第10話『外交の鬼』

【注意】この話はフィクションです。実在かつ存命中の人物が多数登場しますが、当作品での出来事の多くが、話の構成の都合上、出鱈目です(が、事実に基づく描写もそれなりに含んでおります)。それをご了承の上でお楽しみいただきますよう、よろしくお願いいたします。

 


__二〇二三年四月七日、総理大臣官邸にて__


 この日、岸田総理は、東京都の小池百合子知事と面会した。


 岸田総理はネイビーのスーツに青いネクタイ。


 そして小池都知事は、白の丸首ブラウスと白のスカートに、ロング丈の、水色と白のハウンドトゥースのジャケットを羽織っている。


 二人はそれぞれ、大きめの一人がけソファに座って向き合っており、面会は終盤に差し掛かっていた。

 


「……そうだ、今年の九月で関東大震災から百年を迎えます。もちろん南海トラフ地震への警戒も必要ですが、東京都知事である小池さんとは特に、首都直下型地震への備え、そして政府と東京都の連携を強化できれば、と思います」


「私もそう思います。それに関してはまた、次回の面会……八月頃でしょうか。そこでお話しできれば、と思います。都の方でも地震対策について話を固めて参りますので」


「ええ、ぜひそうしましょう。では今日はこの辺りで……そうだ、思い出した。小池さんにお尋ねしたいことがあったんです。この後お時間少々いただけますか?」


「ええ、構いませんとも。今日は珍しく、ゆったりとした日でして」


「奇遇ですね。私もこの後、九十分もスケジュールに空きがあるんです」


 岸田総理は、姿勢を崩してソファの背もたれに寄りかかる。


「さようですか。総理にもそれくらいの休息は必要でしょう。で、どんな話でしょう?」


「エジプトですよ」

 と、強めのウィスパーボイスの岸田総理。


「はぁ。と言いますと?」


「月末に、エジプト訪問の予定があるんです。首相就任以来、初のアフリカ歴訪です」


「ああ、ひょっとして地下鉄の件ですか?」


 小池都知事は、何かピンと来た様子。

 

「そうです。さすが、よくご存知で」


「もちろんじゃないですか! 遠い昔の話ですが、カイロ大学が私の青春の舞台でしたので」


「それです!  それ。私が小池さんに聞きたいのはそれです」


 岸田総理は、小池都知事に向けて、繰り返し指差しする。


「カイロのことをですか?」


「ええ。色々と、予習しておきたいんですよ。現地の地理や、歴史や、文化や、言語なんかを」


「相変わらず勤勉でいらっしゃいますね」

 と、感心する小池都知事。

 

「勤勉かどうかはさておき、必要なことなんです。何せ、朝からアッシーシ大統領との署名式兼会談、日本・エジプト友好レセプション、大エジプト博物館の視察、あ、これはマドブーリー首相が直々にご案内してくださいます。そして日・エジプト・ビジネスフォーラム。エジプトの方と話す機会が山のようにあるんです」

 と、岸田総理は、腕を大きく広げて、ことの重要さを強調した。


「まぁ、お忙しいこと。でもそう言うことなら、ぜひ私の執務室にいらしてくださいよ、エジプトの資料が山ほどあります。どうです? 今からでも」

 と、小池都知事はやけに話の飲み込みが早い。


「いいんですか? じゃあお言葉に甘えさせていただきますよ? 都庁までは、時間はどれくらい……」


「車で二十分ほどです」


「よぉし、では遠慮なく、お邪魔させていただきます」


 岸田総理は勢いよく、小池都知事はしとやかに、ソファから立ち上がった。

 

 

__十五分後、東京都庁 第一本庁 七階 都知事執務室__


 移動の車はやけに速かった。


 小池都知事の執務室の壁際には、本棚が多数並び、その中はありとあらゆる本でびっしりと埋め尽くされている。それらはまるで、図書館か書店にでも来たのかと見紛みまがうほどの迫力だ。

 

