第16話『或る手記②プトレマイオス朝の大震撼』

【注意】古代エジプト史に関しまして、物語の展開上、一部史実と異なる点、及び大掛かりな脚色がございます。あらかじめご了承くださいませ。


__二〇二四年 五月三十一日 金曜日。獅子ヶ鼻の前国家にて__


 ダイニング。


 壁にかかった『真珠の耳飾りの少女』の贋作が、見つめているのは……


 ダイニングテーブルにつくパトリシア。


 いつも通りの青いエプロンを身につけ、そのやや太い人差し指を酷使しながら、懸命にノートパソコンのキーボードをツンツンとしている。


 そう、パトリシアは現在、日本語訳版『パピルスの手帳』を絶賛執筆中なのである。


 パトリシアの向かいの席に座りスマホゲームに明け暮れているアランが、ボソッと呟く。

「お母さん、例の本、まだ書き上がらないの?」

 と、ノールックの煽り。

 

 さっきからずっと目をバキバキにかっぴらいているパトリシアは、表情ひとつ変えずに、無機質な返事をする。

「アラン、ちょっと、黙っててくれるかしら? 今とっても集中してるの」


「あれでしょ? 晴れて女男爵に復帰したのはいいけど、毎日毎日、爵位持ち仲間でパーティ、パーティで遊びほうけてたから、締切に遅れそうなんでしょ?」

 と、アランは母親に対し、どこかで聞いたような説教を垂れる。


「ぐぬぬ……締切は六月九日、あと二週間弱ね。少々舞い上がってたのは、認めるわ。でもね聞いて? 古代エジプトの二千年以上も前の歴史は、どの文献を読んでも記述が曖昧で、リサーチが大変だったのも確かよ?」

 言い訳をするパトリシア。


「うんうん、そうだよね、そうだよねー。それに、勢いで日本語訳版の翻訳も引き受けちゃうからなぁ。僕はとんでもないスーパーお母さんの息子に生まれたよ」


 アランの執拗な攻撃は、なかなか止まない。


「ちょっと、大の大人を煽るのも、そのあたりでしまいにしておいたらどう? あ、そうだアランちゃん、印税が入ったらお小遣いアップも考えるから、ね?」


 アランは、にぱっと笑い……

「いひひ……本当? そりゃ嬉しいや! じゃ、息子のお小遣いアップのために、執筆頑張ってね。あ、昇給は銀貨三十枚からで受け付けておりますのでっ!」

 と、最大限の皮肉を込めて、パトリシアに発破をかけると、スキップで自室へと引っ込んで行った。


「はぁ、生意気な子だこと……。で、ここからはちょっぴり心の痛む内容だったわよね……」


 パトリシアは、パソコンの画面に表示される日本語版『パピルスの手帳 』のページを、スクロールしていく。




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 紀元前一八六年某日。——(注1)


 プトレマイオス五世エピファネスと結婚したクレオパトラ一世シーラが、長男プトレマイオス六世フィロメトルの出産を終えてからまもなくのこと。


 私は王直々の命で、王と妃の寝室の前で見張りをするよう頼まれていた私は、図らずも二人の会話を聞いた。


 妃は、悲哀に満ちた声で、こう切り出した。——(注2)

「ねぇあなた、酷く心が痛む夢を見てしまったの。それも鮮明な、予知夢のような、夢」


「ああ可哀想なクレオパトラよ、どんな夢だったんだい?」

 妃を包み込むような、王の優しく温かい声。——(注3)


「とても悲しい未来の夢。私たちが亡くなったあと、プトレマイオス朝の一族が争い、殺し合いをして滅びていく。そんな夢だったわ——」

▪︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎▫︎




「うん、入りはこんなものよね」


 さらに画面をスクロールしていく。




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【編者のことば】ここで、手記の原本には詳細な記載の無い、クレオパトラ一世が見たであろう予知夢の内容を、史実に基づき補完しておく。尚、プトレマイオス朝時代を生きた者たちに台詞を与えたが、これが古代エジプト史理解の一助になれば幸いである。


