第21話『青き末裔と雨乞いの巫女』

【注意】作中に、阪神淡路大震災の描写を含みます。




__冷戦末期__


 アザレスの父カートバークは、当時、砂の島サンド・アイランドを探し求めて日本を放浪していた。彼は雨乞あまごいの巫女みこ雨寺瑠神あまてらるかと出会い、結婚した。そして一九八六年水無月ろくがつ、長女アザレスが誕生した。


 それから九年。


 兵庫県神戸市中央区は、湊川みなとがわ神社にて。


 雨寺瑠神が、雨乞いの儀式の最中。


 外。

 草一つ生えない、砂礫されきだけの地面。

 

 飛沫しぶき

 雨乞いの巫女は、おけ柄杓ひしゃくとを使って、神水しんすいく。地を打つ神水は、やがて水煙みずけむりとなって、くうへとかえる。


 桶と柄杓がそっと地に置かれる。


 松明たいまつ

 赤橙せきとうかたまりからくすぶ鈍色にびいろの煙が、積乱雲かみなりぐもの如く、高く立ち昇る。


 ともしびは、長い時間をかけて小さくなる。


 明るさを失った木鉾きぼこは、皮を焦がす烙印らくいんのように、桶の水面みなもを貫く。

 

 桶を持ち上げると、それを豪快にひるがえし、目の前にどす黒い滝を作る。灰汁あくとなった神水は、地を浸す。


 桶は逆さまにされ、再び地に置かれる。

 

 雨乞いの巫女は、その前で胡座あぐらをかく。


 そして柄杓を使って、ドドド、と、桶の底を叩き始める。


 つづみだ。


 空のとどろき。

 それは、人の手で作られたもの。

 打撃は、雨音にも、雷鳴にも聞こえる。




 母が儀式を執り行う姿を、アザレスが静かに突っ立って、見ていた。


 母瑠神るかは、儀式を終えて、娘アザレスに近寄る。

 アザレスも同じく、瑠神に走り寄る。


母上ははうえ、私も大きくなったら、母上みたいに雨乞いの巫女になりたい!」

 アザレスは、無邪気にそう言った。


「きっと素晴らしい巫女になるわ、ちゃんなら」

 瑠神は、どっしりと、そう言い切った。



⚡︎⚡︎⚡︎



 アザレスの父カートバークは、毎日、小舟こぶねに乗って瀬戸内海へと出る。今日は、娘のアザレスも、やや波による揺れに酔いながらも、乗り合う。


「ねぇ父上ちちうえ、父上は毎日海に出て、何を探しているの?」

 アザレスは今日も、無邪気に尋ねる。


「じきにわかるさ」

 カートバークは、どっしりと、そう言い切った。


「母上にも聞いたけど、母上も、父上が何を探しているのか知らないって。そんなに秘密にするほど大事なものを、探しているの?」

「ああ。とても大事なものを、私は探している……」


 そう言ってカートバークは、ふところから何かを取り出した。


 手のひら大の、小さな手帳。相当古いのか、黄ばみや、破れが目立つ。


「なぁに、それ?」

「これは……パピルスの手帳だよ。この手帳は、いつかアザレス、お前のものになる。その時、お前の知りたがっている全てが、わかる」

「そっか、じゃあ私、いい子にして、待ってるね」


 その日の晩、アザレスは、父カートバークが自室でこそこそとパピルスの手帳を棚に引き出しにしまうのを、しかと確認した。



 そしてついに……



__一九九五年 一月十七日__


 地のぬかるむ早朝。


 ゴゴゴゴゴ、と。


 揺れ。


 大きな揺れ。


 それはとてつもなく激しく、神戸のまちは、ことごとく破壊された。


 マグニチュード七・三。

 最大震度七。

 阪神淡路大震災。


 アザレス、瑠神の母子は、カートバークを亡くした。


 倒れ来る箪笥たんすを背で受け、娘と妻とに覆い被さるようにして、家族を守ったのだった。


 葬儀が執り行われた。

 エジプト軍の将校だった兄アッシーシも参列した。カートバークは生涯ムスリムだったため、遺体はエジプトに送られ、王家の谷近くに葬された。


 葬儀の後は、カートバークの遺品整理が行われた。

 アザレスは、父がパピルスの手帳をどこに隠しているのかを知っていたので、母に見られないようにこっそりと、それを自分のものにした。そしてそれを、亡き父の形見のようにして、大事にしまった。



 時は経ち……

 


__二〇〇四年 四月__


 アザレスは、高校三年生になっていた。


 手帳はもはや、その存在を忘れかけられていた。


 が、ある日、アザレスの頭の中に、誰かの声が聞こえ始めた。


「東へ行け……」

 男の声。


「何!? 誰なの?」

 アザレスが問う。


「……」


 返事はなかった。


 しかしそれからほどなくして、不思議なことに、まるでその謎の声に応えるかのように、母瑠神の巫女の仕事の関係で、雨寺一家は、福井県敦賀つるが市は氣比神宮けひじんぐう近く、東方への引っ越しが決まった。


