第6話『新世界より』

【注意】この話はフィクションです。一部、実在の国、人物、団体、組織などの名前を使用していますが、作中での出来事と現実での出来事には相違があります。


 __二〇二三年、八月二十四日。南アフリカ共和国ヨハネスブルク__


「では、これより、第十五回BRICSブリックス首脳会議を開始します。議題は、加盟国拡大について。新規加盟の数や、そのペースについて、慎重しんちょうに話していきたいと思います」

 と、今回の議長国、南アフリカのラマポーザ大統領が話を切り出す。


 この、天井の高い、過剰かじょうな面積の絨毯じゅうたんの広がる大会議室の、冷たく無機質な金属製の円卓えんたくで、シリル・ラマポーザを含めた首脳、ルーラ・ダ・シルヴァ、ウラジーミル・プーチン、ナレンドラ・モディ、習近平しゅうきんぺいの五人は、すでに肩のが下りたようにリラックスして、柔らかそうで上等な椅子に浅めに腰掛けている。


「皆さんがご存知の通り、世界のおよそ四十の国が、BRICS加盟に関心を示しています」

 と続ける、南アフリカのラマポーザ大統領。


「長い間、西側中心の世界秩序が築かれてきたわけですが、やはり、その不均衡ふきんこう是正ぜせいはかろうという声が高まってきている、ということがよくわかりますね」

 と、穏やかな口調のロシアのプーチン大統領。


「そのうち、正式に加盟申請を出した国は、二十二ヶ国。世界には約二百の独立国があると考えれば、BRICSが現段階でもかなりの影響を持っていることは、一目瞭然いちもくりょうぜんだ」

 と、ブラジルのルーラ大統領は、BRICSの規模の大きさを誇らしげに語る。


「そうですな。エカテリンブルクで、初めてBRICs首脳会議を行った時のことを思い出しますよ」

 と、インドのモディ首相は、小文字の「s」をわざとらしく強調して言った。


「あの頃、中国はまだ、日本にすらGDPでビハインドしていました。日本は五・〇七兆ドル、中国は四・九〇九兆ドル程だったと、鮮明に覚えていますよ。それが今や、世界二位。二〇二〇年代末には、米国をも突き放す予定ですがね」

 と、淡々たんたんとデータを示す中国の習近平しゅうきんぺい国家主席。


「我がインドも当時はまだまだでした。中国の四・九一兆ドルの二五・一七八二四四〇四一五五六三パーセントに当たる一・二三六兆ドル……」

 と、インドのモディ首相は、素早く暗算して得た数字をひけらかす。


「ほぉ、モディ首相、さすがの計算力で」

 と、一旦は冗談に乗って見せる習近平。


「オッホッホッホッホ! インドの数学は世界一!」

 と、調子の良い、インドのモディ首相。


「ちょっと、南アフリカががいない時代の話で盛り上がらないでくださいよ。どうせするなら、二〇一一年以降の話にしませんか? 置いてけぼりです。あ、でもこうは思いますよ? GDPをドルベースで換算するのも、近い将来、多くの国で変わるでしょうね。新しい通貨、BRICSの通貨が取って代わるかと」

 と、南アフリカのラマポーザ大統領は、南アフリカの加入がやや遅れたことを気にしている様子だが、それは友好の握手をより固くしたいという気持ちの表れだろうか。


「その通り。もはや我々は、新興国などと呼ばれる存在ではないのだ。だが、世界は未だに、執拗しつようにもそう表現するメディアのなんと多いことよ。しかしそれは十中八九、意図的だろう。現実逃避か、自国民に対する印象操作かは知らないが。いずれにせよ、我々の勢いについてこれない国々の心の内には、あせりや嫉妬しっとや危機感が渦巻うずまいていることだろう」

 と、ブラジルのルーラ大統領は、いきどおりとさげすみみで混濁こんだくした感情をあらわにする。


「ははは。ものは言い様ですよ、ルーラ大統領。彼らが我々にさらなる伸び代を認めていると、前向きに取らせていただきましょう」

 と、当意即妙とういそくみょうに返すプーチン。

 

「そうですな。我々の伸び代は、ヨガの達人『ダルシム』の手足の如く!」

 と、インドのモディ首相は、虚空こくうにパンチを押し込む。


「モディ首相……何をおっしゃっているのですか?」

 と、困惑するプーチン。


「あぁ、知りませんか? 『ダルシム』ですよ。日本の格闘ゲームに出てくるキャラクターで、伸びる手足を武器に戦うんですよ。関節を自在に外して、焼く前のナンの生地のように。ものすごーく伸びるんです。あと、火も吹きますよ」