 クレオパトラ一世は、紀元前一八六年に長男プトレマイオス六世フィロメトルを産んだのち、翌年に長女クレオパトラ二世ソテイラ、続いて紀元前一八二年には三回目の出産でプトレマイオス八世フュスコンを産んだとされている。紀元前一八〇年には、夫プトレマイオス五世が三十歳の若さで亡くなった。王の冥界への旅立ちを受け、二人の長男である、プトレマイオス六世フィロメトルがファラオとして即位すると、彼女はプトレマイオス六世の摂政として、長年対立の続くセレウコス朝シリアとの友好関係構築に努めた。しかし、彼女は、奮闘も虚しく、紀元前一七六年で冥界へと旅立った。


——そして、プトレマイオス朝エジプトに、夢魔の足音が近づき始める。


 紀元前一七三年、クレオパトラ一世の長男プトレマイオス六世と長女クレオパトラ二世は、兄妹で近親婚した。最終的に三人の子をもうけることとなった。紀元前一六四年には長女クレオパトラ・テアを。翌年紀元前一六三年ごろにはプトレマイオス七世ネオス・フィロパトルを、そして紀元前一六一年にはクレオパトラ三世コッケを産んだ。


 紀元前一七〇年、プトレマイオス六世は、第五次シリア戦争でセレウコス朝シリアに取られたコイレ・シリア(現代で言うところのシリア南部やイスラエルのあたり)へ、再度奪還のため侵攻した。



プトレマイオス六世 「コイレ・シリアは、古来より我がエジプトの土地である! よってこれを、奪い返さねばならない! 皆の者、続けい!!」



 しかし彼は敗北し、セレウコス朝シリアに捕われてしまう。プトレマイオス六世の不在の間、エジプトではプトレマイオス五世とクレオパトラ一世の末子まっし、プトレマイオス八世フュスコンが事実上の王として治世を始める。



フュスコン 「兄は奮闘虚しく、捕えられてしまった。その不在の間、私がこの国を導こう!」



 セレウコス朝シリアのアンティオコス四世は、捕えたプトレマイオス六世を利用して、エジプト北部のナイルデルタを統治させてそれを傀儡政権とし、一方でメンフィス以南を彼の弟のフュスコンに統治させ、エジプトを二つに分断した。



プトレマイオス六世 「民よ、我は舞い戻った! しかし、この臨時政権はセレウコス朝シリアの思うがまま。決して警戒の手を緩めてはならないのだ。奴らは我と弟の仲違いを狙っている……」



 アンティオコス四世の謀略に対し、プトレマイオス六世とフュスコンの兄弟は、同盟を組んで対抗した。



フュスコン 「兄上、そのくびきを今すぐ外しましょうぞ! シリア王に兄弟の絆の力を誇示するのです!」

プトレマイオス六世 「弟よ、お前ならそう言ってくれるだろうと信じていた。共に戦おう!」


アンティオコス四世 「兄弟の絆の力? 笑わせてくれるわ! 所詮、ただの血の繋がりに過ぎない、無意味なものよ……」



 が、強国相手に兄弟は次第に追い詰められる。そこで二人は、当時東地中海の覇者になっていたローマに仲裁を求め、結果、アンティオコス四世を追い返したのだが……



アンティオコス四世 「いい気になるなよ? ローマという虎の威を借る狐の兄弟たちよ。フフフッ……そう、貴様らは薄汚い狐同士だということを忘れるでないぞ……」



 セレウコス朝シリアの脅威が去ると、今度はエジプト王位を巡って、プトレマイオス六世とフュスコンが兄弟で対立することになった。紀元前一六三年には、兄弟の対立によりエジプトは二分され、二つの王朝ができた。



プトレマイオス六世「ようやく、我は正式にエジプト王に復帰することができた。しかし……」

フュスコン「俺がエジプト王でなく、キュレネ(リビア北東部沿岸のギリシャ人の植民都市)王? 先に生まれただけの兄がそんなに偉いか!? 不平等だ! 納得がいかん! ならば、キュプロス島は力づくで奪い取るが……兄上よ、家族の血など関係ない、覚悟はいいですね?」