「執務室にこんなに本が……あっ、これ、知ってますよ? 小池さんが書かれた、『振り袖、ピラミッドを登る』。読みました」

 と、一冊の本の背表紙を指差す岸田総理。


「やだ! 恥ずかしいですよ」

 と言いつつも、笑顔の小池都知事。


「何でも、英米への留学はありきたりだから、英語以外の言語で、話者の多かったアラビア語を選ばれたとか……」


「あらまぁ、本当に読まれたんですね」


「もちろんです。五年かけてカイロ大を卒業し、記念にピラミッドに登られたんですよね。しかもピラミッドの頂上で、振袖に着替えて記念撮影したとか」

 と、岸田総理は、さらりと述べる。


「あぁ、懐かしい。あの頃を思い出します。でも総理、だなんて、そんな余計な情報はお忘れになってください」


「いやぁ、すみません。そういった学業での苦労にはシンパシーを感じるんです。なので、つい。私も大学受験では……」


 ややうつむく岸田総理。


「それ以上おっしゃらなくてもいいですよ。今、を見ましょう。そして未来を」


「ですね。小池さんのおっしゃる通りです」


「で、大エジプト博物館を視察されるんでしたよね?」


「はい、そうです」

  

「でしたら、この本がお役に立つかと……」


 小池都知事は、本棚の中段にあった、分厚い大型本を取り出した。


「『エジプト考古学博物館大図鑑』……ですか。あ、思い出しました。まさに私がこれから行こうとしている大エジプト博物館の、前身ですね」

 

「その通りです。私がカイロ大にいた時は、あの狭い博物館に何万点もの遺物が展示されていました。当時でも、完成から半世紀以上経って、老朽化もかなり進んでいました。長いコロナ禍を経て、やっと新しい博物館に生まれ変わってオープン。おめでたいことですね」


 小池都知事はその図鑑を取り出し、ページをパラパラとめくり始める。


「ストップ! そこ、ツタンカーメンのマスクですよね?」


 岸田総理が、ページとページの隙間に、両手合わせの手刀を差し込み、待ったをかける。


 そして、そのまま両手で左右のページを開くと、黄金のマスクがあらわになった。


「やはり、何といってもこれが見たいんです。この輝きと美しさ。印刷された図鑑のページからでさえ、ありありと伝わってくる」

 と、力説する岸田総理。


「黄金のマスクは一番人気です。でも、すごいのは黄金の部分だけではないんですよ。この首飾りの部分、見てみてください」


「ほぉ。確かによーく見ると、色んな装飾が散りばめられていますね」

 と、図鑑に目を近づける岸田総理。


「それに、マスクの目の周りと眉が、ちょうど今日総理がお召しになっているネクタイのような、ロイヤルブルーをしていますよ」


「ははぁ、ツタンカーメンと私岸田文雄にそんな共通点が! で、視察当日のエジプトの空は、小池さんのその上着の、水色と白色のハウンドトゥースのように清々しいことでしょうな」


「あはは、そうお祈りしておきますわ」

 と、小池都知事は苦笑いする。


「いやぁ、ますます大エジプト博物館に興味が湧いてきました。十五年前に、槙田邦彦まきたくにひこ元大使が合意を取り付けた、最大三百五十億円もの円借款しゃっかんを原資とする大博物館、しかとこの目に焼き付けてきますよ」


 岸田総理は、胸の前で拳をぐっと握りしめている。


「さすが総理、気合十分ですね。それに……やけにお詳しいですね」

 

「当然じゃありませんか。グローバルサウスの中でも、エジプトは我が国にとって重要な存在です。私の見立てでは、エジプトのBRICS加入も時間の問題でしょう。今回のカイロ地下鉄四号線建設への一千億円規模の円借款には、エジプトとの早め早めの関係構築の意味合いもありますからね」

 と、岸田首相は腕組みをして説明する。


「ええ、よくわかりますよ」


「あっ! この朱い本は? アラビア語学習の本があるじゃないですか。タイトルは……『3日でおぼえるアラビア語』ですか」


「総理、目のつけどころが鋭いですね」


「はぁ、と言いますと?」


「それも、私の本です」

 と、控えめな調子でアピールする小池都知事。


「ははぁ、そうでしたか」


 岸田総理は、その、一際存在感を放つ朱い本を手に取り、表紙を見た。


「えーっと……〈アラブに出張する人に! アラビア人と会う人に!〉。まさに私にぴったりですね!」


 岸田総理は、パラパラとページを捲り上げる。


「よろしければそちら、差し上げますよ」


「えっ、いいんですか?」

 と、驚く岸田総理。

 