 と、インドのモディ首相は、楽しそうだ。


「はぁ」

 と、あまり興味のなさそうなプーチン。


「モディ首相、そんなに日本の文化にお詳しかったとは」

 と、習近平がかんはつれず突っ込む。


「そうなんです、あっはははは! それにはわけがありましてね」

 と、広い会議室に豪快な笑い声をこだまさせる、インドのモディ首相。


「わけ? というと?」

 と、習近平がすかさず質問する。


「エジプトのアッシーシ大統領のめいっ子さんですよ。この間、アッシーシ大統領とお食事させていただいたんです。そこに、姪っ子さんも同席してまして、日本のことを、たくさん教えてくれたんです」

 と、自慢げに話すインドのモディ首相。


「なるほど……。エジプトのアッシーシ大統領には、日本にお詳しいご家族が、ねぇ」

 と、勘繰かんぐる習近平。


「あぁ、あれですよ? 今はもうお亡くなりになられましたアッシーシ大統領のが、日本人の女性とご結婚されてるんです。だから、姪っ子さんは、エジプトと日本のミックスハーフなんです。彼女は海上保安庁、そこの第九管区だいきゅうかんく海上保安本部というところで、課長……あ、今は次長代理らしいですが、とにかく佐官さかんを務めているんですって」

 と、インドのモディ首相は、何食わぬ顔で言い訳をする。


「第九管区とは、どこのことです?」

 と、眉をひそめる、習近平。


「『ホクリク』という地域と言ってましたよ。あ、その前は『トウホク』だか、『キュウシュウ』の『クマモト』での勤務だったそうで」

 と、何の躊躇ためらいもなく、ベラベラと、エジプト大統領の姪ともあろう人間の個人情報を、清らかな水の湧き出る泉のように流出させる、インドのモディ首相。


「ああ、よくわかりました。すみませんねぇ、別に詮索せんさくするつもりは別にないんです」

 と、習近平は意味深だ。


「話を戻しませんか?」

 と、冷静なプーチン。


「あぁ、ですね。すみません、つい。で、えーっと、BRICSの、飛ぶ鳥を、落とすような、勢い、について、ですねよね?」

 と、インドのモディ首相の語り口調は、場にそぐわず風船のようにふわふわとしている。

 

「そう、我々の勢いを誰も止めることはできない。ええっと……二十世紀に作られたが、今や時代遅れとなった国際機関があったはずだが……名をなんと言ったかな? あまりにびついていて、忘れてしまったよ。しかし、一つ確実に言えることがある。それは、我々BRICSがその二のてつを踏むことはない、と言うことだ。BRICSは、時代の変化に適応、いやそれどころか、変化を常に生み出す側になる、同盟、連合だ。そして、世界中にある他の国際組織は、我々に追随ついずいすることになるだろう」

 と、何かに対し明らかに揶揄やゆするブラジルのルーラ大統領。


「ええっと、我々の勢い……その表現は正確ではありません。議題はについてです。それにルーラ大統領、BRICSは建前上は、あくまで経済的なくくりです。ここではいいでしょうが……表舞台では、我々がBRICSのことを同盟や連合という見方をしているように映らないよう、気をつけましょう。もちろん、他の皆さんも含めて、ですがね。その錆びついた者たちに難癖なんくせをつけられては、面倒ですからね」

 と、プーチンはルーラ大統領をたしなめる。


「プーチン大統領のおっしゃる通りかと。では、今度こそ話を戻しましょう。BRICSへの新規加盟国についてです。手始めに五ヶ国前後、ということでした。あまりに拡大を急ぐ……いや、急がずとも圧倒的な買い手市場ではあるのですが、露骨ろこつなまでにBRICSが急拡大してしまうと、米国含む西側諸国と、その同盟国を不用意に刺激しかねません。事前の投票では、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦UAE、エチオピア、エジプト、アルゼンチンでしたが、現時点で異論のある方は、いらっしゃいますか?」

 と、議長国の首脳らしく、脱線した話を元に戻す南アフリカのラマポーザ大統領。


「念の為、情報を簡単に整理しましょう。まず、ホルムズ海峡を取り囲むイラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦UAEら西アジアの産油国。次にエチオピア。ここは、鋭利えいりなアフリカの角の先端。ジブチを挟みはしますが、なげきの門、バブ・エル・マンデブ海峡に近い。あそこには、中国軍をはじめ、米軍、仏軍、またドイツ、イタリアなどNATO諸国の軍隊、そして日本の自衛隊など多くの国の基地が点在している。そして、地中海、紅海こうかいを経由して北大西洋と北インド洋を結ぶスエズ運河を有するエジプト。ここも外せない。所謂いわゆる世界を制する小径チョークポイントに関わるこれらの国々は、地政学ちせいがく的観点からも、とりわけ、BRICSに迎え入れる候補として申し分ないのは、火を見るよりも明らかです」

