゅう


 死者、一万五九〇〇人。

 行方不明者、二五二〇人。

 (二〇二四年 三月時点)


 アザレスは、空から、この世の終わりかと思うほどのむごたらしい光景を目の当たりにし……


 なんとしても、地震を止めなければ。

 なんとしても、砂の島を見つけなければ。


 そう思ったことだろう。



 ●●●



__塩竈しおがま市の社宅にて__


 現地視察を終え、帰宅したアザレスは、思案にふけっていた。


「『涙の後に瑠璃玉は割れ、地は裂ける』そして『砂の島へ行け』か。涙っていうのはつまり……」

 アザレスは、神官の言葉を反芻はんすうする。


 そこで、テーブルに置かれたスマートフォンの画面が、通知によって光った。

 

—————————————————————

●母上            十分前

アズちゃん、そっちは無事かしら……

—————————————————————

●母上            五分前

返事、待ってるね。

—————————————————————

●母上              今

大丈夫?

—————————————————————


「あ、いけない。母上に連絡しなくちゃ」


 アザレスは慌ててスマートフォンを手に取り、電話をかける。


「もしもし、母上?」

「アズちゃん!! 大丈夫!? _ザザ_北の方がとんでもないことになっているじゃな_ザザザ_もぉ、全然連絡が取れないから、心配し_ザザザ_」


 電話越しの瑠神の声に、何かノイズのようなものが混ざっている。


「ごめんね母上。仕事で駆り出されて、通信機器の類は持たせてもらえなかったから」

「_ザ_っか、国のお仕事_ザザザ_ね。_ザザザザ_取り決めがあるわよね。でも、アズちゃんの声を聞いて、_ザザザ_さん、安心したわ」

「ねぇ母上、何か激しい雑音がするみたいなんだけど……電波が悪いって感じではないみたい。ひょっとして、そっちは、雨?」

「よくわかったわね。こっちはすっ_ザザ_大雨よ。ちょうど今、洗濯物を取り_ザザザ_てね。お母さん今日は、_ザザザザ_の儀式なんてしていないのに」

「やっぱりそっか、忙しいタイミングでごめんね」

「いえ、全然いいのよ。アズちゃんの元気そうな声が聞けたもの」

「ならよかった。そうだ母上、一つ聞きたいんだけど……には、どうしたらいいと思う?」

「急に何よ、方法? それは、雨乞いの巫女にするような質問じゃないと思うけれど……」

「あはは、そうだよね」

「でも、単なる憶測で言えば……雨を止めたいなら、止めたい場所とは別の場所で、雨を降らせばいいんじゃないかしら?」

「というと?」

「だってそうすれば、雨雲と水蒸気が消費されるわけだから、ある程度離れた他の場所では、雨が降りにくくなるんじゃない? 地球にあるものの総量は、変わらないはずでしょう?」


 意外な助言。だが、的を射ていた。雨乞いの巫女という、気象学や科学とは何の縁もなさそうなオカルト的な儀式を生業なりわいとする人から発された言葉にしては、あまりに論理的で、科学的だった。


「なるほど……参考にさせてもらうね、ありがとう。じゃあ、ちょっと用があるから、電話切るね」

「そう、わかったわ。色々と大変だろうけど、応援してるわ」

「うん、じゃあね」

「はい、またね」


 電話は切れた。



 それからすぐ、アザレスは、儀式やではない、確かな雨を降らせる方法について、調べ始めた。


 そして、ある一つの解答に、辿たどり着いた。


「必要なのは……原潜と、誘導弾と、反逆者、ね」


〈第24話『ソマリアの海賊』に続く〉

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