「ええ。もっとも、外国語に堪能な総理には、易しすぎるかもですが」


「いえ、ありがたく頂戴いたしますよ。この本の力を借りて、エジプトの人々と円滑なコミュニケーションを図ってみせますよ」


「きっと上手くいきますよ」


「あっ、そうだ、大事なものを忘れかけていた」


「何です?」


 岸田総理は、ジャケットの内ポケットから、折り畳まれた紙を取り出す。

 

「これです。スピーチの原稿。私が主催する、日本・エジプト友好レセプションにて、エジプトの皆さんに挨拶をするのですが、もし可能なら、アラビア語でできないかと思いましてね」


 岸田総理は、A4用紙一枚にまとめられたスピーチの原稿の折り線をピンと伸ばすと、それを小池都知事に見せつけた。


 そして、小池都知事の目をじっと見て、何やら意味深な笑みを浮かべる。


「……まさか、私に翻訳しろと?」


「そのまさかです。時間の方は?」


「まだ大丈夫ですが……」


「では、よろしくお願いします」


 

 ***



__三十分後__


「……こんな感じでしょうか。びつきかけたアラビア語の知識を呼び起こすのは、少々苦労しましたわ」


「いやぁ、本当にありがとうございます。ご丁寧に、カタカナで発音の読み仮名まで振っていただいて、至れり尽くせりです。これで日本とエジプトの友好は確約されたようなものです」


「私もそう願います。ちなみに出発はいつでしたっけ?」


「四月の二十九日です」

 

「では、たくさん練習ができそうですね、お忙しいでしょうけど。大エジプト博物館の感想と合わせて、私の翻訳したスピーチのウケがどうだったかのご報告も、お待ちしております」


「小池さんのアラビア語は信用しています。あとは私がバシッと決めてきます、任せてください」



△△△

 

 

__二〇二三年四月三十日、エジプト大統領府アブディーン宮殿にて__


 岸田総理とアッシーシ大統領両首脳は、地下鉄建設のための一千億円の円借款に署名した。


 これにより、日本からエジプトに対する、大カイロ都市圏の南西部に位置するカイロ中心部からピラミッド地区を結ぶ地下鉄の建設支援が決まった。総駅数は十六駅、全長は約十八キロメートルという極めて大規模な地下鉄建設計画への協力は、日本・エジプト間の友好を維持するのに申し分のないカードであることは間違いなかった。



「岸田首相。我がエジプトは、人口や自動車数の急増に伴う交通量の増加に対して、道路整備が追い付いておらず、交通渋滞が慢性化して大変悩んでおりました。エル・アシュガール駅からエル・フスタットを結ぶ地下鉄四号線が完成すれば、必ずや混雑は緩和され、エジプト経済の発展に寄与することでしょう。日本からの温かいご支援に対し、心より御礼申し上げます」


 と、お辞儀をしながら礼の言葉を述べる、アッシーシ大統領。


 その隣には、金髪と青いカチューシャが特徴的な女性の姿があった。


「とんでもないことでございます、アッシーシ大統領。えーっと、恐れ入りますが、そちらのレディは……」


「姪のアザレスです。我が弟が日本に移住した関係で、この子は今、日本の海上保安庁に勤めています。ちょうど休暇を取ってエジプトに滞在中でしたので、同席させました」


 アザレスが、金髪と耳飾りを揺らしながら、一歩前に出る。


「どうも、アザレス・雨寺あまてらです」


 アザレスは、深々とお辞儀をする。


「これはどうも、『雨寺』ということは……お母様は、日本人?」


「はい。母雨寺瑠神あまてらるかは純日本人でございます」


「そうですか。色んなところで、日本とエジプトの繋がりがますます強くなっているようで、嬉しい限りです」


 アザレスは、静かに引っ込む。


「ええ、おっしゃる通りで。いやぁ、それにしても岸田首相、冒頭の挨拶をアラビア語でされるとは、恐れ入りました」


 アッシーシ大統領は、岸田総理のパフォーマンスを、ひどく気に入った様子。


「私なりの、親交の証です。実は私のアラビア語は、カイロ大を首席で卒業した東京都知事仕込みなのです」


「ええっと、都知事と言いますと、ミズ・コイケのことでしょうか?」


「ええそうです」


「なるほど、それなら納得です。彼女にもよろしくお伝えください」


「わかりました。ではまた、夕方の友好レセプションでお会いしましょう。マッサラーマ平安とともに


マッサラーマ平安とともに



 