 と、よどみなく言葉を連ねるプーチン。

 

「ですね。そこに、アルゼンチンを加え、合計六つの新加盟国を取り込めば、BRICSのGDPは世界の三十七パーセント、世界人口では四十六パーセントにまで増大します。これを見す見す逃すのは、愚か者のすることでしょう」

 と、習近平が付け加える。


「お二人の回答は心にお決まりのようですね。異論がある方は、いらっしゃいますか?」

 と、南アフリカのラマポーザ大統領は、やや急かし気味である。


「ない」

 と、インドのモディ首相。


「……モディ首相に同じく」

 と、ブラジルのルーラ大統領。


「では、これで決まりですね。いやぁ、早かった。これにて、BRICSは、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦UAE、エチオピア、エジプト、アルゼンチンの六ヶ国を、翌年二〇二四年、一月一日をもって……」

 


 ♪ デーデン! ♪


 突然の大きな音。


 ♪ デーデン! ♪


 壮大な音楽。


 ♪ デーデン ♪


 ♪ デーデン ♪


 ♪ デレデレデレデレデレデレデレデレ! ♪


 誰もが聞いたことのある、有名な曲。

 

 __ピッ。


 音が鳴り止む。


 五ヶ国首脳全員の視線が、蝸牛かたつむりの歩みのように、ゆっくりと、音の聞こえた方向へと移る。


 光栄にも、視線を浴びたのは、ドアの横に立っている、インドのモディ首相の付人つきびと


 彼は即座に、禁断の電子機器スマートフォンチューペット氷の柱のように真っ二つに折り曲げ、地面へと叩きつける。

 

交響曲第九番こうきょうきょくだいきゅうばん『新世界より』第四楽章だいよんがくしょう……」

 と、プーチン。


 その付人は背筋を、定規じょうぎの如く、ピンと張る。


「ドヴォルザークか……よく聞くのか?」

 と、プーチンは、付人に優しく問いかける。


「はっ、ははは、はい……」

 

 震える付人。


「ふむ……」

 と、何か物思いにふけるように、天井を眺めるプーチン。


「ごっ、ごごご無礼を、どうかお許しください! もっ、ももも、も申し訳ございませんでした!」


 付人は全身全霊の悔恨と謝罪アポロジーをし、地面に両膝りょうひざをつこうとする。


 が、プーチンは手のひらで「待った」をかける。


 再び背を伸ばす付人。


 付人のひたいの皮膚からは、水分がみ出る。


「なるほど……」


 プーチンは何度も、深く、うなずく。


 付人の額には、焦燥しょうそうと絶望のしずくしたたる。


「素晴らしい」


 プーチンの口角が、わずかに上がる。


「はっ……はぁ」


 状況が飲み込めない付人。


「素晴らしい曲だ、と言っているのだ」


 プーチンの語気が、いくらか強まる。


「あっ、あり、ありが……おめに預かり、感謝いたします!」


 まっすぐな定規が、今度は直角定規になる。


 付人はひどく動揺したのか、なぜか、礼をしてしまった。


「続きを」


 と、プーチン。


「えっ?」


「続きが聴きたい」


 プーチンは、穏やかに、そうつぶいた。


 各国首脳の付人たちは、目配せで示し合わせる。


「「……承知いたしました!!」」


 付人たちは勢いよくドアを開け、一斉に、蟻穴ぎけつに吸い込まれる軍隊蟻ぐんたいありの如く飛び出していき、会議室の裏手うらてにある、音響室へ向かった。


 プーチンは、やや斜め上に顔を傾け、目をつむる。


 南アフリカのラマポーザ大統領、ブラジルのルーラ大統領、インドのモディ首相は、いたたまれない気持ちになり、キョロキョロとする。


 中国の習近平国家主席は、腕を組み、フカフカの椅子の背にもたれかかって、三人を観察する。


 ほどなくして、ドヴォルザークの「交響曲第九番『新世界より』第四楽章」の序奏じょそうが、軍靴ぐんかの音のように、余白の多い会議室に鳴り響く。


 デーデン!


 デーデン!


 デーデン、デーデン、デレデレデレデレデレデレデレデレデーデン、デーデン、デーデン、デーデン! デンデンデンデーーーーーーン……


 〈七話へつづく〉

 

 【注意】この話はフィクションです。一部、実在の国、人物、団体、組織などの名前を使用していますが、作中での出来事と現実での出来事には相違があります。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る