 越した先の敦賀でも、声が聞こえた。


「もっと東だ。山々の向こうまで……」

 男の声。


「またあの声! というか、指示がやけに大雑把ね。もっと具体的に頼みたいところだけど」

 アザレスは、謎の声に対し冷静に対処する。


「『千年の熱の泉』のある方角だ……」


「熱い泉……つまりは温泉ってこと? それって……和倉温泉とか?」


「……」


「ちょっと、今回は逃さないわよ! そもそもあなた、誰なの?」


「古の、神官だ……」


「神官? 神官って、古代エジプトとか、そういうやつ?」


「そうだ。では頼んだぞ、末裔まつえいよ……」


「末裔? 一体何のこと!? って、だから逃げるなってば!」


「……」


「ちょっと神官!」


「…………」


 やはりまたしても、すぐに対話は途切れた。


「もう、人騒がせな神官ね……でも、和倉温泉、いいわね。母上と温泉旅行なんて、たまにはいいんじゃないかしら?」


 そう思い立ったアザレスは、母瑠神に頼んで、能登への温泉旅行を取り付けた。


 母子は、加賀を越え、能登半島へ向かった。



∮∮∮



__石川県七尾市 和倉温泉駅__


 電車を降りるや否や、アザレスは母に提案した。


「ねぇ母上。温泉宿に行く前に、寄りたいところがあるんだけど、いい?」

 アザレスは、初めての母と二人の旅行に、ウキウキとしながらそう言った。


「もちろんいいわよ。せっかく来たんだから、あなたが行きたいところがあるなら、どこへだってついていくわ」

 母瑠神るかは、二つ返事である。


「母上、ありがとう。ちなみに、ゲームセンターなんだけど……」


「ゲームセンターねぇ……お母さんはゲームのことわからないけど、それでもいいなら、行きましょう」


「じゃあ母上は、私がプレイするのを隣で見守ってて! 行こ行こ!」


 手を繋ぎ、駅を出る母子。

 ゲームセンターは、やや遠い、和倉温泉駅から徒歩三〇分弱のところにあった。鬱蒼うっそうと茂るひのきの林を背景に、ポツリとたたずむ一階建て。やけに横長の長方形の上に、上下に圧縮されたような台形が乗る寄棟よせむね屋根。中央入口ドア横の、デフォルメされた猫のイラストの看板が目立つ。


 その建物の名は、『ゲームセンターベティ』。


 アザレスは、中に入ってすぐ、『ストリートファイターツー』の筐体きょうたいを見つけた。


「あれあれ! あれがやりたかったの!」


「あなた、本当に日本のゲームやアニメが好きよね」


「当ったり前よ! うわぁ、やっぱり筐体はいいわね。ファミコン版しかやったことがなかったから……そしてこの三色のボタン! 白は高貴と率直を、青は名誉と純潔性を、赤は愛と勇気を! あっ、そうそう私、このゲームで使える『ブランカ』っていうキャラクターが一番のお気に入りなの。の肌をしたな怪物みたいな男の人で、体からを放って攻撃するの!」

 アザレスは、『ストリートファイターⅡ』の筐体の、画面やレバーやボタンをベタベタと触りながら、興奮のあまり、饒舌じょうぜつになる。


「そ、そう。あら、アズちゃんったらこういう殿方とのがたが好みなのね……」

 瑠神は、アザレスには聞こえないくらいの声量で、そうつぶやいた。


 ところが一転、アザレスはし始める。


「でもどうしよう、これ、対戦用の筐体よね。せっかくなら誰かとお手合わせ願いたいところだけど、母上を付き合わせるのもあれだし……」


 そう、対戦する相手が…………


 いた。


 少し離れた後ろの方で、一人の女の子。


 アザレスよりも、少し、歳が下のように見える。


 色白で丸顔の、綺麗な女の子だった。


 女の子は、アザレスに、ズンと勢いよく近づいて、

「あの、これ、あなたやりますね? いっしょ、する? わたし対戦したい、これ!」

 と、硬い表情で、提案した。

 片言かたことの日本語。顔つきからは、どうやら彼女はアジア人らしいことがわかる。


「まぁ、あなたもストツー好きなのね? ぜひやりましょう!」

 アザレスはその提案を、快く受け入れた。

 

 二人は狭い長椅子に肩をくっつけて腰掛け、画質の荒い画面に向かって前のめりになった。



Ⅱ Ⅱ Ⅱ



 対戦が終わった。


 意外にも……


 アザレスは、完膚なきまでに、叩きのめされた。


「あなた、やけに強いわね。もしかしてここの常連?」

 感心するアザレス。


「いいえ。この機械、初めて触れました。わたしの国に、このようなゲーム、ないです。ファミコン、持ってます」

 女の子は、朗らかに、そう言った。


「そっか、なら私と条件は同じだったってことね。悔しー! あ、ちなみに、『わたしの国』っていうのは……」

 と、アザレスが尋ねると……


「……」

 女の子は、躊躇ためらう。


「あ、えーっと、個人情報だし、差し支えなければ、でいいの、全然!」

「……朝鮮」

「えっと、朝鮮? あなた、韓国の方なの?」

「違います。『北』朝鮮。朝鮮民主主義人民共和国。DPRK。Democratic People's Republic of Koreaです」

「えっ! ひょっとしてあなた、だっp……じゃなくて、日本には、普通に来れるのね? 北朝鮮の人は」

「はい。わたし、父上偉いですから、お忍びで来てます」

「なるほどあなた、お嬢様なのね! 偉いって……どれくらい偉いの? ちなみに私の父上のお兄様は、未来のエジプト大統領!」

 子供心か、女の子と張り合おうとするアザレス。

「本当? 仲間です! わたしの父上、です!」

 女の子は、アザレスの両手を取って、激しめの握手で迎え入れる。


「えっ……」

 アザレスは、何か言いたげに、母に視線を送る。


 母も母で、口をぽかんと開けたままになっている。


「よろしくです! わたし、ヨジョンて言います! あなたお名前は?」

「アザレス・雨寺……」


 それ以上の言葉を、続けることができないアザレス。


 なんと女の子は、金正日キム・ジョンイルの実子であり、金正恩キム・ジョンウンの妹、金与正キム・ヨジョンだった。


〈第22話『金と青』に続く〉

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