 ▲▲▲


 


__アブディーン宮殿、客人控室__

 

 署名式の後、岸田総理は、政務担当秘書官であり息子の岸田翔太郎と打ち合わせをしていた。


 

「で、息子よ。話とは、何だね?」


「父上、あれが噂のアザレス・雨寺という女性です。アッシーシ大統領の弟カートバーク・雨寺と雨寺瑠神あまてらるかの一人娘。つまりエジプト・日本のハーフです。肩書は、第九管区海上保安本部海洋情報部海洋調査課課長。階級は二佐。第九管区本部では、部長と次長の指示に背くのは日常茶飯事、急な欠勤、行き先不明の出張を繰り返しているそうです」


「そうか、それは非常に興味深いな」


「それだけではありません。彼女には、妙な力のようなものが、宿っているという噂がありまして」


「噂? 私はこの目で見たものしか信用しない主義だ。が、一応詳細を聞いておこうか」


「はい。実は、彼女の行く先々で、巨大地震、厳密には震度六強以上の巨大地震が起こるという、謎のジンクスがあるのです」


「地震……。偶然では?」


「自分も初めはそう思いました。ですが、まずはこれをご覧ください」


 秘書官岸田翔太郎は、父文雄に一枚の資料を示した。

 


⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎◯


 二〇一〇年四月一日

 アザレス・雨寺、第九管区(北陸)海上保安本部海洋情報部海洋調査課に初期配属


 二〇一一年一月一日

 アザレス・雨寺、第二管区(東北)海上保安本部海洋情報部海洋調査課に異動

 

 二〇一一年三月十一日

 東日本大震災(震度七)発生


 二〇一六年四月一日

 アザレス・雨寺、第十管区(九州南部)海上保安本部海洋情報部海洋調査課に異動


 二〇一六年四月十四・十六日

 熊本地震(震度七)発生

 

 二〇一八年四月一日

 アザレス・雨寺、第一管区(北海道)海上保安本部海洋情報部海洋調査課に異動


 二〇一八年九月六日

 北海道胆振東部地震(震度七)発生


 二〇二〇年一月一日

 アザレス・雨寺、第二管区(東北)海上保安本部海洋情報部海洋調査課に異動


 二〇二〇年二月一三日

 福島地震(震度六強)発生


 二〇二三年四月一日

 アザレス・雨寺、第九管区(北陸)海上保安本部海洋情報部海洋調査課に異動

  

⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎◯

 


「ふむ……確かに奇妙だが、他にも似たような動きをしている者は、日本全国を探せば少なからずいるのではないだろうか」

 

「父上のおっしゃることもわかります。ですがさらに言えば、この資料に示されたいずれの異動も、人事主導のジョブローテーションではなく、雨寺本人からの希望によって行われています」


「つまり何が言いたい?」


「……」


 口ごもる息子。


「アザレス・雨寺とやらが、地震を予知している、あるいは引き起こしている、などと言いたいのかね?」


 岸田総理の口調は、穏やかでもあり、強くもあった。


「そ、その可能性が……ないとは言えません」


「政務担当秘書官の仕事を何だと思っているんだ。ここは大学のオカルト研究部じゃないんだ」


「申し訳ありません、父上」


「まぁいい。それはそうと、そろそろ大エジプト博物館に向かう時間では?」


「はい。裏手にアッシーシ大統領が手配くださった車が待っております」


「そうか、では行こうか。さっきのことは忘れて、気持ちを切り替えなさい」


「はい。父上」



 

 ▽▽▽


 


__車移動の後、大エジプト博物館(The Grand Egyptian Museum=GEM)にて__


 岸田首相は、マドブーリー首相とワジーリ考古最高評議会事務総長の案内で、真っさらな博物館の視察をしていた。建物の中からは、大きなガラスの窓を通して、かの有名なギザの三大ピラミッドも見ることができる。



「いやぁ、想像以上の素晴らしさに恐れおののきました。JICAジャイカ(国際協力機構)からの専門家派遣は、光栄にも古代エジプトの遺物の保存修復作業に貢献ができているようですね」

 と、岸田総理は、己が腰に両手を回し、最寄りのエジプト人二人には背を向けて、展示物の数々を眺める。

 