アンティオコス四世 「フハハハハ! そうだ、潰しあえ! 偽りのエジプト王たちよ! 貴様らの先祖は誇り高きアラブ人ではないのだ! 私利私欲にまみれ、各国の中枢に魔の手を伸ばす、所詮はただの野蛮なギリシア人の末裔なのだよ」



——以来、兄弟の対立は十年以上続いた。



 プトレマイオス六世は暴走するフュスコンの暗殺を企てたこともあったが、未遂に終わった。その暗殺未遂事件で、体に憎しみの傷が残ったフュスコンは、ローマに同情を求め、味方につけたのちに、プトレマイオス六世を叩こうと武力行使に出る。が、フュスコンは返り討ちにあい、プトレマイオス六世に捕らえられてしまう。一度は弟殺しも考えたはずのプトレマイオス六世だったが、今回はフュスコンを釈放した。その理由は、彼がローマの後ろ盾を恐れたからである。


 紀元前一四五年、セレウコス朝シリア宮廷内で、内紛が起こると、プトレマイオス六世はすぐさまシリア宮廷へ馬を駆った。なぜならば…… 


 娘のクレオパトラ・テアが内紛に巻き込まれていたからだった。プトレマイオス六世は、テアをセレコウス朝のシリア王に嫁がせていた。セレウコス朝との対立を抑止するための政略結婚である。



プトレマイオス六世「テアよ、助けに来たぞ! どこにいるのだ!」

 

 手綱を片手に、もう一方の手には剣を握る、王の姿。


シリア兵A「これはこれは、大将自ら出向くとは、勇ましくも愚かな王様だなぁ」

シリア兵B「本当だよなぁ。だが俺たちにはまたとないチャンスだぜ? 王の首を献上すれば俺たち……」

シリア兵A「だな! よし、弓を構えろ、馬を狙うんだ!」


 シリア兵の放った矢が、プトレマイオス六世の駆る馬の肉をえぐる。


 彼は落馬した。



 プトレマイオス六世は救助の道半ばで落馬による重傷を負い、その傷が元で亡くなった。ちなみにテアの最後も酷いもので、のちに夫であるシリア王ニカトルと、息子グリュポスを暗殺ののち、自身も毒で自殺している。


 プトレマイオス六世の死後、未亡人となった妻クレオパトラ二世は、息子のプトレマイオス七世を王として擁立したのだが……



フュスコン「兄は消えた! 俺の実力を認めず邪魔をするから、天罰が下ったのだ! 今こそ全エジプトをこの手に!」



 フュスコンは混乱に乗じて、エジプト侵攻を開始。たちまち大都アレクサンドリアの占領に成功した。そして彼は自らが王となるべく、姉クレオパトラ二世の子、プトレマイオス七世を手にかけようとする。



フュスコン「姉さん、この状況がわかりますよね? その若き王もいなくなれば、王位継承権は俺の手に……」

クレオパトラ二世「いけませんフュスコン、目を覚ますのです! 家族で殺し合うなど……」

フュスコン「チッ、物分りの悪い女だ……血なぞ所詮はレッテルよ! 早くその小便臭いガキを渡せ!」

プトレマイオス七世「叔父様、いくら叔父様でも、母上にそのような言葉遣いは、看過できませぬ!」

クレオパトラ二世「いいの、暴言くらい。あなたの命の方がずっと大事なの」

プトレマイオス七世「母上……」

クレオパトラ二世「フュスコン、わかったわ。我が息子の命と引き換えに、私を好きにするといいわ。何でも言うことを聞いて差し上げましょう」

フュスコン「ほう、面白い……ならば姉さん、俺の妻になれ。ちょうど独り身だろう? 俺が可愛がってやる。そして、俺の子を産むんだな! さすれば俺の血がプトレマイオス朝で代々受け継がれ……」