「はい、おかげさまで。日本からのご協力無しには、今の大エジプト博物館はありません」

 と、ワジーリ考古最高評議会事務総長。

 

「それももちろんのこと、二〇〇六年からの円借款で、博物館は支えられて助かっております。もはやこの博物館の半分が日本のものと言っても過言ではありません」

 と、マドブーリー首相は、両手で博物館全体を掴むかのようなジェスチャー。


「いやぁ、それはどうでしょう。あくまで借款しゃっかん。二〇〇六年の借款では確か、金利が年一・五パーセント、償還期間は三十年でしたかね。その辺りをお忘れなきよう、お願いいたしますよ」


 岸田総理は、マドブーリー首相に、視線を移すことなく、容赦なく釘を刺す。


「あははは……あ、岸田首相、こちらにございますのが、ツタンカーメンの黄金のマスクでございます」

 と、マドブーリー首相はすかさず話題を変える。


「やはりこのマスクは、格別ですね……」


 岸田総理の眼鏡に、黄金の輝きが、眩しく反射する。


「ですが、この貴重なマスクのそばに、防災斧があると言うのは……これは私の持論と言いますか、ただの感想ですが、なんだか嫌な感じがします」


 岸田総理は、側にあった柱に設置された、防災斧のガラスケースを横目で睨みつける。

 

「でも、消防法で設置が義務付けられておりますので……」

 と、マドブーリー首相。

 

「そうですか。では、あの斧で黄金のマスクを壊すような愚か者が出てこないことを祈りますよ」

 と、岸田総理。


「「警備は万全です!」」

 と、マドブーリー首相とワジーリ考古最高評議会事務総長は胸を張って口を揃えるも、どこか心許こころもとない。

 

「どうも解せない……」


 険しい表情の岸田総理。


「はい、どうかされましたか?」

 と、マドブーリー首相は弱々しく、岸田総理の顔色を伺う。

 

「やはり、あのロゼッタストーンがここにないのは悔やまれますなぁ」


 とマドブーリー首相とワジーリ考古最高評議会事務総長は、同時に激しく首を縦に振り、同意して見せた。


「まぁ、歴史とは悲しくも興味深いものです。そうだ、この後の、第二の太陽の船の復原現場の見学も楽しみです」

 と、岸田総理。


「はい。『太陽の船 復原研究所』所長の吉村作治先生を始め、JICAからの専門家の方々には本当に感謝しております」


「あ。たった今、面白いことをひらめきました」


 岸田総理は、ようやっと二人の方に振り返る。


「今朝の円借款の署名が、この博物館前の地下鉄駅開業につながり、その路線がたくさんの観光客を運んでくる日が訪れる。まさにこの『The Grand Egyptian Museum』は日本とエジプトの友好関係の象徴であり、「gem」という宝石のような存在というわけですね」


「岸田首相、素敵な表現に、感服いたします」

 と、称賛するマドブーリー首相。

 

 マドブーリー首相とワジーリ考古最高評議会事務総長は、岸田総理が太陽に照らされてできた、黒く長く伸びた影に向かって、大きくも、単調な拍手を送った。




 

▶︎●▶︎●▶︎●


 


 __岸田首相訪問後の深夜、エジプト大統領府アブディーン宮殿にて__


 アッシーシ大統領とマドブーリー首相は、暗く静かな宮殿で二人、小声で話していた。

 

「マドブーリー首相、我々がこのかねをどう使うべきか? よくおわかりでしょう」


「はい、大統領。もちろん承知しています」

 

「一千億円の円借款の使い道。表向きは地下鉄とは言ったが…………まぁ、地下にある鉄に変わりはない。フフフ……これで、スエズ運河の迂回路うかいろが開通する」


「ええ。これで、大幅に原潜げんせんの運用効率が向上します」

  

「うむ…………。喜望峰きぼうほう? 笑わせてくれるわ。スエズ運河? それも時代遅れだ。あのように地中海と紅海を往来するのは一見便利なようで、本当にわずらわしいものになった。だがこれで……」


「これで姪っ子さんも、喜ばれますね」


「その通り。もちろん、心配も多いが……私にはこれくらいしかしてやれんのだ」


 アッシーシ大統領の表情には、喜びと、悲しみと、興奮と、恐怖、無数の感情が入り混じっていた。


 〈第十一話へ続く〉

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