クレオパトラ二世「フュスコン、あなたにとって血縁などどうでもよかったのでは?」

フュスコン「それは場合による。姉さんこそ怖気付いたか? 弟に無理やり犯されるのを想像してなぁ!」

クレオパトラ二世「そんなことはありません。いいでしょう、あなたの求婚を受け入れます」

プトレマイオス七世「母上! 僕のためなんかに……」

クレオパトラ二世「いいの、あなたは母さんに黙ってついてきなさい」



 クレオパトラ二世は、息子プトレマイオス七世の命と引き換えに、実の弟フュスコンとの結婚を承諾した。その後のエジプトは、フュスコン、プトレマイオス七世、クレオパトラ二世の三人による共同統治になるはずだったのだが……


 なんとフュスコンは、姉クレオパトラ二世との婚礼の日に、プトレマイオス七世をその手であやめた。



プトレマイオス八世フュスコン「これで王位は俺に……フフフ。だが姉さん自身の持つ影響力も厄介ではある、何とかして抑え込む必要があるな」



 その後もフュスコンの暴走は止まらない。彼は、姉であり妻であるクレオパトラ二世に自身の長男、プトレマイオス・メンフィティスを産ませた後、クレオパトラ二世が今は亡きプトレマイオス六世との間にもうけていた次女クレオパトラ三世コッケとの結婚、つまりは重婚をとりつけた。



プトレマイオス八世フュスコン「王の妃が二人……いくら良妻を演じようが、所詮は権力欲に溺れた愚かな人間に過ぎない。さて、どうなるかなぁ……」



 フュスコンの読みは的中し、クレオパトラ二世・三世の母娘おやこは対立、廷臣ていしんも巻き込み宮廷闘争へと発展した。しかし、プトレマイオス八世は、そのあまりの暴虐ぶりから、民からの人気が全くなかったため、絶対的発言権を得るには至らなかった。



 ——混沌は十年以上続き……



 紀元前一三二年、ついにクレオパトラ二世は、民を煽動して暴動を引き起こすことに成功した。これにより、プトレマイオス八世フュスコンとクレオパトラ三世はエジプトより追放され、キュプロス島に逃げる。


 しかしやはり、追放されてもなお、フュスコンの暴走は止まらなかった。



プトレマイオス八世フュスコン「姉さんよ、そうきましたか。だがその程度で俺が黙っているとでも思いましたかね!?」



 フュスコンはある時、エジプトにいるクレオパトラ二世に、一つの箱を送りつけた。



クレオパトラ二世「フュスコンから贈り物? あの男が仲直りの品を寄越すとは思えません、何か怪しい匂いがするのは確かですが……」



 クレオパトラ二世が箱を開けると、その中には……


 浅黒い、脚、腕、胴、陰部。そして耳、鼻と、それらが削がれた頭。


 あろうことか、彼女とフュスコンの間の息子、メンフィティスが、バラバラになって入っていた。


 その後も、プトレマイオス朝では報復が報復を生み、一族の血を血で洗う争いは一向に絶えなかった。


 あの絶世の美女として知られる、プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ七世が自殺するまでずっと……

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"Blimeyブライミー! He's a nutter!"

——ああ、ひどい! フュスコンはなんてイカれたやつなの!——




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「——そうか……そんな凄惨な未来の夢を……。そうならないように、私も王として、全力を尽くそう」

 王はそう言いながら妃を抱きしめたのだろうと、私は想像する。



 そして忘れもしない紀元前一八五年、妃(クレオパトラ一世)の二度目の出産の日。——(注4)

 前回の出産と同様、私も立ち会った。



 豪奢なベッドの上に横たわる妃と、そのそばには産婆。王の姿はない。


 妃は強くいきみながら、苦悶の表情を浮かべ、目の前にいる私に話しかける。——(注5)

「デザト、この涙は……」


 私は、妃が何を訴えようとしているのか、すぐに理解した。

「『悲しみの』涙、ですね? 覚えています。去年の、ご長男のご出産の時の、あなたのお言葉を」


 そこから、妃によって新たな命が世に生み落とされるまで、小一時間を要し……


 産婆が、何やらそわそわとし始める。——(注6)

「まぁ! これはこれは、元気な子供だ」

 と、彼女は長年の経験から予測したのか、『子供』と言った。


「子供?」

 私(デザト)は、産婆からの意外な報告に、思わず聞き返す。——(注7)


「そうさ、こりゃ双子だね。おっ、出てくるよ!」


 ここで、一人目が産声をあげた。


 産婆は元気に泣く男児を、太陽神ラーのいる方へと、高く掲げ、

「現世へようこそ。元気な男の子です!」

 と言ってから、妃の顔元へそれを近づける。


「ジアス。ああ、ジアス」

 妃は男児を『ジアス』と名付けた。——(注8)


 そして、二人目の産声。


「今度は、女の子ですよ」


「ソテイラ」

 妃は女児を『ソテイラ』と名付けた。——(注9)


 乳母車の中に安置され、すやすやと眠るジアスとソテイラ。

 兄妹は、障害もなく、無事産まれた。


 汗まみれで、髪も乱れている妃は、一呼吸、すら置かずに、私にこう告げた。

「デザト、あなたには良心がある。よって、ここに命じます」


「と言いますと?」


 耳を疑うような提案だった。


「今日産まれた双子の兄の存在を隠し、あなたが連れて逃げて、一般人として育てて欲しいの。あなたには前々から、王家に立ちこめる暗雲について、相談していたでしょう? この一族の未来が怖くて怖くて、仕方がありません。一人でも多くの子孫たちに、不毛な争いや殺し合いから逃れてほしい、平和な世になってほしい、と。だからジアス、この子だけでも……」


 妃の声には、確固たる意志が感じられた。


 私はその声を、黙って頷き、受け入れた。


「大きくなったら、ジアスにこれをつけてあげて」

 

 妃は、自身がつけている耳飾りを外して、私の両手のひらにおいた。——(注10)


「承知しました」


 私は耳飾りを懐にしまった。——(注11)


「さぁ、誰かが出産の終わりを聞きつけてここに来る前に、行くのです」


「賢母クレオパトラ一世シーラ様、大神官は怖気付いて宮廷から逃げた、とでも言いふらしていただければ結構です。どうかお元気で」

 私はそう言い残し、産婆に口留め料として銀貨三十枚を渡してやり、ジアスをさらった。


 西へと、ひたすらに走った。





【注記】

 (注1)時系列の把握の一助となるよう「紀元前一八六年某日」を付け加えた。


 (注2、3、5、6、7、8、9、10、11)原文のみでは情景が浮かびにくい箇所に、地の文を追加した。

 

 (注4)時系列の把握の一助となるよう「紀元前一八五年」を付け加えた。また、「クレオパトラ」という名があまりにも頻出するため、混同を避ける目的で「妃(クレオパトラ一世)」と付け加えた。


 加筆に当たっては、言語学者パトリシア・バイロンが監修を務めた。

 


 第二十一代バイロン男爵(女男爵) パトリシア


 二〇二四年 五月三十一日 更新

 

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「ふぅ、これでいいかしらね。あとは、大神官デザトとジアスがモロッコへ逃亡した後の話の翻訳だけど……」


 パトリシアが一息ついたところにちょうど、アランが、自室からちょっかいをかけにダイニングにやって来る。


 アランは無邪気に、

「お母さん、執筆の調子はどう?」

 と質問。


「うーん……ここのヌミディア語のところ、分量的にはあとちょっとなんだけど、うまく訳せないの。英語にも日本語にもね」

 と、パトリシアは悩みを打ち明ける。


 が、アランはそれを真に受けず……

「またまたそんなこと言って。世界一の言語学者のお母さんだったら、余裕でしょ?」

 と、嫌味っぽく言う。


「ねぇ、ヌミディア語がまだ完全には解読されていない言語だって知ってる? デザトさん、エジプトにいる頃にはヒエログリフを使ってくれたからまだ楽だったんだけど、モロッコに移った途端、ぜーんぜん似ても似つかないヌミディア語よ。彼は相当言語に精通していたんでしょうね」

 遥か二千年以上昔の大神官に文句を垂れる、女男爵。


「へぇ、デザトさんってお母さんみたいだね。わけわかんない言葉もペラペラでさぁ」

 と、アランは大神官と母を重ねる。


「そう、かもね……」


 パトリシアは、エプロンの、染みのついた部分を撫で下ろして、そう呟いた。


〈第十七話『砂の島』に続く〉

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